mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

なんだろう、このいい加減さ

2019-03-04 20:08:59 | 日記
 
 昨日(3/3)は、月例の団地理事会。前日に準備を終えて「達成感に浸った」ようなことを書いたが、じつは、私はそれほど、この仕事に身を入れているつもりはない。ただ、取りかかるとほかのことが視野に入らなくなる。それは単に年を取って、身のこなしが自在にならなくなっただけのことだ。だが、日々傍らにいるカミサンからみると、ひたすら理事長仕事に打ち込んでいるように見えるのかもしれない。
 
 それでも、原稿をつくったり、ほかの人の作成分も含めて編集したり、印刷したり、帳合したりする実務的な(というよりは事務的な)仕事は、何も考えなくて済むから、まるで瞑想しているみたいに心地よい。たぶんその気分を「達成感」と勘違いしていたのではないかと、いま振り返って思う。副理事長は、そういう私を面倒を厭わず献身的と見間違えているが、訂正はしない。
 
 56ページ分に加えて、「落としているよ」と指摘のあった4ページ分を追加したと、先日記した。翌朝になって、副理事長が2ページ分、作成してくれたのが届いた。会議の前に事務所に行ってそれを印刷する。40分も前というのに、すでに副理事長は来ていて、会議室の暖房をつけ、配布文書があればと手伝う態勢に入っている。印刷したものを配ってもらう。
 
 早々とほかの理事たちも顔をそろえる。雨が降っていて、冷え込む。気温は8℃。ま、3月初めのひな祭りは、こんなものではないか。1月末に急逝した理事に代わって奥さまが顔を出す。副理事長があれこれと気遣いをしてくれる。5分前に一人を除いてそろっている。後の一人は5月から自治会長を務める候補だ。皆さんの集まるのが少し早いという「慣習」を知らないのだから、急ぐことはない。みなさんにもそう告げて、そちこちのおしゃべりをぼんやりと耳にしている。
 
 それでも「定刻の2分前ですが……」と断って、はじめた。「報告事項」を手際よく片付ける。審議を必要とすることは「議事案件」として、項目を起こしている。「資料」は末尾にナンバーを振って別添としている。「議事次第」と「末尾資料」の双方を参照しながら、それぞれの担当者が説明し、ことばを挟み、「論点」を明快にして、皆さんの意思を伺うという手順。議長の運びによって、快調に飛ばす。私の傍らに座る高齢女性が(あれっ? 「資料がない」とあちこち引っ掻き回して探している。その向こう隣の女の方も、一緒に「資料」をひっかきまわしてあたふたしている。その間にも、話している方は苦笑いしながら「説明」をどんどん進める。会議が終わったあとで「落丁だった」と高齢女性はいう。だが、プリントアウトしたものを半分に折るだけの作業を、昨日副理事長がしてくれたわけだから、もし落丁なら、それがどこかに零れ落ちているはず。そんなものはなかったと、副理事長はいう。私は落丁部分をプリトアウトして、補う。
 
 会計報告まで出来上がると52ページに及ぶ「総会議案書」は、私がまず、今後の取り扱い方を皆さんに説明する。いま手元にあるのを「素原稿」と呼び、13日ほどの間に訂正、手直し、疑問や文言の問題点を指摘し、担当者が思案して「一次原稿」にする。それを皆さんに配信し、1週間でチェックする。「文言、数値、日付、参照文書のページ数などを厳密に吟味・精査してください」、必要がなければ、その後は正副理事長と正副総務理事に任せて、来月の理事会に「最終原稿」を提出します、と先行きのスケジュールを明快にする。もし重要な指摘があれば、「臨時理事会」をいついつ開催する、その案内は前日の午前中にお知らせするということまで、見晴らしを良くしておく。
 
 そうしておいて、各担当者が「議案」の一つひとつの項目の作成意図と「概要」を説明する。文書を細かくは読まない。あとで見てくれと依頼するだけ。年によっては「議案書」を逐条的に読み合せして、夕方までかかったこともあったと、事務所の窓口業務の方は話す。なんで逐条的に読み合せるか。全員が「責任」をもてという気分からなのだろう。だが、ほんとうに読み合せたら責任が発生するかというと、そうではない。何があろうと、理事長が全責任を負う仕組みなのだ。形ばかりの「責任の分散」はかえって無責任体制になると、丸山真男がいつかどこかで説いていたではないか。
 
 そうやって昨日は、午前中の予定時間を5分ほどオーバーして終わった。今日は朝10時から「理事・役員選出方法に関するご報告」という文書を、140部印刷する。印刷するのは機械がやる。私はセットするだけ。鏡書きの文書をまず印刷し、表裏紙を裏表印刷し、その間に手直しをする箇所を修正して、16ページの本文を印刷機にかける。あとは、ただ待っていても仕方がないから、「総会議案書」の素原稿の未完部分を作成する。1時間たっても半分くらいかというところで、「紙がなくなっ」て、機会がストップした。事務方に聞くと、お昼頃には入荷するはずという。「来たら紙を補いますから」というのに任せて、お昼を食べに家へ帰る。1時間くらいたてばいいだろうとみて、管理事務所へ行ってみたら、もうすっかり終わっていた。事務方が全部、面倒を見てくれたわけだ。ありがとう。
 
 そういうわけで、後は明日、手の空いている理事の方々に手伝ってもらって、折と帳合をする。全部できたのを、明後日、全戸配布する。じつはこれで、今年の理事会にかけられた大きな「課題」の二つ目をクリアする。あとは「通常総会」を乗り切るだけ。振り返ってみると、こんないい加減な私でも、ここまで務まるのだから、素人の自前管理というのも、市場経済のお手伝いを得て、うまく運ぶようにできている。いい世の中だね。
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ケセラセラでいいんだよ

2019-03-04 19:31:21 | 日記
 
裁量労働が苦にならない

  ここ一月ばかりの間私は、裁量労働で日々が明け暮れている。一冊の本をつくろうとしている。ひと月経ってやっと、400字詰め原稿用紙にすると800枚くらいの原稿を削りに削って45......
 

 一読、これって、「私の平成時代」の話だよな、と思った。昭和時代の「仕事の仕方」がアナルコサンジカリズムの響きを湛えていたのに対して、平成時代はマニュアル化した、といおうか。ちょうどパソコンが大衆化し始めた1980年代の後半、まだ東芝のルポが3行しか表示されず、それが7行表示になってすごいと感心していた時代。クィーンという(7インチの)ワープロソフトがあって、日本語変換がうまくいかず、光陰矢の如しとうつと、荒淫・・・などと表記されて慌てて消すようなこともあったと、思い出す。学習というか、覚えも悪かった。

 つまり、平成に入るころからパソコン全盛の時代になり、ソフトをいくぶん自分で改造する手順、アルゴリズムを覚えたこともあった。あるいは、村上龍が「アルゴリズムは14歳くらいまでに覚える」と、若い人たちに期待を寄せて、それまでの、社会や人間のどろどろした闇を描き出すことをやめて、「明るい未来へ」舵を切ったことも、印象的に覚えている。

 アメリカの副大統領のゴアがインターネットを張り巡らすと宣言して取りかかったのが、1990年代の前半だったろうか。それが今や、世界を席巻し、資本家社会的な場面も含めて、すっかり世界を一つにつないでしまった。もちろんそれによって人々を取り囲む社会の様相も変わるのだが、その「時代」に適応しようとして変わっていく人間の姿が、私たち庶民が日ごろ接する「せかい」の様子を変えてしまう。その中で生きて自己形成してきた若い人たちは、アルゴリズムが「せかい」の規範だと受け止めるから、いい加減、ちゃらんぽらん、だらしない、中途半端な振る舞いやセンスや思考は、最悪のものとなる。是非善悪も、自分が決するものじゃないから、だれかちゃんと決めてくれよと適応する側からは声を高くしたくなる。

 かわいそうに。わが身をそこに重ねながら、私は慨嘆している。己の寿命程度しか「先」を考えられない私にとって、「先」は「未来」ではない。もうすぐ向こうに「彼岸」を観ているような気分だ。せめて若い人たちに、ケセラセラでいいんだよと声をかけるくらいしか、やれることがない。そんなことを思った。

 

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