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流出雑記 

12月の日

2010年12月09日 | Weblog
そこかしこで電飾が色とりどりに点滅し、そこかしこで出張年賀状販売コーナーを見かける。
クリスマス向けの商品と正月食料品の山がせめぎあっているスーパーの中を歩くと津波のように歳末行事が押し寄せてくる感がある。ポインセチアしめ縄リース甘露煮スポンジケーキ餅とり粉。

一日に一カ所ずつ気付いたところを掃除していく大掃除作戦を開始する。
台所の電気の傘を拭いた。

幸田文の『台所帖』を読んでいると、ちょうど幸田家の正月とその準備について書かれているところにさしかかった。
幸田文の父である幸田露伴の食物へのこだわりは普段の食事であっても、献立から膳の出しかた、温度、台所で立てる物音に至るまでとにかく細かくて口煩い。

「一度口に入れて体内へ送りこんだものは、二度と取りだすことはできないのだから、食物を調えるのは一大事なのだ」
という考えで、何でも最大限においしく食べないと承知できない質だったそう。
酒のさかなを多めに盛りつけて出すと
「騒々しい膳をだすな。多きは卑し、という言葉を覚えておいてもらおう。どれほど結構なものでも、はみだすほどはいらないんだ。分量も味のうちだとわからないようでは、人並みへも遠いよ」
お昼にさんまを焼いてそれを慌てて出すとそわついた給仕の仕方に「敵討ちじゃないよ、昼飯だよ」と言ったりする。

幸田文は十四~十六の歳に母に代わって幸田家の台所をあずかっていたそうで、それでも日々小言をいわれながらその要求にこたえていたというのだから凄い。それが正月になると尚のことで、大晦日にオードブルや火をいれるたびにおいしくなるものをかかりきりで用意させられ、翌日、父へのきちんとした年始めの祝儀、家族での屠蘇にはじまり、年始の挨拶に訪れる客たちに粗相の無いよう給仕し続け、台所は温め、盛りつけ、燗をし絶えまなく稼動する。幸田文は毎年正月が来ないように祈ったそうだ。
無理もない。実際娘であったら堪え難い。
でも年のはじまりに整然と片付いた書斎に座る文人の父、その折り目の正しさ、そのように座してものを見る姿は美しくかっただろうと思う。
幸田文もただ仕方なしに台所仕事をやっつけていたわけではなかったようだ。
 
「父の酒を飲むすがたには、いうことのできない心惹かれるものが滲んでいた。うっすりした悲しみと、私はかりに呼んでいる。濃い悲しみには耐えもしよう、手に取り得ずしかもたしかに眼には見える、うっすりとした悲しみほど私の心を縛るものはなかった。父の酒を飲む時間が重なれば重なるほど、私はその勝手放題な文句を恨みつつ嘆きつつ、やはりたすきをくぐらせ前かけをしめずにはいられなかった。」