此用有二種。云何爲二。一には分別事識に依る。凡夫・二乘の心の所見にして名ずけて應身と為す。轉識の現ずるを知らざるを以ての故に、外より來ると見て、色の分齊を取て盡知ること能わざるが故なり。二には業識に依る。謂く諸菩薩の初發意より乃至菩薩究竟地の心の所見にして名ずけて報身と為す。身に無量の色あり。色に無量の相あり。相に無量の好あり。所住の依果にも亦た無量の種種莊嚴あり。示現するところに随って即ち邊ある . . . 本文を読む
第丗二番東上総清水(現在も第32番は音羽山清水寺(清水観音))
上総國夷隅郡鴨根邨音羽山清水寺は熊埜権現垂迹の處、圓通大師士影響の山也。本尊の彫造道場の開基は傳教大師の發願にして慈覚大師の勲功也。京城の音羽に擬して伽藍の製を為す者也。
人王五十代桓武天皇の御宇、延暦年中の事なるに、傳教大師台教を弘めんとして、東國の遊化を思立玉ふに、一人の老翁あって告げて曰く、去んぬる寶亀年中、 . . . 本文を読む
史料綜覧 巻八 / 文明四年(1472)八月三十日条「三十日 流星アリ 大神宮及ビ興福寺ニ命ジ変異ヲ祈禳セシム 幕府モ亦之ヲ命ズ」天皇は後土御門天皇。室町幕府は足利義政。後土御門天皇時代は応仁の乱で宮中は極貧であったが、貧窮は自分の罪障が原因と考えて以下の和歌を詠じた。「誓ありと 思ひうる身に なす罪の 重きもいかで 弥陀はもらさむ」。 . . . 本文を読む