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流出雑記 

2010/06/29

2010年06月29日 | Weblog
昭和58年6月29日午前10時48分
[赤ちゃん]体重2756㎏ 身長46㎝

小さめの女の子誕生
めでたしめでたし\(^o^)/


昨日の深夜2時過ぎに母から届いたメール。

母は24で私を産んだ。父も同い年で、はじめての子どもだった。
梅雨どきに産まれ、夏にかけて私は全身あせもだらけになり母いわく、あせものなかに赤ちゃんがいるような状態だったらしい。
しょっちゅう熱を出すわ中耳炎になるわ、母乳もあまり飲まず夜泣きもひどい、とにかく手のかかる子だったという。
あまりに寝ないので夜中3人でよくドライブに出かけたそうだ。夜風にあたっているうちにようやく眠ったところで家に戻り、布団の上に寝かせるとすぐさま泣き出すという聞いているだけでぐったりする話がいくつもある。

小さく生まれた子は大きく育つと誰が言ったか知らないが、それを期待して育てられた。
父も母も背は低いわけではなかったし、バレーボールを学生の頃からやってきたふたりは子どもが長身になり、バレー選手になるのを押しつけはしなかったが夢見ていた。
私も小学校ではバレーボールのクラブに入った。
レシーブは少し得意だったが、サーブやアタックが全然だめだった。
私にその資質がないことがわかり、バレーの夢は妹たちに託されていった。
身長も小学校のときは中学に入ったら一気に背が伸びる、中学の頃は高校生でもまだ伸びる、大学生でも希望はあるといわれ続けたが、一向に目覚ましい発育は見られないまま成人し、妹たちに追い抜かれていった。


母は夜中にわざわざ母子手帖を開いて身長や体重を調べたのだろうか。それとも暗記していたのだろうか。誕生日だと思っていたらいろいろ思い起こしたのだろうか。

2756キログラムということは小梅よりは軽いが小豆より重い、2匹のあいだくらいのものか。そういえば父が初めて私を抱っこしたときニャン(父は猫のことをこう呼ぶ)かと思ったと言っていた。

27歳になる。
今日は朝と夕方仕事で出掛ける時間もなかったので、昨日の夜夫と食事に出かけた。
一乗寺にあるラ・ヴェルヴェーヌというフレンチレストラン。通るたびに入ってみたいと思っていた。

月曜の夜、客は我々だけで店内は貸し切り状態だった。
数種類のメニューのなかから前菜ふたつとメインを選ぶ。
前菜はフォアグラのテリーヌとホワイトアスパラとサザエのソテーを注文する。サザエは本日エスカルゴに変更になりますがよろしいですかと言われる。
夫は同じテリーヌと豚足のガレット。

アスパラとエスカルゴはバジルペーストのグリーンのソースがからまっている。ホワイトアスパラは口に入れるとにんにくの風味と塩気あいだでほんのり甘く、とろんと水分を含んでいる。
こういうのは行儀悪いのだろうが夫にもアスパラを一切れあげて、ガレットをお返しにもらう。

テリーヌには白ワインのジュレがかかっていて、いちじくのコンポートが添えてある。
テリーヌを乗せてお召し上がりくださいと、かりっと焼いたブリオッシュが一切れついてきた。
フォアグラのような濃厚なものにバターの入ったブリオッシュとはしつこくならないのだろうかと思ったが、アルコールの風味がしっかり残っている白ワインのジュレがぺっとりとしそうな口の中をうまくさらってくれる。
メインは牛頬肉の赤ワイン煮込み、夫は子羊のソテー。
デザートのチョコレートケーキにはエスプレッソのアイスが乗っていた。
最後にこの店ではコーヒーでなくハーブティーを注文することを薦めたい。
お店の名前のヴェルヴェーヌとはレモンバーベナのこと。
シャープな葉で、少し触れるだけで驚く程フレッシュなレモンのにおいがする。乾燥させても2年は香りがしっかりと残り、フランスでは一般的なハーブティ。うちの玄関でもよく育っている。

お店の名のお茶をいただき満ち足りて店を出る。


クイズ番組の漢字の読みを答えながらみそ汁をすすり、炒めたキャベツや豚肉を食べるシーン、吉牛にならんで座り空腹に耐えかねて牛丼を掻き込むシーン、朝食に失敗して崩壊した出汁巻きを食べるシーン、夕食のメニューを考えながらふたりでスーパーをぐるぐる歩き、鮮魚売り場で魚を見ていたら寿司が食べたくなって回転寿司に行ってしまうシーン、そんなに使い慣れないナイフとフォークを持ってレストランで対面するシーン

日々が血肉になっている体。それはもちろん食事だけではなく。

生活を大切にしなさい、という大野一雄さんの言葉。生活を大切にするとはどういうことか、その言葉を体に浮かべておこうと思う。






2010/06/27

2010年06月27日 | Weblog
キャラメルコーンを砕いたのに牛乳を入れて混ぜ、それを凍らせるとアイスクリームになる、とテレビで言っていた。
キャラメルコーンには凍らせても水分をガチガチに固めてしまわない成分が含まれているそうで、自家製アイスクリームを作るときのように何度も撹拌しなくてもなめらかな状態になるらしい。
次の日さっそくキャラメルコーンを一袋買ってきた。
テレビではキャラメルコーンをナイロン袋に移してすりこぎで砕いていたが、封を切る前に袋を揉んで粉々にした方が楽ではないか。未開封の菓子を粉々にするのはなんとなく気が引けたが、どうせ食べるのだからと袋が破裂しない程度に力を入れてキャラメルコーンを砕く。がさがさ音を立てていると小豆は自分のごはんと勘違いしてにゃーにゃー訴えにくる。
大きな塊の感触が無くなったあたりで封を切りタッパーにキャラメルコーン粉を移す。牛乳をどれくらい入れたらいいかをくわしく言ってなかったが、アイスクリームの溶けた感じを思い出して目分量で牛乳を注ぎ、しばらく混ぜる。
キャラメルコーン粉が牛乳を吸ってどろりとしてきたら冷凍庫に入れて冷やす。数時間後。
夕飯を終えて、デザートはアイスだアイスとわくわくしながら冷凍庫を開けてタッパーを取り出した。
フタをあけてスプーンを入れようとするとカツンと跳ね返ってきた。あれ。
頑張っても表面の数ミリほどしか削れない。
電子レンジでちょっと解凍してみたらと夫。
この時点で既に言うてたのと違うやないかと思っていたが、冷やしすぎたのかも知れないし、解凍するとよい具合になるかも知れない。
端の方が溶けはじめるくらいまで温めて取り出す。 するとスプーンは底まで入るようになった。しかしシャリシャリしている。なんとかなめらかにしようとしばらく混ぜてシェイク状になったものを食べてみた。
アイスクリーム感はまずなく、甘味も弱い。
牛乳を入れすぎたのだろうか。夫は一口食べて、俺これは無理やわ、と退散。甘味と風味を足してはどうかとカラメルソースを混ぜてみたりしたが功を奏さず。
食べられないというほどにまずいものではないが、好んで食べようとは思わない代物となってしまった。
しかし捨てるに捨てられないので、もう一度冷凍庫に入れた。
翌日取り出すとまたカチカチになっている。作った者の責任感で仕方なくまた解凍してちょっと食べる。
あと4回ほど頑張ればなくなると思う。

昨夜は豪雨。朝は晴れていたがものすごい湿度。
午後から仕事。
その前に芸センに寄り、ダンサーの顔写真を撮らせてもらう。公演チラシの絵を描かせてもらうのに写真がほしかった。

芸セン近くのドトールでオルゾー・ラテというのを頼んだら、キャラメルコーンアイス未遂にそっくりな味で呪いかと思ったが、喉が乾いていたので飲み干す。

奈良方面で仕事をしたあとまた芸センに寄り別のダンサーの写真を撮り帰宅。

今日は夫が夕飯を作ってくれるそうで、何が出てくるのか楽しみにして帰る。
ポークカツだった。
夫による精一杯の千切りキャベツはタコライスのレタスみたいになっている。
キンと冷えた高糖度トマトは普段食べているトマト2個分を1個にしたように濃厚。それにアメリカンチェリーのデザート付き。

小豆はなんだか元気がないように見える。部屋の隅で丸まっていることが増えた。猫は痛いのによく耐えるというが、耐えているときは部屋の隅や物陰でひっそりしている。
抗生物質をやめたからまた口内炎が出てきたのではないかと心配になり、口のなかを覗こうとするが嫌がってじっくり見せてくれない。あくびをする瞬間を狙ってみたが机の下の小豆の寝床が暗いのでよく見えない。
さらにずっとお腹がゆるいのも気掛かりで、それが腎臓の薬のせいなのか、フードが合わないのか、原因がわからない。
腎不全にかかると体の粘膜も弱ってくるそうで、中耳炎や口内炎を発症しやすくなったり、胃腸も弱ってお腹を壊しやすくなるらしい。
炎症を押さえるには抗生物質を使うが、抗生物質自体が腎臓に負担をかける面もある。
ネットで猫 腎不全 と検索して出てくる情報を漁る。
腎不全は完治しないことはわかっているが、何か少しでも効くものはないか、今の薬で良いのか。
水を飲む量とおしっこの回数が異様に増えるなど腎不全に特徴的な症状が出始めると既に腎臓は70%以上機能していない状態だという。
進行速度には個体差があり、病気が見つかってから何年も生きた猫もいる。

小豆は調子が悪いのかと心配していると、翌朝元気よく起こしにきたり、相変わらず食欲も旺盛でまたほっとする。
座っていると何か言いながら膝の上に座って喉を鳴らす。
寝る時は一緒に寝ようと誘うと添い寝してくれるが、朝にはいつも1階の自分の寝床に戻っている。私が寝静まると帰ってしまうらしい。
年齢不詳の小豆だが、我が家でいちばん年長者であることは間違いなく、ちゃんと私の面倒もみてくれている。


2010/06/25

2010年06月25日 | Weblog
アラームが鳴る3分前に目覚める。朝はやい生活に体が順応してきている。
私が起きる頃にはちょうど試合が終わってインタビューなどやっているだろうと思って寝ついたが、さてどうなったかワールドカップ。
下に降りると中継を見ていた夫、すごい試合だったという。
日本が3対1で勝っていた。鮮やかに決まったフリーキックのリプレイを横目で見ながら眉を描く。
6時20分、夫と小梅に見送られゴミをだし家をでる。
北山通りを自転車で走っていると、青いユニフォームを着た大学生の男の子が2人乗りで反対車線を走っていた。向かいから同じくユニフォーム姿の男の子が走ってきて違いざまに、うぉーすイエーとハイタッチしてまたそれぞれの方向に走っていった。
もしも今日の朝、私も日本代表のユニフォームを着ていたら例え初対面でもそんなふうに喜びを共有できるのか、と思うと着たくなった。

地下鉄で京都駅へ、近鉄に乗り換え。近鉄は特に冷房が強いので弱冷車に乗らないと凍える。
固定ポーズ5日目。
休憩中、先生が骨格模型をモデル台に上げて同じポーズで座らせ、学生たちに骨の構造と体のボリュームについて説明する。
模型は欧米人の青年の骨格だったので体の比率は少々違っている。後ろから見る頸椎から骨盤に連なる背骨のながれ、胸部を囲うように弧を描く肋骨のラインは美しい。骨盤と股関節の連結部、大腿骨の付け根は人形の関節のように丸くなっていて、それが骨盤の穴にうまい具合に合体している。
この骨組みの上に血管と神経が張り巡らされ、消化器、呼吸器、生殖器などの内臓が納まり筋肉と脂肪がのって皮膚が表面を被っている。その緻密で複雑なつくりをイメージすると気が遠くなるのだが、気が遠くなっている私そのものがそのようにできているのだと思うと遠近感がはかれず滲んだ感じになる。

帰り道、小雨が降りだした。
昨日の晴天で梅雨であることを忘れ傘を持っていない。
駅までの道にある家の軒先のサボテンがブブゼラのような花を咲かせていた。

午後からもう一件。
つま先立った固定ポーズで、もちろん踵に補助を置いているが足がものすごく疲れる。帰りの電車の帰宅ラッシュと家までの自転車が辛い。
それでやっと帰り着いた家が片付いていなかったりすると疲労感がかさましする。





2010/06/20

2010年06月20日 | Weblog
隣のおばあさんが玄関先の植物の手入れをしながら、ピンクのまるい紫陽花を一輪切ってくれた。
小梅は自分の水のボウルがあるのに、机に飾ってある紫陽花の水を飲む。そのほうが季節の味がするのか。

小豆は抗生物質とステロイド剤を止めて数日経つが、以前のように口の中が痛い様子もなく毎日よく食べる。ステロイド剤を使うと食欲が増すそうで、薬を止めると急に食が細くなることもあると獣医さんから聞いた。体重が普通の成猫の半分程度しかない小豆がこれ以上痩せたらという心配をよそによく食べる。
小梅は猫食いするが小豆はしない。猫食いとは、一気に食べず、数回に分けてちょこちょこ食べること。余所で生まれたのをもらってきた小梅は食べることの苦労を知らないが、極度の飢えを経験している小豆は目の前に出されたものはすぐに平らげる。食べ物に強い執着があり、パンなんかも欲しがる。
小梅はパンを食べ物とみなしていないので、手の届くところに置いてあっても興味を示さない。だから猫はパンを食べないものと思い込んでいた。
買ってきた柳月堂のパンを袋に入ったままテーブルに置いて少し目を離すと、がさがさ音がする。見ると小豆が袋に顔を突っ込んで、中のビニール袋を破ってぶどうパンをひとかじりしていた。

5時20分起床
奈良3日目。
朝からザーザー降っている。かなり雨足が強いので、洪水警報でも出て休講になればいいとうっすら期待してテレビを付けたが注意報止まり。

明け方近くまで仕事をしていた夫は、寝つきかけたところを私のアラームに起こされたようで、下に降りてきてダブルピーナッツサンドを食べている。
身支度をし、ヴェルヴェーヌとレモングラスとハイビスカスの赤いお茶と黒い麩菓子。
ピーナッツサンドだけでは足りなかった夫はシュガートーストを作っている。
トースターからパンの焼けるにおいがしてくると小豆が足元で鳴く。

雨のなか家を出る。
電車で持ってきたクイックジャパンの神聖かまってちゃん特集を読む。
メジャーデビュー曲を聞いたが、同じ曲でネット配信されている音源の方がずっと良いように思う。ざらついた音を含めて魅力的だと感じるので、ノイズと一緒に整わない力がカットされてしまったようで物足りなかった。今後どうなるのか気になる。
ゆーれい未満という曲が特に好き。

学校に着き、出勤簿に3つめの判子を押す。はやく増えるようにと唱える。あと10個。
フラメンコの衣装は重いが、座りポーズで助かった。ただ、左腕を椅子の背もたれにのせていて、背もたれに花モチーフが彫ってあるのでそれが二の腕に当たって地味に痛いのと、履いているヒールの先で足の指がぎゅうぎゅうに詰まって窮屈ではやく脱ぎたくてしかたない。
ポーズ中は仕事終わりに駅の中のパンやで買う完熟トマトカレーパンのことを考えて過ごす。
最終日まで遅刻せずに通えますように…。




2010/06/18

2010年06月18日 | Weblog
夏は1年のうちでいちばん仕事が多い時期。スケジュールを入れていくと6月後半から7月前半にかけてほぼ休みがない状態になっていた。

5時半起床
恐怖の奈良days始まる。
奈良の芸大で13日間、洋画の固定ポーズ。
年中行事のように梅雨のこの時期にこの仕事が入る。普段、早朝に起きる生活をしていないので、起きられるか不安で夜中2、3回目が覚めた。

初回の今日は衣装一式提げて行かねばならないので、夜のあいだ休まず屋根を叩いていた雨が朝までに降りきってくれることを願っていた。ただでさえ重いフラメンコの衣装。 普段着ならまだしもコスチュームの仕事はなんだか面倒で正直あまりしたくないが、選り好みしているほどの余裕はない。

雨はなんとかあがっていた。
地下鉄で京都駅へ。そこから約一時間、終点の橿原神宮までひたすら揺られて向かう。毎年と書いたが、去年はこの時期に公演が差し迫っていたので行かなかった。
2年ぶりに降りた駅、学校までの道のり。
駅前にあった不二家がなくなっている、改築している家、数年前から朽ちかけている長屋続きの一画は廃屋のまま尚も朽ちつつあった。犬の鳴き声が絶えなかったバラックのような処理施設は取り壊され、跡地の活用法が見当たらないらしい空き地の壁面に木の格子を立て掛けて鉢植えを一面に釣り下げている。


今日はクロッキーとポーズ決めで終わる。
そのあと大阪、茨木市に移動し、単発のクロッキー。

電車での移動時間はほとんど睡眠時間となる。

帰り着いて、ゆっくり料理をする時間と気力のない日は炒めものか丼もの。
今日は豚丼に温泉卵とキムチ、それとキャベツのお味噌汁。

サッカーを見ながらうとうとして、風呂に入ったあと突然、蛍の時期だからと深夜にバイクで八瀬まで行ってみた。
八瀬に蛍を見に来たことはなかったが、きれいな水と川辺の緑があり、いるはずという予感で。
叡電の駅前にバイクを止め、あたりを見渡すと、木の枝の先が点々と光っている。
低く飛んでいるのを捕まえると、黄緑がかった光が指の間から漏れる。蛍の浮遊するような飛びかたは、あの夢のような発光体にぴったりだ。
橋の上に立つと、昨日の雨で水かさを増した真っ暗な川のごうごういう音に飲まれそうになる。この流れでは蛍も流されるんじゃないかと言いながら、橋を渡ると池があり、打って変わってしんとしている。
池に近づくにつれて光の粒が増えていく。
立ち止まってみると、池のまわりの木々全体が同じテンポでゆったりと点滅している。ひとつひとつが全体になりその時を作っている、共鳴。
また来年もここに来たいと思った。


2010/06/15

2010年06月16日 | Weblog
梅雨の日。
真冬以外の晴れている日なら小梅は外に出たがるが、雨だと1日つまらなそうにしている。
だいたいいつも寝ているがいつもに増して寝ている。猫は<ね>てばっかりいる<こ>だから「ねこ」という名になったとか。
小豆は晴れだろうが雨だろうが常にお腹をすかせている。小豆の腎臓の薬は、茹でる前の小豆くらいの黒い炭の粒。腎臓の老廃物処理能力を補うように、炭が体に溜まった老廃物を吸着して排出するらしい。ごはんに混ぜても食べないで除けてしまう猫もいるそうだが、小豆は気にせず食べてしまう。

昼、冷蔵庫の残り物でチャーハンを作ったが、チャーハンや雑炊はなぜか夫が作ったほうがおいしい。

雨が止まないので出掛ける予定はやめにして深い器にプリンの素4人前で大プリンを作り、食べた。

夕方から仕事で家を出る。一昨日まで玉ねぎが植わっていた近くの畑が田んぼに変わっている。田植えはまだで、梅雨の雨を溜めている。
叡電で出町柳まで出て京阪で東福寺。
アトリエまでの約10分の道のりがとても良い。東福寺は紅葉の名所だが雨のなかの青いもみじもすがすがしい。
彫刻の仕事。粘土で上半身を作っている人、途中段階がジャコメッティのようになっている人、木を切ったりシュロ縄を巻き付けて体の芯を作っている人、まだデッサンしている人と進行状況は個々様々。

このポーズは左腰が疲れる。
帰り道、傘のいらないくらいの小雨。民家の塀からはみ出した紫陽花が濡れて青みを増している。街灯にぼうっと照らされて、はっとするほど青かった。
湿気のなかに香料が抽出されているんじゃないかと思うほど濃厚なくちなしが甘く香る。
青と濃厚な白を思い浮かべていたら、ブルーベリー味のヨーグルトドリンクが飲みたくなって、駅前のコンビニに寄る。ちょうどそういう飲み物を見つけた。
イメージにぴたっとくるものが喉を通っていくのが気持ち良かった。

2010/06/12

2010年06月14日 | Weblog
目覚めると、今日昼からの仕事に行く予定のモデルが、体調不良でだめになったので代わりに行けないかというメール。時刻は9時半を過ぎていて、緊急なのにメールとは悠長だ。夕方までは空いていたので引き受けた。
身支度をしてなんばへ。
仕事は2時間のクロッキー。昨日から日中なんとなくだるく、喉の奥が怪しい。急に暑くなったので体が付いていけてないのか、先週わりとハードに働いたので疲労が溜まっているのか、どちらにせよ6月後半から固定ポーズの仕事が重複してくるので体調崩していられない。
なんばの地下街で効きそうな液体の風邪薬を買おうと薬局に入る。
引きはじめの風邪だと伝えると人の良さそうな薬剤師のおじさんは、じゃあこれとこれ、と2種類の瓶を出してきて、紙コップに2つの薬を開け、レジの横に置いてあったポットのお湯で割ってくれた。
これ効くよ、と差し出された特製調合薬をレジの前で飲み干し、ごちそうさまといって店を出た。
京都に戻り、家に帰って夕方バイクで宇治に向かう。蹴上から山科に出て外環を走っていると、風を切っているのに体が火照ってぼーっとしてきた。まずいなあこれから焼き肉なのにとバイクの後ろで半分目を閉じていた。
外環沿いの焼き肉屋に着き、母と妹たちの到着を待つ。土曜の店内は大にぎわいだった。
10分程して3人到着。
下の妹は大学で教員免許を取るため、教育実習で3週間程京都に帰って来ていた。
乾杯して塩タンをつつきながら、学校の話しを聞く。さっきまでの体の熱っぽさは引いて気分はとてもすっきりしていた。あの調合薬は効いたようだ。
中学校での実習、体育と保健の授業、放課後は部活をみて、さらに毎日の学習計画やらレポートやら帰宅後もやることが山積みで2時間睡眠の日々だったそうだ。その実習期間も終わろうとしているが、教員は自分に向いていると実感したそうで、来年、市の教員採用試験を受けてみるという。姉妹のなかでいちばん口数が少なく不器用だった子が先生になるという日がくるとは。
感動しながらハラミ、ロース、カルビ、ビビンパ、クッパ、冷麺。

私と夫は母の車で、中型の免許を持っている真ん中の妹が夫のバイクの後ろに下の妹を乗せ宇治の家に帰る。
今日は何かというとちょっと早い私の誕生日パーティーだった。
ケーキは真ん中の妹作。









2010/6/8

2010年06月09日 | Weblog
7時起床
いつもよりずいぶん早いので、起きると同時にニャーニャーごはんコールの小豆も、不意を突かれたように寝床から出てきてニャー?となく。
朝から久々に神戸方面で仕事。

8時に家を出る。自転車で阪を下りながら追い越していく小学生たちの色とりどりのランドセル。

松ケ崎から地下鉄で京都へ。
京都線の山崎駅で人身事故があったらしく大阪・三ノ宮方面のホームはひっきりなしのアナウンスと遅れに巻き込まれた通勤通学の人々でそわそわしている。若い女性駅員のアナウンスは駅名や時刻を何度も言い間違い、その度に失礼致しましたと謝るので耳の中も混乱する。
電車は動きだしていたが、電光掲示板には55分遅れと出ている。
乗る予定より5分ばかり遅い新快速に乗ったが、信号待ちといって高槻に着く前に電車はしばらく線路の途中で止まってしまった。
余裕をみて出てはいたが、この先もスムーズに走るかどうか怪しいので、仕事先の学校に電話を入れる。

芦屋で各停に乗り換え住吉で降りてそこから六甲ライナーに乗って六甲アイランドへ。
結局駅に着いたのは10時26分。駅から走って学校までは2分。ポーズは10分遅れで開始。
ここのアニメーションクラスの先生には何度かお目にかかっているがいつもベレー帽に黒縁メガネ、サスペンダーという姿で、そういう付属品による演出効果だけでなく顔立ちや背格好まで手塚治虫に似ている。
今日は躍動感のあるポーズ集というカタログのピンクの付箋のページを開き、このポーズやってもらいたいんです、と言われた。
載っているのは普通3分とか5分とか短い時間のクロッキーでやるような長時間のキープが困難なものだった。 15分ポーズで、首や腕の角度は保つように変えていいとのことだったので、なんとかなるかなとやってみた。が、これが結構きびしい。重心の掛け方、体のひねり方が極端なので局所的に疲れる。カタログを見てポーズを決めることは滅多にないので、写真に似せてやり慣れない重心や方面に体を使うとこんなに違うかという疲労が足首や太股の裏側に溜まる。
午前のAクラスの授業が終わり午後からのBクラスも同じポーズ内容。

昼休みは12時半からで次の授業は2時開始なので休憩時間は十分にあった。
六甲アイランドにはファッション美術館があり、併設されている図書館もファッション、アートの蔵書が充実していて、パリコレなどのファッションショーを映像資料で見ることもできる。
高校生の頃、UFOが不時着したかのような目を引く形状をした出来たばかりのこの美術館に来る為に初めて六甲アイランドに降りたとき、近未来の街に来たように思った。
埋め立て地のうえに設計された街には子供が足を浸けて遊べる人工の小川が流れ、その周辺は建築の学生の模型で見るようなゆったりとした憩いのスペースがとられている。人が住みながら徐々に変容し、様々な年代のものが入り交じり形成されている街にはない整い方をしている。
しかし現在、ショッピングモールの飲食店などはあまりお客が入らないようで、シャッターの降りているところが多く、閑散としている。
駅周辺の建物や空中回廊もどことなく街全体から意気消沈した印象を受ける。
シャッターの並びの中に生き残っていたうどん屋に入る。半年前まであったその隣の寿司屋とウェンディーズは無くなっていた。
梅とろろうどんを食べたがこれといって特筆すべき点のないただのうどん。
その中で安定感のある活気を保持しているスタバでほうじ茶ラテを飲みながらクォンタム・ファミリーズを読む。

午後からはさっきのポーズが少し体に馴染んだ感じがあり、午前ほどの疲労感はなかった。

仕事を終えて京都に戻る。間違えてひとつ前の高槻で降りてしまった。脳の働きが鈍い。
夕方から東福寺でもう一件、彫刻の仕事。
全70ポーズあり、今日で4回目。週2で通って来年の2月まで続く。
眠気と疲労で朦朧としながら立っていた。背骨の付け根あたりがちりちり燻っているようだった。
9時半、なんとかポーズを終え、帰路、地下鉄で寝過ごし帰り着いたら10時半頃だった。

朝の電車の遅れは80歳代の女性が遮断機を越えて踏切の中に入り貨物列車に轢かれた事故によるものだったとネットのニュースで知る。

2010/6/5

2010年06月06日 | Weblog
朝、目覚ましを止めて二度寝しようとすると小豆が起こしにくる。
目覚ましが鳴ると人が起きて、すると朝ご飯が出てくるという流れを覚えたようで、起き上がるまでベッドサイドで力の限り鳴いてくれる。
最近は口内炎の炎症も治まり、食欲旺盛。まだ痩せているが触ってもハラハラしない程度にはなった。これから減薬しつつ様子を見る。

先日の昼のこと。小豆は走らないし、玄関を開けてもあまり外に出たがらないので油断していたら姿が見えない。脱走していた。
私と夫はそれぞれ小豆のステンレス製の食器を手に持ち、爪でカンカン音を出してあずきーあずきーと呼びながら町内を探す。バイクのカバーの中、車の下、家と家の隙間の通路、生け垣、小豆の好きそうな場所を覗き込んでは呼び、30分程ほど歩き回っているとどこからかひょっこりあらわれ、見たことのないスピードで走って来て玄関に飛び込んで無事帰還。

この頃、休みがあるとバイクで走り回っている。私は後ろに乗って。
北へ東へ西へ。
揃って一日休みだった日に、長浜まで行ってみた。目的は夫がどうしても食べたいというホワイト餃子。それがある最寄りの店が長浜だったのだ。
後ろの席だと道のことなど何も考えないし、申し訳ないほど気楽に風景を見ながら歌もうたえる。残酷な天使のテーゼ、魂のルフラン、あの素晴らしい愛をもう一度、日曜日よりの使者、千のバイオリン、やさしさに包まれたなら。

山道の冷たい空気、田植えを終えたばかりの水田、国道沿いのやたら文字のでかい看板、一定の間隔であらわれるマクド、吉牛、王将、天一。
幾つもの橋を渡り、草津の道の駅に寄ってうどんを食べて買い物し、幾度かコンビニで休憩しながら11時に家を出て目的地の店に着くと4時を過ぎていた。
端から見ると営業しているのかさえ怪しいほど古い外観の中華料理屋のメインは例の餃子とイタリアン焼きそば、とある。ガラスケースの模型で見たところ焼きそばにトマトソースが掛かっている状態の、なんとなく想像のつく焼きそばは頼まずホワイト餃子のみ注文。
ホワイト餃子は水餃子くらいの皮の厚みで、今まで食べたことのないタイプの餃子だった。好き嫌いが分かれそうだが私は好みだった。
帰り道、西日を浴びながら揺られているとどうにも眠くなり、何度か夫にヘルメットの頭突きをくらわす。