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流出雑記 

肖像

2008年05月31日 | Weblog
日々偶然に起こる様々なことに対処しているうちに我々は自分の流儀のようなものを身につけ、そうして偶然を起源にもちながら必然的にここにいる ような顔つきの者になっていく。
しかしその必然のような面持ちも偶発的な日々に処している姿に過ぎない。

昨夜寝る前に開いた、太田省吾さんの「プロセス」にそんなようなことが書いてあり、それについて仕事帰りの電車の中考えていた。

車内には帰宅中の40~50代サラリーマン。
そういえばこのおじさま方も偶然に産まれてどうにか生きてこういう働くお父さんの顔になったのだ。
毎日スーツに袖を通し、ラッシュアワーの電車に乗り込み会社に通う体、そういう人の顔。
そういう役割を生きている顔。

そこに偶然の最中の存在感は見えにくくなっている。
しかしそれは日常を生きる私も含めた全ての人にも言えることだ。

ポートレイトという言葉が浮かんできた。
肖像。
私たちの姿は本質的には、写真に撮られたようなはっきりとしたものではないように思える。
むしろ常にブレている、ブレそのもの、振動の合間にあるもののように感じる。
フランシス・ベーコンの肖像画を見て、そうだそうだ と頷く心地。


絶え間ない 今 への対処 そんなふうに言うと息が詰まりそうだが、それを毎日今この瞬間も皆やってのけている。

不確定、不安定な自分自身は、日常生活に於いて望まれることではない。
何処かしらの場所に属し、外枠の力によって名を名乗る輪郭をもつ。
いちいち偶然を感じたりすることのない日々を生きながら、必然らしきものになりすましてみても、やはり私たちの存在は定まらないものを背負っているのではないか。
それは可能性であり、不安でもある。

ある日の朝、洗面台でふと顔を見て、「俺はこんな顔をしていたのか」とどこかそぐわなさを感じた46歳サラリーマンAは脱サラし、蕎麦やを始めてみたり 
隣の席でイビキをかいて爆睡するおじさんはどんな夢をみてるのだろう。



この菓子!

2008年05月23日 | Weblog
この菓子!

3年くらい前にどこかのデッサン会で時休憩時間にいただいて、衝撃だった。
見た感じ「雪の宿」ですが、違う。   違う。

これ、食べた事の有る方いらっしゃるだろうか。

思い出す度にスーパーのお菓子売り場、棚の下段に並んでる地味系菓子のあたりを探していたのだが一向に見つからず、もう忘れかけていたのに…今日、夜仕事が終わってから大黒屋をうろついていてふと目に留まった売出しの菓子の中。
ついに遭遇。
しかも130円くらい。
即購入。
即食べたいのを耐えて家に急ぐ。

帰宅し、ようやく3年ぶりの再会を果たす。

封を開けると黒砂糖とバニラの混ざったなつかしい甘い匂い。
せんべいの部分は「雪の宿」のように塩辛くなく、軽い歯触りでうっすら甘い。
上に乗ってる固まったクリームの甘さが相まってちょうど良くなる。

なぜこんなに私を虜にするのかこの菓子!

せんべいとかおかきを作っている新潟の「三幸製菓」の製品。
調べてみると「雪の宿」もこの会社だった。どうりで。

もしもどこかで見かけたら一度お試し下さい。 是非。ゼヒ!





イルグルードイナイ

2008年05月19日 | Weblog
レコード屋に取り寄せてもらった「グレン・グールド/バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1955年)の再創造」

これは何かと言うと、音楽系テクノロジー企業、ゼンフ・スタジオによって開発された演奏再現プログラムで、モノラルで録音されたグールドの演奏を、音符ごとに音量、強さ、音と音のつなぎ、ペダルの動きなど演奏のすべてを解析してデータ化しピアノの自動演奏で弾かせてステレオ録音した というもの。
グールドが弾いている訳ではないのにグールドの演奏そのものと変わらないという奇妙なCDである。

このCDの存在を知った時、57年と81年録音の同曲のCDは持っていたが55年のものは無かったので早速購入し、再創造のCDが届くまでの間、寝る前や通勤チャリでずっと聞いていた。
オリジナルの方を耳に馴染ませておいて自動演奏と比較してみたかったのだ。

この再創造のCDはバイノーラル録音と言って、人間の頭部の形で両耳がマイクになっているものを自動演奏のピアノの、無人の奏者の位置に設置して録られたものらしい。
つまりグールドが実際に聞いていた音に近く、ヘッドホンで聴いた時に最も臨場感を発揮する。

この装置の開発者はそれを 聴き手が「グールドの頭の中に入り込む」ことができると考えた   そうだ。

そんな訳で、聴いてみた。

耳に自信はないが、録音の質の違いで1955年のざらつきと、2007年の耳の近くで音のする印象はかなり違う。

そしてどうしてもひとりでに鍵盤が跳ねる映像が浮かんでしまい、それに伴い強弱、テンポは寸分違わないとしても、指がその鍵盤を押したときのこと、瞬間に選ばれた音と選んでいない音のどうやっても埋まらない溝を、聴き手の私が掘っていた。

オリジナルを聴くときは、26年前に失われたグールドの筋肉組織および神経、細胞、感覚、思考の動き、鍵盤に触れる指のイメージを伴う。
それが強いのは演奏するグールドを映像で見てその姿に魅せられたこと、録音に本人の声が混ざっている事も影響していると思われる。

しかしこの自動演奏の好奇心を誘う不気味さは何か。

どこかしら幽霊のようなものの出現を感じてしまう。
姿はない でも本当にそこに いる ようなことが起こっている。 

奏者はいない けれどこれは寸分違わず1955年のグールドの演奏です ということが
いる いない の狭間の奇妙な位置にあるためか。

演奏の精度が上がるほどに、疑う余地が無くなるほどに「同じ」ということが不在であるということをより際立たせ、ひとりでに跳ねるピアノのの鍵盤ばかりが想像される。

いる ということへ近づくことでむしろ透明度を増していく。
でも泣きそうになるようなその冷徹な引力にどこか惹かれてしまう。

将来的には、説得力のある「グールド的」な演奏を作る事のできるような「スタイルのテンプレート」を作るアプリケーションも考えられる   そうで、生前グールドが一度も弾いた事のなかった曲を聴く事も出来るようになるらしい。

そうなると全部想像の域なので、ちょっとおもしろそうだ。 

ベートーヴェンの「クロイツェル」をグールド(風)のピアノで聴いてみたい。

不思議な世界

2008年05月18日 | Weblog
立ちポーズ20分×8回  体重を掛けていた右側の腰にどっしりとした疲労感を携えて帰路に着く。

大体の仕事は4ポーズから6ポーズ。8ポーズは長い。
長時間同じ姿勢を維持するというそもそも不自然な体の使い方をする為、8だと結構辛いので途中で疲労を訴えるモデルが多いらしく、最後まで耐えた事を褒められる。
私には今の所この仕事が食べる術なので、しんどがってる場合ではないし、他のモデルよりまた頼みたいと言われる仕事をしない訳にはいかない。
とは言え、口にしないだけで終わりに近づく頃にはどうにも足腰に来るので泳ぐアヒルの足の心地で立っているのだが。

事務所は一応所属モデルに均等に仕事を振っているらしいが、人気稼業的な部分があるのでクライアントから指名されれば当然仕事は増える。
毎月安定した収入が保証されないのでモデルの仕事は副収入としてやっている人が多いようだ。


天満橋から出町柳へ帰りの京阪電車。
隣に座った女性の香水が強すぎる。
ナルシス・ロドリゲスというちょっと変わった香水があるのだがその匂いがする。
30代半ば、長い黒髪で派手ではないが見た感じ普通のOLじゃなさそう。何か小説を読んでいる。
英語が堪能そうな雰囲気。

電車が木津川と淀川を渡る。
立体の道路の上をトラックが走る。
どうやってあんな高いところに道を作ったのかと不思議になる。
窓から景色を見ていると目に写るものすべてがそういう不思議となって傾れ込んでくることがある。

家がちゃんと建っていることがすごい。

普段気に留めないガードレール、アスファルト、フェンス

世の中がもし全員私(の脳)だったら未だに縦穴式住居で木の実を食べて暮らしていると思う。

煮炊きと家庭菜園規模の農耕は思い付くかも知れない。

電線、水道、自動車、信号、なんて思い付かない。携帯も。
ものすごいなあと思いつつ揺られる電車の速度も次の停車駅に1分と遅れず到着することも普通やら準急やらぶつかったりせずうまいこといっていることも驚異的に思える帰り道だった。

植物欲

2008年05月17日 | Weblog
今日はまた気乗りしないフラメンコ衣装の仕事。
会場まで運ぶのも重い。

昼前に出ればよいので朝はわりとゆっくり。
洗濯し、昨日買った「究極のぶどうパン」をトーストしてかじる。好きな人には喜ばしいレーズンの量。

時計代わりに付けたテレビで、サザンオールスターズが解散するかも知れないと言っていた。
私はチャコの海岸物語とか古い曲の方が好みで、それよりさらに佳祐さんのソロがいい。「鏡」という曲がとても素敵。

電車の時間に合わせて家を出る。
玄関の植物は暖かくなって日に日に変化が目に見える。
タイムが白い小さい花を咲かせ、ミニバラのつぼみは来週あたり開花予定。
香りのあるゼラニウムはいつの間にか立派な枝をはりピンク色の花、その横に似た色のストック、魚柳梅、どちらかというと食用目的のナスタチウム、フェンネン、バジル、クレソン。

いつも自転車で出町柳まで走るコースに3件ほど丹精込めてバラを育てている家がある。
大輪の赤や黄色、ピンクが目に飛び込んでくる。鮮やかすぎるほど鮮やか。
私はベージュや茶色、ピンクの褪せたような色のバラが好きだ。

駅のホームでひらかたパークのローズガーデンのチラシを見付ける。
去年の春、平日の昼間に行ったのだがジェットコースター事故の影響もあったのだろうか、閑散としておりローズガーデンにちらほら年配の方がいるくらい。

明らかに暇を持て余しているマスコットキャラクターがバラを嗅いではノートをとる私に近づいてきた。

「何してんの?」

というジェスチャーで話し掛けてくる。

「バラの匂いや色の勉強をしてます。」と答えると、深く頷き、ガッツポーズをした。
「なるほど、がんばれ!!」の意
そして次のターゲットを探しに行った。

バラ園は期待以上の規模で、植物園よりも品種が多く、遊園地では一切遊ばなかったが1300円の入園料は惜しくなかった。

同じく去年、奈良に仕事に行った時、民家に咲いていたが名前がわからず、図鑑で探して判明した、オーニソガラム・アラビカムという球根植物を出町柳の駅近くでも見つけた。
花弁は6枚、白で5センチくらい。特徴はおしべが濡れたような黒に近い青緑で不思議な香りがあること。

これから夏にかけて時計草を植えようと思う。
名前のとおり時計仕掛けのような花の姿に幼稚園の頃から心惹かれ、覚えやすいこともありずっと忘れられずにいた。
去年も玄関先につるを這わせたが、今年もまた育てようと思う。

あとナウシカが地下の秘密の部屋で育てていた腐海の植物たちみたいなセダムを収集したい。

サー

2008年05月17日 | Weblog
4月から始まった彫刻のポーズも約半分終わり、頭部以外はそれぞれ形が見え始めているようだ。

ここ数日下腹部が張った感じがあるので頑張って引っ込めていたのだが、腹筋に力を入れ直した瞬間、足に液体がつたった感じがした。

この感じは、もしや血では…と思ったのだが上を向いているポーズなので確認できず、とりあえず休憩にはいるまでそのままでいることにした。

3分くらい前に場が一瞬「あっ」ていう雰囲気になったよな とか、皆何も言わず作ってるなあと感心しながらその間にも何度かつーっと流れた感じがあって、失態だと思いつつもうどうしようもないので、こういうことで学生さん達が人間の生身を見るはめになるのは経験上悪い事ではないと頭の中で開き直り納得する方向へ向かっていた。

タイマーが鳴る。 

足下を確認した。

あれ

イメージしていた鮮血の跡は無く、何もなかった。
つまり全部思い込みだったのだ。
狐につままれた というか、かなりリアルな体感があったので奇妙な感じだった。
なんだったんだろう。

特に結局何ごとも無いまま仕事終え、近所のパン屋で「究極のぶどうパン」を買って帰る。
カナートに寄道し、九州、沖縄物産展が出ていたので黒砂糖や沢庵を試食しぶらぶらしてHMVで10枚組で1980円のシャンソンのCDを買う。
晩ご飯はまぐろアボカド丼。うちでよくでるメニューのひとつ。

食後、賞味期限が近いので半額だったカマンベールと、頂き物のワインを開けてみた。
そのワインはおいしいらしいのだが、アルコールと相性の良くない私には比較ができず悔しい。
シャンソンも流れているのにあー悔しい。

明日は午後から大阪で仕事があり帰りが夕方になるので明日の晩ご飯のカレーを今晩作っておくことにした。
ルーを使わない私の「ミカレー」ではなく「こくまろ」で。
ダーリンの希望によりノーマルにじゃがいも、にんじん。青味がないのでピーマンを推薦したが却下。
肉は牛でなく鶏ですが、そのかわりたくさん。

玉ねぎはどうしても飴色にしないと気が済まない。
煮込んで完成し火を止めて時計を見ると12時過ぎだった。

カレーの部屋で寝ます。

おいこら

2008年05月12日 | Weblog
今日は午後からとある絵画の会で仕事だった。
先週から2回続きの仕事で、公民館のクロッキー会によく描きに来ている女性(大金持ちの未亡人らしい)が世話役をしている会のモデルを頼まれて引き受けたのだが、先週一度行ったときにその会の落ち着きのなさとマナーの悪さには既にげんなりしていた。
60代くらいの男女20人前後。絵画歴が短くモデルを描くことに不慣れな方が多いようだった。

今日は行くなり世話役の女性に「あなたが結婚してるって話したら皆がっかりしちゃったわよ~」と言われる。
おそらく、別のクロッキー会の花見のときに私が、一緒に暮らしている人がいると言ったのを勘違いされたのだろう。
ともすれば十代にも見える私におばさま方は「いや~、こんな若いお嫁ちゃん!」と、訂正するのも申し訳ないほどの盛り上がりをみせ、もう若干の面倒くささもあり、「はぁ、ねぇ。」とぼやけた相槌をうってここはひとつ既婚者という事にしておいた。

普段着の固定ポーズだった。
固定ポーズの時はポーズが決まると足の位置をマークする。シーツでも敷いてない限りそれは赤テープなどでするが、その会では遠慮なく公共施設のカーペットの床に直接木炭で書き込まれた。

着衣の時はモデルが了承すればポーズの記録として写真を撮ってもよいことになっている。単発の仕事のときは短時間で描ききれないだろうと思うので私は、構いませんと言う。
ところが世話役の女性は、「お写真良いそうですからどんどん撮ってあげてください。」 というような言い方をするので、休憩中もシャッター音がする。
俯いてストレッチをしたりしていたが耐えかねて休憩中は着替える衝立ての後ろに引きこもった。

彼女は人柄はよいのだがデリカシーに欠け、どこか抜けている。
それでも面倒見と気前の良さであちこちに知人友人は多いようだ。
しかしメンバーの中には彼女の采配に不満を持っている人もいて、休憩時間の雑談の中に隅の方で陰口を言うおばさんがいたりする。そのおばさんは表面的には気配りの出来る人をやっていたが、意地の悪い人特有の嫌味さが最初に顔を見た時から漂っており、苦手なタイプだと思っていた。
その他、ポーズ中に携帯を鳴らし、鳴らしてしまったのはしょうがないにしても退室せずにその場で電話に出るおっさんなど、とにかく絵を描く場として落ち着きが無く、ポーズしている方も嫌なので終始早く過ぎろと時計に呪いをかけていた。
極めつけにはあれだけ写真を撮っておいて最後のポーズの途中にもう「今日はもうええわ~」とかいいながら片付け始める。
ねばれよ。

もちろん最初から最後まで熱心に描いてる方もあったが。

ギャラはきちんといただき、きちんとご挨拶し早々に立ち去った。

好きなグールドのモーツアルト ピアノソナタ第8番を周りの音が消えるくらいで聞きながらチャリで走る。
苛立がざーざー流されて行くような高速テンポが気持ちいい。

今日はダーリンが晩ご飯を作ってくれると言う。
家の近所のスーパーで落ち合うと主婦に紛れて買い物かごをさげた青年が手をふった。
かごには山芋が一本入っていた。

残された器たち

2008年05月08日 | Weblog
5年前に亡くなった祖母の命日が近いので実家の仏壇を掃除しに行った。
現在その家には父がひとりで住んでおり、母と妹は別の所で暮らしている。

私の家まで母が車で迎えに来て、柏餅をお土産にくれた。
白味噌餡。
白味噌餡は京都以外では一般的でないようで先日大阪で食べたくなって探したが見つからず未練だった。
早速ひとついただいて車で実家へ向かう。

父の勤務表には休とあったが、いつものようにゴルフで不在。

庭に出てみる。
朽ちた垣根、渇水した池。
池と言っても錦鯉が悠々と泳ぐような広い池ではない。この家を建てた時、雨が降ると庭のその辺りに水がたまるので、曾祖父が掘って池にしたと聞いている。

現在ただ一匹の住人の亀が生きているかどうか心配になる。
亀は妹が高校生の時、今から5、6年前に学校からビーカーに入れて持って帰ってきた。
小学生じゃあるまいしと思ったが、飼ってみると手のひらサイズの亀はかなかな可愛く、妹は、かめも と名付けた。
最初のうちはプラスチックの水槽にいたが、だんだん手狭になりある日脱走し、いつの間にか池で金魚と一緒に泳ぐようになった。

好きだったせいか池の金魚や鯉の夢を時々みる。

池に水を入れてやるとかめもはどこからかのそっと現れた。
何を食べているのか丸々しており、ビーカーに納まっていたのが嘘のようだ。

手入れされなくなった庭は荒れているが、椿・紫陽花・小手毬・都忘れ・シラン・ツツジは今年も花を咲かせているし、タツナミソウ・ツワブキ・とくさも昔と変わらず生えている。
祖母は家で茶道と華道を教えていて、庭の草花を床の間に生けた。

薄い青色のオダマキを植えたいと思った。

つくばいの中におぞましい数のボウフラがわいていた。つくばいの水をボウフラごと柄杓で掬って庭に撒く。もしも全部蚊になっていたらと想像すると気が狂いそうな量だった。

その間母は部屋をざっと片付け仏壇掃除をほぼ終えていた。

実家の3階は折畳み階段の屋根裏物置になっていて、そこには祖父の作った茶碗と祖母の茶道具が眠っている。
器もたくさんあって、私の家の食器類はほとんど実家から選んで持ってきた。
そのため我が家にはふたり暮らしなのに茶碗や大鉢がいくつもある。

かなり久々に開けられたであろう埃の甘っぽいにおいの物置には、祖父の作の他に桐の箱に入った茶碗が積まれており、開けてみると金箔のあしらわれた繊細な絵付けの特別な時に使うような抹茶茶碗が出てくる。
宝探しのようだ。
しかしどうにも普段使いには不向きなので箱に戻す。
いつかそういうものも生かして使えるようになるだろうか。
まだ中を見た事の無い箱の方が多い。

学生の頃のアパートには食器棚も無かったので、いいなと思った器も持って帰れず大半諦めていた。
それに人を招く機会も料理のレパートリーも少なかった。
だから器を使える自信がついたということはちょっとした進歩である。

選んだものを新聞で包み車で家まで運んでもらう。

父には柏餅と4日前から煮込んだとろとろ牛すじこんにゃくを置いていった。

持ち帰った器を食器棚に並べて眺める。
祖父や祖母が残していったもの。
そういうものには無印の白い皿にはない重たさがある。
使いやすい訳ではない。
毎日それにご飯をよそう度に生活の中にある重石を少しずつ引き受けているように感じる。

 

星と月は

2008年05月04日 | Weblog
このところ彫刻モデルの仕事で通っている私の母校でもある美術高校の図書館前に、書庫整理で不要になった古い文庫本が段ボールに入れられ「ご自由にお持ちください」となっているのを見付けた。

「星と月は天の穴」という蓬の新芽のような色の装丁の本に目がとまり手にとってみる。

吉行淳之介。
私は読んだことはなかったが高校の頃仲の良かった面食いの友人が吉行淳之介のプロフィール写真を見てから愛読者になったのを思い出す。

何かの縁かと「星と月は天の穴」を持ち帰った。
連休に入り、和歌山に近い大阪の妹の下宿先に向かう電車の中で読んだ。

主人公の四十の男と二十の娘の情愛がモチーフとなっており、その男は独身の小説家で、小説を書いているのだが、小説の中で書かれる小説のタイトルも「星と月は天の穴」という。
小説の中の小説に描かれるのは主人公の情愛に重なるような歳の離れた男女の物語である。

主人公に小説を書かせるというやり方で、作家はのめり込まずひとつフィクションの中に身代わりをおいてそれを書くという仕組みの上で男女関係を理科の授業でやったような花の解剖のように、花弁、がく、おしべ、めしべと解体しながら観察するような視線で描かれ、小説全体の雰囲気はじっとりしたものを扱っていながらドライで硬質で読みやすい。


妹の下宿に着く。
部屋を掃除するとコロコロテープをいくらかけても人工芝の屑が付いてくる。干してある洗濯物にも絡まりついている。サッカー部の宿命らしい。
妹は昼間試合で夜に帰ってきて次の朝にまた練習にいくので晩ご飯と寝るまでの時間くらいしか一緒にいられない。
母も来ていて、晩ご飯の豚の梅しそ巻き揚げ、筍ごはん、筑前煮を三人で食べる。
「帰ってきてごはん出来てるって幸せや~」といいながらがつがつ食べて、デザートに抹茶アイスに牛乳を少しずつ入れて混ぜ、シャーベット状にして食べる妹流にならってやってみた。いける。

妹はいちにち炎天下にいるせいで熱が体にこもってなかなか寝つけない。
窓をあけて冷えピタを貼ったり脇の下を冷やしたりしてようやく眠った。

母も妹も眠った後私は「星と月は天の穴」の続きを読んだ。
眠る家族の傍でちょっとふさわしくない気もしたが、どうしても読みたくて読んでしまった。

T氏のこと

2008年05月01日 | Weblog
最近朝起きたら新聞が届いている。
一週間無料お試しの京都新聞。
新聞は好きだが、新聞代を出す心持ちに余裕がないので取っていない。
だから月に2度くらい入る無料のリビング新聞を楽しみにしていた。
でもこの一週間、新聞とそれより分厚いチラシの束をチェックしながら「ミロ」を飲むのがいい時間だったので明日から新聞こないと思うと寂しい。

最近パンを焼くおもしろさを知った。
2度の発酵に時間がかかるのが今まで気の進まない理由だったが、発酵の為の40分や30分、イースト菌たちがいい働きをしているとおもえばこちらも掃除洗濯なんかをいい感じでやってしまえるものだ。

捏ねるのも膨らむのも非常にたのしい。捏ね→1次発酵→形成→2次発酵→焼きでちょうどお昼の時間になる。
今はまだ基本の丸い食事パンしか作ってないが、ぶどうパンとかクルミ、あんぱん、かぼちゃ 。。


今日は午後から個人口でもう2年ほど通っているT氏のところで仕事。

T氏は67歳未婚で独居で体に障害がある。本人いわく難産で半身不随になったそうだ。

時々言葉が口の中に引っかかったようになったり、描く線は短く薄く揺れている。
足を連れて歩く といった印象の、足の裏の外側に力をかける独特の歩き行をする。

週に一度ヘルパーが来る以外はどうにかしてひとりで暮らしているようで、バスにのって公民館のクロッキー会にも頻繁に訪れる。2年前、よく描きに来ているT氏とは顔見知りだった。ある日帰り際に、個人でモデルお願いできますかと言われ、それから仕事に行くようになった。

私の家から自転車で15分ほど。
親兄弟が居なくなった広い一軒家。
一階だけで台所を別にして4部屋ある。

家の中には紙類が散乱している。絵を描く為の画用紙、新聞、写真、チラシ、雑誌の類。
T氏はいわゆる画家ではないが何十年も裸婦を描き続けている。
油絵などの作品はなく、常に画用紙に鉛筆で描き、色を付ける事もほとんどない。前に色鉛筆を使ったところを一度だけ見た。
私より前にもモデルを家に呼んで描いていたらしく昔のモデルの浴衣姿の写真などがあちこちに飾られている。

穏やかな人柄で、時々みかんやバナナ、プッチンプリン、桜餅などを休憩中に出してくれたりする。

月の初めの1日のこと事を「おついたち」と言う。 

若い頃は図書館で働き本の研究をしていたそうだが、現在床に落ちている本は、裸婦のポーズの本、大河ドラマのガイド、杉本彩の小説、キネマ美女図鑑 など。
新聞やチラシに載ってる女の子で気に入ったのがあると切り抜く癖があるようで、古いポーズの本の間に一体昭和何年のものだろうと思う切り抜きが挟まっていたりする。
 
おそらく家族が使っていたであろう長方形の卓袱台が今はモデル台になっている。
ポーズ中、天井の木目をぼーっと見ながら、いくつもある洋服箪笥の中には誰の衣類が入っているのか、二階はどうなっているのか、この人今日何食べるんやろう と考える。

台所の床には炊飯器がおいてあるのでお米は炊くようだ。

冬に食べ物のことを話した時に、

「冬場は毎日水炊きやなあ」 

ポン酢ですか 

「あじポンやなあ」

ゴマだれもいいですよ    

夕方になると隣から小学校低学年くらいのピアノの練習が聞こえてくる。

毎回そんなにたくさんのことをしゃべる訳ではなく、気候や次の予定のことの他は大してしゃべらず休憩中、私はずっと毎日新聞を読んでいる日もある。

なぜ女性を描き続けるのか、どんな恋愛をしたのか、決して裕福そうな暮らしぶりではないがモデル代はどこから捻出されているのか、聞いてみたい事もあるが。

最近知ったことだが、T氏は日記を付けている。

それも欠かす事無くおよそ半世紀分。 

すべて二階の部屋にあるらしい。
日記の他にも撮った写真や描いた絵もそこにあるという。

見てみたいと思った。
日記の内容ではなく半世紀分の日記の摘んである様子。

「俺が死んだら全部灰になるだけやけどなあ」
とT氏はいう。

彼の死後、親戚は日記と大量の女の裸の絵に出くわすだろう。
発見されるそれらはなんだかT氏の一世一代の仕掛けのようだ。 

頼めば上げてくれそうだったが今日はいわないでおいた。