11日午後、夕方から仕事だったのでそれまでにこまごまとした家事を片付け、夕飯の支度を早めにしておく。豚もも肉を焼いてじゃがいもとにんにく、コンソメでさっと煮ておく。
4時頃自転車で家を出て出町柳まで。淀屋橋行の京阪のホームでお昼以降見ていなかったツイッターを開くと、ゆれてる、に始まり現時刻に近づくにつれてタイムラインが地震のツイートに染まっていく。ただ事ではないことが徐々に浮き彫りになってくる。関西も少し揺れたようだが、まったく気付かなかった。京阪は何か地震の影響があったらしく数分遅れが出ている。
クロッキー会の会場でも地震の話題。まだ地震があったことすら知らない人もいる。描きにきている人はいつもより少ない。
帰りの電車でも常にツイッターが気になる。東北の被害を情報として受け取った人々からもたらされる情報、混乱している東京にいる友人のつぶやき。京阪の車内はいつもと何ら変わりなく、隣の女の子はジョジョを読んでいる。
電車は線路に沿っていつも通りのリズムで走り出町柳へ向かう。そこから自転車、どの道を通るか意識しなくてもなんとなくペダルをこいでいると帰れるほど馴染んだアスファルトの敷かれた導線を辿って家に帰りつく。窓から漏れる灯りの安心。普段意識的にならないことがカギ括弧付きで浮上する心境。
ニュースを見ていた夫が東北が大変なことになってるの知ってる?と、そこでようやくニュース映像で地震がもたらした各地の状況を目の当たりにした。
岩手にひとり友人がいた。学生時代によく即興セッションをし音楽をやったり絵を描いたりしていた彼は実家が岩手だ。
メールを送ってしばらく待っていると携帯がふるえた。彼からの返信。母と弟と車で自宅に向かっている途中に地震にあい、そのあと信号が機能しない道をなんとか帰宅。家族全員揃っていたことは幸い。内陸なので津波の被害はなく家も無事とのこと。停電、電話は不通で携帯もバッテリーが切れると返信出来ないがとにかく無事であるとのメールを受け取り、とりあえずほっとする。
東京に移り住み、街のど真ん中で働く一人暮らしの友人たちのことも気になってメールをすると返信があった。
それからはテレビに釘付けにならざるをえなかった。時間が経つごとにあきらかになる壊滅した街の様相、阪神大震災を超えるであろう増えてゆく死者の数。各地の沿岸部で撮影された津波が押し寄せ、街をさらっていく映像。
その3日前、急にレイトショーの映画に行くことにして、たまたまその時間帯に上映していた『ヒア アフター』を観たところだった。この映画は主人公が津波に飲み込まれ臨死するところから始まる。内容は最近まで読んでいたシャーリー・マクレーンの『アウト オンア リム』にかさなるところがあって奇遇だなと思っていたのだが、スクリーンの奥から迫ってくる水に息苦しさを感じるくらいの迫力で描かれていたその津波が、映画どころではない恐ろしさで、身近な現実として起こるなどとは思ってもみなかった。映画のなかの津波は青い水で描かれていたが、現実の津波というものには透明感はなく、茶色い。
テレビはどこも地震の特番、絶え間ない余震と緊急地震速報の音、地図に散らばる3 4 5 6 という数字。
日ごとに報道はズームになっていく。繰り返される津波の映像、水に浸かった街、避難所の様子、津波に飲まれて命からがら助かった人のインタビュー、はぐれた家族をさがす人、炊き出しのおにぎりを分けて食べる家族。
大阪の大学に通う妹が卒業式を迎えた。証書を持った袴姿のメールが届く。
あの姿のない街のなかにも卒業式の迫った数日を過ごしていた子がいただろうか。選んだ袴も予約していた美容室も流されてしまったかも知れない。彼女や父や母や兄弟はどうしただろう。玄関にいた犬、春を待つ桜の木、おやつにとっておいたチョコパイ、使いかけの玉ねぎ、コタツ、捨てるか捨てないか迷っていた靴下、払込用紙、手紙、もう全然聴かなくなったCD、気に入っていたコーヒーカップ…数え上げるときりがない生活のまわりのかたちあるもの、生きものであれ、植物であれ、大切なもの、いらないものも問答無用にさらわれる、あたりまえであったものが無くなる、そういう信じ難いことが起こっている、見るもの触れるものから思う。言うまでもないがそれで感じる怖さや絶望感は実際の体験とは比べようがなく届かない。被災を免れた私はそのことを承知しながら、避難し生きている人たちが生きていく為に必要としているもの、必要になるもののために出来ることを、と思う。