寛和元 ( 985)年 八月二十九 日、円融法皇(注1)は寛朝(注2)を戒師として出家。「金剛法」となられる。日本紀略(注2。寛朝,祖父は宇多天皇(寛平法皇)。祖父寛平法皇の下で出家し、仁和寺寛空から灌頂を受ける。仁和寺別当・東寺長者・西寺別当・東大寺別当。広沢湖畔に遍照寺を建立。ここから廣澤流といわれるが廣澤流は益信・宇多天皇(寛平法皇)・寛空・寛朝と次第。天元四年981、宮中に五壇法を修した時 . . . 本文を読む
大永元年1521八月二十九日には後柏原天皇が宸筆で「真如堂縁起絵詞」をお書きになった日
後柏原天皇宸筆「真如堂縁起絵詞一巻。真如堂極楽寺蔵」
「抑、本尊は慈覚大師の真作也。天長年中志賀郡苗鹿明神、神覚大師に対面有りて如法堂番神入衆望請ありける時、栢木柱一本彼明神より助成あり。此の木のもと切に毎夜光明を放つ間、大師恠給て打ちわりて見給ふに、一片は半座の佛體、一片は . . . 本文を読む
復次に眞如の用とは、所謂く、諸佛如來、本と因地にあって大慈悲を発し、諸の波羅蜜を修して衆生を攝化し、大誓願を立て盡く等しく衆生界を度脱せんと欲して、亦た劫數を限らず未來を盡し、一切衆生を取ること己身の如くなるを以ての故に、而も亦た衆生の相をも取らず。此れ何の義を以てなりや。謂く如實に一切衆生及び己身とは眞如において平等にして別異無しと知るが故なり。如是き大方便智あるを以て、無明を除滅して本の法身を . . . 本文を読む
今日8月29日は弘安の役で蒙古軍が壊滅した日です。弘安の役は 弘安4年5月21日(1281年6月16日)に蒙古軍が14万の大軍で博多に来襲したのに始まり、同年閏7月7日(8月29日)に日本軍の応戦と暴風のために壊滅しています。興正菩薩叡尊の伝記である「金剛仏子叡尊感身学正記」の記述によると、「・・・弘安四年(1281年)辛巳(叡尊)八十一歳、七月廿二日、浄住寺に参る。行阿比丘了意房先立ち入寺す。ま . . . 本文を読む