高倉健さんがなくなりました。テレビでは健さんは撮影所でも椅子に座らず、周囲の人にコーヒーを出したり大変気遣いの細やかな人であったと紹介されていました。やはりと思いました。陰徳を積んでおられたからあれだけの人気が出たのです。これはまさに『雑宝蔵経』というお経にある「無財の七施」を実践されていたのだと思いました。「無財の七施」とは
1.眼施(やさしい眼)
2.和顔悦色施(にこやかな顔)
3.言辞施(やさしい言葉)
4.身施(身体でできる奉仕)
5.心施(他のために心をくばる)
6.床座施(席や場所を譲る)
7.房舎施(宿を提供すること。四国のお遍路さんを無料で泊める善根宿等。)
です。周囲の人に気を配るのは「心施」ですし、椅子に座らず周囲の人に譲るのは「床座施」です。コーヒーなどを配ってあげるのは「身施」です。健さんは普段は大変優しく人に接していたようですから「眼施」「和顔悦色施」「言辞施」もされていたことになります。やはり只の人ではなかったのでしょう。そういう陰徳が積もり積もってあの大人気を博し、文化勲章をはじめとする数多くの受賞につながっているのだと思いました。
・布施の功徳は本当に素晴らしいものです。
・お大師様も、「布施をすることは福徳を増す功徳がある(「檀等の諸行は即ち是れ福徳の因なり」。弘法大師「理趣経開題」)」と説いておられます。
・雑宝雑経には、貧女がなけなしの二銭を仏に布施したあと木陰で休んでいると王様が通りかかって即座に王妃となった話があります。
・金沢雲龍寺住職、荒崎良徳師の「般若心経に救われた私」と題する一文が大法輪22年8月号にありました。概要を書いておきます。「昭和58年私(荒崎)は大きな苦しみに出会い、自殺を考えるに至った。毎日暗いうちから本堂の観音様の前で「大般若理趣分」と「般若心経」を唱え続けた。ある日、林屋友次郎師の「般若心経の逐語的解釈」(『般若心経講義』昭和11年、東大佛青会編、三省堂発行内の一文)にあい意味を学んだ。まず、最初の「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄」のところではっとした。「度一切苦厄」とは一番欲しかった言葉だった。そしてそのためには「照見五蘊皆空」でなければならないとある。ここですべてが「空」であると覚れば一切苦厄から救われるのである。 ではどうすれば「空」を覚れるのかそれは其の前の「般若波羅蜜多時」を深く行じた時である。ここで般若波羅蜜多とは布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六波羅蜜すべてを指すものなので此の代表として私は布施波羅蜜多を行じようと思い立った。 僧侶として布施できるものは『法』しかないとおもい各宗派の高僧にきてもらい苦しみ
真只中の58年に「金沢南無の会」を立ち上げた。この会を続けていくうち、各宗の高僧の法話と聴衆の鋭い質問に自身も広く新しい世界に踏み込めた。法華経を写経するようになり其の中で無限に広がる仏様の世界に身を委ねることができるようになった。自殺を考えていた過去が遠い夢の中のように思える。」
1.眼施(やさしい眼)
2.和顔悦色施(にこやかな顔)
3.言辞施(やさしい言葉)
4.身施(身体でできる奉仕)
5.心施(他のために心をくばる)
6.床座施(席や場所を譲る)
7.房舎施(宿を提供すること。四国のお遍路さんを無料で泊める善根宿等。)
です。周囲の人に気を配るのは「心施」ですし、椅子に座らず周囲の人に譲るのは「床座施」です。コーヒーなどを配ってあげるのは「身施」です。健さんは普段は大変優しく人に接していたようですから「眼施」「和顔悦色施」「言辞施」もされていたことになります。やはり只の人ではなかったのでしょう。そういう陰徳が積もり積もってあの大人気を博し、文化勲章をはじめとする数多くの受賞につながっているのだと思いました。
・布施の功徳は本当に素晴らしいものです。
・お大師様も、「布施をすることは福徳を増す功徳がある(「檀等の諸行は即ち是れ福徳の因なり」。弘法大師「理趣経開題」)」と説いておられます。
・雑宝雑経には、貧女がなけなしの二銭を仏に布施したあと木陰で休んでいると王様が通りかかって即座に王妃となった話があります。
・金沢雲龍寺住職、荒崎良徳師の「般若心経に救われた私」と題する一文が大法輪22年8月号にありました。概要を書いておきます。「昭和58年私(荒崎)は大きな苦しみに出会い、自殺を考えるに至った。毎日暗いうちから本堂の観音様の前で「大般若理趣分」と「般若心経」を唱え続けた。ある日、林屋友次郎師の「般若心経の逐語的解釈」(『般若心経講義』昭和11年、東大佛青会編、三省堂発行内の一文)にあい意味を学んだ。まず、最初の「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄」のところではっとした。「度一切苦厄」とは一番欲しかった言葉だった。そしてそのためには「照見五蘊皆空」でなければならないとある。ここですべてが「空」であると覚れば一切苦厄から救われるのである。 ではどうすれば「空」を覚れるのかそれは其の前の「般若波羅蜜多時」を深く行じた時である。ここで般若波羅蜜多とは布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六波羅蜜すべてを指すものなので此の代表として私は布施波羅蜜多を行じようと思い立った。 僧侶として布施できるものは『法』しかないとおもい各宗派の高僧にきてもらい苦しみ
真只中の58年に「金沢南無の会」を立ち上げた。この会を続けていくうち、各宗の高僧の法話と聴衆の鋭い質問に自身も広く新しい世界に踏み込めた。法華経を写経するようになり其の中で無限に広がる仏様の世界に身を委ねることができるようになった。自殺を考えていた過去が遠い夢の中のように思える。」