mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

人望がないという自己認識

2019-03-23 07:17:12 | 日記
 
 イチローが引退した。読売系を除いてTVも新聞も、メディアは大騒ぎしている。でも、45歳。野球選手としては長持ちした方だ。「偉業」と呼ばれるいくつもの記録の金字塔を打ち立てたというのを記者たちは承知しているから、イチローのことばが謙遜に満ちていると受け取っている。引退後、プロ野球の監督にはならないのかという問いにイチローが「人望がないから……」と応えたのも、謙遜と受け止めたようだった。耳にした瞬間私は、これがイチローのスタンスだと感じた。だから、「人望がないという自己認識は、あなたの選手生活にどう影響したでしょうか」と訊きたいと思った。
 
 イチローの受け答えは、メディアに取り囲まれる数多の「試練」を経ているからでもあるが、軽妙で坦々と思いを語っているように見える。記者とほどよく距離をとっている。それを私は、イチローが自身と距離をとっているからだと思ってきた。つまり日頃、自分の輪郭を身の裡から描き出すことをしているから、記者からの問いかけにも、ちょっと距離を置いて自分を眺めているようなスタンスが取れる。それが軽妙さになったり、「ユーモアたっぷり」に見えたりしている。
 
 つまり、「人望がないから……」という自己認識は、イチローの心裡の「外部」が「じぶん」をみていることばだ、と。それは、謙遜というような類のものではなく、記者たちが「偉業」と呼ぶことごとも、野球という限られた「せかい」のことでしかなく、それは「イチロー」ではあっても「鈴木一郎」の全てではないよ、引退してからの鈴木一郎は……偉業などなにもないよ、ただの人なのさと思っているように思えた。そこが、イチローの偉いところだと私は、感じている。
 
 最初にそう感じたのは、イチローが国民栄誉賞を断ったとき。「まだ現役ですから、畏れ多い」という言葉もそうだが、「わたしはそんなにエラクない」という自己認識を披露したと思った。そうか、この人はそういうふうに自分を見つめている。外からの「権威」に目もくれず、「じぶん」を見つめる目をもっている、と。それがイチローの身の裡に内蔵する「外部」だ。それがあってこそ、彼は自身への厳しい視線と己を律する日々の暮らしをかたちづくることができているのであろう。そこが私との決定的な違いだ、と。
 
 私は、「じぶん」の輪郭を描くことを好ましく思っているが、それを日々の暮らしに持ち込むときに、「厳しく律する」という方向よりは、ちゃらんぽらん、ケセラセラ、テキトーに、流れに身を任せてやり過ごす方へと向かっている。イチローの達成した「偉業」が限定された世界においてであることは、だから私にとっては、イチローというまるごとの存在の「圧巻」として聳え立つように感じられる。「外から与えられた権威」というよりも、彼自身の内側から突き出て聳え立つ偉業というふうに。
 
 イチローは、私の子どもの年齢である。私の娘婿殿に一郎さんもいる。さっそく私は、「イチローは引退したが、一郎の現役生活は、まだまだこれから。頑張ってね」とメールを打った。「ありがとうございます」と返信があった。仕事の合間にメールを見て、一郎はいそしく返したのであろう。後事を託す世代は、間違いなくそだっている。

春分の春の嵐

2019-03-21 19:00:40 | 日記
 
 今日はお彼岸、春分の日。朝は雨であった。緩やかに天気は回復し、暖かい。恢復するにつれて、強い風が吹く。TVはサクラの開花予想で番組を飾る。部屋に風を通したくなるほど、気持ちがいい気温だ。
 
 「通常総会議案書」の第二稿の「校正」も順調に運び、会計報告と予算案を除いて、ほぼ全部原稿の点検が終了した。ページデザインも、若干の部分をのぞいて、うまく整っている。じつは、皆さんがワードで原稿を作成するから、私も一太郎ではなくワードを使い慣れようと、最終的にはそちらにそろえた。ところが、行替えをすると、勝手に番号がついてくる。おやこれは便利と、最初は思った。そのうち、上の方を直すと下の方が勝手に変わって、同じ番号が二度続いたりする。あるいは、行間が不ぞろいではないかと指摘を受けた。たしかに。だがなぜか、その部分だけ行が詰まってしまう。仕方なく、一度そのページの全部をテクスト保存にして保存し、改めて読みだしてワードの「新しい文書」に張り付ける。そうして、行頭や行間を整えたら、なnとかクリアできた。行頭番号をそろえるのも、結局一つひとつ書き換えるようにしなければならなかった。行替えシステムの「解除」をどうやるのかわからないのだ。なんとなく私自身がメンドクサくて、そのやり方を探索しようとしていないのが、一番のモンダイなのだが、ま、それも仕方がないと、自分で諦めている。
 
 それでも、頁番号を打ったり、天地左右の余白を切り替えたりすることが出来るようになった。ワードは英文を基本にしてつくられているからか、行間が違ったり、行頭がそろわなかったりして、手に負えないところも残った。ことに、わずかに頭がそろわない。半角にして動かしても、ずれが残る。1/4ほどのずれなのだね。いやだなあという気分が終始私の身の裡につきまとうが、デファクト・スタンダードというか、皆さんがワードを使うから仕方がない。何だか、日本語そのものまで変えられていきそうな気がしてならない。
 
 4月からの山の計画を立てる。これまでのように半年単位で「提示」して、お好みの山行にご参加くださいとやるのが、結局、脱落者が出てほんの3,4名になった。それとは別に、会員が立案して呼びかける「日和見山行」が月1で行われているから、私の立案する「山歩講」の山行にいかなくても、皆さんの意欲に触りはないのかもしれない。ならば、何もわざわざ、半年先の立案までしなくても、おおよその実施日だけ決めておいて、その前後の天気のいい日に行くようにすればいい。そう考えて、来月からは「トレーニング山行」と称して、6時間前後の山を計画することにした。
 
 山のプランをつくっていると、ああ、ここもいいなあ、あちらはよかった、もう一度行ってもいいくらいだと思ったり、ルートを変えて登ってみようと思ったりして、地図を眺めているだけで、時間を忘れてしまうくらいだ。まず6カ所ほどをセレクトして、同行する常連にメールする。すると、それを、4月と5月の平日に入れて、その前後で行こうと月日の設定が済む。それを受けて、今度は私が、アクセスの方法、時刻、行程表などを書き込み、常連のチェックを受けてのち、会員に流す。
 
 その展開のあいだに、次の6,7月向けの「トレーニング山行」をセレクトして、やはり常連に送る。そうする中で、常連さんから「武尊山にも行きたい」と要望が入る。ああ、あれはいいところだ。私は二度、違うルートをたどって、山頂に立ったことがある。車で入って、大きく集会して来るルートは6時間くらいだったっけ。それとも、7時間ほどかかったろうか。よしそれも盛り込もうと前向きになる。つまり、プランを建てている間は、まるで山を歩いているような気分が身の裡に湧き起り、身体を満たす。これが、メンドクサイと感じるようになったら、私の山人生は、そこで終わる。
 
 人生ってのもそれと同じで、次の一歩を考えている間は、気分も前向きに生きていける。そうか、次は何、その次は何と、次々と先を気遣う気性が、私の気の落ち込みを防いで、楽天的な歩みにしてくれていたのか。後ろを振り向かない。褒めたことかどうかはわからないが、もうここまでそれでやって来たとあれば、いまさら切り替えて、一つひとつ反省しながらという歩き方はできない。
 
 さて、明後日のseminarの準備もおおむね整った。もう少し、サービスするかと、何十ページかのプリントをするかどうか、今考えている。

私の平成時代(8)すべてが一つになる「せかい」

2019-03-20 21:58:56 | 日記
 
 あるとき、長く宇宙科学に携わってきた大学教授が退官に際して最後の授業を行ったのを観た。そのとき学生の一人が「では、ビッグバンが起こる前はどうだったのでしょう」と質問し、その教授が「わかりません。今の私たちからみると、時間は不可逆的に一方向に流れているけれども、それ以前はひょっとすると、時間が空間的な構成をとっていて可逆的どころか移動可能にも、可視的にもなっているかもしれない」と返したのが、印象的であった。教授は、たぶん、そういう関心を懐いてそれを解明するべく突き進むのが、次世代の研究者なんですよと言いたかったのであろう。
 解明するかどうかは次世代の課題としても、私はその応答がヒトの思索の自在さに思えて、殻を一つ抜け出したような気分を味わった。例の11次元という話だ、と。じつは、ここまで「私の平成時代」ということで、この30年程を振り返って(ということは、とどのつまり、私のこれまでの歩みをある局面で切り取って振り返ることになったが)、「わたし」がいまどこにいるのかを見定めることになった。
 
 たとえば昨日の《私の平成時代(7)「失われた」のはチャンス》に記したような「チャンス」に、もう私は期待もしていない。近頃日本の政治過程を観ていると、真面目に政治を考えることも嫌になる。諦めというよりも、文字通りTVの画面を通して、あるいは新聞の紙面を通して、何だか別の世界を観ているような感触がする。「もう知らんわ」とでも言おうか。ただ、そこにかつての私自身が経てきた姿をよく見かけるから他人事ではないのだが、でも身につまされることにはならない。誰かの歌ではないが、「♫そお~ゆう~ジダ~イも~あ~った~ねと~♫」と懐メロを聞くような気分だ。
 
 現実過程としては、国際関係や政治過程よりも、身の回りの人々とのかかわりのほうが、はるかに意味深いと感じる。そこには私自身が浮世離れして過ごしてきたこともかかわっているとは思うが、ヒトって何をよすがに生きてんだろうとか、なぜ生きてんだろうとか、ゴーギャンが考えていたことのように、「どこから来て、どこへ行くのか」という思念のまるごとが、なんとなく全部一つになってわが身に降り注いできているように思えることがある。
 
 11次元どころか、ヒトのありようすら、「わたし」の窓からみているわけであるから、理解していることの確かさはつかみようがない。いろいろな不可思議な出来事も、信じるかどうかと問われて信じられないと思っても、ないとは言えない。「信じられない」というだけである。でも、三人称の科学世界の客観性が解き明かすミクロの世界の成り立ちが、じつは私の現実存在もありとあらゆる森羅万象も、星も宇宙も同じを出立をして今に至っているという物語りを語るとき、私の身の裡の自然感覚がうずいて、それを好感していると確かに感じる。これは、うれしい。これは、三人称と一人称が一蓮托生であるという証に思える。
 
 DNAの解析がすすんで、進化的系統図が組み直されたり、より詳細に解き明かされるのも、生きとし生けるものが同じプラットフォームでうごめいて来たことを示して、うれしい。星屑と同じという次元とは少し違うが、それでも八百万の神々の感触が感じられ、わが身の実存と重なるように思われる。こういう感触を持つのは、私が後期高齢者となって振り返る人生の感懐が、なせる業なのか。平成時代の加速的なITやAIの手助けを受けた技術的発展が解明する「せかい」のお蔭なのか。
 
 そう考えると、デジタル時代のITやAIを謗るようなことはしたくない。だが、経済も科学技術も、それ自体として走り始めているようにみえる。ヒトがまるでゲームに夢中になるように、尽きない興味関心に心惹かれたり、利得の追及に向かう。それは、ヒトがなぜ生きているのか、生きているってどういうことなのかという簡単明瞭なことを、自然に任せていない次元から抜け出したからではないのか。人間は動物化してきているのではなかったか。

 自然に任せてないって、どういうこと? あまりにも人為的、あまりにも人間工学的な計算上の社会設計(アーキテクチャー)によって、実は自分たち自身を檻に閉じ込めてしまっているのではないか。もうそういう地点から引き返せないところに来ているのかもしれない。とするとすでにシンギュラリティに至っているのか。
 
 あるいは、ヒトの現実のありように疑問を抱くことなく、グローバル経済の流れのままに人類は自家撞着的に別様の「生き物」、たとえばAI研究者のいうような無機物になっていくのであろうか。(おわり)

私の平成時代(7)「失われた」のはチャンス

2019-03-19 09:24:05 | 日記
 
 平成時代は、1989年、文字通り時代を画するような世界的な大変動とともに始まった。
 東西冷戦の終結である。「ベルリンの壁崩壊」に象徴される東ヨーロッパのワルシャワ体制の崩壊と、ゴルバチョフと父ブッシュによる「冷戦の終結宣言」であった。米ソ二大帝国体制の崩壊は、長く二項対立的に(それぞれに善悪の価値評価を伴いながら)諸問題を処理してきた集約点が消失したことでもあった。
 
 もう一つ平成時代を象徴する出来事が、IT(Information Technology、情報技術)の進展と普及整備であった。
 1992年に誕生したクリントン政権のゴア副大統領の指揮のもとにITネットの整備が急速に進み、たちまち世界経済をネットでつないだ。
 冷戦の終結で勢いづいたアメリカを中軸とした、高速度の金融資本支配が行き渡った。製造業よりも、株式や債券取り引きに見合った市場と企業の流動をすすめるアメリカン・スタンダードの体制へ変わっていった。グローバリズムである。
 そればかりではない。ネットが繋いだ社会の様相が変化し、それに見合って、人々の欲望と感性と思考様式の適応が変化を生み出し、人間が変わっていくさまが如実になった。
 
 以上が、私のみた「平成時代」の世界的様相である。
 
 そして30年を経た現在、アメリカの一極支配と予想された冷戦の終結は、冷戦時代を覆っていた二つの幻想――自由と人間尊重社会と平等と抑圧からの解放闘争――が消滅し、各国・各地の利害得失が集約する焦点は失われてしまった。その後は、いわば混沌の海に投げ出されたかのように漂流する状況を呈したのであった。
 9・11がそうであり、アフガンやイラク、アフリカ諸国、諸地域の混乱と紛争がそうであり、マルチチュードの反乱と呼ばれる抵抗の形が一つのそれであり、大量の難民とそれを受け容れてきたヨーロッパの行き詰まりが、それらを象徴している。
 あるいは中国が、アメリカに代わってパクス・チャイニーズを現実のものにしようと踏み出しつつあるのも、それを見て、「新冷戦」とジャーナリズムが呼んで囃子立てているのも、二項対立的にしか物事をみないゆえの世界観である。
 
 戦後「アメリカを国体」を国際政治的な立ち位置としてきた日本にとっては、冷戦の終結は「アメリカ国体」を抜け出す決定的な転機であった。むろんそれは、経済的な競争においてアメリカに対し優位に位置していたことが前提になっている。アメリカに依存することをほどほどにし、自律を志すという、日本独自の未来イメージを描いて、そこへ向けて踏み出すチャンスであったと、今にして思う。

 そういう議論がなかったわけではない。
 たとえば、バブル隆盛のその頃、マンハッタンの土地を購入するなどということよりも、その資金を投入して、将来に生きてくる研究活動に投資せよという建言もあった。それを引き受けた日立が埼玉県に研究所を設立し、当時博士号を持つ研究者を一千人雇用したと評判であった。

 あるいは、バブル崩壊後の「失われた十年」に入り始めた90年代中ごろ、給料を下げてでも勤務時間を短縮し、その分を雇用に回して、経済一本やりではない社会建設を思案するべきだと論議した覚えもある。つまり、クニ・社会の将来イメージを描いて、何のためにエコノミックアニマルとまで謂われて猪突猛進してきたかを振り返ろうとしていたのであった。
 
 その一つが、小渕内閣のときに公表された「21世紀日本の構想」である。河合隼雄を座長とする懇談会が提言したものであるが、地方分権や移民政策にまで言及して、「自立と協治で築く新世紀」と人々に呼び掛ける清新なものであったと印象に残っている。小渕首相は、それまでの宰相と異なり、コーディネーター的な振舞いを自らの役割と心得ているようであった。それは、その後の政治過程で忘れられ、それとともに、その志も雲散霧消してしまった。
 現在のアベノミクスのような、自分で自分をだますような自己満足的エコノミックアニマルになってしまっているのである。なんとも言いようのない事態だと、30年を振り返って思う。

 「失われた十年」が「二十年」となり間もなく「三十年」となる。何が失われたのか。グローバル時代に独自の道を歩む将来イメージを描くチャンスを失ってしまったのであった。(つづく)

私の平成時代(6)――環境管理型社会の構築へ

2019-03-16 10:30:28 | 日記
 
《ハイ、売名です。あなたも売名したら? みんな助かるよ》
 
 これは、昨日(3/15)の「折々のことば」が引用した、杉良太郎のことば。引用者の鷲田清一は、こう続ける。
 
 《15歳での刑務所慰問を皮切りに、国内外での福祉活動歴は60年になる。歌手になる前、知人のカレー店で無給で働いたのも、「見返り」を求めない人生の道を貫く覚悟を決めるため。東北の被災地で炊き出しのカレーを混ぜている時、リポーターに「それって売名ですか」と訊かれた。寒空の下、人々が並んで待っている。反論する時間も惜しかった。「週刊朝日」3月8日号から。》
 
 「反論する時間が惜しい」というよりも、杉良太郎のことばは、善悪を越えているところが、すごい。「売名」という言葉は、行っている行為そのものとは「別の意図」つまり「悪意」があるという使い方をする。それを「あなたも売名したら?」と返したことで、「悪意」は、杉良太郎のモンダイではなく、問いかけたリポーターのモンダイでしょと、投げ返している。「反論する」という性質のやり取りではないから、鷲田清一がちょっと、ことばの深みをとらえ損ねているコメントだ。
 
 おとといの「ささらほうさら」のテーマが「いじめ問題」であったことは、先日記した。そのときの世界観、人間観が問題になったと触れたのは、「いじめ」を是非善悪で切り分け、児童たちに「いじめられたもののつらさをわからせる」という対処法について、そんなに簡単なことではないのではないかとやりとりがあった。「いじめ」る行為そのものはヒトが成長していく過程の不可欠の要素であって、それを単純に排除するということは、ヒトの成長を押しとどめるようなことでもあるのではないか。恨みつらみ、妬み嫉み、排除や差別は、そういう行為をすることによって、「じぶん」をどこかに位置づけたり、わが身(や心)の安定を保ったりする作用をしているだろう。その行為自体には、善悪をかぶせて処断するべきではない「本性的な」何かがあるのではないか。ところが、近代市民社会において出現する「いじめ」を、法的言語で語ろうとするから、コトの端境を明快にしなければならず、結果的に「いじめられたと思えばいじめになる」という文科省の「定義」のようになってしまう。まあ、そんなふうなやりとりがあった。
 
 そのあとの会食のときに、日本の小児科医は(日本の少子化という状況で技術的な腕を磨く機会が少なくなり)、途上国など(小児医療という分野のまだ確立していない海外)に行って、手術をしたりして、技術向上を図っているという話が出た。
 
「それって、けしからんと言いたいわけ?」
「いや、客観的に、そういう事実があるって話よ」
「だって、少子化で技術向上の機会が少なくなって…っていうのは、途上国へ行って小児医療に携わって手術回数を増やして腕を磨き、日本に帰ってきて高い技術で貢献するっていう文脈でしょ。途上国を踏み台にしているって非難してるんじゃないの」
 
 この話、(小児医療という分野さえ確立できていない)途上国で医療貢献をしようと、日本の小児科医たちが出張っている(事実)とみたら、美談である。だから上記の「事実」を指摘した記事は、その美談を、日本の小児科医の技術的向上という(事実)角度から切り取ってみて、文脈を構成したのであろう。それを読み取る私たちは、自分のおかれている立ち位置から美談なのか、悪辣な意図をひそめた人体実験なのかと受け止める。
 
 「いや、そういう事実があるって話ですよ」と発信する人は、客観的な立場、いわば科学的な立場と謂われる第三者的立場からとりだしていると確信しているようだが、発せられた瞬間にその言葉は意味を付与され、切りとる角度が受け取る人の立場のもつ偏向レンズによって調製されて、客観的というのが、なにを意味していたのかわからなくなるほどに、変わってしまう。私たちの使う言葉ってのは、そのように是非善悪で色づけられて、行き交っている。だって、その情報を受け取る人々は、三人称ではなく、一人称だからだ。
 
 ということは、「情報そのもの」には是非善悪の価値はついていない、と言えるのか。あるいは、情報を受け取る立場を抜きにして「情報そのもの」ということがありうるのか。哲学世界ではシニフィアン/シニフィエという用語を用いてそのあたりの論議を尽くしているようだが、それは、上記の客観的・科学的・三人称の立場という近代論理世界が蔓延した世界で、それを考えだし、受け取っているのは「我」ではないのかという煩悶から生まれた論議だ。純粋理性とか実践理性という分け方で、ヒトの考え方の次元を区分けして、普遍的な、まるで神が考えているかのような立場を「真理」としてとりだす仕掛けでもあったと、振り返って思う。
 
 でも私たち庶民は、西欧流の「神」を知らない。八百万の神々は、暗い世の中を明るくするために酒を呑んで宴会をし、裸踊りをして力づくでアマテラスを世の中に引きずり出すような、なんでもありの八方破れである。私たち自身が自然そのものだし、ヒトに限らない。生きとし生けるものすべてが、生まれ落ちたとき邪悪であるという、西欧神のもっているような偏見をもたない。むしろ、生まれ落ちたときは白紙であるという思い込みのほうが強い。こうした自然観から自生してくる万物の(西欧風にいえば魂の)視線が、私たちの内部に外部的な視線を培う。
 
 それは、自分の行いを「じぶん」がみているという感覚を生み出し、多くの人とともに暮らしているときの「じぶん」の振る舞いを対象化していみる目の役割をつくる。世間体を気にするとか、他人様に迷惑をかけないとか、まず「じぶん」を律して身を整えよというふうに、身の裡の「外部」になる。それが西欧流の「超越性」に代わる役割を果たしてきた。
 
 一人称は、独善的になる。何しろ自分の立場を護るというのは、生きとし生けるものの普遍的な行動原理である。西欧神は、ヒトの独善を認めている。旧約聖書のカインとアベルの話も、マグダラのマリアの話も、ヒトの罪を「原罪」として認めて、それを克服せよと「神への愛」を語る。それは、善悪をつけて世界を見て取れという世界観の確立でもあった。
 
 ところが、その絶対神と切り離して離陸した近代科学の三人称は、神に代わる客観的な「真理」を突き出して、「普遍性」を掲げた。ひとつは、人民主権という民主主義思想であり、それと相前後して生み出された資本家社会的市場経済である。別様に謂えば、自由と平等の思想である。それらは、一人称にたいして西欧神よりも強烈なインパクトをもって、人々に作用した。西欧においては、絶対神からの解放であり、アンシャンレジームからの自由であった。それは、資本家的市場経済の自由さと平等とが相まって、暮らしの結界を食い破り、優勝劣敗・弱肉強食の競争原理を駆動輪にして世界を一つにしてしまい、ついには未開地を駆逐してしまった。
 
 八百万の神々を戴いてきた土地では、近代社会を構築するために西欧が払ってきた労苦に関心を払うことなく、そのエッセンスだけが取り入れられた。自由と平等。民主主義と資本家社会的市場経済。むろん、それぞれの社会の経てきた蓄積に組み合わされて変色してきた。だが組み合わせの過程で、現住地社会の築いてきた共同性とともに共有していた気風も解体され、勝手がっての自在主義が横行するようになった。社会的変化に人々が適応してきたのである。つまり、世間が解体され、一人称の「外部」もどこかへ雲散霧消してしまった。
 
 資本家社会的市場経済では、損得だけが人間行動の基本原理のように受け取られ、社会そのものが保たれている「かんけい」秩序が自由放任になった。それは、八百万の神々の住まう自然観社会においては、ほとんど動物同然に、「わがまま」に振る舞うことを意味した。ことに高度消費社会を経験したのちの社会においては、(最初の問題提起者の趣旨とは少し違うが)人びとが動物化したのである。
 
 では、その社会の秩序は、どう保たれるようになるのか。環境管理型社会の構築である。それが、平成時代の社会変化を特徴づけているし、それに適応する人々の変容が、昭和時代と平成時代を明確に画するようになった。(つづく)