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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

角田さんの「西国三十三観音霊場巡拝の雑感 」・・その4

2015-04-25 | 講員の活動等ご紹介
西国三十三観音霊場第三十三番 谷汲山 華厳時(岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積)御本尊 十一面観世音菩薩(秘仏) 開基 豊然上人 大口大領 天台宗
桓武天皇の延暦17年(798年)寶然上人が、開祖、大口大領が、本願といいます。大口大領は、奥州・会津の出身で、常ずね、十一面観音像を建立したいと願い、奥州・文殊堂に参篭。有縁の霊木を得るべく誓願を立て、七日間の苦行の末、、満願の明け方に、童子のお告げで霊木を得。都に登り、尊像を完成させました。そして、京から奥州へ、尊像を運んで行こうとすると、事もあろうに、観音像は、藤蔓を切り、御杖にして、御笠を被り、草鞋を履いて歩きだしました。
途中,美濃国赤坂(現・岐阜県大垣市赤坂)まで、来たところ、観音像は、立ち止り、「奥州の地には行かない。これより、北五里の山中に結縁の地がある。そこで、衆生を済度せん」と北に向かって歩き出しました。そして、谷汲後に、たどり着いたとき、観音像は、歩みを止め、動かなくなった。大領は、この地こそ、結縁後と思うや、山中に、庵があり、そこに、寶然上人が住んでいたので、二人力を合わせて、堂宇を建てて、尊像を安置したといいます。すると、お堂の近くの岩穴から油が湧き出してきて、尽きることなく湧き出すので、灯明に困まることがなかったといいます。(同寺縁起より)
この話を聞いた醍醐天皇は、湧き出る油を灯明に用いたことから、「谷汲山」の山号、「華厳寺」の扁額を下賜せられたといいます。その後、花山法皇が、西国三十三箇所の霊場を徒歩で巡幸され、同寺を第三十三番札所の満願寺 と定めました。御禅衣(笈摺)、御杖、それに、3種の御詠歌を奉納されたということです。
建武元年(1334年)、足利氏と新田氏の戦乱が起こり、幾度となく、諸堂伽藍を焼失。御本尊だけは、後方の山中に匿い安泰でした。その後、文明11年(1479年)の再興まで二度の兵焚にあい、一時は、衰退しましたが、後土御門天皇の代、文明11年(1479年)薩摩国鹿児島の慈厳寺住職・道破拾穀上人が、夢に、同寺
の観世音菩薩が現れ、「有縁の僧なれば、早く来て、諸堂を旧観に復せよ」と告げられ、はるばる尋ね来て、諸堂を再興したというのです。この寺は、このように、、観音信仰の霊験厚く、天皇、法皇を始め、朝廷、豪族、そして多くの民衆からの帰依あつく、今日に至つているといいます。
花山法皇は、同寺を、西国巡礼結びの地と定め満願結願の札所として、三首の御詠歌を詠まれました。その御詠歌は、現在・過去・未来を表しているといわれています。
「現在」 よをてらす ほとけのしるし ありければ まだともしびも きえ
ぬなりけり
「過去」 よろづよの ねがいをここに おさめおく みずはこけより いず
るたにぐみ
「未来」 いままでは おやとたのしみ おいづるを ぬぎておさむる みの
のたにぐみ
この御詠歌を、久保寺美好山主の解説によりますと、次のような意味になるそうです。
三首の御詠歌は、満願の寺にふさわしく、「今までは」で始まる御詠歌には、長い間、ずっと親のように想い、共に旅してきた笈摺(おいずる)を、最終の札所である当山にようやく、たどり着いて、満願に寄せる格別の思いで、この地に納めたという花山法皇の御姿をうかがい知ることができます。この、笈摺を脱ぐという行為は満願に伴う、「精進落とし」であり、すなわち、宗教的次元での「再生」を意味したものとも考えられており、この歌が、「未来」を表すのはそのような意味あってのことなのかもしれません。
さて、当山の本堂に向かって左奥には笈摺堂というお堂があり、札所を巡り終えた人々の笈摺、納経帳(朱印帳)、菅笠、金剛杖などが,うず高く納められており、また、お堂の周囲には沢山の千羽鶴が、色とりどり所狭しと奉納されているのに誰もが気がつかれたのではないでしょうか。巡礼の品々はともかく、
なぜこのお堂にこれほどまでの千羽鶴が奉納されているのかといいますと、元々の笈摺を納めるお堂という意味が、長い歴史の中で、「おいずる」に似た言葉の「おりづる(折リ鶴)」と解釈され、奉納されたのが始まりのようです。
このように、当山には、笈摺はもとより、一羽一羽願いを込めて折られた千羽鶴をはじめ、いく人達の数々の「想い」が納められているお寺なのです。(「納めおく」より)
確かに、華厳寺は、結願寺だけあって、広大な境内に通る、幅広い敷石道。道端には、巡礼を終えた歓喜に咽ぶような記念の石碑、参道のど真ん中に、「奉納三十三ど石」と刻んだ2メートルの石柱が立っています。感謝を込めた質素でちいさな地蔵さんも、ここかしこに、置かれています。まるで、ベートーベンの交響曲第9番・「歓喜の歌」を聴く思いがします。また、境内に、点在する、堂宇も、小高い階段を上がったり、降りたりして、小刻みに体を動かすように設計されているようです。喜びに震える心の琴線の音、魂の躍動をいやうえにも感じさせられます。そこに来て、笈摺が、うず高く、高さ10メートルはあるほどに積まれているのには驚くばかり。これが、一箇所でなく、3箇所もある。金剛杖はもとより、車椅子。松葉杖もある。今まで、肌身離さず使ってきたものを、一気に納め棄て身軽になること。自由の身になり、確かに、新生したという感興が湧き上がるのは確かです。
そして、「満願之証」をいただく。満願霊場 美濃国谷汲山華厳寺管長 久保寺美好 落款の朱印が捺されています。もう、かれこれ、、60年ぶりに、賞状なるものを、拝受することも、悪くはないな。という気持ちにさせられます。
かくして、西国三十三観音霊場巡拝行は、無事に修了しました。お疲れ様でした。東京に戻り、高原講元様に、西国観音霊場の経験もさることながら、巡拝した各霊場は、参詣者も多く、坂東・秩父に比べて、壮麗な伽藍や、大きな堂宇を持つ寺院があり、そうした、寺院を維持してゆくための維持管理、財政など、ご苦労も大変であろうと想像されます。それで、さぞ、寺院経営を司る住職さんは、優れた経営手腕の持ち主でしょうね。娑婆にあっても、立派に通用
する経営者でないでしょうか?と“愚問”を発しましたら、高原講元様は、一言、「ソレは、住職の力ではなく、御本尊様のお力によるものだ」と。
こうして、13日夜、JR東海・新幹線・岐阜羽島駅から、一路東京に向かい、全員無事に、巡礼を終えることが出来ました。
岐阜羽島の駅は、だだっ広く、人気の少ない、おなじみの、駅前広場がありま
す。広場の端に、ご当地出身の古武士然とした代議士。往年には、勇名高かった大野伴睦夫妻の銅像が建っています。確か、大野の鶴の一声で、新幹線が、ここに停車するようになったと記憶しています。その一方で、鉈一刀彫の円空上人生誕の地と記した、幟が風にはためいていました。
霊場巡拝行は、バスを使った団体旅行ですので、多少なりとも、制約があります。時間の制約や人に遅れをとり迷惑を掛けてはいけないなど、いろいろあります。が、巡拝中は、三日間、日常生活の一切を忘れて、仏さまに、帰依する努力のみの行動に終始しました。勿論、生活する苦しみ・悩み・悲しみ・悔恨など、一切、念頭になく、完全に自由解放、無垢の境地にいるようでした。こうした精神状態になれることが、「巡拝行」の特徴だと、つくづく感じさせられます。
家に戻ると、待ち構えていたたように、現実生活に戻り、折角、浄化してきた心や、精神活動が、三日坊主で、後戻りしてしまいそうです。私の周囲は、科学合理的主義・荒廃した戦後教育で育った考えの持ち主・エゴイズムにオブラードされた個人主義・家庭と家族の形を成さない小集団等々に属する人たちに囲まれています。神仏というものは、所詮、人間の頭脳が造った幻想の産物ではないか。神仏は、全知全能の万能力を持つ存在であれば、人間などという、中途半端な、出来損ないの存在をつくるはずもない。われわれの生活もさることながら、アフリカの飢餓に飢えた人たち、ISという凶悪なイスラム集団の存在、いつ、勃発するか解からない世界経済恐慌などなど、神仏は、何にも、解決しないじゃないか!!それでも、神仏は、存在すると信じられるのか?無宗教者,無神論者のような人が、一杯います。悲しい、わが国の精神社会現象です。
西欧諸国、フランス・ドイツ・イタリアなどの国でも、宗教離れは年を追って増加傾向にあるといいます。しかし、これらの国は、きちんと、国家財政の中に、「宗教に関する税金」があって、収支が施されています。長い人権獲得運動の苦難の歴史に裏打ちされた思想があり、そうした基盤の上に立った、個人主義や宗教離れが行われているといいます。これに対して、わが日本は、敗戦後、宗教。道徳・教育など、全てにわたつて、根底から、否定した、世界でも珍しい国家経営をした国で、今、益々、国が滅び廃れて行く傾向にあると言われています。
人間の頭脳が作り出した神仏という幻想か。ムードで支配されている平等主義の人間関係のなかにあって、隣り・世間を気にする現実では、神仏の神秘の力を感じることは出来ないのではないか!むしろ、この際、垂直思考(志向)を目
ざしてゆくべきと思うのです。父母に尊敬し、先生に恩愛し、先輩に敬愛し、、尊敬する大人を持ちそして、神仏を尊崇する。タテの関係が必要ではないでしょうか。さいわい、福聚講は、高原講元という尊敬する先達が居られ、敬愛する講員がいます。有り難いことです。感謝です。「おかげ」さまでと、「おかげ」を言えるのかもしれません。(角田記)、

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