小学校のとき、同じクラスだったカヨちゃんは勉強ができて活発で面倒見の良い女の子だった。
同じ町内だったこともあって転校生で友達のいなかった私の世話を焼いてくれ、新たな環境を前に自家中毒を起こしていた私は彼女を窓口にして学校に馴染むことができた。
あるとき、夜店の金魚すくいで取った金魚のことを話していた。
夜店の金魚は時々長生きすることもあるが、弱っていたり病気を持っていることのほうが多く、特に出目金は弱くて一週間もせずに死んでしまうことがよくあった。カヨちゃんがすくった出目金も片目が潰れてしまい、傾いて水槽を泳いでいた。それを見たカヨちゃんのお父さんは、このままほっておいても治らないのに苦しんで生きるのは可哀想だと、出目金を水槽から出してティッシュに包み、安楽死といって手のひらで握り潰した。
カヨちゃんは少し誇らしげにその話しを私に話して聞かせた。
潰れた出目金の染み込む黒いティッシュが頭に浮かび、そんなことはおかしいと思うのに、そう言うことはカヨちゃんのお父さんが間違ったことをしていると指摘することになるので言えなかった。それにそういう考え方があるということを理解出来ない訳ではなかった。私よりずっと賢いカヨちゃんのお父さんがそうやったのだ。でもまったく良いこととは思えないし、自分の親がそんなことをする人だったら本当に嫌だと思いながらぼかして受け答えをしたので、そのときの心地悪さが鮮明に残っている。
白点病にかかった金魚を塩水のバケツに浸けているとき、5月祭りや夏祭りの出店で金魚すくいを見る度に出目金のことを思い出す。
最近観た映画、『カッコーの巣の上で』でマクマーフィがロボトミーという脳の手術で思考することもまともに話すことも出来ない廃人のようにされてしまい、その姿を見た同じ精神病院のネイティブアメリカンの友人がマクマーフィを抱きしめ、こんな姿で置いてはいかないと枕を彼の顔に押しあて窒息させ、体から彼を連れ出した。
今月の初めに叔父が亡くなり、7年ぶりにお通夜、葬儀と人を送る儀式に参列した。火葬場で、最後のお別れを済ませたあと、少し待ち時間があった。
そのとき棺のなかの叔父を、叔母は話しかける様な視線で見ていた。何十年と見て来た夫の顔は、あと数分後にはもう見ることが出来なくなってしまう。
火葬の着火ボタンは喪主の長男が押した。
もしも私が夫を先に見送ることになって、そのときあのボタンを押せるだろうか。ボタンを押した後、火がついて温度が上がっていくあの機械的な音がたまらなく怖い。自分の動作でかたちを消してしまうことが怖い。想像すると泣いて暴れたい心境になる。
3週間程前にうちに来た猫。
来たばかりの時は口内炎で口の中が痛そうなのに、とても飢えていてごはんを食べようとし、口の周りを手で拭うようにしたり首を振ったりして、部屋の隅に丸まって痛みに耐えていた。ときどき歯茎から出血し、口からは魚の腐った臭いに血なまぐささが混ざった臭いがした。ずっと首を垂れていたので顔もじっくり見られなかった。
口内炎というと大した病気でもないように思うが、人と違って猫の場合、一度悪化すると完治するのが難しく、酷くなると食事もできなくなり衰弱死してしまう、命取りになる病気である。
この子の口内炎は常に痛みを伴っているくらい酷いことになっていると獣医さんから言われた。腎臓も良くないので、痛み止めや抗生物質などの薬をこの猫は飲み続けなければならない。自然の摂理からするともう生きられないということになるが、薬が効いて痛みが治まり体調が良くなると、明らかに表情が変わるのだ。
日に日に体つきもしっかりとし、ヒゲものびて、毛繕いをしたり、伸びをするようになった。飢えていた期間が長かったようで、たっぷり食べてもごはんをねだり、私が台所に立つ度に後をついて来て、何かくださーーいと肺活量全開で鳴く。
膝の上にいるときの重みや温度、お世辞にもきれいとは言えないさび柄の毛並みを撫でると喉を鳴らすがまだ背骨がこつこつ指に触る。ベッドに入って来て腕枕で寝ようとする。一緒にねむる。
同じ町内だったこともあって転校生で友達のいなかった私の世話を焼いてくれ、新たな環境を前に自家中毒を起こしていた私は彼女を窓口にして学校に馴染むことができた。
あるとき、夜店の金魚すくいで取った金魚のことを話していた。
夜店の金魚は時々長生きすることもあるが、弱っていたり病気を持っていることのほうが多く、特に出目金は弱くて一週間もせずに死んでしまうことがよくあった。カヨちゃんがすくった出目金も片目が潰れてしまい、傾いて水槽を泳いでいた。それを見たカヨちゃんのお父さんは、このままほっておいても治らないのに苦しんで生きるのは可哀想だと、出目金を水槽から出してティッシュに包み、安楽死といって手のひらで握り潰した。
カヨちゃんは少し誇らしげにその話しを私に話して聞かせた。
潰れた出目金の染み込む黒いティッシュが頭に浮かび、そんなことはおかしいと思うのに、そう言うことはカヨちゃんのお父さんが間違ったことをしていると指摘することになるので言えなかった。それにそういう考え方があるということを理解出来ない訳ではなかった。私よりずっと賢いカヨちゃんのお父さんがそうやったのだ。でもまったく良いこととは思えないし、自分の親がそんなことをする人だったら本当に嫌だと思いながらぼかして受け答えをしたので、そのときの心地悪さが鮮明に残っている。
白点病にかかった金魚を塩水のバケツに浸けているとき、5月祭りや夏祭りの出店で金魚すくいを見る度に出目金のことを思い出す。
最近観た映画、『カッコーの巣の上で』でマクマーフィがロボトミーという脳の手術で思考することもまともに話すことも出来ない廃人のようにされてしまい、その姿を見た同じ精神病院のネイティブアメリカンの友人がマクマーフィを抱きしめ、こんな姿で置いてはいかないと枕を彼の顔に押しあて窒息させ、体から彼を連れ出した。
今月の初めに叔父が亡くなり、7年ぶりにお通夜、葬儀と人を送る儀式に参列した。火葬場で、最後のお別れを済ませたあと、少し待ち時間があった。
そのとき棺のなかの叔父を、叔母は話しかける様な視線で見ていた。何十年と見て来た夫の顔は、あと数分後にはもう見ることが出来なくなってしまう。
火葬の着火ボタンは喪主の長男が押した。
もしも私が夫を先に見送ることになって、そのときあのボタンを押せるだろうか。ボタンを押した後、火がついて温度が上がっていくあの機械的な音がたまらなく怖い。自分の動作でかたちを消してしまうことが怖い。想像すると泣いて暴れたい心境になる。
3週間程前にうちに来た猫。
来たばかりの時は口内炎で口の中が痛そうなのに、とても飢えていてごはんを食べようとし、口の周りを手で拭うようにしたり首を振ったりして、部屋の隅に丸まって痛みに耐えていた。ときどき歯茎から出血し、口からは魚の腐った臭いに血なまぐささが混ざった臭いがした。ずっと首を垂れていたので顔もじっくり見られなかった。
口内炎というと大した病気でもないように思うが、人と違って猫の場合、一度悪化すると完治するのが難しく、酷くなると食事もできなくなり衰弱死してしまう、命取りになる病気である。
この子の口内炎は常に痛みを伴っているくらい酷いことになっていると獣医さんから言われた。腎臓も良くないので、痛み止めや抗生物質などの薬をこの猫は飲み続けなければならない。自然の摂理からするともう生きられないということになるが、薬が効いて痛みが治まり体調が良くなると、明らかに表情が変わるのだ。
日に日に体つきもしっかりとし、ヒゲものびて、毛繕いをしたり、伸びをするようになった。飢えていた期間が長かったようで、たっぷり食べてもごはんをねだり、私が台所に立つ度に後をついて来て、何かくださーーいと肺活量全開で鳴く。
膝の上にいるときの重みや温度、お世辞にもきれいとは言えないさび柄の毛並みを撫でると喉を鳴らすがまだ背骨がこつこつ指に触る。ベッドに入って来て腕枕で寝ようとする。一緒にねむる。