mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

孫との五日間(下)よく歩く、よく回復する

2017-08-25 08:27:28 | 日記
 
 さて五日間預かった孫を連れて、どこを歩くかは私の領分。奥日光をフィールドに選んだ。この孫たち、毎年正月には奥日光で何日かを過ごすのだが、雪のないときに来たことがない。となると、どこでも歩ける。天気を観ながらコースを決めればいいだろうと考えていた。
 
 ところが、連日の雨。家を出る20日も雨の中であった。8時40分。だが子どもたちは車が走り出すやすぐに眠りについた。日曜日とは言え、天気がよくないせいか高速路の車は少なくズムーズに走る。いろは坂を登りきってトンネルを抜けると雨はやみ、路面も濡れていない。やはり奥日光は梅雨知らずといわれるだけあって、太平洋岸の平地が雨でも、天空の中禅寺湖や戦場ヶ原は晴れている。
 
 昔のプリンスホテルスキー場の駐車場に車をおいて歩きはじめる。11時。今日は、古い道を通って高山の裾を越え、中禅寺湖畔の栃窪へ下るルート。今はもう使われていない廃道。斜面のトラバースが多く、落ち葉に覆われてルートが見つからないことが多いので、「探検の道」と呼ばれている。スキー場は黄色い花をつけたオオハンゴンソウと灰色がかった白い花をつけたヨツバヒヨドリに覆われるお花畑。何羽ものアサギマダラが飛び交う。カラマツの植林もしてあって、シカの食害を防ぐために一つひとつの苗木に網を巻き付けてある。花を縫ってゲレンデの上へと登る。峠へ出る。湖側が大きく切れ落ちた谷になっている。山体の斜面をトラバースして大きく迂回しながら下る。落ち葉が降り積もった谷間には、このところ降った雨が溜まり、ずぶずぶと靴が入り込む。たぶんそれを避けるためにであろう、その向こうの山の斜面を巻く踏み跡が細くつづいて見える。谷に降りる方が安全ではあるが、細い道のトラバースも、緊張感を誘って子どもたちには面白いかもしれないと思う。
 
 兄孫は用心しながらも先導して、慎重に進んでいる。妹孫はビビッて腰を落とし、それでも手を借りたいとは言わず、歩一歩とついてくる。恐さを感ずる感覚とバランス感覚は悪くない。だが一カ所、上部が崩れてルートを巻き込んで崩落しているところがあった。そこだけは私が先導して下り、兄が下って先行し、妹を私がエスコートした。カミサンは、少し上の斜面をへつって先へ下った。こうして谷に下り立ったところで、湖が見えた。トチノキの巨木が、栃窪というこの地の名を示すように屹立している。一部の枝が折れたまんまひっかかり、何百年と経てきた生長の軌跡を曝している。
 
 栃窪でお昼をとる。いつのまにか兄は靴を脱いで水に浸かっている。妹もそれを真似て水に浸かる。半ズボンをしゃくりあげているが、深いところに行くものだからズボンのすそが濡れてしまう。でもかまわず砂を掬い石を持ちあげたりして遊ぶ。妹はトンボをとったりしている。砂浜の百メートルほど向こうでは、カヌーでやって来たのであろう、10人ほどのグループが声をあげてはしゃいでいる。千手が浜から歩いてきたのであろう人たちもいる。陽ざしが強い。1時間近くここで過ごし、菖蒲が浜への道をたどる。湖面より標高で50mほど高いところを、高山の裾に沿って歩く。樹林の中だから陽ざしは気にならない。1時間かからずに車のところに着いた。子どもたちの歩行能力はしっかりしている。
 
 二日目は、湯元から刈込湖・切込湖を経て光徳に下る、5時間ほどのコース。歩きはじめてすぐに、小学生の一団がやってくる。五年生だという。妹孫が三年生だと聞いて、最後尾の教師が「三年生に負けるわよ」と発破をかけている。彼らを先に行かせ、私たちはゆっくりと歩く。ヒカリゴケの話をしたら兄孫が探しながら歩き、ついに見つける。たいしたものだ。と、あとから別の小学生の一団が追いついてくる。先へ行ってもらおうかと思ったが、早いのは先頭の大人だけで、「あっ、あとが来てない」と足を止めてしまった。教師かどうかは知らないが、これでは先導役は務まらない。先へ行った一団には、小峠で休んでいるところで追いついた。彼らが出るところだったので、やはり先行してもらう。妹孫は、小学生の最後尾についてトコトコと行ってしまう。ま、いいか。一本道だし、刈込湖で休むだろう。兄孫は妹と私との中間点に立って、双方を気遣っているようだ。
 
 今年の刈込湖は水が多い。狭い砂浜で小学生は記念写真を撮っている。私たちは細い丸太の橋を渡って広い方の砂浜へ行き、蜜柑を食べる。兄孫は早く行こうよと小学生の先へ出たがっている。でもやはり、小学生を先に行かせる。妹は相変わらず小学生の最後尾について歩く。涸沼に来たとき、こちらの休憩を少し短くして小学生よりも早く出発する。山王峠への最後の上り30分弱を頑張り、小学生をあとに残した。そのとき「どうして小学生の先に行かなかったの」と兄が問い、私が、小学生の最後尾の歩きが遅いことを話していたら、妹孫が「あの子たちはね、遅いんじゃないの。みんなと一緒に歩くのがいやだから、わざと遅くして間をあけていたんだよ……。そう話していたよ、あの子たち」と、耳にしたことを口にする。そうか、みんなと一緒がいいんじゃなくて、耳敏くそういう話を聞いていたのかと感心した。子どもの動きを侮ってはならないと思った。
 
 山王峠からあとはコースタイムよりも早く降った。段差が大きいところを妹はぴょんぴょんと飛び降りる。「脚を傷めるから」と注意はするが、身体が軽く、身のこなしが軽快。出発してから4時間半で光徳牧場に着き、ソフトクリームを食べて、大満足であった。なにしろ湯元に帰ると、ボートに乗りたいと兄孫が言い、私と妹とが付き合った。ボートを漕いでいる途中で、私も漕ぎたいと言い出して、妹も短い手足を伸ばしてオールを回す。風に吹かれて少しも進まない。兄と妹が交代しながらボートを漕いで、宿に帰還したのは3時半ころ。40分も遊んだ。ところが、夕食のころになって、妹が「足が痛い」と泣き言を言いはじめた。おや早い、と私は思った。筋肉痛は疲れが恢復するときに出てくるものだ。私などは、ついに出ることがなくなった。それがわずか2時間ほどで痛むというのは、やはり若いということか。笑ってほめてやると、「いたい、いたい」と泣きながら夕食を済ませた。
 
 三日目、もちろん先夕の脚の痛みは取れている。ゆっくり宿を出て赤沼に向かう。赤沼から低公害バスに乗り、西の湖入口で降りる。今年は水が多く、西の湖のヤチダモが水に浸かっていると聞いたので、それをみせようと思ったのだ。なるほど水が多い。でもヤチダモは浸かるかどうかという端境のところにあった。子どもたちは湖に石を投げこんだり木を投げたりして遊ぶ。そのあと千手が浜まで歩くが、くたびれてきたらしく、湖まで行きつかないうちに、バスで帰りたいという。全部で2時間ほど歩いたか。まあ、三日間の歩きとしてはまずまずであろう。こうして、奥日光の三日間は終わった。