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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

金光明最勝王經・全訳・・7/32

2020-01-07 | 諸経
金光明最勝王經・全訳・・7/32
金光明最勝王經卷第四大唐三藏沙門義淨奉制譯
最淨地陀羅尼品第六(今までは地前凡夫二乗の浅い行を説いたがここでは菩薩十地の行を示す。十波羅蜜により十地の行を説き、十障を除くことを示す。)
(大師の「金勝王經祕密伽陀
第四卷・最淨地陀羅尼品第六」には

佛智と衆生とは卽ち我心なり 圓通稱入すれば最も幽深なり 陀羅・十地・三摩(陀羅尼・十地・三摩地)等は 貪庭の淸淨の金に異ならず 十種波羅(十波羅蜜)は無盡藏 本來具足し但今に非ず 之を開ひて授與すれども人の得るなし 不減不增にして響音を絶す。)






爾時、師子相無礙光焔菩薩は無量億衆とともに座より起ち、偏袒右肩・右膝著地・合掌恭敬・頂禮佛足し種種の花・香・寶幢・幡・蓋を以て供養し已り佛に白して言く「世尊。幾いくばくの因縁を以て菩提心を得るや。何者か是れ菩提心なるや。世尊よ、即ち菩提において現在心も不可得、未來心も不可得、過去心も不可得なり。菩提を離れて菩提心も亦た不可得なり。菩提とは言説すべからず。心も亦た無色無相にして事業あることなく、造作すべからず。衆生も亦た不可得・不可知なり。世尊。云何が諸法甚深之義、知るを得べきや。」
佛言く「善男子。如是なり如是なり。菩提は微妙なり。事業造作は皆な不可得なり。若し菩提を離れて菩提心も亦た不可得なり。菩提は不可説なり。心も亦た不可説なり。色相なく事業なし。一切の衆生は亦た不可得なり。何以故。菩提及び心は眞如に同じきが故に。能證・所證、皆な平等なるが故に諸法を了知すべきなきにあらず。善男子。菩薩摩訶薩、如是に知る者は、
乃ち諸法に通達して善く菩提及菩提心を説くと名くることを得。菩提心者とは過去にあらず、未來にあらず、現在に非ず。心もまた如是なり。衆生も亦た如是なり。中において二相は實に不可得なり。何以故。以一切の法は皆な無生なるが故なり。菩提は不可得なり。菩提の名も亦た不可得なり。衆生と衆生名もまた不可得なり。聲聞と聲聞名も不可得なり。獨覺と獨覺名も不可得なり。菩薩と菩薩名も不可得なり。佛と佛名も不可得なり。行と非行も不可得なり。行と非行も不可得なり。不可得をもっての故に。一切寂靜法の中において安住を得。此の一切功徳善根によりて生起することを得。善男子。譬ば寶須彌山王の一切を饒益するが如く、此菩提心は衆生を利するが故に是を第一布施波羅蜜因と名く。善男子。譬ば大地の衆物を持するがごときが故に是を第二持戒波羅蜜因と名く。譬ば師子の大威力あり獨歩無畏にして驚恐を離るるが如き故に是を第三忍辱波羅蜜因と名く。譬ば風輪那羅延力の勇壯速疾なるがごとく不退なるが故に、是を第四勤策波羅蜜因と名く。譬ば七寶樓觀に四階道有りて清涼之風來りて四門より吹きて安隱樂を受くるが如く靜慮の法藏も求て滿足するが故に是を第五靜慮波羅蜜因と名く。譬ば日輪の光耀熾盛なるが如く此心速に能く生死無明の闇を破るが故に是を第六智慧波羅蜜因と名く。譬ば商主の能く一切の心願を滿足せしむるがごとく此の心も能く生死險道を度し功徳寶を獲るが故に是を第七方便勝智波羅蜜因と名く。譬ば淨月の圓滿無翳なるがごとく此の心も能く一切境界において清淨具足するが故に是を第八願波羅蜜因と名く。譬ば轉輪聖王、主兵の寶臣隨意自在なるが如く此の心も善能く
莊嚴して佛國土を浄め無量功徳もて群生を廣利するが故に是を第九力波羅蜜因と名く。譬ば虚空及び轉輪聖王の如く此の心も能く一切境界において障礙あることなく一切處において皆自在を得て灌頂位に至るが故に是を第十智波羅蜜因と名く。善男子。是を菩薩摩訶薩の十種菩提心因と名く。如是の十因を汝當に修學すべし。
善男子。五種法に依りて菩薩摩訶薩は布施波
羅蜜を成就するなり。云何爲五。一は信根。二は慈悲。三は求欲心なし。四は一切衆生を攝受。五は
一切智智を願求す。善男子よ、是を菩薩摩訶薩の成就布施波羅蜜と名く。善男子よ、復た五法に依りて菩薩摩訶薩は持戒波羅蜜を成就す。云何爲五。一は三業清
淨。二は一切衆生の為に煩惱因縁を作さず。三は諸惡道を閉じ善趣門を開く。四は聲聞獨覺之地を過ぐ。五は一切功徳を皆な悉く滿足す。善男子よ、是を菩薩摩訶薩成就持戒波羅蜜と名く。善男子よ、復た
五法に依りて菩薩摩訶薩は忍辱波羅蜜を成就す。云何
爲五。一は能く貪瞋煩惱を伏す。二は不惜身命。安樂止息之想を求めず。三は往業を思惟し苦に遭ても能く忍ぶ。四は慈悲心を發す。衆生の諸善根故を成就するが故に。五は甚深無生法忍を得となす。善男子。是を菩薩摩訶薩成就忍辱波羅蜜と名く。善男子。復た五
法に依りて菩薩摩訶薩は勤策波羅蜜を成就す。云何爲五。一は諸煩惱とともに住するを楽はず。二は福徳未具なれば安樂を受けず。三は諸難行苦行之事において厭心を生ぜず。四は大慈悲を以て一切衆生を攝受利益方便成熟す。五は不退轉地を願求す。善男子。是を菩薩摩訶薩成就勤策波羅蜜と名く。善男子。復た五法に依りて菩薩摩訶薩は靜慮波羅蜜を成就す。云何爲五。一は諸善法において攝して散ぜららしむるが故に。
二は常に解脱を願ひ二邊に著せざるが故に。三は神通を得て衆生の諸善根を成就するを願が故に。四は法界を淨めんがために心垢を蠲除(けんじょ・除く)するが故に。五は衆生煩惱の根本を斷ずるがための故に。
善男子。是を菩薩摩訶薩成就靜慮波羅蜜と名く。
善男子。復た五法により菩薩摩訶薩は智慧波
羅蜜を成就す。云何爲五。一は常に一切諸佛菩薩及
明智者に供養親近し厭背を生ぜず。二は諸佛如來が甚深法を説くに心常に聞んことを楽ひて厭足あることなし。三は眞俗勝智樂ふて善く分別す。四は見修煩惱(惑に見惑と修惑とあり。見惑は真俗一切の理に惑うもの。修惑は五根五塵に迷う者)咸く速に斷除す。五は世間伎術五明之法(声明・工巧明・医方明・因明・内明)は皆な悉く通達す。善男子。是を菩薩摩訶薩成就智慧波羅蜜と名く。善男子。復た五法に依りて菩薩摩訶薩は方便波羅蜜を成就す。云何爲五。一は一切衆生の意樂・煩惱・心行差別において悉く皆な通達す。二は無量の諸法對治之門は心に皆な曉了す。三は大慈悲定は出入自在なり。四は諸波羅蜜多において皆な願て修行し滿足を成就す。五は一切佛法は皆な願ふて了達し攝受して無遺なり。善男子よ、是を菩薩摩訶薩成就方便勝智波羅蜜と名く。善男子。復た五法に依りて菩薩摩訶薩は願波羅蜜を成就す。云何爲五。一は一切法は本より以來、不生不滅・非有非無として心に安住を得。二は一切法最妙理趣は離垢清淨なりと観じて心に安住を得。三は一切想を過ぐる心本眞如は無作無行不異不動として心に安住を得る。四は諸衆生の事を利益せんと欲するがための故に俗諦中において心に安住を得る。五は奢摩他・毘鉢舍那と同時運行において心に安住を得る。善男子。是を菩薩摩訶薩成就願波羅蜜と名く。善男子よ、復た五法に依りて菩薩摩訶薩は力波羅蜜を成就す。云何爲五。一は正智力を以て能く一切衆生心行の善惡を了ず。二は能く一切衆生をして甚深微妙之法に入らしむ。三は一切衆生の輪迴生死を其縁業に随ひて如實に了知す。四は諸衆生の三種の根性(上根・中根・下根)において正智力を以て能く分別して知る。五は諸衆生において理の如く爲に説き善根を種へて成熟度脱せしむ。皆是れ智力の故なり。善男子。是を菩薩摩訶薩成就力波羅蜜と名く。善男子。復た五法に依りて菩薩摩訶薩は智波羅蜜を成就す。云何爲五。一は能く諸法において善惡を分別す。二は黒白法(善悪の法)において遠離攝受す。三は能く生死涅槃において厭はず喜ばず。四は福智の行を具して究竟處に至る。五は勝灌頂を受け能く諸佛不共法等及び一切智智を得。善男子。是を菩薩摩訶薩成就智波羅蜜と名く。善男子。何者か是れ波羅蜜の義なるや。所謂。勝利を修習するは是れ波羅蜜の義。無量大甚深智を滿足する、是れ波羅蜜の義。行と非行との法に心は執著せざるは是れ波羅蜜の義。生死の過失・涅槃の功徳・正覺正觀は是れ波羅蜜の義。愚人智人皆悉く攝受するは是れ波羅蜜の義。能く種種の珍妙法寶を現ずるは是れ波羅蜜の義。無礙の解脱の智慧の滿足は是れ波羅蜜の義。法界・衆生界を正しく分別して知ることは是れ波羅蜜の義。施等及び智を能く不退轉にいたらしむは是れ波羅蜜の義。無生法忍能く滿足せしむるは是れ波羅蜜の義。一切衆生の功徳善根を能く成熟せしむるは是れ波羅蜜の義。能く菩提成において佛の十力・四無所畏・不共法等を成じ、皆な悉く成就するは是れ波
羅蜜の義。生死涅槃は無二の相なるを了ずるは是れ波羅蜜の義。一切を濟度するは是れ波羅蜜の義。一切外道來って相詰難せんも善能く解釋して其をして降伏せしむるは是れ波羅蜜の義。能く十二妙行法輪(苦集滅道を三度復演ずる)を轉ずるは是れ波羅蜜の義。無所著無所見無患累は是れ波羅蜜多の義。
善男子。初地の菩薩は是の相を先ず現ず。三千大千世
界の無量無邊の種種の寶藏、盈滿せざることなきを菩薩は悉く見る。善男子。二地の菩薩は是の相を先ず現ず。三千大千世界は地平にして掌の如く無量無邊の種種の妙色・清淨珍寶・莊嚴之具を菩薩は悉く見る。善男子よ、三地の菩薩は是の相を先ず現ず。自身は勇健にして甲仗もて莊嚴し一切怨賊皆な能く摧伏するを菩薩は悉く見る。善男子。四地の菩薩は是の相を先ず現ず。四方の風輪・種種の妙花、悉く皆な散灑して地上に充布す。を菩薩は悉く見る。善男子。五地の菩
薩は是の相を先ず現ず。妙寶女あり、衆寶瓔珞・周遍嚴身・首冠名花、以って其飾と為すを菩薩は悉く見る。善男子。六地の菩薩は是相先ず現ず。七寶花池、四階道(加行・無間・解脱・勝進)あり。金沙遍く布し清淨無穢なり。八功徳水は皆な悉く盈滿し嗢鉢羅花・拘物頭花・分陀利花は隨處に莊嚴し花池所において遊戲快樂するに清涼無比なるを菩薩は悉く見る。善男子。七地の菩薩は是の相先ず現ず。菩薩前において諸衆生あり、應に地獄に堕すべきを菩薩力を以て便ち不
墮ならしめ損傷あることなく亦た恐怖なきを、菩薩は悉く見る。善男子。八地の菩薩は是の相を先ず現ず。身の兩邊において師子王ありて衞護し、一切衆獸は悉く皆な怖畏すを菩薩は悉く見る。善男子。九地の菩薩は是の相を先ず現ず。轉輪聖王は無量億衆に圍遶供養せられ頂上の白蓋は無量衆寳之莊嚴するところなるを菩薩は悉く見る。善男子。十地の菩薩は是の相を
先ず現ず。如來之身は金色晃耀し無量淨光皆悉く圓滿し無量億の梵王は圍遶し恭敬供養し無上微妙法輪を轉ずるを菩薩は悉く見る。善男子。云何が初地を名けて歡喜となすや。謂く初て出世之心を證得し、昔の未だ得ざる所今始て得、大事用において其の所願を知り悉く皆な成就して極喜樂を生ず。是の故に最初を名て歡喜となす。諸の微細の垢・犯戒過失、皆な清淨を得。是故に二地を名て無垢となす。無量の智慧三昧の光明は傾動すべからず。能く摧伏するなく、陀羅尼を聞持するを以て根本となす。是の故に三地を名て明地となす。智慧火を以て諸煩惱を燒き光明を増長し覺品を修行す。是の故に四地を名て焔地となす。方便を修行し勝智自在極て得難きがゆえに、見修の煩惱は
伏し難きを能く伏す、是の故に五地を名て難勝となす。行法相續して了了顯現し無相思惟し皆な悉く現前す。是の故に六地を名て現前となす。無漏無間無相思惟し、解脱三昧にして遠く修行するが故に、是の地は清淨にして障礙あることなし。是の故に七地を名て遠行となす。無相に思惟し修得自在なり。諸煩惱行は能く動かしむことなし。是の故に八地を名け不動となす。一切法の種種の差別を説くに皆な自在を得て無患無累にして智慧を増長し自在無礙なり。是の故に九地を名て善慧となす。法身は虚空の如く智慧は大雲の如く皆な能く遍滿して一切を覆ふが故に是の故に第十を名て法雲となす。
善男子。有相の我法に執著する無明、生死惡
趣を怖畏する無明、此二の無明は初地を障ふ。微細の學處を誤り犯す無明、種種業行を發起する無明、此の二の無明は二地を障ふ。未だ得ざるを得たりと愛著する無明、能く殊勝の總持を障ふる無明、此の二の無明は三地を障ふ。味著等の至喜悦の無明、微妙の淨法を愛樂する無明、此の二の無明は四地を障ふ。生死に背かんとする無明、涅槃を希趣する無明、此の二の無明は五地を障ふ。觀行流轉の無明、麁相現前の無明、此の二の無明は六地を障ふ。微細の諸相現行する無明、作意して無相を欣樂する無明、此の二の無明は七地を障ふ。無相觀において功用する無明、執相自在の無明、此の二の無明は八地を障ふ。所説の義及び名・句・文と此の二の無量において未だ善巧を得ざる無明、詞・辯才において隨意ならざる無明、此の二の無明は九地を障ふ。大神通において未だ自在變現するを得ざる無明、微細祕密未だ能く事業を悟解せざる無明、此の
二の無明は十地を障ふ。一切の境において微細の所知障礙の無明、極細煩惱麁重の無明、此の二の無明は佛地を障ふ。
善男子。菩薩摩訶薩は初地中において、施波羅
蜜を行ず。第二地において戒波羅蜜を行ず。第三地において忍波羅蜜を行ず。第四地において勤波羅蜜を行ず。第五地において定波羅蜜を行ず。第六地において慧波羅蜜を行ず。第七地において方便勝智波羅蜜を行ず。第八地において願波羅蜜を行ず。第九地において力波羅蜜を行ず。第十地において智波羅蜜を行ず。
善男子。菩薩摩訶薩の最初發心の攝受は能く妙寶三摩地を生ず。第二發心の攝受は能く可愛樂三摩地を生ず。第三發心の攝受は能く難動三摩地を生ず。第四發心の攝受は能く不退轉三摩地を生ず。第五發心の攝受は能く寶花三摩地を生ず。第六發心の攝受は能く日圓光焔三摩地を生ず。第七發心の攝受は能く一切願如意成就三摩地を生ず。第八發心の攝受は能く現前證住三摩地を生ず。第九發心の攝受は能く智藏三摩地を生ず。第十發心の攝受は能く勇進三摩地を生ず。
善男子よ、是を菩薩摩訶薩十種發心と名く。善
男子よ、菩薩摩訶薩は此の初地において陀羅尼を得。名て依功徳力といふ。爾時、世尊は即ち呪を説いて曰く「たにゃた まりに まどらてい どっこ どっこ どっこ そはそりゆ あばばさち やはせんだら ちょうこうち たはだらくしゃまん くる そはか」

善男子。此の陀羅尼は是れ一恒河沙數を過ぎて諸佛所説なり。初地の菩薩摩訶薩を護らんが為の故なり。若し此の陀羅尼呪を誦持する者は一切の怖畏、所謂、虎・狼・師子・惡獸之類・一切惡鬼・人・等・怨賊・災横及諸苦惱を得脱し、五障を解脱し、初地を念ずることを忘れず。
善男子。菩薩摩訶薩は第二地において陀羅尼を得る。名て善安樂住といふ。
「たにゃた うんせんり しつりしつり うんせんり せんらなん ぜんとぜんと うんせんり ころ そわか」

善男子。此陀羅尼は是れ二恒河沙數を過ぎて諸佛の
所説なり。二地の菩薩摩訶薩を護んがための故なり。若し此陀羅尼呪を誦持する者あらば、諸怖畏、惡獸・惡鬼・人・等・怨賊・災横及諸苦惱を脱し、五障を解脱し二地を念ずることを忘れず。
善男子。菩薩摩訶薩は第三地において陀羅尼を得る。
難勝力と名く。
「たにゃた たんたき はんき からち こうらち けいゆり たんちり そわか」
善男子。此陀羅尼、是の三恒河沙數を過ぎて諸佛の所
説なり。三地の菩薩摩訶薩を護んがための故なり。若し此の陀羅尼呪を誦持する者あらば諸怖畏惡獸惡鬼人等怨賊災横及諸苦惱を脱し、五障を解脱し三地を念ずるを忘れず。
善男子。菩薩摩訶薩は第四地において陀羅尼を得る。
大利益と名く。
「たにゃた しつり しつり だみだ だりだりに しつり しつりに びしゃら はしはしな はんだみてい そわか」
善男子。此陀羅尼。是れ四恒河沙數を過ぎて諸佛の所
説なり。四地の菩薩摩訶薩を護んがための故なり。若し此の陀羅尼呪を誦持する者あらば、諸怖畏惡獸惡鬼人等怨賊災横及諸苦惱を脱し、五障を解脱し、四地を念ずることを忘れず。
善男子。菩薩摩訶薩は第五地において陀羅尼を得る。
種種功徳莊嚴と名く。
「たにゃた かり かりに しゃり しゃりに からまに そうからまに さんばさんに たんはに しつやばに もはに しじゃふへい そわか」
善男子。此陀羅尼は是れ五恒河沙數を過ぎる諸佛の所
説なり。五地の菩薩摩訶薩を護んがための故なり。若し此の陀羅尼呪を誦持する者あらば諸怖畏惡獸惡鬼人等怨賊災横及諸苦惱を脱し、五障を解脱し、五地を念ずることを忘れず。
善男子。菩薩摩訶薩は第六地において陀羅尼を得る。
圓滿智と名く。
「たにゃた びとり びとり まりに かりかり びんとかんち ろろろろ しゅろしゅろ とろば しゃしゃせつしゃ ばりしゃ さしっち さつばさったなん しつでんと まんとらはだに そわか」
善男子。此陀羅尼は是れ六恒河沙數を過ぎて諸佛の所
説なり。六地の菩薩摩訶薩を護がための故なり。もしこの陀羅尼呪を誦持する者あらば諸怖畏惡獸惡鬼人等怨賊災横及諸苦惱を脱し、五障を解脱し、六地を念ずることを忘れず。
善男子。菩薩摩訶薩は第七地において陀羅尼を得る。
法勝行と名く。
「たにゃた くか くかろ びろくき びろくき あみりた こかんこ ほりさんに びろちょくき ばろはち びていしき びんたばりに あみりちき ばこしゅゆ ばこしゅゆ そわか」
善男子。此陀羅尼は是れ七恒河沙數を過ぎて諸佛の所
説なり。七地の菩薩摩訶薩を護んがための故なり。もしこの陀羅尼呪を誦持する者あらば諸怖畏惡獸惡鬼人等怨賊災横及諸苦惱を脱し、五障を解脱し、七地を念ずることを忘れず。
善男子。菩薩摩訶薩は第八地において陀羅尼を得る。
無盡藏と名く。
「たにゃた しつり しつり しつりに みち かりかり けいろ けいろ しゅろ しゅろ ばんだ そわか」
善男子。此陀羅尼は是れ八恒河沙數を過ぎて諸佛の所
説なり。八地の菩薩摩訶薩を護んがための故なり。若し此陀羅尼呪を誦持する者あらば諸怖畏惡獸惡鬼人等怨賊災横及諸苦惱を脱し五障を解脱し八地を念じて忘れず。

善男子。菩薩摩訶薩は第九地において陀羅尼を得る。
無量門と名く。
「たにゃた かり せんだりき くらんばりてい とらし ばったばったし しりしり かしり かびしり さしってい さつばさったなん そわか」
善男子。此陀羅尼は是れ九恒河沙數を過ぎて諸佛の所
説なり。九地の菩薩摩訶薩を護らんがための故なり。若し此陀羅尼呪を誦持する者あらば諸怖畏惡獸惡鬼人等怨賊災横及諸苦惱を脱し五障を解脱し九地を念じて忘れず。
善男子。菩薩摩訶薩は第十地において陀羅尼を得る。
破金剛山と名く。
「たにゃた しってい そしってい もさに もくさに びもくじ あんばれい びまれい ねまれい ぼうぎゃれい ひらんにゃかべい あらたなぎゃべい さんまんたはちれい さつびあんたしゃんたに まなし あんぷてい あんしぶてい あらせい びらせい あんしゅち あんみりてい あらせい びらせい ばらんめい ばらかんんも されい ふらに ふらな まんどらてい そわか」
善男子。此の陀羅尼灌頂吉祥句は是れ十恒河
沙數を過ぎて諸佛の所説なり。十地の菩薩摩訶薩を護らんが為の故なり。若し此陀羅尼呪を誦持する者あらば諸怖畏惡獸惡鬼人等怨賊災横一切毒害を脱し、皆悉く除滅し五障を解脱し十地を念じて忘ず。

爾時師子相無礙光焔菩薩は佛の此不可思議陀羅尼を説きたまふを聞き已りて即ち座より起ち偏袒右肩・右膝著地・合掌恭敬・頂禮佛足し頌を以て佛を讃ず。
譬喩なき甚深無相法を敬禮す。
衆生は正知を失するを唯だ佛のみ能く濟度す
如來の明慧眼は一法の相を見ず
復た正法眼を以て普く不思議を照らす
一法を生ぜず亦た一法を滅せず
斯の平等見により無上處に至るを得る
生死を壊せず 亦た涅槃に住せず
二邊に著せず 是故に圓寂を證す
淨不淨品において 世尊は一味を知る
法を分別せざるがゆえに最清淨を獲得す
世尊は無邊身にして一字も説かず
諸弟子衆をして 法雨皆充滿せしむ
佛は衆生相を觀ずるに 一切種皆無し
然も苦惱者において 常に救護を興す
苦・樂・常・無常・有我・無我等は
一ならず亦た異ならず 不生亦不滅
如是の衆多の義 隨説に差別あり
譬ば空谷の響のごとし 唯だ佛のみ能く了知す
法界は無分別なり 是故に異乘なし
衆生を度せんがための故に分別して三ありと説    く

爾時大自在梵天王は、座より起ち偏袒右肩・右膝著地・合掌恭敬・頂禮佛足して白佛言「世尊。此金光明最勝王經は希有にして量りがたし。初中後善。文義究竟。皆な能く一切佛法を成就す。若し受持するものは是の人は則ち諸佛恩を報ずとなす」。
佛言「善男子。如是如是。汝の所説のごとし。善男子。若し是の經典を聽聞するを得る者は皆な阿耨多羅三藐三菩提において不退なり。何以故。善男子。是れ能く不退地菩薩の殊勝善根を成熟すればなり。是れ第一法印、是れ衆經王の故なり。應に聽聞受持讀誦すべし。何以故。善男子。若し一切衆生にして未だ善根を種へず未だ善根を成熟せず未だ諸佛に親近せざる者は、能く是の微妙法を聽聞するをえざるがゆえに。若し善男子善女人能く聽受する者は一切の罪障皆悉く除滅し最清淨を得、常に見佛することを得、諸佛及善知識勝行之人を離れず、恒に妙法を聞き、不退地に住し、如是勝陀羅尼門を獲得し無盡無減なり。所謂、海印出妙功徳陀羅尼は無盡無減なり。通達衆生意行言語陀羅尼は無盡無減なり。日圓無垢相光陀羅尼は無盡無減なり。滿月相光陀羅尼は無盡無減なり。能伏諸惑演功徳流陀羅尼は無盡無減なり。破金剛山陀羅尼は無盡無減なり。説不可説義因縁藏陀羅尼は無盡無減なり。通達實語法則音聲陀羅尼は無盡無減なり。虚空無垢心行印陀羅
尼は無盡無減なり。無邊佛身皆能顯現陀羅尼は無
盡無減なり。
善男子。如是等の無盡無減諸陀羅尼門の成就を得るが故に、是の菩薩摩訶薩は能く十方一切佛土において佛身を化作し、無上の種種正法を演説し、法眞如において不動不住・不來不去、善能く一切衆生の善根を成熟して亦た一衆生の成熟すべきものを見ず。種種の諸法を説くと雖も言辭中において不動不住・不去不來なり。能く生滅において無生滅を證す。何の因縁を以て諸の行法は無有去來なりと説くや。一切の法體は異無きによるが故なり。説是法時。三萬億菩薩摩訶薩は無生法忍を得、無量諸菩薩は菩提心を退せず。無量無邊の苾芻苾芻尼は法眼淨を得、無量の衆生は菩薩心を発す。爾時、世尊は頌を説いて曰く
「勝法は能く生死の流に逆らふ 甚深微妙にして見るを得べきこと難し
有情は盲冥にして貪欲が覆ひ 見ざるがゆえに衆苦を受く」
爾時大衆。倶從座起。頂禮佛足。而白佛言。
「世尊。若し所在處に此金光明最勝
王經を講宣讀誦せば我等大衆は皆悉く彼に往きて爲に聽衆と作ん。是説法師に利益・安樂無障・身意泰然たらしめ、我等皆當に心を尽くして供養せん。亦た聽衆をして安隱快樂に所住の國土に諸怨賊恐怖厄難飢饉之苦は無く、人民熾盛ならしめん。
此説法處・道場之地、一切諸天人等一
切衆生は應に履踐及以汚穢すべからず。何以故。説法
之處は即是れ制底なり。當に香花繒綵幡蓋をもって
供養すべし。我等常に守護をなし衰損を離れしめん」。佛告大衆。
「善男子。汝等應當に精勤して此妙經典を修習すべし。是則ち正法世に久住せん。」
(金光明最勝王經卷第四終わり)


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