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流出雑記 

鯖の旅3

2012年04月26日 | Weblog

福井に戻り、弟も仕事から帰ってきて父、母と店から歩いてすぐのところにある「のぎく」という山菜料理屋に連れて行ってもらう。
夫婦で切り盛りされているこじんまりとした店だが、通された座敷には炉が切ってあり、真ん中で炭が静かにいこってその周りを串に刺さったアマゴが取り囲んでいる。

少しずつ小皿に盛られて出される山菜料理を味わった。フキに似ているけどフキではないフキノトウの茎、フキノトウ味噌、イタドリ、甘辛く炒り付けたツクシはご飯がほしくなる、ワラビ、コゴミ、たらの芽、ゼンマイ、コシアブラ?だったか、あとは忘れた。山菜はご主人と女将さんふたりで山に摘みに行くのだそうで、採れたものを料理して出されている。
めずらしかったのは椿。花のかたちのまま丸ごと天ぷら。揚げられても損なわれずピンク色。花芯の黄色いところには少し苦味があり、花びらは意外にもちもちしていた。女将さんにどんな品種の椿でも食べられるのですかと聞いてみると、うちで出すのは藪椿やけど何でも大丈夫です、ということだった。だったらツツジなんかもいけそうだ。毒があるか硬いか余程クセの強いものでない限り、草花は天ぷらにすると大概おいしいのではないか。

学生の頃下宿先のアパートの植え込みにユキノシタという草が生えていた。ある日それは食べられると知り茹でておひたしにして食べてみた。それ以降やらなかったのであまりおいしく出来なかったのだと思う。アパートには三つ葉も生えていて、こっちは刻んで卵焼きに入れたり、土用に奮発してうなぎを買うときは添えたりした。ほんとうはハコベをごま和えにしてみたり、ヒルガオの葉をそのまま食べられると確か本でみた、と思って食べてみて、もう一度本を見返すと生で食べられるのはヒルガオの花だったり、果敢に草に挑んでいた時期があった。

来たばかりのときはまだ表面のてらてらしていたアマゴは徐々に焼き目がつきこうばしいにおいを放ちはじめる。早く齧りつきたいが勝手に手を出すと怒られるかな、と皆で耐えていた。
女将さんがやってきてアマゴに手をのばす度、おおついにと思ったが、あー、もうちょっとかなと方向を変えてさらに炙られること数回。火が弱かったらしく途中炭を足して2時間近くアマゴは炙られっぱなしだった。その甲斐あってか、骨まで食べられるくらいよく焼けていた。
ご主人の打った色黒の越前蕎麦はこの山菜コースのしめに相応しく、デザートの苺にもスミレが添えられた最後まで抜かりない贅沢な夕食だった。

ライトアップされた実家の庭の枝垂れ桜に出迎えられる。
実家にはボーダーコリーが5匹いて、2匹は親であとはその子供たち。6年前、はじめてこの家に来たとき子犬たちはまだぬいぐるみのようで抱くことが出来る大きさだった。今はもうどの子が親でどの子が子供かぱっと見ただけではわからない。父犬の武蔵は歳のせいもあって体調が良くないそうで、確かに以前の雄々しさから思うと痩せている。義母は心配でこのところ武蔵の傍で、ソファで眠る日々だと言っていた。

お土産に持ってきたタルトは割れてはなかったが、切り損じて耳を崩し、崩れたのは私と夫で処理。
武蔵は甘いものが好きらしく、タルトを欲しそうに近付いてくる。耳のところをあげるとさくさく食べた。義父もタルトをよろこんでくれた。

次の日も平日なので皆早めに休んだ。

見た夢。どういう理由でか、どこかの企業のビル内にいてマシンガンで人を殺してしまった。居合わせた人に見られてしまったので、見た人も撃ち、音や異変に気づいてそのフロアにやってきた人を次々撃つはめになった。撃って倒れても死んでいるかどうか不安で倒れているところをさらに撃った。ライフルも落ちていたので遠くの人をそれで撃ったがマシンガンのダダダダダというリズムに安心感があった。結局18人も殺してしまった。捕まったら確実に死刑だなと思い、その場を逃げることにした。銃には素手で触っていたし、暴れ回って足跡だの髪の毛だの残っているだろうし痕跡を消すことは無理なので逃げるしかない。逃げながらとてつもなく後悔していた。生きている限り逃げ続けなければいけない、逃げ延びてもやってしまったことからはどう足掻いても逃れられない、もう今までみたいに呑気にスーパーで買い物なんてできないし日のあたるところを歩けない、捕まれば独房でいつ吊るされるかわからない一生を過ごすことになる、これは文字通り一生を棒に振ってしまったと。街頭のテレビでは乱射事件と大騒ぎになって、死んでいるのか不安で何発も撃ったことを残忍極まりないと報道している。そんなつもりはないのにと思いながら走った。こういう夢のときは途中で夢だと気づくことが多いのに、妙に現実感を伴っていて、目が覚めたときも後悔の念が脳裏に残っていた。

 

あまり遅くならないうちに京都に戻る予定だったので、昼過ぎに実家を出た。

福井の回転寿しは安いところでもおいしいという夫の主張を確かめに行った。その主張に間違いはなかった。

1車線でトラックの多い国道より走りやすいと教えてもらった県道を走り、途中から来た道を戻る旅。帰り道となると眠気に拍車がかかる。落ちそうで気が散るとショルダーバックで胴をくくり付けられた。徐々に日が暮れる。いちばん山深いところを日が沈む前に通過でき、アスファルトは濡れていたが雨にあわなかったことは幸い。7時半頃、大原を抜けて八瀬を下りいつもの北白川に戻ってきた。

また蕎麦が食べたくなり、旅の最後の夕食はホームの一乗寺の蕎麦屋そば鶴で夫あんかけ蕎麦大、私おかめ蕎麦。

丸一日半留守番の小梅は帰るとものすごく話しかけてくる。ふたつ用意して置いたトイレを大と小に分けて使っていた。モンプチのテリーヌを差し上げる。アマゴを焼いているときも小梅がいたら灰の中に飛び込むよと話していた。回転寿しのネタを見ながら小梅のことを思い出す。連れていけたらいいのにそれは本人にとっては拷問でしかないと思うといつもちょっとさみしいのだった。


鯖の旅2 

2012年04月22日 | Weblog

夫の実家は武道具店をしている。平日なので義父と義母は店にいて、義父は新しい商品の営業に来ている若い男性と話していた。店先の義母のばらは新芽をふいている。花を愛でる歳になったなあと言う義父の牡丹も蕾が膨らんでいた。京都の桜はもう終わりだったけれど、福井は今ちょうど散りはじめ。荷物とお土産に焼いたりんごタルトをバイクから降ろす。義父はお酒が好きだが和洋どっちでも来いの甘党でもある。季節だからいちごにしようかと思ったが、りんごの焼き菓子が好きだと聞いたので紅玉を甘く煮たのを乗せて焼いた。箱の中に梱包材を入れたり、タオルを敷いてクッションにしたり割れない思い付く限りの割れない工夫はしてきたが切るまで無事かわからない。

この日は金沢の方に行く予定をたてていた。私がまだ行ったことがなかったのと、夫は連れて行きたいカレー屋があると言っていた。甘みが強い黒いルーのカレーらしかったが調べてみると定休日だった。金沢カレーなら他の店でもいいが、どうするかと考えて、6年前の春、福井に初めて来たときにふたりで行った駅の近くの喫茶店のカレーをもう一度食べてみることに落ち着く。

ビルの二階にあるCOFFEE INN HALFという喫茶店。壁面にびっしり漫画、もとはおそらく白壁だったのだろうが、日焼けと脂で茶色くなったセピア色の店内。同じくセピア色のメニューには飲み物とパンメニューのほか食べるものはインドカレーのみ。数十年かわらないのだろうと思われる。前に食べたとき確かおいしいと思った記憶はあるが、どういうカレーだったか思い出せなくなっていた。キーマカレーだったような気がする。

6年前、唐突に福井に行こうと言い出して、鈍行を乗り継いで福井まで来たのだった。乗り換えで4、50分改札も無人の何も無い駅に取り残され、畦道を歩いたり桜吹雪に吹かれたりしていた。あのときはまだ結婚するとは思っていなかった。

 運ばれてきたカレーはターメリックライスにスパイスで鶏をほろほろになるまで煮込んだチキンカレーだった。それにウィルキンソンのジンジャエール、これも6年前と同じで、6年前と違ったことは、マスターが運んできた水をひっくり返して床を濡らしたこと。夫は高校生の頃ここで初めて家のカレーじゃないカレーと大人のジンジャエールを知ったのだそう。カレーは程よい酸味と辛味がありおいしかった。

金沢までバイクで行くと1時間半はかかるようだった。夫は朝から運転しっぱなしなので金沢までは電車で行くことにする。

鈍行で行こうとしていたが、普通列車は1時間に一本で、次の電車は40分後だった。仕方ないので特急料金1000いくらか払って10分後に来たしらさぎに乗る。

はじめて降りる金沢駅。駅舎は少し京都駅に似ている。ターミナルからバスに乗って兼六園方面へ。

21世紀美術館。特にこれが見たいと思って来た訳ではなかった。企画展に惹かれなかったので、常設展を見れたらいいかと中に入ったが、展示替え中で見れたのはタレルの四角く天井の空いた部屋と屋外の展示だけだった。タレルの部屋は不思議と外の音から遠くしんとして石棺安置室という感じがした。桜の花びらが何枚か落ちている。吐かれたガムの跡もある。雨の日は四角く降る雨を見れるのだろうか。

 

兼六園周辺をぶらぶら歩く。街の雰囲気は姫路に似ている。金箔ソフトというのがあって近付いてみたが完売だった。伝統工芸の金箔と副産物のあぶらとり紙を売っている。
ひがし茶屋町という石畳の街並みが残る茶屋町に行ってみようかと言いながらあまり時間がない。夕方には福井に戻って皆で夕飯を食べに出ることになっていた。手っ取り早く移動するならタクシーだが、行きの思わぬ特急料金の出費もあったのでどうしようと話していたところ、良いものに巡り合った。

レンタサイクル。街のなかに数カ所駐輪場があって、借りて好きな場所に返せばいい。料金は一台200円。これで行こうと決まり、タッチパネルで二台手続きし、料金はクレジットカードで支払うシステムになっている。

知らない街を自転車で走るのは不慣れなバスの行き先を気にしながらより新鮮でずっと気持ち良い。和菓子屋がよく目にとまる。

ひがし茶屋町は京都でいうと花見小路のようなところ。石畳の道の掃除は行き届いていて、整然と並ぶ木の格子の家々の佇まいはうつくしい。

烏骨鶏ソフトというのを売っている店を見つけた。さっきの金箔ソフトの仇討ちに一本買う。プラス200円で金箔を乗せられたが、乗せなくても一本500円なのでやめておく。烏骨鶏ソフトはオフホワイトでクリームチーズのように濃厚。食べ終わるとそろそろ金沢駅に戻らねばならない頃だった。途中少し九谷焼の店に入る。絵付けの華やかな色柄、隣同士でも越前焼の落ち着きとはまた違う雅さ。でもそれぞれの土地柄を感じ納得させられる。時間があれば絵付け体験でもしたかった。

最終的にホームまでダッシュして電車に間に合った。帰宅ラッシュに巻き込まれる。聞き慣れないイントネーションの女子の会話。途中まで満員だったがしばらくすると席があき、少し眠ると福井に着いた。


鯖の旅1

2012年04月21日 | Weblog

19日 6時前に目覚まし起床。

身支度をしてバイクに荷物をくくり付ける。小梅の砂の入れ物をふたつ置き、水とごはんをいつもの4倍ほど用意して留守番を頼み出発。バイクで福井まで1泊小旅行。バイクで、といっても私は後ろに乗っているのでバイクに乗っかっているというほうが正しい。

給油し北上。鯖街道。鯖が鯖寿司になる道のりを逆行する。福井は夫の故郷で帰るときはいつも京都駅からサンダーバードだったので、ほんとうの鯖街道の道のり、距離感を知れる旅。

走り始めは旅のはじまりで浮かれていたが、大原を抜けて山道を走っているとちょっと冷えてきた。春とはいえ朝の山道をなめていたのだ。朽木、岩のごろごろしている安曇川沿いを走っているあたりでまだまだ先は長いのに体が冷えきって限界に達しつつあった。ウールのコートの下に4枚重ね着をしていたが太刀打ちできず。ちょうど山に朝日が遮られるので気温は5度。朝のまだ体温が上がりきらないところに動かず風に晒されていると寒くて仕方がなかった。バイクを路肩に止めて降りてみると膝関節がぎちぎちする。予備に持って来ていた夫のカーキのコートをウールのコートの上からさらに重ね着してころころになり、はやく日が差してくれることと、朝食と暖をとれる喫茶店が見つかることを願って先をゆく。飲食店らしきものが視界に入るとやっているかどうか瞬時にチェックするが、準備中どころか既に廃墟のような店が多い。ようやくあったコンビニで缶コーヒ。温かい液体が食道を通って胃に溜まるのがよくわかる。

山のなか、日当りの悪いところではまだ雪がけっこう残っている。轢かれた鹿の死体に出くわした。2回。私は2回目は気づかなかった。

ようやく営業中の喫茶店を発見したのは福井県に入ってからだった。若狭、三方五湖の手前あたりのスカイブルーの屋根の喫茶店。店先の植え込みと店内の雰囲気を見る限り、マスターの奥さんはカントリー系手芸の趣味があるようだ。カウンターには常連らしいおばあさんがひとり。マスターと話しながらモーニングを食べている。それ以外に客のない店内はあまり温かくかったので、窓際にあった石油ストーブをいれてもらい、できる限りストーブに身を寄せた。

バタートースト、ジャムトースト、ハムサンド、たまごサンド、ごく普通の喫茶店メニューを見ながら、バタートーストとコーヒーのモーニングセット600円を私は紅茶にしてもらってそれぞれ頼んだ。しばらくして運ばれて来たトーストは1斤を3等分したくらいの厚切りだった。きつね色とバターのにおいはほわっとぬくい。この店のモーニングにはゆで卵とかサラダは付いていないらしかった。でもこのトーストがなんだかとてもおいしい。食パンってこんなに柔らかでおいしかったかと思った。食パンは薄切りよりある程度の厚さで食べたときにその実力を最大限に発揮するのかも知れない。いや絶対そうだ。胃が温まってストーブとの別れは名残惜しかったがまたメットをかぶりバイクに乗っかる。

その頃には少し気温も上がっていた。そこからの道のりは敦賀の海岸線で、地図で見る鍵型のギザギザ部分を走っていると教えられる。確かにカーブまたカーブ。普段見慣れない海の風景に目が冴える。晴天で沖の方は霞み海と空の間がわからなくなって、ぼーっとした青い世界に風景が飲まれていくような感じがした。原発が見えるだろうかと思っていたが、どの辺りにあったのか見つけることができなかった。敦賀の特産品は昆布らしい。甲状腺がんを引き起こす放射性ヨウ素を体内に取り込む前にヨウ素が豊富に含まれる昆布を食べると被爆を軽減できると前に何かで聞いたことがあった。今ではまるで皮肉のようだ。

海沿いをすぎると風景は主に水田の国道。ときどき巨大ホームセンター、コメリにこれ以上ないというくらい大きい文字で「パワー」と書いてあるのはなんだろうか。家電量販店、トラックの中古車専門店、野外の駐車場の受付に使うような小屋が積んで売られている。田植えが終わったところの若い稲の緑と、水が張られて鏡のように周りの風景を移し込んでいる田植え待ちの田んぼ。ここから米が育つのだと思うとなぜか元気がでる。真夏の青田が特に好きだ。

長閑で食後で気温が上がり早起きで眠くなる要素が完璧に満たされ、危ないから寝るなと言われるのに抗えない眠気で、信号で止まる度に夫に頭突きを食らわせていた。ぼーっとする間もなく運転手を努めてくれているのに申し訳ないと思い、お腹をさすっておいた。

武生、鯖江を通過してようやく福井、京都を出てから約4時間半、福井駅周辺の見覚えのある景色、昼過ぎ頃無事実家の店に到着したのであった。


2012/4/17

2012年04月18日 | Weblog

古本屋でなんとなく買った「閉ざされた庭」という小説のあとがきを読み終えてはじめて作者の萩原葉子という人が萩原朔太郎の娘であることを知る。自伝をもとにした物語で、主人公(ふたば)の父内藤洋之助は確かに詩人だった。朔太郎の詩をものすごく好きというわけでもないが、ツイッターの萩原朔太郎botのつぶやきが友人たちの言葉と共にタイムラインに流れてくるので勝手な親近感が湧いたのだった。

戦中に結婚し、戦後を生きるの人生。空襲から逃げ延びて父親の白装束の残り布で縫った花嫁衣装らしい裾もフリルもないワンピースを来てお茶だけの結婚式を挙げた。過去には秘めた堕胎手術の傷があり、それを忘れて新たな人生を歩むための結婚だったのに、夫との関係はうまくいかず、偏屈夫との貧困生活に耐え、それでもひとり子供をもうけ、その子のために耐えに耐え、その分夫への嫌悪は積もり積もって、二度の堕胎手術の末ついにもう夫の子は産みたくないと不妊手術を受ける。散々問答した末にどうにか離婚にこぎ着け、ようやく解放されるというところで続編の「輪廻の暦」に続く。

不幸な境遇と夫の卑屈な態度にため息をつかない日はないような暮らしでも、貧しいながらも子供の誕生日に赤飯を炊くための小豆をゆっくり煮る時間の幸福感を味わうこともあった。は洋裁の仕事をして生活のたすけにしていた。それもただでさえ栄養の足りない体で電気や水道のない頃の運動量の多い家事と子育ての隙にこなしている。ミシンの音をうるさいと夫は怒鳴る。戦後のもののない時代だから新品の布でドレスを縫うような仕事でなく、クズ毛糸をほどいて蒸し、古くて弱った糸を二本取りにに巻き込んで編んだレースをブラウスやスカートの縁や裾につけて外出着に更生したり、魚屋の魚臭い汚れのひどいズボンを糸ミミズのいるドブ川でよく洗い、裏返して継ぎあてたり、という仕事。でもそこで描写されている手仕事はとても美しくうつった。

 

量産型、物のあふれた時代に遭遇する美しい手仕事。高澤恵美さんという刺繍作家の横降り刺繍という技法によるコサージュ。立ち読みしていてたまたま知る。

 

  

 

絹糸の光沢と細やかな仕事で咲かせられたとても贅沢な一輪。

 

手がある。手を使うとりんごはタルトに、鶏肉はタイカレーに、チューブの色は絵に、糸は花に、猫はやわらかい。

手の使い道、無用有用、無用でもやること。


春猫 春蕎麦 春霞

2012年04月16日 | Weblog

春になるとあちことで猫をよく見かける。今日は背中に昇り龍みたいな黒い柄の入ったミケとずんぐりした茶トラを見た。ミケ猫はほとんどの場合メス。サビ柄もメス。

春恒例、母校の高校で彫刻科の首モデル。学校に着くとちょうど会議を終えたらしい学生の頃を知っている先生方とたくさん出くわす。仕事?ご苦労さんよろしくと労われると嬉しいようで気恥ずかしい。
新学期はじめての実習授業のモデル。新2年生たちの初々しい感じ、新任の先生のまだ板につかない生徒に向けた言葉を聞きながら、台の上でその場の空気を吸ったり吐いたりして座っている。

仕事帰りに自転車で通る園芸店が色の洪水で夕飯の準備までに余裕があるといつも寄り道する。

そんなことをしていた折ついに見つけてしまった。ばらをもしひと鉢置くなら何にするかとここ数年ずっと考えていた。考えていて手を出していないのはばらにはまり込むと深みにはまりそうだと思ったのと、我が家の経済状況から考えると園芸にかける費用としてはかなり贅沢な買い物になるので、植物園や他所の家のを見たり嗅いだりして満足することにしていた。

いつかのばら候補はヘリテージ、ブラザー・カドフィール、クイーン・オブ・スウェーデンなどだが、それらは一度どこかで咲いているのを見て嗅いだとこがあって惹かれたものだった。一度も見たことがなく、最も興味のあったのはディオレサンスというばらで、その苗についに出くわした。ばらの品種は数限りないので、仕入れの時点でその中から数十種に絞られているわけだし、どれに出会うかは運だと思っていた。もちろんネットで欲しい品種を手に入れることもできるけれど、ばらとの運命は出会いに任せたかった。ディオレサンスは咲いていくにつれてモーブ、緋色、オフホワイトと少しずつ色がうつろう。何色のばらと言い難い微妙な表情をしている。ベルガモット、ゼラニウム、モスをブレンドしたようなとても均整のとれた香りがする、と本で見て以来惹かれていた。

 

他にも手を出すとはまり込むとブレーキをかけていたのは器。我が家で使っている器はほとんど実家から持って来たものだ。祖父が陶芸、祖母が茶道のお稽古をしていた実家にはやきものがたくさんある。物置の箱という箱を探して選りすぐったものを我が家の器にした。それで不足なわけではないのだからこれも道楽になってしまうのだが、最近骨董市に行きたくて仕方ない。言い訳をすると、今抹茶茶碗でごはんを食べているが、それがすこし大きいのでごはん茶碗は薄い平茶碗がいいなと思い、主にそれが目当てである。年季の入った器に馴染みのあるせいか最近のなんにでも使い回せるようなシンプルな白い食器はなんとなく落ち着かず味気なく感じる。

清水焼の玉網模様を画面越しに眺めながら夜が更けていく。

 

と、なんだか呑気にあれがほしいこれがほしいと言っているようだが、春特有の焦燥感も伴った日々を過ごしている。

 


春とフライパンと包丁

2012年04月10日 | Weblog

春。 春だから、という理由で包丁とフライパンを新調することにした。

うちの包丁さしには大学の頃それぞれ一人暮らしをしていた家から持ち寄った安物が数本ささっていて、本数だけは多いがどれもあまり切れない。切れないなりにシャープナーで研ぐと若干息を吹き返すので、使えなくないために買い替え時を見いだせずにいた。

フライパンはこの家に越してきた4年前に買ったティファール。テフロンが剥がれて限界に近づいていた。昼に炒飯を作っていよいよだめなことを確認。

長く使うものだから、という意気込みであまりに良すぎるものやプロ仕様のものを求めると手に余る場合がある。使い勝手がよく手の届く値段で手入れして使いたいと思わせる、この3つの「手」の条件を満たすものが良い買い物だと思う。うまいこと言えた。特に革の靴や鞄を買うときもこの基準。

まずネットで情報収集し比較しながら散々迷ってフライパンはリバーライト社の鉄製、包丁はグローバルが良かろうという結論に至る。

特に包丁は実際の感触を確かめたかったので街に出る。満開の京都は河原町界隈も哲学の道、岡崎公園あたりも観光客で賑わっていた。桜の傍に柳の若葉。日中ウールのコートはただもう重たい。ヒートテックは完全にミスチョイスだった。三条にバイクを止めて寺町をぶらぶら歩き服屋を数件覗いてフジダイといういつものコース。今日はそのあと高島屋。

なかなか来る用のない百貨店6階。この先も縁の無さそうな家具売り場を通過しキッチン用品売り場。ガラスケースに並ぶさまざまなかたちの刃。グローバルの三徳包丁をケースから出してもらう。想像していたよりも重くないし持ち手のステンレスも滑らない。納得して三徳、ペティナイフ、シャープナーのセットを買うことに決める。

他にもまさしく刃物という顔をした高価な有次の包丁や金魚を飼えそうなひらひらした形が美しい打ち出しのうどん鍋、フィスラーのフライパンの輝き、なんだかなくても良いけどやたらと便利そうなものなど百貨店のキッチン用品売り場をたのしむ。リバーライト社のフライパンもあったので手に取ってみた。テフロンのフライパンに慣れた腕に鉄の重みはずっしり来るが、これを使えるようになりたい。28センチか30センチで迷っていた。現品は28センチのみでそれが少し小さく感じられたのでネットで30センチを買おうと決めた。二人暮らしに30センチは大きすぎるかとも思っていたが、我が家は炒飯など3人前相当を一気に作るのでおそらくこれでちょうど良い。

ついでに催し物会場でやっていた北海道展。鮭いくらかずのこたらのこいかめしたこわさラーメンロイズルタオ。

試食して美味しいけどちょっと高いなあというときの買えない申し訳なさを、美味しいですという表現を大げさにやることで許されようとした。

今まで知らなかったが、高島屋の地下にある富澤商店がすごくおもしろい。置いてある粉類、製菓材料、調味料のバリエーションの豊富さ。パンにしてみたい未知の強力粉たち。アーモンドプードルが4種類くらいあり1キロの袋で置いている。つい長居してしまう。製菓用品もあり18センチタルト型をようやく買った。パイレックスの耐熱ガラス製を持っていたが熱伝導率の高いアルミ型がほしかった。苺の季節。苺を見るとオンズの苺焼きタルトを思い出してあれが作れないかと。

三条に戻る道でBALのジュンク堂。美術書コーナーで見つけたイ・ブル展の図録。イ・ブルのアトリエに貼付けられたかたちになるように思われないドローイングの数々が立体となっていくのを、紙の上に描かれた種がアトリエの、イ・ブルの体温で温められた温室で徐々に制御不能な大きさに育ってしまうという想像をした。意図したかたちに手に負えないものが息づいるように感じられるものは不気味で見たくないようで目を凝らしてざるを得ない引力をもっている。何よりこの展覧会を実際に見れていないことは大失態だと思った。

 

春になるとなんか蕎麦が食べたくなるなと言いながら左京区の戻り、家の近所の越前蕎麦屋にはじめて入ってみた。蕎麦より福井銘菓の五月ヶ瀬煎餅を売っていることに驚く。福井に行くと自分土産に買って帰る好物がこんなに近くにあったとは。ばら売り一枚130円。でも五月ヶ瀬でなく蕎麦かりんとを買って帰る。