福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

国宝唐招提寺金亀舎利塔の由来

2024-05-25 | 頂いた現実の霊験

国宝唐招提寺金亀舎利塔の由来

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招提寺縁起「・・此の寺は修南山道宣律師の門流鑑真和尚の所造也。彼持来たまへる三千粒の御舎利、瑠璃の壺に入りて亀の上にをはします。聖武天皇、東大寺を造らせたまひては、仏法をば弘ふれども僧といふもの無し。誰か此れをば修すべき、戒律を伝へ種をつがねばやと思し食して榮叡・普照と云二人の僧幷に大使藤原清河宰相、大伴古満呂副使等を使とし、戒師を大唐へ請しに遣き。此の人、波を凌ぎ海を渡り大唐にゆきて戒律に明ひ僧を尋ねき。其の時龍興寺の和尚鑑真と云ふ高僧をわしき。戒珠を瑩きて光を増し、尸羅を折りて色あざやかあんり。実に是れ苦海の船師、愛河の橋梁なり。此の使、かうべをたれて和尚の足下を禮して、聖武天皇の

勅請の旨をのべき。其の時、弟子の僧ども云く、伝へ聞く、日本は其の浪煙の波遥かにしてとおく海しのぎがたし。我等いかでか命を捨てて渡べき云々。爰に和尚云ふ、身をば軽んじ、法をば重んじて彼の国にいたりて我戒を弘めて群生を利せむ。其の故は大唐と日本とは、まじはりむつまじきこと二あり。一には、大唐衡山に六生まで生還生還をこなひし聖有き。其の名を思禅師と云ひき(南岳大師慧思(思禅師))。日本国の王子・聖徳太子と生て彼の国に仏法をひろめしめ、衆生を利し給へり。二には、彼の日本国長屋王、千帖の袈裟をぬひて大唐の千人の僧に供養しき。彼の袈裟のへりに四句の文をつけたり。其の文いまにみゆ。山川異域、風月同天、諸弟子に寄せて共に来縁を結ぶ云々。されば彼日本は人の心なさけある所也。我が命ををしまずゆかむ、とて三千粒の仏舎利、又様々の道具をひきゐて廿余人ともなひて、津國難波の津に来つく。雲霞のへうべうとかすかなりし道、いのちたへぬべきほどの事、かずしらず。遂に波あらく風しげくして彼の三千粒の仏舎利を海に沈めてき。其れ和尚悲しみて祈誠行じかば、亀背にをひてうかびあがりて返し奉き。和尚悦びて此の朝に来て其の様をつくりて亀の甲のうへに瑠璃の壺を安置していまに礼し奉る事を得り。」

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