mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

トレーニングの赤鞍ヶ岳・菜畑山

2019-03-15 11:09:15 | 日記
 
 晴天の3/13(水)、山の会の月例山行は、道志村の赤鞍ヶ岳・菜畑山。目下一番山にのめり込んでいるkwmさんが車を出してくれるというので、Yさんと私は中央線の藤野駅で拾ってもらうことにした。予定の時刻に合流、空は雲一つない晴天。空気は昨日と異なり、少しひんやりとしている。Yさんは2月の奥日光のスノーシューで初登場した、やっと還暦の若手。表銀座を歩いたりしているという山ガールだ。
 
 登山口の道志村役場までは約25km。くねくねと曲がって、分かれ連なり重なる山の稜線を縫い、何本かの川を越えて西の奥へと走らせること50分。kwmさんは、つぎつぎと奥からやってくる対向車をものともせずに、軽快に運転をする。Yさんは「山梨ルールって知ってますか」と話す。道路の中央線にかまわず、自分が操作しやすいように車を運転する山梨県人の気性をいうらしい。kwmさんの運転を気遣う。「平気です、飯能の山奥で、これよりもっと狭い道で慣らしていますから」とkwmさんは応じる。「慣らしている」は、ひょっとすると「鳴らしている」だったかもしれない。走る車窓の向こうに、雪をかぶった山が見える。丹沢山塊の一部、大室山だろうか。一昨日の大量に降った雨が、山では雪になっていたようだ。
 
 中央本線に沿うように、相模湖の南側から大月へと西に延びる山塊に並行するように谷を挟んで走る道志山塊の赤鞍が岳(朝日山)と菜畑山である。どこの本であったか、この赤鞍ヶ岳1299mを「道志山塊の東端に位置する盟主である」と記していた。しかし私が思うに、道志山塊には今倉山1470mや御正体山1681mがある。どうして赤鞍ヶ岳が「盟主」なのか、わからない。ただ、道志村役場は、この赤鞍ヶ岳を背にして位置している。また今倉山は都留市に属しているし、御正体山は道志村の西端、山頂を都留市と境を分けているから、「盟主」といわなかったのかもしれない。お膝元ならぬ、村の後背に位置する「ご神体」と考えると、まさに「盟主」である。
 
 道志村役場の「来客用駐車場」に止め、駐車の断りを入れてトイレを借り、歩き始めたのは9:22。標高は600m。すぐ先に「朝日山→」の表示を見つけ、屋並の間を抜けてショートカットの上り道に入る。林道を歩くより山道が良そうだ。シカ柵の扉を開けて近道を辿る。ほとんど歩かれていないらしく、踏み跡もわずか。枯れたカヤトが立ち、土が崩れている。その上の急斜面は倒木が道をふさぐなどして、歩きにくい。上の林道はすでに舗装ではなく、小石がごろごろしている。kwrさんを先頭にゆっくりと進む。彼は毎回、標準的な(昭文社地図の)コースタイムをみて、自分の予定通過時刻を記した紙を用意している。それに歩調を合わせるように歩いて、自分の体調と力量の変化をみている。こうして彼は、自信をつけてきている。
 
 「←朝日山」「←赤鞍ヶ岳」とふたつ表示があるところから、本格的な登山道になる。二つの表示が別々の柱につけられている。じつは、国土地理院地図は「赤鞍ヶ岳1299」と記す。昭文社の地図は「朝日山(赤鞍ヶ岳)1299」と表示し、その東に別に「赤鞍ヶ岳1257」がある。どちらが道志村の「ご神体」の地元山名なのかわからない。ここで防寒着を一枚脱ぐ。
 
 スギ林の中を、やはり急な傾斜の上りがつづく。出発して30分ほどで、稜線に乗る。だがそこからが、本格的な急斜面。kwrさんは30分に一本、軽く歩を休め水をとり、ひやりとしてきた気配に衣類の着脱をしている。風は冷たい。Yさんはkwmさんの後を坦々と歩く。スギですかヒノキですかと傍らの樹林のことを聞く。上を見上げてもわからないが、落ち葉をみると、ヒノキのようだとkwmさんが応じる。ところどころスギの落ち葉もある。そのうちブナが出てきたり、クヌギの林になったり、アカマツがあったりする。「朴葉がたくさん落ちてますね」と、樹木に関心が深いようだ。1299mの山頂手前の「秋山峠」まで、この傾斜はいっそうきつくなり、ロープを張っていたり岩をつかむようなところもあって、つづいていた。
 
 今日の最高標点、赤鞍ヶ岳の山頂に着いたのは11時18分。1時間55分。コースタイムは2時間15分だから、20分ほど早い。3年半前の秋に私が登ったときには1時間半と記録している。先月下見に来たときには1時間45分。15分余計にかかっている。これが私の高齢化がもたらす衰退スピードだ。
 
 「お昼にする?」とkwrさん。「もう一つ先の岩戸の峰まで行きましょう」と応じて、歩きはじめる。急峻な下りだ。ここからおおむね標高1200m~1300mの尾根を歩く。下ったり上ったり、遠くから見ると凸凹の山だ。Yさんがストックを使い、あるいは木につかまって、慎重に歩を進めている。前方の枯れ木越しに岩戸の峰が見える。あそこまで40分くらいかとコースタイムを想いうかべるが、見た目はもっと遠くにある。岩戸の峰に11:55に着く。お昼にする。kwmさんは靴を脱いでビニールシートに座ってお弁当を広げている。何とお行儀がいいこと。後で聞くと、靴の具合が悪いので脱いでいたのだそうだ。Yさんが「鳥がいないですね」と言ったら、カアカアとカラスが鳴いた。忘れんなよ、俺だってってところか。そう言えば、上っているときにヒガラかコガラの声が聞こえていたくらいだった。
 
 20分ほどでお昼を済ませ、再び大きな下り。15分ほどで本坂峠(道志口峠)と名のついた、道志村へ下るルートの一つの分岐を通過する。赤鞍ヶ岳の山頂からここまでが55分。ほぼコースタイムで歩いている。つぎのマークポイントであるブドウ岩の頭1224mまで上るが、この地点の表示板がなく、「←菜畑山」の表示が木に括りつけられている。12:50。やはりコースタイム。「ここから1時間」とkwrさんが声を上げる。そうやって「目標」を一つひとつ意識しながら、自分を励ましているという風情である。
 
 この先ふたたびというか、三度、下りになる。Yさんが足を横にして降ろしている。滑るのに用心しているのだろうと思っていたら、そうではなく、爪先にマメが出ていたそうだ。帰る途中の車の中で、kwmさんとマメの手当ての仕方を話していて、気づいた。それにしては、遅れじと調子よくついていっていた。私がこのルートを最初に歩いたときは、秋の紅葉をカメラに収めている。奥深い峰々の合間に漂う雲とともに鮮やかなカエデの赤や黄色の彩が美しい。今回は枯葉のあいだから道志山塊の峰々がくっきりと見える。その向こうに、雪をかぶった丹沢の山並みも目に入る。アップダウンは相変わらず続き、出発点と最高標点の差、700mの登頂以上に、追加の上り下りが500mくらい加わりそうだ。下見のときは、菜畑山への上り下りで、さすがに音を上げそうになった。「最後にきつい上りがあるよ」と言いながら歩いたが、どこにもそういう気配を感じなかった。やはり疲れ方がルートの印象を決めているように思う。最初のときはストックを使う登り方をしていなかったが、今回はストックを最初から終わりまで使い続けた。
 
 菜畑山1283m着13:43。ブドウ岩の頭からのコースタイムは1時間だから、53分でやってきたことになる。ペースは悪くない。全山雪に覆われた富士山がど~んと雲を払って聳えている。「いや、これはご褒美だ」とうれしくなる。3年半前に比べて菜畑山の標識が新しくなっている。前回は朽ちかけ倒れかかっていた。記念写真を撮ったが、バックの陽ざしが明るく、顔が黒くなってしまった。
 
 ここからは下り一方。20分ほどでTV中継塔に出る。その50mほど手前に下山のルートが国土地理院地図には記されている。それを見つけてもらおうと注意しながら下ったが、やはり見つからなかった。倒木が多く、人が入らないからなのだろう。林道を歩くようになっている。だが、ここから舗装林道を通らず斜面を降ってショートカットした記憶があった。そのルートを探すが、倒木で荒れてわからない。kwrさんも林道を辿るのは業腹と思ったか、急な斜面の倒木を回り込んで下り始める。枯葉が堆積して、踏み下ろした足がふかふかの葉の上で大きく沈む。バランスを崩すとそのままずるずると滑り落ちるから、踏み留めながら降りる地点を探す。ここだと思うところで体が滑った。ところが右脚がツルに絡まって大きく持ちあがる。ストックを使ってツルを外し、灌木の幹につかまって、やっと道路に降りる。みると右の方で、Yさんが石垣につかまって足をつけようとしている。こうして、舗装路に降り立つ。
 
 少し進んで、また「←大久保」へ大きく降る山道に入る。ここも急傾斜だが、広い斜面だ。やはり枯れたカヤトが現れ、高圧鉄塔の下をくぐるようにして、さらに下ってゆく。左に折れ、山体をトラバースするように下る。kwrさんのペースは調子がいい。「←菜畑山・大久保→」の看板のところで、南の沢の方へ道をとる。沢を渡り和出村へ下るところで、シカ柵の扉を開けて、シカの圏内から人里へと戻った。南に面した山肌を拓いて畑をつくり、人が住み着いてきた。家屋が明るい陽ざしに照らし出されて、ここに住む人たちの安定した心もちを表しているように見える。
 
 15時10分道路に降り立つ。そこから車道を20分ほど歩いて出発点に着いた。15:30。出発してから約6時間。「予定通りで歩いたよ」とkwrさん。帰りはkwmさんとkwrさんの交代運転で東武東上線の若葉駅まで車で送ってもらい、生ビールと満州のギョウザで下山祝いをして、トレーニング山行を終えた。歩きながら、表銀座へ行こうとか、白山も面白そうとか、それより前にスノーシューで湯ノ丸や新野地温泉へ行きませんかと山の話ばかりしながら、いいトレーニングだったと、わが身をほめるのでした。