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流出雑記 

大晦日の日

2010年12月31日 | Weblog
大晦日の朝、というか妹からの電話で目覚めたのは昼だった。
夕方、妹に車で迎えに来てもらい、帰省の荷物と猫2匹と我々夫婦を宇治の実家まで運んでもらう予定だった。
電話の第一声は、すごいことになったけどお姉ちゃんとこの辺どう? 私はまだその時外の風景を見ていなかった。
え、と思って台所の窓を開けると風景が完全に雪国だった。
昨夜は3時頃まで外にいて、自転車のサドルは凍っていたが、雪は降っていなかった。明け方から降り出してここまで積もったらしい。

あぜんとする。アスファルトが雪で覆われて見えない。
ノーマルタイヤの軽でここまで来ることはどう考えても無謀。とりあえず迎えにきてもらうのはやめにして、自力でなんとかすることにした。
夫を起こして外を見せる。玄関を開けると小梅はまるくなっていつもと違う風景を不思議そうに見ていた。小豆は興味を示さない。
降り止む気配のないこの雪では帰れないかも知れないと思いながら、冷蔵庫に残っているもので、お昼をととのえる。キムチと蒸し鶏の和え物を具にして焼いたチヂミがおいしかった。
家から最寄りの駅まで徒歩15分。
雪のなか猫を携えて下山し電車というのは大変なので、やはりタクシー、とMKに電話をかけてみた。繋がらない。何度掛けてもつながらない。
ではとヤサカにかけたが同じ。その後、相互、洛東、思い当たるタクシー会社に片っ端からからかけたが、タクシー自体が雪と渋滞で往生しているうえに、私と同じようにタクシーを求めている人々がたくさんあるようで、配車できないと断わられたり、つながらなかったりで途方にくれていた。
それでもう人力で駅まで出るしかないと、リュックに4日分の着替えを詰めて冷えないように猫バッグの中にはカイロを仕込んだ。本当は持って行きたかった荷物のいくつかを諦め、小梅は夫、私は小豆を肩から提げて雪の道を降りる。
雪や雨に強い靴を持っていない。ビニール袋を靴の上から履いていたが、やはり靴に染みてくる。
雪はまだ降り止まず、車道は凍てて滑りそうになる。新雪の上を踏みながら徐々におりて行く。
どうにか叡電の駅までたどり着き、電車に乗る事ができた。
時々車内でニャーという。
出町柳から京阪に乗り換え、途中、宇治線に乗り換えて、実家のある駅で降りると妹が迎えにきてくれていた。

そんなわけで2010年の大晦日は不意の大雪に見舞われるも、無事実家で年を越すことができ、年越し蕎麦も食べて例年のごとく、ゆく年くる年を見ながら新年を迎えた。
夜、母と台所でごまめを炒っていたら、猫たちはそわそわしていた。

心配していた小豆もこのところ絶好調で幸先良いはじまり。
母にエスティローダの美容液をプレゼントした。枕元に置いて元旦の朝に発見してもらう予定。

年の瀬の旅の日

2010年12月31日 | Weblog
寝る時間がめちゃくちゃになっている。

大掃除。埃を落とし、窓を拭き、カーペットの表面も拭く。風呂のタイルと目地の係は夫。
終わって冷えた足をコタツで温めながら、苺のフレーバーティーにミルクを入れたのを飲む。テレビで戦力外通告をされた野球選手たちを取材した番組がやっていた。ドラフト1位で入団したが、思うように活躍できなかった20代の若い選手、3人の子供がある30代の選手。
ほとんど野球に費やしてきた人生を降りる選択を迫られたときの、まだ十分にプレイのできる逞しい首や腕、日焼けした顔、野球の為に組織された体を見ているのはつらいものがあった。ある人は家族を養う為に野球とは関わりのない仕事を選ぶ。ある人は一軍選手のバッティング練習のためにひたすら投球する、いわば裏方的な仕事に就く。そんな仕事があることをはじめて知った。

寒いので小豆に寝床に湯たんぽを入れ、夕方夫と自転車で松ヶ崎へ向かう。地下鉄で四条へ。地下鉄の駅の中に出来た花屋はお正月らしい赤白のアレンジメントを並べて、いつもより賑わっている。鞠のようなポンポンダリアや種々の菊、きりっと首を伸ばす水仙、ひと際良い香りをさせているフリージア、千両、松。
大晦日から帰省するが、帰って来たら部屋に水仙を飾ろうと思う。

7時過ぎ、夫が浪人中、東京の美術研究所に通い、そこで出来た唯一の友人と、その恋人と落ち合う。
ふたりとも東京で、年末年始の休みをつかった旅の途中だった。
東京からフェリーで徳島にはいり、そこから陸路で京都までたどり着いたところだという。
店の選択をまかされていたので、どこで食事をするか直前までふたりで悩んでいたが、京都に来た他府県の人をよく連れて行く店にする。
丸太町通りの、繁華街から少し遠のいたところにある町家を改装した店。一階のカウンターには常連客が少しいて、二階の座敷は静かなカップルが1組、会話の妨げにならない、かなり謙虚な音量でうっすらジャズをながれている。

この店はおぼろどうふがとてもおいしい。彼も彼女も日本酒が好きでいろんな土地の銘柄を南下しながら飲んでいくことにする。私は弱いのだが、おちょこに少し注いでもらって旅路を楽しんだ。

ふたりとも勤めているが写真をやっていて、最近なんだかよく見返したくなる『センチメンタルな旅、冬の旅』の話題など。
死を撮ることと死人にカメラをむけること、死人を撮ったからと言ってそれは死を撮ったことにならないような気がする。生きていていようが死んでいようが印画紙の上に焼き付けられる静止画。ある日撮られたポートレイトの姿を被写体自身は留めることができない。それを写真に留め、留まらないものの傍らで留まらないままに留め続ける。それは祈りにも似ていつつ、ある冷たい距離をもって祈る自らを視ているようにも思える。

とてもいい晩だった。夫は友達に恵まれていると自分で言うが、確かに。
今年最後の人に会える時間をこの人たちと過ごせてよかったと思う。

終電もすっかり逃し、店を出てからコーヒーでもと24時間営業している東大路のからふねやに行ったが、営業時間が12時までになっていた。
仕方ないのでローソンで缶コーヒーを買い、バス停でまたしばらく話したあと、ふたりはホテルをとっている京都駅の方へ、私と夫は真反対の北へと帰路についた。
タクシーはすぐひろえるが、少し歩きたかったので百万遍くらいまでと思って喋りながら歩いていたら、高野まで来てしまった。
その頃既に空腹の夫となか卯に入り、うどんでお腹を温めたら松ヶ崎までまた歩く。キンと冷えた年の瀬の空気のなか、その道のりは距離が問題にならない心地よい旅路だった。

仕事納めの日

2010年12月29日 | Weblog
昨夜は全員コタツで就寝。コタツの中で夫と足がクロスした状態で小梅はその隙間にいて、小豆は枕元で寝ていた。
午前中、薬をもらいに小豆今年最後の獣医さん。
この頃口内炎の痛みは落ち着いているようで、ごはんの用意をしていると目をらんらんとさせて台所について来てごはーんと鳴く。よく食べる。この調子で幸先良い新年を迎えられそう。治れ、治らないものも治れ。

昨日夫が釣ってきた魚を冷蔵庫から出す。
べら2匹、たなご1匹、あと1匹は名前を忘れてしまったが平たくて黒っぽい魚。どれもそんなに大きくない。
最近めっきり釣り人と化している人物に調理法を聞くと、べらは煮付けにあと2匹は塩焼きをすすめられたのでその通りにする。
とりあえず下処理。じゃりじゃりウロコを削いで腹をひらきはらわたを引っ張り出す。ふだん魚は買っても切り身。それに皆あまりお目にかからない顔をしている。慣れないものを料理するのは緊張するし、それに頭が付いている。急に包丁は刃物だ、と思ったり、普段の台所仕事とは違った感覚になる。
ほんとうは違ってはいけないのかも知れない。目にみえるものに感化されたときだけそう思うようでは。肉であれ野菜であれ食べるものを扱う手元にもっと意識的になろう。
べらは表面にぬめりがあって扱いにくい。ぎこちないことこの上ない手付きでどうにか調理できる状態までこぎつける。
酒、醤油、みりんを煮立たせたところにべら2匹を投入。煮上がったらしばらくおいて味を馴染ませる。その間に昨日3分の2使って残ったさつまいもにバター醤油をからめ、小松菜のお味噌汁を作り、あとの2匹に塩をしてグリルで焼いて昼食。

べらは自らのぬめりのせいか煮汁に少しとろみがついたようになっている。なんのクセもない白身でおいしい。食べたなかでは塩焼きのたなごというやつがおいしかった。身が繊細。

溜まった洗濯物を片付けようと洗濯機のところにいると、トタンを打ち付ける強い音がしてきた。はじめは最近やりだした隣の家の内装工事の音かと思っていたらそれがどんどん大きくなる。何事かと思ったら氷のつぶが降ってきた音だった。
その後夕方まで天気は荒れて、どう考えても洗濯物を干すムードではない空模様のした、物干にあがり、洗ってしまって仕方のない洗濯物を強風にはためかせながら、なんとか干した。

ちょうど小雨になったころ家を出る。
彫刻のアトリエへ。今日が仕事納め。

休憩中、おせち料理の話しになり、東北出身の女性が、里では正月のお雑煮の支度は男の人がしていたという。なぜだろう、一般的なことなのだろうか。私の実家ではいつもどおり祖母や母がしていた。
調べてみるとお雑煮は家主が作るという風習があったらしい。東北だけのことではなかったようで、今も引き継がれているところもあるそうだ。理由ははっきりわからなかった。

深夜、『ヴァンダの部屋』を見る。



ペドロ・コスタの作品を見たのは初めてだった。どうしていままで見なかったのかと思う。切り取られるシーンのひとつひとつが完璧なものに思われた。くわしい感想は後日。今みなみ会館で新作の『何も変えてはならない』がやっている。30日の夜が最終上映…。観たい。どうにかして観たい。

踊り納めの日

2010年12月28日 | Weblog
愛しのアイリーン・上を読み終え下巻が早く出てほしいと願いながら4時頃床に着く。

9時起床。横に小豆、足元に小梅。
朝食、みかん、白湯、アーモンド、残りのトマトスープ、ミルクぜんざいに白味噌を溶いて餅を入れる。

10時半過ぎ、家を出る。
神戸方面へ。
danceboxで山田うんさんの即興ワークショップ。

自由に踊るためにはどのような体を組織すれば良いか。
ただ何かしら踊りのテクニックを身につければ良いというのではない。 いつも同じ軌道をえがいてしまわない体。でも曖昧なのではなく、その都度選択したもの、その速度や質感を正確に体現できるようにありたい。
具体的には体の様々な部位を出来るだけ細かく意識的に使えるようになったほうが良いなと思う。そしてセッションの場で起こっていることに対してどのようなレスポンスをするか、もしくは別のものを投げ込むか、今それが必要か、といったことを見て、耳をすませて、感じ取って判断し選択すること。でもそれだけではない何かもある。体の放ちかたというか、開きかたというか。
今日13人来ていたダンサーはダンスという括りのなかでも違う言語で喋っているくらいの違いがあり、ソロでひとりずつやると歴然とそれが見える。習熟度ではない。体の組織の仕方というのか。それは意識的に身につけたテクニックだけでなく、それぞれが生きてきたなかで培ったようなものもひっくるめて。

挙げた手には責任をもって、と昔習ったある舞踏家に言われたのを思い出す。

踊り重ねていけばよくも悪くも体は組織されていく。ある型の熟達ではなく、常に組織化から逃れることをやっていくところにもっともダンスを感じ、私はそういう視点を持っているものをダンスだと思っている。こうやって書くのは簡単ですが。
即興をやっていて感じるのは精神的な部分での躊躇や臆病さだったりする。それを突き付けられる場でもあり、足掻きながらどうにか突破しようとする場でもある。そうして動き出すときに今まで知らなかった体に気付くことがある。

このインプロセッションに声を掛けてもらったピアニストの本多さんが、来年のリサイタルのフライヤーに私のドローイングを使いたいと言ってくださり、今日出来上がったものをいただいた。



ひとりで悶々と描いていたものがなんだか素敵なものになっているではないか。うれしい。小躍りしたい気分だった。してもよかった。
帰って、デザインを仕事にしている夫に見せてもこれはイイとのお墨付き。
リサイタルでは平面では伝えきれない素敵なピアノが聴けます。
以下詳細載せておきますので、関西圏の方は是非!

【光の音 闇の音~本多千紘ピアノリサイタル】

日時…2月12日(土)/13:30会場 14:00開演
会場…ベガ・ホール(阪急宝塚線『清荒神』駅徒歩1分)

プログラム…モーツァルト ピアノソナタ K.281
ショパン   即興曲 1,4番 
スケルツォ 1番
ラヴェル  『鏡』~蛾・悲しい鳥・洋上の小舟・道化師の朝の歌・鐘の谷

入場料…3000円(大学生以下1500円)



イブの日

2010年12月25日 | Weblog
人のごちそう。鶏の足ロースト、海老のアヒージョ、バゲット、チーズ、生ハム、ワイン、チョコレートケーキ。
猫のごちそう。小梅、好物の鰹の身を蒸したおやつ。小豆、ミルク1杯半。



ノルウェイとスペインの日

2010年12月22日 | Weblog
5時半に寝て起きたら12時半。
睡眠時間としてはちょうど良いが、昼過ぎに起きてごはん食べてしばらくしたらもう夕方になるのは残念だ。仕事に出る。

昨日、ノルウェイの森を観に行った。観る前からなんとなくあまりいい評判は聞かないので、どうだろうと思っていた。
小説の内容から考えると、映画は全体的に早足すぎる感じがあり、やるなら小説と同じく上・下にわけてやっても良いのではと思った。人が何かしらの行為に及ぶまでの時間、その過程がばっさり割愛されているところに荒さを感じてしまう。
ワタナベと直子の配役には頷けるものがあった。
緑、緑は難しいなと思って、家に帰ってからもう一度小説の中で緑が出てくるところを読み返してみたが、もう映画の女の子の顔が緑という名前にぺったり張り付いて離れないようになってしまっていた。
菊池凛子は存在感に伸縮性があるなと思って見ていた。伸縮の幅が広い。

映画を見終わったあとスペイン料理の店に行く。早めのクリスマスディナーという名目で、フィゲラス。
店内は女性客が目立つ。そんなに混んでないのに妙に騒がしいのはなぜかと見渡すと、音源は中年女性の忘年会らしき集まりのテーブルだった。
タパス盛り合わせ、シーフードサラダ、ムール貝のアヒージョ、イカスミパエリアのコースにどうしても食べたかったトリッパの煮込みを追加した。なんでかあのひらひらした臓物に取り憑かれている。メニューにトリッパとかハチノスと書いてあるのを見つけると頼まずにはいられない。

タパスの皿にはスパニッシュオムレツやテリーヌ、にんじんのサラダ、薄くスライスしたチョリソーなどが盛られている。食べながら映画と「森」についての話をする。
料理はどれも美味しいが、やはりアヒージョのオイルをパンにつけて食べるのがふたりして大好きだと思った。アヒージョは多めの油にニンニクと鷹の爪を入れて温め、そこにエビやマッシュルームを入れて煮る料理。家でも簡単に出来る。
今年のクリスマスは家で過すのでバゲットを買い込み、アヒージョのオイルでバゲットをしこたま食べることに決まる。

遠慮なく口をまっ黒くしながらイカスミパエリアをさらえる頃にはお腹がいっぱいだったが、フィゲラスには私の愛してやまないヴァチュールのタルトタタンがある。これほど何度も食べたくなるケーキはない。少し温めてからサーヴしてくれるのもうれしい。
ヴァチュールのくるみのタルトも絶品と聞くが、タルトタタンがあまりにおいしいのでいつも選択の余地がない。

さあおいしいものたちよ我が血肉になあれ。


カルトンを連れて帰った日

2010年12月20日 | Weblog
6時45分、仕事は昼からなのにはやく目が覚めてしまった。
最近毎日起きて最初に食べるものは、みかん、ナッツ(特に好きなのはアーモンド)、時々白湯、アルフォート。この順番もなぜか決まっている。

描きかけの絵に手をつける。
下半身はコタツに入っているので、途中ぬくくてうとうとし、そのまま倒れて二度寝。小豆がやってきた。腕をだすとその上に前足とあごをちょんと乗せる。一緒に寝る。
1時間ほどで目が覚めたが、その間に見た夢は今身近にあるありとあらゆることが立ち行かなくなる悪夢だった。

小豆は口内炎がうずくようで、食べたそうにするがなかなか口をつけない。猫ミルクもあまり飲んでくれない。
お昼ににゅうめんを作るのに出汁を煮たたせていたらカツオのにおいに触発されて食べたくなって食べようとするが、やはり痛そうにする。


昼過ぎ、自転車で仕事に出る。
銀行に寄る用事等があり早めに出たら早く着きすぎそうだったので、北大路駅前のスタバで甘いコーヒーを飲む。
仕事先は実家からわりと近いところにあるアトリエだったので、帰りに実家に寄ろうと父にメールを送っておいた。しばらくして来た返信、6時頃には家に戻ってるよとあった。

ポーズを終えて実家に向かって自転車をはしらせる。
途中の道のりには、小学校の同級生の実家が点々とある。日が沈んでご飯ごしらえの頃。今はもうほとんど交流の途絶えてしまった友達の家を通り過ぎながら、まだここに住んでいるだろうか、今チャイムを押すと出て来たりするのだろうか、兄弟はどうしただろう、今はあの頃より年をとった彼、彼女の父母がふたりでいるのだろうかと明かりのともる窓を眺めながらふらりふらり帰る。
父はまだ帰っていなかった。勤務表を見ると今夜は夜勤。夜勤の日は夕方5時過ぎ頃に早めの夕食をとり仮眠してから家を出るはずだが、何か用事があったらしい。
冷蔵庫にはパックで買ったお惣菜、蓮根のきんぴら、さつまいものレモン煮、ヨーグルトなどが入っていた。お歳暮でもらったのか、なり田屋の漬け物の詰め合わせが箱ごと冷やされていた。
米を炊こうと流しの下の米びつから米を出すと、米の中に茶色っぽい米粒くらいのダンゴムシに似た虫の死がいがいくつか混入している。いつからか、そんなものには怖じ気づかないようになった。スプーンで取り除き米は丁寧に洗う。
夕飯を一緒に食べる約束をしたのでスーパーに買い物に出る。
水菜2束、すき焼き用牛肉400g、油揚げ1枚、それを出汁で煮て、はりはり鍋というのか、食べたことはないが、はりはり鍋らしきものにする。
父は水菜と牛肉を炊いたのが好物なのでこれを気に入ると思う。
夫も呼んで材料は3人分。

父はやはり喜んで食べた。何を作っても大体喜んで食べるが、好物は嬉しいようで作り方を知りたいと言っていた。
食べてしばらくすると父は夜勤に行かなければならない時刻になり、仕事に出掛けた。

私と夫は近くのケーキ屋においしいシュークリームを買いに行ったが売り切れで、代わりにショートケーキを買って帰り、コーヒーをいれてしばらく実家であたたまっていた。

今日実家に寄ったいちばんの目的は、高校性の頃に使っていたカルトンを持って帰ることだった。今までより少し大きい絵を描きたいと思うようになったからだ。大きいと言っても現在の私にとっては普通の、小学校の頃から絵を描く時に使っていた、あの画用紙のサイズが大きい。
今は誰も使っていない2階の部屋、時の止まったクローゼットからカルトンを取り出す。今後誰も袖をとおす機会のない服、吹かれることのないリコーダー、飾られない表彰状が不平も言わず皆クローゼットに収まっている。
カルトンの間には大学受験前に毎度憂鬱になりながら描いた絵や、下手すぎるデッサンが挟まっていた。それらをあまり見ないように全部抜いてさっとクローゼットに戻し、カルトンだけ持って帰った。