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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

悟れば如何なる形態に生まれようとも大丈夫。

2021-08-01 | 法話

悟れば如何なる形態に生まれようとも大丈夫。

「しずかに思ふ時には、何に生まれて何にならむとも思わず、心だにも浄めつるならば、龍・夜叉等の身となりたりとも苦しからず。内證かしこき雑類(悟った様々な存在)の棲む所は、我等が住所には似ず。彼はみな浄土にてあるなり。人体は吉し、雑類・異形は悪し(人間に生まれるのは良くて動物などに生まれるのは悪し)と偏執するは悟り無き故なり。相続の依身(因果の結果としてのこの身)はいかなりとも苦しからず。」「覚海法橋法語」

別のところでは覚海法橋の伝記に
「神農の牛頭(覚禅鈔では、中国三皇の一人・神農が牛頭天王とされる。)周公の断菑(だんし・折れ曲がった木。荀子に「周公之状,身如断菑」孔子は礼学を作った周公を聖人の模範としている)
大聖大賢形貌をもって見るべからず。」とあります。

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