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流出雑記 

仕事納めの日

2010年12月29日 | Weblog
昨夜は全員コタツで就寝。コタツの中で夫と足がクロスした状態で小梅はその隙間にいて、小豆は枕元で寝ていた。
午前中、薬をもらいに小豆今年最後の獣医さん。
この頃口内炎の痛みは落ち着いているようで、ごはんの用意をしていると目をらんらんとさせて台所について来てごはーんと鳴く。よく食べる。この調子で幸先良い新年を迎えられそう。治れ、治らないものも治れ。

昨日夫が釣ってきた魚を冷蔵庫から出す。
べら2匹、たなご1匹、あと1匹は名前を忘れてしまったが平たくて黒っぽい魚。どれもそんなに大きくない。
最近めっきり釣り人と化している人物に調理法を聞くと、べらは煮付けにあと2匹は塩焼きをすすめられたのでその通りにする。
とりあえず下処理。じゃりじゃりウロコを削いで腹をひらきはらわたを引っ張り出す。ふだん魚は買っても切り身。それに皆あまりお目にかからない顔をしている。慣れないものを料理するのは緊張するし、それに頭が付いている。急に包丁は刃物だ、と思ったり、普段の台所仕事とは違った感覚になる。
ほんとうは違ってはいけないのかも知れない。目にみえるものに感化されたときだけそう思うようでは。肉であれ野菜であれ食べるものを扱う手元にもっと意識的になろう。
べらは表面にぬめりがあって扱いにくい。ぎこちないことこの上ない手付きでどうにか調理できる状態までこぎつける。
酒、醤油、みりんを煮立たせたところにべら2匹を投入。煮上がったらしばらくおいて味を馴染ませる。その間に昨日3分の2使って残ったさつまいもにバター醤油をからめ、小松菜のお味噌汁を作り、あとの2匹に塩をしてグリルで焼いて昼食。

べらは自らのぬめりのせいか煮汁に少しとろみがついたようになっている。なんのクセもない白身でおいしい。食べたなかでは塩焼きのたなごというやつがおいしかった。身が繊細。

溜まった洗濯物を片付けようと洗濯機のところにいると、トタンを打ち付ける強い音がしてきた。はじめは最近やりだした隣の家の内装工事の音かと思っていたらそれがどんどん大きくなる。何事かと思ったら氷のつぶが降ってきた音だった。
その後夕方まで天気は荒れて、どう考えても洗濯物を干すムードではない空模様のした、物干にあがり、洗ってしまって仕方のない洗濯物を強風にはためかせながら、なんとか干した。

ちょうど小雨になったころ家を出る。
彫刻のアトリエへ。今日が仕事納め。

休憩中、おせち料理の話しになり、東北出身の女性が、里では正月のお雑煮の支度は男の人がしていたという。なぜだろう、一般的なことなのだろうか。私の実家ではいつもどおり祖母や母がしていた。
調べてみるとお雑煮は家主が作るという風習があったらしい。東北だけのことではなかったようで、今も引き継がれているところもあるそうだ。理由ははっきりわからなかった。

深夜、『ヴァンダの部屋』を見る。



ペドロ・コスタの作品を見たのは初めてだった。どうしていままで見なかったのかと思う。切り取られるシーンのひとつひとつが完璧なものに思われた。くわしい感想は後日。今みなみ会館で新作の『何も変えてはならない』がやっている。30日の夜が最終上映…。観たい。どうにかして観たい。