相應の義というは、謂く心と念法と異なり、染淨の差別によって而も知相と縁相と同じきが故に。不相應の義とは、謂く心に即する不覺は常に別異なし。知相と縁相と同じなるが故に(先の六種の汚れた心の説明にあった『相応』という言葉の意味は、心とその念は性質が異なっており、浄いとか汚れているとかの差別に応じつつ刹那毎に生滅する主観客観の相を同じくする故である。不相応という意味は、心に密着した迷いは常に心と別となっ . . . 本文を読む
仏典に説く国防大蔵経典には「防衛」という語が111か所も出てきます。・例えば大般涅槃経にはお釈迦様の舎利を守るために兵を厳重に配置し防衛守護したとあります(大般涅槃經卷下「還歸入城。起大高樓而以舍 利置於樓上。即嚴四兵。防衞守護」)。・「大乗大集地蔵十輪経巻二・十輪品第二には王は・・堅固なる城郭・村坊・戌邏・国邑・王宮、広く説かば乃至は舎・羅・鸚鵡・防守の衆具を安置して国土の損失することなからしむ . . . 本文を読む
第十九番下野大谷(現在も第19番は天開山大谷寺(大谷観音))
東野州河内郡荒針郷の内、天開山大谷寺の艸創は、相傳ふ大同弘仁の比にして、開祖並びに本尊の作者古来未決なりと云。本尊は
岩山に鐫(ほり)つくる。千手千眼の立像にして御長一丈六尺(約4.85m)なり。罪悪の重き者は尊容を拝し奉らず。唯常の岩山とのみ見ると。御堂も即ち山に造副て内陣は山、外陣は御堂なり。堂の直上の岩覆ひ系り . . . 本文を読む