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流出雑記 

辻企画『愛ー在りかー』

2010年12月16日 | Weblog
「私って何」という言葉を数年前舞台で台詞として言ったことがあった。当時それがなにより舞台で言いたい言葉だった。
今日はその言葉を舞台で聞いた。

辻企画『愛ー在りかー』人間座スタジオにて。

舞台は一面薄い桃色で上座と下座の壁面は曲線になっていて、そのままなだらかに床とつながり空間は丸くなっている。柔らかい袋の中や、何かの内側の空洞のように見える。その他には何もない。

女がひとり眠っている。長い眠り。男がひとりやってくる。
ふたりにはそれぞれ、たくちゃん、ようこという名前がある。
どこでもないような空間に固有名詞を帯びた人物がいる。最初に女が寝ていて男が後からあらわれるので、その世界は女のもののようだが、舞台上の女のものではない。
テキストは男女の対話形式で書かれているが、言葉が人物の台詞として託されていても、この言葉の書き手自身の体から引き剥がされた距離感ゼロの言葉が連ねられているように思う。
空洞、カラの子宮にたどり着いて、その空洞の不安から言葉が吹き出すという印象。
ふたりの人物もそれぞれ名前をもっているが、それぞれ自立した人格をもっているというより、まるで外界と関わりのない生まれる前のもののような、無垢というのか、ちょっと違うが、そういうものの感じがある。
空洞になっているところに男と女のかたちをしたものが入っている。
テキストには生きるということそれ自体に触れようとするような欲望があり、それがただ書き手みずからの方向へ向いてしまうと、窒息を招きそうなほど圧力が高い。立体化することで滞りそうなものを循環させ、呼吸している、ひとつの肺のありかを思った。