1549年、キリスト教布教の期待をもって来日したフランシスコ・ザビエルは、日本人について次のような報告をローマへ書き送ったとされます。
「まず第1に・・・この国民は、私が出逢った民族の中で、最もすぐれている。‥‥日本人は一般的に良い素質を持ち、悪意がなく、交際して非常に感じが良い。彼らの名誉心は極めて強く、彼らにとって名誉以上の価値はない。日本人は概して貧しいが、武士も町人も貧乏を恥と考えている者はない。
彼らには、キリスト教国民の持っていないと思われる1つの特質がある。
それは、たとえ武士が如何に貧しく町人が如何に富裕であっても、貧しい武士も富豪と同様に平民から敬意をあらわされていることである。
また武士が如何にまずしくとも、また如何に財宝が山と積まれようとも、平民とは決して結婚しない。それにより自らの名誉が失われると思うからである。即ち金銀よりも名誉を尊重しているのである。日本人の交際には極めて多くの礼式がある。武器を尊び、武芸に達することを願っている。彼らは武士も平民も14歳になるとみな大小の刀を帯びている。彼らは侮辱や嘲笑に堪え忍ぶことは出来ない。
日本人の生活には節度がある。‥‥賭事は大いなる不名誉と考えているから一切しない。それは自分の所有でないものを望み、ついで盗人になり易いからである。彼らは起請することは稀であるが、誓う時には太陽にかけて誓う。住民の大部分は読み書きができる。そのため彼らはオラシヨやデウスのことを速やかに学ぶことができ、我らにとって頗る好都合である。日本人は妻を1人しか持たない。窃盗は極めて少ない。それは死罪に処せられるからである。彼らは非常にこの罪を憎んでいる。日本人はこのように非常に善良で、人づきあいがよく、知識慾に富む国民である。
デウスは私たちを、贅沢の出来ない国に導き給うたことにより、私たちに多くの御恵みを賜ったのである。‥‥日本人は彼らの飼う家畜をすることも喰べることもしない。彼らは時々魚を食膳に供し米や麦を食べるのであるが、それも少量である。しかし彼らの採る野菜は豊富であり、僅かではあるが、種々の果物もある。しかも、この国の住民は不思議なほど健康であり、中には稀な高齢に達する者も少なくない。
私たちが、この国にいて熱望しているのは、この国民をして、その創造主にして贖い主であるわれらの救主の知識に導くことである。世俗人たちは、自ら進んで私たちに反対し、迫害を加えたりはしないであろう。もしあるとすれば、それは坊主たちが絶えず行う煽動によるものに違いない。しかし、私たちは彼らと争うことを出来る限り避ける所存でいる。しかし彼らを恐れているのではない。‥‥私たちは、如何に反抗があろうとも真理を示し、拡げるつもりでいる。それは隣人の霊魂の救いを、私たち自らの生命よりも愛すべきことを、デウスが私たちにお命じになるからである」
「まず第1に・・・この国民は、私が出逢った民族の中で、最もすぐれている。‥‥日本人は一般的に良い素質を持ち、悪意がなく、交際して非常に感じが良い。彼らの名誉心は極めて強く、彼らにとって名誉以上の価値はない。日本人は概して貧しいが、武士も町人も貧乏を恥と考えている者はない。
彼らには、キリスト教国民の持っていないと思われる1つの特質がある。
それは、たとえ武士が如何に貧しく町人が如何に富裕であっても、貧しい武士も富豪と同様に平民から敬意をあらわされていることである。
また武士が如何にまずしくとも、また如何に財宝が山と積まれようとも、平民とは決して結婚しない。それにより自らの名誉が失われると思うからである。即ち金銀よりも名誉を尊重しているのである。日本人の交際には極めて多くの礼式がある。武器を尊び、武芸に達することを願っている。彼らは武士も平民も14歳になるとみな大小の刀を帯びている。彼らは侮辱や嘲笑に堪え忍ぶことは出来ない。
日本人の生活には節度がある。‥‥賭事は大いなる不名誉と考えているから一切しない。それは自分の所有でないものを望み、ついで盗人になり易いからである。彼らは起請することは稀であるが、誓う時には太陽にかけて誓う。住民の大部分は読み書きができる。そのため彼らはオラシヨやデウスのことを速やかに学ぶことができ、我らにとって頗る好都合である。日本人は妻を1人しか持たない。窃盗は極めて少ない。それは死罪に処せられるからである。彼らは非常にこの罪を憎んでいる。日本人はこのように非常に善良で、人づきあいがよく、知識慾に富む国民である。
デウスは私たちを、贅沢の出来ない国に導き給うたことにより、私たちに多くの御恵みを賜ったのである。‥‥日本人は彼らの飼う家畜をすることも喰べることもしない。彼らは時々魚を食膳に供し米や麦を食べるのであるが、それも少量である。しかし彼らの採る野菜は豊富であり、僅かではあるが、種々の果物もある。しかも、この国の住民は不思議なほど健康であり、中には稀な高齢に達する者も少なくない。
私たちが、この国にいて熱望しているのは、この国民をして、その創造主にして贖い主であるわれらの救主の知識に導くことである。世俗人たちは、自ら進んで私たちに反対し、迫害を加えたりはしないであろう。もしあるとすれば、それは坊主たちが絶えず行う煽動によるものに違いない。しかし、私たちは彼らと争うことを出来る限り避ける所存でいる。しかし彼らを恐れているのではない。‥‥私たちは、如何に反抗があろうとも真理を示し、拡げるつもりでいる。それは隣人の霊魂の救いを、私たち自らの生命よりも愛すべきことを、デウスが私たちにお命じになるからである」