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流出雑記 

9月の終わりに

2010年09月30日 | Weblog
夕方、仕事に行く途中、近所の疎水沿いの芙蓉を見ながら自転車で走る。
一株から二色の花が咲くので不思議だなと思っていた。この二色の花をつけるのはスイフヨウという、と人に教えてもらった。
音だけ聞いたときスイは「水」かと思ったが「酔」だった。
早朝白い花を咲かせるが、日が昇って時間が経つとだんだん赤みがかって昼には桃色になり、夕方には赤く染まって萎む。その様子が酔って赤くなっていくようなので、酔芙蓉。

2010/09/27

2010年09月27日 | Weblog
時間に隙を見付けては鉛筆でひたすら数字を書いていた。
鉛筆で数字を書くのが久しぶりで、書きはじめてすぐのきりっと尖っている気持ち良さと、先が丸くなって腕が怠くなり宿題が嫌になる小学校の頃の感じを思い出した。
ナンバーをふった用紙と青い封筒、それに説明書を添えて同じナンバーの茶封筒に間違いなく入れる、という作業をくり返す事140回。
それらを携え近隣住宅のチャイムを押しまくる。
国勢調査。
今年、町内の役がまわってきて、5年に1回の調査の年にあたってしまった。臨時の国家公務員となる。そんな機会が巡ってくるとは。

写真入りのカードを首からぶら下げ、地図を見ながら歩く。知らない家の玄関に立つ。表札を見る。インターホンを押す。鳴らない家はノックしたり呼んだりしてみる。うちのインターホンも壊れているのだが、宅急便などの人は鳴らない家ちょっとイヤだろうなと思う。ちゃんと、ピンポーンという音が家のなかに響くのを聞くと、そのなかに息づいている生活の反響音が返ってくるような気がしてなんだか安心する。
住んでいるのかいないのか定かでない家もある。物干しや庭の雑草の茂り具合を見たり、隣の人に聞いてみる。ポストにピザ屋のチラシがぎゅうぎゅうになってたりするのはわかりやすい。ガレージに車はあるが、ひと気のない家などは悩む。埃が積もった車のミラーにぶら下がっているマスコットは煤けながら笑っている。座席の傍の地図の表紙は日に焼けて色が抜けている。空家ではなく、長期入院中の場合などもある。
インターホン越しに声を聞き、玄関に出てくるまでの足音を聞き、ドアがあいて住んでいる人と対面する瞬間のちょっとした緊張感。そんな妙な緊張と緩和の波を家から家へと渡っている。

土日はやはり在宅率が高い。今日も朝のうちに数件まわり、昼から仕事。

2件ある彫刻の仕事のひとつ、今日が最終回。
自宅用に作られた新米をわけていただいた。それに白い茄子。このアトリエに通っている期間にいろんな野菜をもらった。なかでも栗かぼちゃは煮るとホクホクでとても美味しかった。農業に詳しい人が周りにいなかったので、休憩中に農作物についていろいろ質問するのが楽しかった。
白茄子は普通の、紫の茄子より身がやわらかい。火を通すとトロトロになる。クリーミーと言っても良いくらい。油で炒めて味噌を絡めたら、茄子のみとは思えない濃厚な料理になった。恐るべしアルビノ茄子。

mica-masuda drawing

2010年09月21日 | Weblog
これまでに描いたものを載せていきます。

mica-masuda drawing

今60枚ほど載せましたが、古い順からアップしているので、いちばん古いのは7年くらい前、今載せているのはどれも学生の頃に描いたものです。
そのうち現在に追いつくはずなので、時折覗いていただければ幸いです。


2010/09/19

2010年09月19日 | Weblog
中学の頃の友人がふたり夢に出てきた。3人でバーベキューのようなことをしていた。
そのうちのひとりから第二子妊娠中との知らせが来た。これは現実の話し。

朝、机の上に薄皮あんぱんのパック。夫が深夜お腹を空かせて食べた模様。

小梅が外に出たがった。玄関を開けると小豆もやってきた。小梅は逃げると捕まらないので玄関先に繋いでいるが、小豆は走らないので、そのへんをちょっと一緒に散歩する。小梅には猫じゃらしの葉をあげた。ああいうしゅっとした葉はだいたい食べる。

トースト、カフェオレ。先週やおたみで買った早生みかんがあまりに水っぽくて味がなかったのでジャムにした。ちょっと目を離したら焦げる寸前で、カラメル風味のジャムになった。煮詰まり過ぎて瓶のなかで飴のようになっている。スプーンで掬って飴として食べている。

午後から彫刻の仕事。
残りポーズあと2回で、細部の手直しをされる段階に入っている。
完成と言っても、そこで私が見ている100キロを超える粘土の人体はただ型を取るためのもので、それ自体が作品ではない。いまフォルムとしてあらわれているものは、これから石膏を塗られて型取りされ内側になる。数ヶ月掛かって人型に造りあげられた粘土はすべてかき出され、また元の土くれに戻り、質量を失った抜け殻が残される。
そして石膏の内側に樹脂を塗り込み、樹脂が硬化して輪郭線がトレースされると石膏は割られ、中から新たな表皮がフォルムとして取り出される。そんな出入りのある工程を踏んで、それからまた表面を磨いたり着色したりしてようやく完成となる。石膏の段階で人体のフォルムが一度内側になること、それがまるで作品が懐胎される時間のように感じられる。彫刻で人体を造る作業のなかには魂を吹き込んでいくようなダイナミックな流れがあり、創出することの歓びとアニメイトの結びきを特に強く感じられるのだろうなと思う。

そんなことを考えながら帰る。日暮れが早くなった。
今夜はリクエストにより焼きそば。




2010/09/17

2010年09月18日 | Weblog
久々に人を描くと決めて描いた。

昨日、お昼にだし巻きを焼いて、それを机において汁物をよそっているすきにだし巻きが一切れ消えていた。机の足元にだし巻きの食べかすらしきものが落ちていて、その先に満足そうに顔を洗っている犯人は夫でなく小豆。猫が卵焼きを食べると思わなかったので完全に油断していた。だしのにおいに誘われたのか。
卵なんか食べて大丈夫かと思っていたが、満足気にひっくり返って寝ていたし、一日経った今日も平気なようすで卵はすっかり消化してしまったらしい。

天気は良いが夜になると半袖では心許ないので、七分袖のシャツに薄手のものを羽織った。昼前、家を出て厚着かなと思う。昼間の気温はまだ高いけれど、夏の盛りより日差しの角は随分とれたように感じる。

家の近くで、夫が子猫を見たと言っていたあたりを走っていると、金曜の燃えるゴミの山のふもとに黒い毛並みのきれいな小柄な猫がいて、その後ろに白黒のちびがちょろちょろついて来た。まだ猫のしなやかさを身に着ける前のぬいぐるみのような足取りで。
私が立ち止まると母猫は警戒して姿勢を低くした。子猫はそのままこっちを見ている。両手の上に乗りそうな大きさから見て生後ひと月くらいだろうか。不用意に近付いてもこないが、興味をもった丸い目でこちらを見ている。これからこの子猫は虫やネズミなんかを追いかけ、さまざまな味を知り、さまざまなの地面の歩き方を知り、いずれ親元を離れて、恐いものが何であるかを知り、太陽で温もったコンクリートの上を転がって、お気に入りの場所も見つけるだろう。そのうちパートナーと出会ってまだ若いこの子の母猫のようにたくましく子猫を産むかも知れない。雨風と寒さをしのいで出来るだけ長く生きてほしいと願って自転車を漕ぎだそうとしたとき、向かいからゆるゆる走ってきた古紙回収の赤い車にあたりそうになった。

大阪で仕事。
昼は森ノ宮、夜は谷町九丁目。森ノ宮から地下鉄ですぐの谷町九丁目で降りた。何度も来ているのに、地下の様子がなんかいつもと違うなぁと思いながら地上に出ると、見知らぬ交差点に出てしまい、標識を確認すると谷町九丁目で降りたつもりがひとつ手前の谷町六丁目だった。
時間にかなり余裕があったので、そのまま谷町筋を歩いて九丁目に向かうことにした。店の看板がフランス国旗のミルフィーユがおいしいと書いてあるケーキ屋、年季の入ったドイツレストラン、ジェラート屋、ボタン屋、トロフィー屋、花屋の表に籠いっぱいに飾り用のおもちゃカボチャが売っていた。黄色くてゴーヤのようにデコボコしているもの、オレンジ色が効いているもの、真っ白なアルビノかぼちゃ、いろんな色かたちの籠の中からひとつ選んだ。一個150円。

九丁目に着いてもなお小一時間ほど本を読む余裕があった。仕事場近くのフレッシュネスバーガーに入る。肉の代わりにお化けのようなマッシュルームが挟まったハンバーガーを食べた。
『個人的な体験』を読み終える。私と同い歳の27歳の鳥(バード)という名の男がはじめて授かった子供は、頭がふたつあると見紛うほど大きな瘤が頭にある障害児だった。その子が生まれるところから始まり、奈落のような落胆から親としてその子を引き受ける決意をするまでの葛藤。大江健三郎本人の体験が元になっていて、まだ読んでいないが、障害をもった子を授かった夫婦の話しを幾つか書いていて、次は『万延元年のフットボール』というのを読もうと思う。

2010/09/14

2010年09月15日 | Weblog
仕事に行くときに、絵を持っていって見てもらう画家がいる。
いつも主にハガキサイズかそれよりもうひとまわりくらい大きい紙に水彩、アクリル、ペンなどを使っている。画面に何か腑に落ちる色彩やリズムやかたちがあらわれるまでひたすらに描く、というやりかたでずっと描いている絵で、100号のキャンバスに描く人から見たらこんなものはお遊びだと言われるだろうと思っていた。
仕事に行くと、あなたも描くのか?と聞かれることがよくある。モデル本人も絵を描いていること、美大生だったりすることがよくあるからだ。初めてこの画家のところに仕事に行ったときも例によってそう聞かれ、たまたまスケジュール帳に1枚挟まっていたので見せてみた。描いたらまた見せてと言われ、次に伺ったときに数10枚見せると、絵の大きさは気にしなくて良いからとにかく続けなさいと言ってくれたのでなんだかうれしくなり、それ以来見てもらうようになった。

線が引きやすいのでずっとケント紙を使っていた。先日画家からこの紙使ってみたらと水彩用の厚い紙をもらって帰って来た。今まで表面がつるんとした紙を使っていたので、凸凹のある紙はどんな描き心地かと早速使ってみた。
なんだかわからず描きだすときはぬるま湯に長時間浸かっているような時間を過ごさねばならない。ただ画面に意味なく線を縫い込んでいるような悶々とした時間。
やっているうちにどこにどういう線や色が必要かを絵の方が要求してくるというか、そういう状態になると、これでよしと思えるところまでたどり着ける。絵が自立する糸口が見いだされると、彫り出すような作業になる。そうなると手が止まらなくなる。マラソンでいうところのランナーズハイみたいなものだろうか。ここをこうしようという意図で手が動くのでなく、ああこうでしたかと絵についていくような。その時にはどこで誰と何をしているときにも得難い密度で時間が流れているように感じる。

もらった紙は1枚の厚みが1ミリ程ある紙で、水をいくら含ませても毛羽立たない良い紙だと聞いたので、水彩で描き始めた。紙に水を含ませてその上に色をのせると淡い色が滲んでとても美しい。ノルデのような水彩を思い浮かべて心は躍る。しかし色を重ねて下地になる世界が出来てから描き続けていると最初の透明感は消え失せて最終的には全然違うものになっていく。生まれつつ死んでいくものをひたすら見送る。画家はいま見えているものの後ろにある、絵にならなかったものが見えるような絵がいいねと言っていた。
今回は最後に羽が残った。

今月から11月に東京で再演する舞台の稽古が始まった。
この夏、インタビュアーとして使っていた回路から切り替わっていく。ひたすら他者にあたって行き、また、すれ違い続けた。帰宅後はインタビュー音声の文字起こし作業があり、速くはないキーボードさばきで他者の声を追いかける毎日だった。それ以外の集中力を要することをやる気力は残らず使い果たして寝るしかなかったので、今は求心力が稼働を望んでいる。もう一度自分の中心に戻るところから。

今夜の雨は長かった夏に幕を降ろすようだ。



2010/09/10

2010年09月10日 | Weblog
頬の内側の粘膜を噛む癖がある。何か考えているときなんかに気がついたらやっていて、時々やりすぎて血がでる。口の中に生臭い鉄の味が広がる。自分で自分の味を確認する生っぽい心境になる。気持ち悪い不快な味覚なのだが、ついやってしまう。そんなとき目の前に建設中のビルの鉄筋の骨組み。血中の鉄分とビルの鉄骨。何百人の人の重量にも耐えうる物質と自分の中に流れるもののあいだに共通点があるのだと、圧倒的な質量と強度を前にしつつ、口の中の鉄を飲み込む。
小学校の保健体育の授業で人の体を構成する物質は1900円くらいで揃えられると教わったことを思い出したが、これが正確な記憶かどうかは不明。

日が翳った頃、いつもの軒先につながれた前髪が外の空気を吸っている。前髪とは白地で額に黒の斑があり、それが前髪のように見える近所の猫で、勝手にそう呼んでいる。
その近所には素焼きの大きな鉢を並べて毎年見事にイングリッシュローズを咲かせている家があったが、ある日忽然とバラの鉢すべてなくなった。その向かいには若くてセンスの良い妻がガーデニングに一時期凝ったと見える家がある。今はブリキや木製のプランターに雑草とカラカラになった植物が植わっている。そういうのをみるとこの家の夫婦のあいだに不和が生じたのではなかろうかと心配になったりする。
数十年のあいだに溜まっていった様々な植物が、独特の年期を感じさせる軒先の風景となっているような家の植物が枯れ果てて、ひと気のないのをみると、ここに住んでいた人は亡くなったのだろうとしんみりする。
私がずっと狙っている空き家の玄関に植わっている無花果の実は、一向に熟す気配がない。誰も世話をしないので肥料が足りないのだろうか。
農業をされている彫刻家に聞いてみると、肥料切れか実が付きすぎて育ちが悪いかどちらかだそうだ。そして空き家でも穫りたいなら一応そこの大家の許可を得た方がいいよと適切な助言をいただく。

いつか果樹のある庭の家に住みたい。
植えるのは無花果と伊予柑、栗もいい。

数日前、泰山木の夢を見た。
大木に柔らかな厚みの大きな白い花がたくさん咲いている。嗅ぎたくて仕方ないが木が大きすぎて届かなかった。

夜、仕事帰りの自転車、街路樹のねきに植わっているエンゼルトランペットを横切るとき一瞬粉が舞ったように香った。

今日は切れ切れな言葉になる日。頭の中が連想ゲーム的になっている。



2010/9/8

2010年09月08日 | Weblog
なぜかここ数日、毎日到来物がやってくる。
方々からやってきた無花果、マンゴスチン、パパイヤ、ゴーヤ、葡萄を一同に並べてみた。静物画を描けそうだ。
中でも滅多にお目にかからないマンゴスチン。よく見ると赤紫や青、落ち葉の色を混色したような黒に近い、深い艶のある皮に、軸を中心にローズマダーが広がり、固く乾燥したへたはピスタチオグリーンを帯びている。惹かれる姿だったので、色鉛筆で描いてみたが、マンゴスチンはアクリル絵具や油彩でこってり塗り重ねて描くのがいいような気がした。
食べ頃がよくわからないが、頂いてから数日経過しているし、触った感じがなんとなくやわらかくなってきたので切ることにした。

マンゴスチンを食べるのは小学生以来だった。
なぜか祖父が外出ついでにマンゴスチンやライチをよく買って来てくれた時期があった。
どちらもつやっとした白い果肉で、舌に馴染んでいるりんごやみかんとは違う南国の果物は、それに似つかわしい暑い国の甘みをもっているように感じた。でもそれより見慣れないものを口にする喜びの方が勝っていた。

実の真ん中に包丁で切り込みを入れて、ねじって蓋物の器のようにぱかっと開ける。中身は、へたの部分のローズマダーと同じ色の分厚い皮、真ん中に白いふやけたような果肉がのっている。何かの生き物の脳のようにも見える。
白い果肉は梅干しくらいの種を包んでいて、可食部は実全体の10%あるかなしかというくらい少なかった。ひとつしかないので、夫と分けてひと口ずつ、スプーンで掬って口に滑り込ませた。
果肉はわずかな量だが、噛むと濃厚な甘みと絶妙なバランスの酸味が舌の上に広がった。もうひと口と思ったが玉座は既に空である。
この佇まいにこの量、贅沢な甘みとうまく調和する酸味と柔らかな舌触り、果物の女王と呼ばれるに相応しいものを確かに備えている。
内側の赤い部分もスプーンで掬えるほど柔らかいのだが、ここはとんでもなく苦みばしっていて食べられるものではなかった。高価な器にほんの少し盛って出される京懐石のような果物であった。

無花果は少しかたいので追熟を待っているが、どうやら収穫時期が早かったようで、熟する前に傷みそうな気配だった。食べてみてもやはり甘みが少ないので半分に割って真ん中の空洞にハチミツを少し垂らし、クリームチーズを乗せる。
葡萄は凍らせるとシャーベットのようになっておいしい。
ゴーヤは、これまた頂き物の沖縄の麩と炒めてちゃんぷるにした。

今年も暑いからと言って食欲が落ちることが一切ない夏だった。


2010/9/6

2010年09月06日 | Weblog
昼前に家を出ようと玄関をあけると外は白く見えるほど日が射している。
数十分この炎天下でぼーっとしてたら気が狂れそうな光線がじりじりとアスファルトを焼いている。
今日は燃えないゴミの日で、電信柱の足元に山を作っているプラスチック容器の透明ゴミはこのまま全部溶けるんじゃないかと思うような熱さ。

松ヶ崎から地下鉄、新田辺の辺りで仕事。
移動中読んでいた大江健三郎の『飼育』。
戦時中の孤立した集落に米軍飛行機が墜落した。乗組員3人のうち生きていた黒人兵は捕虜として村の倉庫に捕らえられ、それまでの日常にはなかった異物が村に挿入される事態となる。それを村に住むひとりの少年の視点から描かれている。
黒人兵に食事を運ぶのは少年の仕事だった。はじめは近寄ることすら吐き気を催すほどの恐怖を感じていた。(そのなかには優越感や快感もせめぎあっているのだが)黒人兵の姿、一挙手一投足が彼を惹き付けた。抵抗する気配をみせない黒人兵は、徐々に家畜の、牛のようにおとなしいものとみなされ、そのうち拘束を解かれ、村の人びとの働く様子を見てまわったり、子供達と水浴びをしたりすることさえあった。しかしこの話しが、そうしていつまでも人びとは仲良く暮らしました、とならないだろう予測はついていたので、そこから先を読むのに少し気持ちが淀んだ。
彼の身柄をこの村から町に移送する命令が下った時に、築かれつつあった関係は一転し、最も距離の近かった少年を人質にとり黒人兵は倉庫に立てこもる。少年は黒人兵を友人のように思い始めていたことを後悔し、得体の知れない獣に遭遇したかのような恐怖がまたすべてを覆い尽くした。最後に少年の父親の手によって鉈で黒人兵の頭は盾にしていた少年の左手もろとも砕かれた。
『飼育』は終始どろどろした、タールのような粘質の液体に覆われているようだった。どうあっても不運な出会いを受胎した胎内で羊水に浸っているような。
だから子供達も黒人兵も裸になり、川で水浴びをするところのすがすがしさ、水しぶきと笑い声をあげている場面だけが際立って透き通り、清流の流れのように滞りなく疎通する透明度を感じた。
騒動の後長い眠りから少年が目覚めたとき、友人の兎口が「お前のぐしゃぐしゃになった掌、ひどく臭うなあ」と彼をなじりにやって来た。以前ならここで取っ組み合いになるが、少年は力のない嗄れた声で「あれは僕のにおいじゃない」「黒んぼのにおいだ」と答えただけだった。
少年は黒人兵の死を経てそれまでの子供らしさから隔たったところにいる自分を感じていた。一種の通過儀礼のようにその死を体験した、ということだと思う。
喉にタールを流したような読後感が残った。

1時から彫刻の仕事。
たくさんもらったからと小ぶりの無花果を一袋とジャムにしたものも一瓶いただいた。
帰って、もらった無花果を袋から出してきれいなものと生で食べるのはちょっとなと思う傷ついたり打ったりしているものを分ける。
ジャムはもらってきているし、生食しない分をどうしようかと考えて、ドライに出来ないかと思いついた。調べてみるとオーブン160度で1時間、水分をとばしてドライにする方法があったので試してみた。30分あたりから透明な薄桃色の水分が櫛切りにした実の曲線の下に溜まってきた。1時間経つ頃には水分はとんで糖分がカラメル状になり、実はぎゅっと縮まって甘みを閉じ込めた深い色になっていた。甘いにおいが部屋に漂う夜。