mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

どこまで行けるか

2021-03-01 09:23:41 | 日記

 2月が終わって、書き落としていたことがあった。平地を歩いてどこまで行ったか。
 1月は、1日平均11km歩き、おおよそ名古屋の手前まで行った。2月は平均10km、280km余。1月と合わせると、620kmほどになる。東浦和から東京を経て西向かうのは、わが身の心の習慣が然らしむるもの。何と、大阪を越え、神戸も越えて、鷹取まで行ったことになる。鷹取ってのは、須磨の海の近くにあるJRの駅。東浦和からの距離も、鉄道の路線距離を採っている。
 山歩きと同じで、毎日コツコツと11km、10kmと歩いていれば、そこまで行けるのだと、あらためて人の歩く力の強さに感心する。それが、ホモ・サピエンスとしては十万年ほどかけて、この列島に住まいはじめてからでも、何千年と掛けてここまでやって来たのだと思うと、わが身に堆積する径庭のすごさに感心してしまう。それを受け継いで、21世紀の2合目の最初年のふた月で620kmやって来た。自粛して埼玉蟄居を決め込んでいても、このくらいの受け継ぎをして歩くことができている。たいしたものではないか。
 昨日、歩きに出ようとしたら、上の階にお住いの方が買い物から戻って来たところに出くわした。杖を突き、もう片方の手で手すりをもって肩で息をしている。この方は、何年か前に大腸がんの手術をしてから、急に体が弱ってきた。奥さまも病弱で、外へ出かけられない。86歳になるか。
「何かお手伝いできることってあります?」と訊ねる。
「じゃあ悪いけど、この肩の荷物、家の前の置台にまでもっていってくれる?」
「ええ、いいですよ」ともっていき戻ってくると、少しばかり世間話をするようになって、20分ほどお喋りをした。
 印象深かったのは、「どうして親に、も少し楽をさせてやらなかったのかって思いますね」と慨嘆したこと。息子が親のことを心配しないという話から、わが身を振り返ってみると、40代、50代のころは仕事やわがコトに夢中であったことに思い当たった。親を気遣うようになったのは、還暦を迎えたころからだったと、おおむね私の辿った径庭と重なる。
 親の世代から良くも悪くもだが、多くのものを受け取り、その受け取ったものを紡いでわが人生をつくって来た。それが、いかに多くのコトの受け渡しをしているか。はたしてそれを、子や孫の世代に手渡したろうかと、思いは跳ぶ。この齢になってはじめて、振り返るってことをする。すると、人類史が、今この身に堆積してきていることが実感できる。ありがたいねえと思うと同時に、しかしそれにしても、ラッキーであったと「無事であったこと」に感謝する心持ちになる。
 こういうのを、保守化するっていうのだろうか。いや、ちょっと違うな。ヒトが作為的につくり成すことって、実はそう多くはない。だが、前々の世代から受け継いできたことが、図らずも人為の結果であったことも、考えてみれば、おのずと腑に落ちる。そうしたことの、総集が、今現在の私であり、お隣さんだと感懐を深くした。
 これから後の毎日も、歩き続けるだろうかと、他人事のように考えている。
 たぶん、3月7日に「緊急事態宣言」は解除される。となると、県外の山も視野に入り、泊りの雪山も計画山域のなかに入ってくる。じつは、山歩きがハードに入ってくると、日々の歩きが少なくなる。身体が草臥れてくるのだ。一緒に歩く山友は少なくなっているから、単独行となる。おのずと慎重になり、山行自体を控えることにもなる。そういう選択が、間近に迫っている。
 そうか、そろそろ啓蟄か。わが身の裡の、肚の虫ももぞもぞと這い出して来そうだ。さて、どこまでいけるか。しばらく、歩行距離の記録をとってみよう。