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流出雑記 

2012/12/30

2012年12月30日 | Weblog

2012年12月21日を過ぎたが世界は滅亡しなかったので、毎年のように大掃除をし、来年もまた住む家の更新料を納め、大晦日からの帰省に備えて冷蔵庫の在庫を整理する食事。三ヶ日いつも家にいないのでおせちはちゃんと作った事が無い。うちでおせちを作ってのんびり過ごす正月もしてみたい。年末年始に大雨の記憶があまりないが今日は一日よく降ったので、一日家のなかのことをしていた。

明日までにしておかなければならないだいたいのことを終えて、雨も上がりしんとした夜。夫は出かけ夕飯要らず。きれいにした台所を使うのが惜しいのと、水に触りすぎて手がぱりぱりするため洗う物を減らしたい。お腹がすいたら冷蔵庫をあけて残りのハムをつまみ上げて食べたりキリのクリームチーズを食べたり蜂蜜を舐めてしのごうとした。しかしさすがにそれでは落ち着かず、冷凍してあった茹で南瓜をドレッシングとマヨネーズで和えてサラダ、冷やご飯を温め出汁がらこんぶの佃煮をのせ、インスタントのわかめスープにコチュジャンを入れることで料理した気分を出した。ちょっとテレビを付けてみるとレコード大賞がやっている。最優秀新人賞の発表だった。入家レオという18歳の女の子が新人賞をとった。名前の通りライオンとかトラとかネコ科の目をしている。

なんでか昨日から千のプラトーが傍らにある。厚いし読了できる自信もないけれど横においておくと安心する。本は時々かさ張るお守りみたいなものになる。

この年末を思い返して自分の性質のやっかいなところを改めて自覚せざるをえなかった。ある時期努力でどうにかなるものだろうと思ってもみたが、結局のところそういうものでもないように思う。年齢とともに苦手な場面にどう対処すべきかわかってきて、やり過ごす技も多少身に付いたけれど根本的には何もかわっていない。

5人以上の大人数(私にとって5人以上は大人数となる)が苦手だ。目的があれば大丈夫なのだが、飲み会とか楽しむための寄り合いで、他の人が楽しそうにしているようにはどうも楽しめず、合わせて笑うことはできるが話すことができない。なぜ楽しめず、楽しそうにすることしか出来ないのか、積極的に話すとかすればいいじゃないかと思われるだろうが、そういう意識的な努力を反映させる前に受け取る楽しそうな状況がいつもすでに黄昏時なのだ。だから上からどんなフィルタをかけたところで明度も彩度あがらない。そのうちに自分がそこにいる意味を取り落とす。ここにいない方がいいと助長する思念の声が聞こえてしまい自己嫌悪におそわれる。これは長時間でなければやり過ごせるようにもなった。書いていてもこの歳になってこれかと思う。

人を嫌いなわけではないし、ひとりやふたりならちゃんと話すこともできる。会う事も楽しい。でも飲み会などの楽しむべき場であらわれる状況逆反射的心境は意識してそうしていることではなく、なってしまう。そこから身を引いてしまう。ときによれば出会いを取りこぼす損をしているだろうし、実際過去を振り返りそう自覚するところもあるけれど、約30年生きたが改まる事がなかった。

そういう状況のいちばん古い記憶は、幼稚園の友達の誕生日パーティーに招かれたときだった。主役の女の子の他に6人。私はいつも同じひとりの友達としか一緒にいなかったのだが、なぜか招かれ、仲の良いその子は招かれていなかった。おそらく母親同士が仲が良かったとかそういう理由で呼ばれたのだろうと思う。

早く帰りたくてしかたがなかったし、ハッピーバースデイを歌うのも泣きそうになっていたが、お祝いだということはわかっているので耐えていた。その耐えている顔の写真が一枚だけアルバムに残されている。赤や緑や黄色の四角いプチケーキが白い大皿に並んでいたのをよく覚えているので、主にそれを見ていたのだろう。高校生の時は学祭の打上げとかそういう機会のほぼすべて避けた。高校生のときは同年代の人の飲酒喫煙に異様な抵抗感があった。その余韻は今も完全に消えていないが、自分と同年代とが既にいい歳になってきたので抵抗感は均されてきた。大学生になってからは舞台の打上げや花見で2度程やりすごせるリミットを超えてだめになり親しい人に助けられて生き延びた。

一人でいるのが好きかと聞かれるとそうだ。自分にとって最もいい状態はひとりで何かに没頭しているときだと思う。でも個人作業ではない舞台に携わることを続けている。その理由は舞台を作る場でなら今まで書いたような状態に陥らずいろんな人と一緒にいることができるという発見があったからで、それは自分と舞台を結ぶ大きな理由のひとつだった。ひとりでいるときの没頭状態に使うエネルギーを人の間で使うことができる。そのことに素朴なよろこびがあった。

舞台を続けることには重低音のような不安が常にあるけれど、それでも就職して働く道を選ばなかったのは、自分の性分を考えて選びようがなかったのと、その素朴なよろこびが生きる上で重要なものだと直感したからだと思う。


2012/12/19

2012年12月20日 | Weblog

人と寄り合う機会が多いこの時期、新しく知り合う人もあり、そういう人の言葉の選択や物腰の自分との違いを聞きとりながら、もっとおおらかな人間になりたいと思う年の瀬。

大掃除は亀ペース。昨日は洗濯槽クリーナーで洗濯槽を洗った。今日は残り湯で風呂釜ジャバでもしよう。

某着付け教室の着物セミナーというのに行ってきた。どうも受講生にはどうしても来てほしいらしく、このときだけ前日に先生からご丁寧に集合時間の確認TELがある。セミナーというのは問屋に出向いて着物の勉強会、称した即売会である。

午前中は大島、塩沢、結城、牛首と代表的な紬、染めの反物を実際触ってみてその違いと特色の説明を聞く。この時間はとてもおもしろい。牛首の繭は双子で、繭のなかに蚕が二頭入っている。二頭というのは二匹の打ち間違いではなく、蚕は頭で数える。それは蚕が馬などと同じように完全に家畜として飼われている生き物だからという理由と、蚕が産まれた伝説に馬が関わっていることが由来という説もある。二頭の糸が絡み合っているので製糸すると所々に節ができる。その節が牛首紬の特徴。

織物が発達する地域は雪国と離島だそうで、その理由は雪国だと冬場は仕事がないために女性は機織りを仕事とし、離島でも限られた環境で生産できる交換価値のあるものとして発達した。普段触れないような手織りの高価な反物にも遠慮なく触れる。縦糸と横糸の気の遠くなる交差の果てにあらわれた布地が目の前に流される。

数クラス掛け持ちし、しかも年間2回同じ1サイクルが開講されるので、同じ物を何十回と見ているであろう先生はそれでもはじめて見たかのように、おお~、とか、あ~きれいやねえ、感嘆を付け加える。

お昼休憩。仕出しのお弁当が出る。先月あった帯のセミナーのときと同じ店の弁当だった。重箱とあたたかいご飯が別に付いてくる。おかずは高野豆腐やさつまいもの含め煮、卯の花、小さめの塩鯖とだし巻き、ヒレカツ一枚、ほとんどエビのないエビ衣チリ、マヨネーズで和えたパスタにハム添え、一口大のケーキがふたつとキウイ一枚。女性の胃には結構溜まる。受講生がぼそっとけっこう量多いなあ、ともらすくらい。横に座っている着物姿の先生は「これが案外ぺろっといけちゃうのよね~、ぺろっと」と言いながらどんどん食べすすめていた。食べきれずにほとんどを残して蓋を閉めるよりその方が気持ちいいけれど、先生は何度この同じ重箱の蓋をあけておそらくあまり代わり映えのしない可も不可もない弁当を口に運んだことだろう。そう思うとあの、ぺろっと、が半ば暗示のように聞こえてしまった私は意地が悪いなあと、カツの最後の一切れ、やや辛かったが平らげ熱いほうじ茶でながした。

まだ胃に圧迫感のあるまま午後はそれぞれ好きにコーディネートを試すと称した即売会となる。先生及びさっきまで隅に座って反物をなおしていた問屋のおばさん方全員販売員と化す。

好きな反物を選ぶと仕立てたときに近いように体に反物を巻き付けてくれるのでそれに合う帯、帯締め、帯揚げを選んで鏡の前に立つと、選択のセンスや顔うつりなど褒めようのあるところを一通り褒めてくれる。そして襦袢、着物、帯、お仕立て付きセット価格で、「どうえ?これくらいやったらがんばれるんちゃう?」「ちょっとずつ返していったらええんやさかいに」とくる。その値段で揃うならそれぞれ別個で誂えるより確かに安いかも知れないが、安いと言っても数十万の買い物を即決する購買意欲も財力も持ち合わせていない。反物と帯の組み合わせを試すのは楽しいが、巻き付けられる度にしばらく「どうえ?」の時間をやり過ごさないといけないのが煩わしいのでコーディネートは2回でよした。同じようにリタイヤした受講生とこの帯もかわいいけどねえと着ようとせず眺めていると、先生の襦袢だけは誂えたほうがいいわよ押しがはじまる。

確かに、襦袢はほしい。持っているのがよくあるザ・ピンクの長襦袢なので、もう少し紬に合うような洒落た襦袢がほしいのはほしい。ただここで押しに押されるこの状況で買うのは自分の買い物として嫌だった。買う義務はないし、向こうも気に入ったものがあればと言うけれど、終盤になるほど生徒は鴨であるということが自覚され、それまでの先生の努力がここに帰結しているという関係性のむなしさが露呈する。ここまでじゃないが、久々にあった友達にひたすら某マルチ商法の商品を勧められたときのむなしさが思い出される。良い商品で損ではないのはわかってもやはりそれ以降距離をとった。彼女自身をきらいではないが、やり口とそこで形成されるコミュニティーを快く思えないのだ。

とにかくそのセミナーからは無事帰還し、とり野菜味噌鍋(オリジナルのじゃなく我流)を食べてコタツで寝る。冬場の夕飯の後は胃に血液をとられるのか急に寒くなるのでコタツにもぐる。小一時間眠って体がほこほこになってから洗い物を片付ける。

 

 


2012/12/3

2012年12月07日 | Weblog

頭痛持ちでないからバファリンなどを普段飲まないし持ち歩いてもいない。生理痛もほとんどないくらい軽いが、稀に凌ぎようのないビッグウェーブがやってくる。それが先日稽古中にやってきた。立っても横たわっても無視できない鈍痛。数分おきに稽古場~トイレ間を往復し、稽古場に居合わせた女子があったかも知れませんと鎮痛剤を探してくれた。しばらくして彼女はカバンの中を探るが見当たらない模様だった。なかったですという言葉を耳が待ち、大丈夫ありがとうという返答を舌の奥に用意していると、あ、ありました、カバンの底からイブ2錠発見される。飲んでしばらくすると、鈍痛の波は嘘のように引いていったが、薬に慣れないため鎮静作用がよく効くのか、意識ももうろうとなり、今度はまぶたが降りてくるのに抗う努力が必要だった。

着付けを習いはじめてしばらく経ち、袋帯まで手順は覚えた。
憧れの着物は鈴木清順の映画の大楠道代だと思っていたが、先日見た黒澤明のまあだだよの内田百間の奥さんが紺の紬に半巾を貝の口に結んでいた普段着がなんだかとても素敵だった。
祖母がよく着ていたざっくりした絣に葡萄茶に近い赤の織り帯を締めたい。八掛が赤いのは古いと言われても好きだ。
大島紬に紅型の帯。それに蘇芳か金茶の帯締め。ちらっと見える襦袢、帯揚げ、半襟、羽織、羽織紐至るまで細部に組合せの余地がある着物は洋服より断然おもしろいと感じる。日常ではもはやハレ着としての役割となってしまっているが、ほんとうにおもしろいのはフォーマルできちんと着なければいけない着物じゃない着物。フォーマルで着る場合のタオルやらをやたら巻き付けて「きちんとした」姿に補正しなければならないことや格を気にして着るより、着物はひたすら自分の要請で自分のために着たい。着ると、日常的に着物を着ていた人たちが衣服からどのように佇まいを作られてきたかということを検証できる。この衣服では開脚やバレエのバットマンのような足を蹴り上げる動きが発想されなかったのは必然だし、草履を履けば足の運び方はやや前のめりになりすり足になる。やはり民族の踊りの基本的な型、重心の取り方は日常動作から生み出されたものということを追って体験できる。大野一雄さんが生活を大事にしなさいというのは、踊りとそれがどういう場合でも密接だということを指しているのだろうかと思い返したり。洋服で生きて来た自分にとって、着物に作られる体はどのように感じられるものなのか、また洋服に作られた体はどんなものなのか。洋服から着物になるとまず制限ができる。制限という言葉を使ってしまうのはどうしても稼働域が狭まるし自転車に乗れないなどの出来ない事が出てくるため。いきなり原点回帰というようにフィットするわけではないらしい。ただ馴染み方には親密さを覚える。帯がお腹にあるととても安心する感じがある。
古着の着物やに行けば山と積まれた紬や小紋。大正、昭和の女たちの脱け殻、と感じるのは、着物が皆同じ形だからだろう。店に置けないほど在庫があると店の人。着物はほどく事を前提に縫われていることが洋服との大きな違いである。袖の角が丸くなった仕立ての物でも丸く裁断しているのでなく縫い止めてあるだけでほどけば長方形の布地になる。仕立て直す、あるいは次の使いようを考えられた形になっている。半襟を付け替えたり、着る人がある程度手をかける必要もある。手間がいる。着物は現在のとにかく安価で売りさばかれる使い捨て状態の衣服と真逆の思想が形になったものだと言える。そんなことを考えながら冬場はもはや手放せなくなっている肌に近しいヒートテックを着て着物の山の中にいる。