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流出雑記 

2010/10/31『HIROSHIMA-HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会』

2010年10月31日 | Weblog
朝から空が重たいのはわかっていたが、今日洗濯しておかないと洗濯物のサイクルがうまくいかない。カゴいっぱいの洗濯物を提げて物干にでたときにはもう降り始めていた。物干にはトタン屋根がついているので濡れない範囲になんとか全部干した。

夕方、本降りの雨のなか京都芸術センターへマレビトの会、『HIROSHIMA-HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会』観劇。
タイトルに展覧会とあるとおり、舞台上に役者がいて進行する劇を観客席に座って観るのでなく、ひとつの空間に役者が点在していて、観客はそのなかを歩きながら自由に見る形式で上演される。
ハプチョンという韓国の都市と広島をつなぐキーワードは被爆者。
当時ハプチョンから広島に移り住んでいた人が大勢いたそうで、その人たちは広島で被爆した。戦後故郷に戻った被爆者が多く住んでいることからハプチョンは「もうひとつのヒロシマ」と呼ばれ、市内には高齢になった被爆者が過ごす施設もあるらしい。

この作品では出演者が実際に広島やハプチョンに行って自ら見聞きしたものを「報告する」というかたちのパフォーマンスが行われる。
内容それ自体が個々の出演者の体験から立ち上がったものであるということ。
空間に点在する13人はそれぞれ番号のふられた立ち位置に展示されており、頭上にはそこを照らす明かりと小さなモニターがある。モニターには訪れた場所の風景やインタビュー映像、出演者自身の名前などが映し出されている。音声は消されていて映像はその下に立つ体を説明する一種のキャプションのように機能している。
日によって3時間から5時間上演されていて、観客はその間出入り自由。一定の台詞や動作がループされているときと、出演者が立ち位置を動いて、別の出演者と何かのシーンを時々始めたりもする。
順路はないので観客は空間を好きに歩き回り、同じ人をずっと見ている人もあれば隅に座って全体を眺めている人もあった。

席に座って芝居の時間を眺めるのではなく、観客自身が設えられた空間に訪れたその時間、体の動きを伴った能動的意思をもって演劇を見る。
歩き回るにせよ茫洋と眺めるにせよ観客それぞれが固有の観劇時間を過ごすことになる。
観劇において一定時間の着席を要求しない選択は、そのぶん観客の知覚の幅を広くとり、それぞれの立つ場所、選ぶ順路、観劇時間の違いによって体験は人により異なり、その場に足を運んだ者の固有の体験としての濃度は高まる。

展示されている出演者は、それぞれに赴いて体験した記憶から言葉や動きを抽出し、内容は具体的であったり、体験のなかで強く残ったものが抽象化されていたり方法は各々違っている。
あちこちで同時多発的にそれが行われているので、観客は何かを見ている時には何かを見逃している。見る傍らに、常に見逃しているという意識が挟まっていた。あとで見逃したものも見ればいいのだが、例えループしていたとしてもさっきのものはやはり見逃している。人によるだろうが私はそのことにうっすら急き立てられ、ならば全体を見てみようと見渡せる位置に立ってみたり出演者に近づいたりしながら、常に何かを見逃しているということにかえって見るということを思った。
さらに見ながら見られる者にもなりうる。客電のおちた客席に座っているときにはない意識の立った状態でいる。そのため私は観客であるが「観客の役」と感じられるところもある。この場に訪れた人物であるということを縁取られるような気分がある。
出演者と観客は同じ床の上にいるが、その間には見えない領域がうまれていた。出演者は観客の目の前にさらされていて、触れようと思えば簡単に触れられるところにいるが、なんとなく出演者を照らしている明かりの中に入らない程度の距離を保って見る。中には出演者にものすごく近寄ったり触れたりする人もあっただろうが、おそらく大多数の観客は暗黙のうちに設定された観客の見る距離に自然に立つもので、自分も含めそうだった。見る者の足場というものがあると。

ドキュメントされた内容を引き入れたフィクショナルな空間のしつらえによって、どのような体感が観客である私自身にあぶり出されるのかを待っていた。
これは広島やハプチョンでの「報告」であり、実際そこにいる出演者はそれぞれの都市の市民でも被爆者でもない。当事者ではない者の体が「報告」という方法で映し出せるものはなんだろうか。
それはおそらく距離のようなものではないかと思う。今ここにあるものとは隔たったところにあるものの存在にピントがあってしまうような、俳優の体を通じて距離を含めた存在の「在る」ことを知らしめられるような。
私に残った体感は焦点が合わずそういう予感をはらんだものだった。
焦点の合う体感をあぶり出すための仕掛け、導線のようなものが必要なのだろうか。それともこの焦点の合わなさがリアルであるのか。
実感を伴った距離の地図のような痕跡、それによって思考が動く道筋が体に残ることを望んでしまった。これはあくまで私の欲求なのだが、観劇後そういう欲求をもったことはあまりない。そのようにありたいと。それもこういった観劇の形式によって導き出された能動性なのだろうか。



久々にみた夢

2010年10月30日 | Weblog
みた夢の話しを人に伝えるのは難しい。

先日みた夢。

四畳半程の正方形、厚さ約5ミリの板に乗って飛んでいる。雲より上を飛んでいて、頭上は透けるような晴天。板の上には灰色や黒の墓石のように磨かれた石がたくさん積まれている。ひとつの大きさは大体箱馬くらい。(舞台関係者でない方ごめんなさい。でも他に適切な大きさのものが思い当たりませんでした。)
石には何か文字が彫ってあったが、それは墓石ではないらしかった。それが板の上に積まれ3段くらいに敷き詰められていて、私はその上に乗っている。私の他には顔の思い出せない男性と女性いずれも30代くらい、それと、ともさかりえの4人だった。
なんの目的でどこに向かっているのかはよくわからなかった。
男性は新興宗教の教祖らしかったが私は信者ではなかった。
ただ、積まれている石を落とさないように気をつけなければいけなかった。地上には町があり、万が一石を落とせば当たった人は何の前触れも罪もなく悲惨な死に方をすることになる。

上空は風が強いのと、磨かれた石同士が滑るので落ちそうになるのを防ぎながら飛んでいたのだが、私は迂闊にも石を落としてしまった。
両手でなんとか持ち上げられる重量の石がものすごい速度で落下する。下に吸い込まれるようにゴッと一瞬音を立てて雲の中に消えた。それで慌てたとき、さらにもうひとつ落としてしまった。
男性から取り返しのつかないことをした、この始末をどうつけるつもりかと罵声を浴びせられ、私も本当にやってはいけないことをやってしまったと錯乱寸前だった。空がやたら青い。

覚えているのはそこまで。
怖いというか不穏な夢だった。

出て来たモチーフについていくつか説明できるものがある。
石はその数日前の稽古で箱馬やパイプ椅子、けっこう重いものを運んだ体感が残っているものだと思う。
ともさかりえが出て来たのは、夫と演出助手のTくんと一緒にすき家に行ったとき、ふたりの肩越しに見えるすき家のポスターのともさかりえが視界に入るので、昔ドラマでよくこの顔を見たけどなんだったかな思ったりしていたからだろう。
石を落としてなんの前触れもなく人が死ぬとうのは、解体現場の壁の倒壊で女子高生が下敷きになった事件のニュースが尾を引いているのではないかと思う。

比較的最近の記憶と思われるものは拾えるが、あとはいつのどういう層の記憶が混ざっているのかわからない。


今日は起きると昼だった。
昨日半額で買った生クリームで作ったかぼちゃプリンが冷蔵庫で待っている。
残り半分のクリームでかぼちゃスープを作る。電子レンジで柔らかくした玉ねぎと茹でたかぼちゃをミキサーにかけて鍋に移し温めクリームを加える。
かぼちゃの甘みを損なわないように塩加減には注意を払う。いつもは牛乳で作るがクリームだとまったりして贅沢なスープになる。
夫はかぼちゃに然程興味がない。
トーストにベーコンと卵をのせてマヨネーズをかけたのを2枚食べたあと、飲み忘れていたスープを最後につーっと飲んだ。


2010/10/29

2010年10月29日 | Weblog
布団から出るのがちょっと名残惜しいくらい朝の部屋が冷えるようになってきた。
枕元に小豆、足元に小梅。寒くなると猫が布団に集まってくるのでうれしい。

これから寒くなるのを悟ったのか小梅は食欲が増し、冬毛に衣替えをする準備をしているようだ。小豆はいっとき驚くほどよく食べたが最近は少し落ち着いた。

ぶどうパンにバターをたっぷりめに塗って食べる。夫はさらにたっぷり塗ってそれを2枚。
10時過ぎバイクで一緒に家を出る。
10時15分松ヶ崎駅で演出助手のT君と落ち合い伊丹に向かう。ドラマソロジーの稽古。
四条で降りて阪急に乗り換える。
地下鉄の改札を出たところに今月出来たドーナツ屋はオープン初日長蛇の列だった。まるでドーナツというものが初めて日本に入ってきたような賑わいで、列を整理するガードマンまで立っている。10月に入ってから週3回伊丹通いでいつもそこを通るので、そのたび様子を伺っている。列の長さは徐々に短くなり、日によれば15分くらい待てば買えそうなときもある。3人ともならんでまで買う意欲がないので、稽古期間中にならばなくても買える日がくれば一度食べてみようと言いながら通り過ぎる。
烏丸から十三、そこから三ノ宮方面行きに乗り換え塚口で伊丹線に乗り換え、乗り換えが多い道のりも体に馴染んでしまった。

12時前に伊丹に着く。稽古は1時からで、それまでに昼食をとる。
私は先に稽古場に行き体つくりの時間にあてる。この頃はっきりと体の未開箇所に気付き、開拓作業にいそしんでいる。これまで無頓着でいた部位がそのまま体になっていることの悔しさと気付いたときから変わっていくよろこびが同居している。体は急には変わらないが、その部位の稼働域を広げればもっといろんな質感を表せるはず。

稽古場に出演者が集まってくる。
本番まで稽古はあと10回程。細部を確認しつつ通しをして粗を削り必要なものを加えていく。

帰りの電車で読んでいた幸田文の『台所のおと』、幾つかの短篇がはいっている。どの話しをとっても、ものへの触れかたが繊細でいつくしみがあり、その感覚を紡ぐ文章の美しさに身を沈めてしまいたくなる。
自分のたてるもの音やものへの触れかたをじっくり観察したくなった。
台所のおとという話しでは、料理人だった病床の夫が妻の台所のおとを聞いて、妻の心境を手に取るように読み取ってしまう。
確かに苛立っているときの台所ではボウルやおたまを取り落としてケーンという自分でも嫌になる音を立てていたりする。

夜、京都に戻って最近一乗寺にできたうどん屋に行ってみた。
夫、牛しぐれ煮うどん、ごはん、私、牛スジうどん。
牛スジが好きだ。スジやスネなどの時間をかけて煮込むとおいしい牛肉の部位がどうやら好みらしい。今後好きな食べ物を聞かれたらかぼちゃとスジですと言おう。
オープンサービス中で、ご自由にと箸立ての横に生卵がいくつか器に入って置かれていた。うどんにひとつ割って入れる。夫はおかわり自由のごはん二膳目を卵掛けごはんしにて食べた。

帰りに寄ったスーパーで半額になっているコーヒー用の生クリームを見つけ、これは私にかぼちゃプリンとかぼちゃスープを作るがよいとの思し召しとみて、それとかぼちゃを買って帰った。

踊りに

2010年10月27日 | Weblog
踊りに行く。
クラシックやジャズのミュージシャンとダンサーが集まってのインプロセッション。
今日はピアノ、フルート、ドラム、ボイス2人、ダンサー4人の計9人。
1ラウンド目は音楽家とダンサーそれぞれ順番を決めて1対1で数分セッション。

即興なので事前に打ち合わせはしないし、誰がペアなのかも順番がまわってきてお互いが出るまでわからない。私はボイスの女の子とペアだった。
彼女がマイクスタンドの前に立った。床より数10センチあがったステージの上にはグランドピアノ、ドラムセット、マイクスタンド2本、フェイクのクワズイモなどがあり、ダンサーはステージ前のスペースで踊る。
面識はなくても一言話せばわかるやわらかい人柄の彼女の真横にまず立ちたくなりそこから始めることにした。楽器を演奏している場合よりも声を出す人がいる方が体がもうひとつあるという感覚がやはり強い。僅かに触れている肩のところを擦って動きだす。
そこからマイクのコードを伝って動きをつないでいったが、ステージから踊るスペースに降りると最初に維持していた関係性が途切れて別ものになってしまった。かなり相手の出方を見計らってしまった。彼女も押しの強いタイプではなかったので控えめな探り合いをしているような感じになってしまった。もう少し落ち着いて最初に触れたもののフォルムを反芻するなどして自主的に展開の軸を立たせれば良かったかも知れないとあとから思った。

2ラウンド目は全員参加、出入り自由のセッションとなる。そうすると音にせよ動きにせよ要素が増えるので1対1のときよりも知覚は拡散し、キャッチできるものが多く、同時に出しやすくもなるので面白みは増す。
そこにいる人や音楽の流れと自分の位置を確かめる。同調する、断ち切る、異物化してみる、邪魔してみる、しつこく同じ状態を維持してみる。
何をするにしてもその空間に対する責任をもってアクションしなければならない。
即興のおもしろさは一定の時間を全員で構成していくところにある。そこにはそのとき生まれるテンポがあり、数々のシーンがある。ただその場限りのことを楽しんでいるのでなく、時間の構成に関わり、流れをつくる創造性を持ってひとつひとつの関わりを渡ること。これはとてもいい修行だ。
今日参加した集まりは神戸の六甲だったのだが、京都でもこういう場をもちたいと思った。
あと一度即興の場でドローイングをしてみたい。そういえばやったことがない。


夜、帰宅し買っておいたカゴメのトマトすき焼きの素を鍋にあけて野菜や肉を入れて煮る。味をみたら何を間違ったのかと思うくらい甘かった。書いてあるとおりに水を入れたのにちょっとおかしいくらい甘いのだ。
仕方ないので半分くらいスープを捨てて水で薄めて甘みを抑えるために酸味のあるものや塩を足したりしてなんとか食べられる加減になった。
それにしても何かの間違いじゃないかと思うこの甘さは一般的に受け入れられているのか。気になって、カゴメ トマトすき焼き 甘すぎる と検索してみたら、同意見は多数あった。





観戦

2010年10月26日 | Weblog
末の妹のサッカーの試合があると母から聞く。もう四回生なので、残りの試合数が限られてきているし、2年前に見に行ったときはベンチから出て来ないまま試合が終わってしまったので引退してしまう前に芝の上にいる姿を見てみたかった。

試合当日の朝、快晴。
夫と一緒に朝から家を出る。バイクで宇治に向かう途中朝マック。
宇治の実家で母と真ん中の妹とその彼氏に合流し、車に全員乗り込んで大阪、泉佐野方面へ。
試合は夕方からだったが、会場は妹が通う大学のグラウンドで、近くにはりんくうアウトレットがある。そこに寄りたいがために早めに出発。
母は保冷バックにカップのカフェオレやジュース、手提げにはおやつ、それに選手たちへの差し入れにどら焼きをどっさり持ってやたらと大荷物。
運転は妹の彼氏に任せっきりでうつらうつらしていた。
彼は夏、うちの家族をバーベキューに連れて行ってくれた。必要な器具から肉まですべて用意し、慣れた手つきで肉を焼いてくれたいい男だ。

1時間ほどでアウトレットに着いた。
ダウンのコートでいいのがあればと思って見てまわったがなかなかピンと来るものがない。ウールのコートでは太刀打ち出来なくなる前に必要なのだが。
アウトレットの中のフードコートで昼食をとる。
母、ちらし寿司、私、巻き寿司、夫、かつカレー、妹彼、天丼、妹カツ丼。

アウトレットに来たからといって両手に荷物とはならない。それぞれ素朴に要る物を少し買う。私は何も買わなかった。夫は欲しかったスニーカーを見つけて買った。

3時過ぎ、体育大学に移動。
広大な敷地に緑色のサッカー場、ラグビー場、テニスコート、体育館が種目別に5つくらいある。全貌は確認出来なかったが、陸上競技場やプールやらもどこかにあるのだろう。なんせ体育大学だ。

サッカー場ではひとつ前の試合がまだやっていた。その横のフットサル用のコートでアップをしている妹はすぐ見つかった。キーパーはユニフォームの色が違うので見つけやすい。背番号は1だった。
観客席に行くのにすぐ傍を通るので妹も我々一行に気がついた。わらわらと手を振ったが、表情はゆるまず「スタンド!」と一言、その方向を顔で示し、気が散るから早く行ってくれと言いたいようだった。

出がけに、大判の電気屋広告を硬く巻いて棒を作り、コピー用紙に「しの」と妹の名前を書いた旗を作ってきたが、このとき出してなくて本当に良かったと思った。

前の試合が終わり、妹のいるチームと相手のチームがベンチに移動し、円陣を組んでグラウンドにユニフォームの色が散らばる。

試合開始。

始まって5分くらいでふとした隙に相手ゴールにボールが入って1点先取。
前半のなかばにもう1点。
いろんな歌を替え歌にした応援歌がほぼ途切れることなく歌われている。主語は私たちではなく俺たちだった。

以前妹に、キーパーはボールが飛んでこない間は何をしているのか聞いたことがあった。ディフェンスがない状態でシュートを打たれるとセーブ出来る確立はかなり低いので、出来るだけシュートを打たせないようにするためにディフェンスに指示をだしている、ということだった。
相手は若干格上らしいが、2点差がつくと少し安心して見られる。
でも妹の立っているゴール前にボールが転がってくる度にはらはらする。たとえ味方からのパスでも緊張する。ゴール付近に攻め込まれる度にいーという顔になる。
走る選手たち、ボールを操りパスが繋がっていく軌道を追う。

人が、それも蹴ることを日々修練した人の全力で蹴った球が飛んでくるところに立ち、尚かつそれを止めようとする妹。それを見る母と姉らとその連れ合い。

彼女はいつの間にゴール前からセンターサークルまでボールを蹴れるようになったのだろう。

試合は後半1点を返されたが、その後は守りきって2ー1で勝った。

競技での勝利の歓喜というものからもうずいぶん遠のいている。今後それを体験することがあるかどうか。ないかも知れない。勝つことの明白さ、その矢印の明確さ、そこへ向かう為の努力の明瞭さ。羨ましくも見える。あの気持ちよさは。
生まれ変わったらアスリートになろうという適当な言葉が口にあがってきてしまった。自分の可能性というものが自身の選択によって、また加齢と共にふるいにかけられていく。特に信じてもいない来世に可能性を託すふりをしておいて、最終的にふるいに残らざるをえなかったものとかかずり合って生きていくのだなとぼんやり思った。

2010/10/24 『フジノハナ』

2010年10月24日 | Weblog
前回の続き。

ウイングフィールドで観た、村川拓也+工藤修三の『フジノハナ』という公演について。
CTTという様々な劇団がプレ公演や実験上演をするためのプログラムで、2~3組抱き合わせで上演される。1組30分の持ち時間が与えられる。舞台上に美術はなくブラックボックスにシンプルな照明があるだけ。

出演者は団体名のふたりで、介護をテーマにした作品。
最初にこの作品を上演するためにひとり出演者が足りないので、観客の女性で誰でも良いのでひとり出演してほしいと説明される。戸惑った観客席からどうですかと声を掛けられた女性がじゃあと舞台に上がった。
女性に要求されたことは、願望をひとつ思い浮かべてそれを台詞として劇中任意のタイミングで3回言うこと、衣装として手渡されたピンクのパーカーを着ること、そしてまず床に寝そべる体勢になるよう指示される。
女性に与えらえたのは介護される人の役である。
出演者の男性のうちひとりは介護する人、もうひとりの男性は舞台の端に置かれた音響器材の前に座り舞台の進行を見ながら音楽を流したりする、音響のような立ち位置。
介護する男性は観客席から舞台にあがった介護される女性の体を、体起こしますねと言って起こし、着替えしますねと言って衣装として着せたパーカーを脱がしたり着せたり、車椅子(使われているのはパイプ椅子)に乗せて移動させたりする。
介護する男性は女性に話し掛けるとき必ずマイクを用いる。男性の声は舞台後方に置かれた小さなスピーカーから聞こえてくる。
介護する男性は実際に身体障害者の介護を仕事にしているそうで、彼は普段仕事のなかでかける言葉や動作を型として舞台上で再現している。
型には人に照射されつつ形成されたものだとわかる緻密さがあった。例えば、何を食べますかというやりとり。
介護する男性が実際に介護している人物は身体と言葉が不自由らしく、要求を汲み取るときに、このような方法を用いる。
まず、あ、か、さ、た、な、は、ま、や、ら、わ、ん、と五十音の頭にくる文字を言って、要求することを表す言葉の行をまばたきで止めてもらう。そして止まった行を縦に読む。以下のように。

あ、か、さ、た、な、は、 は、 はひふ、「ふ」  
あ、か、さ、た、な、は、ま、や、ら、 ら、 らりるれ、 れ 「ふれ」 
あ、か、さ、た、な、は、ま、や、ら、わ、ん、 ん 「ふれん」
あ、か、さ、た、 た、 たち、 ち 「ふれんち」
フレンチトースト?
フレンチトーストが食べたいですか?

というふうに。

普段の自分の生活では一言で終わるそんなやりとりに数十倍の時間がかかっている。それは体ひとつ起こすとき、座り心地がわるそうなとき、介護される人に関わりをもつ行為すべてに言えることだがひとつの行為が為されるときの時間の密度がとても高いのだ。その引き延ばされた時間は観客としての私にとって、その場で行われていること、体を、見つめることの出来る時間となっていた。
フレンチトーストに使う牛乳の量、砂糖を入れようとすると、砂糖でなく蜂蜜を使ってほしいと要求され蜂蜜を取り出すと容器の中で固まっている。それを箸でつついて崩して出すというあたりなど、ここではない場所で交わされたやりとりに精彩さを感じた。

彼の行為は単なるマイム的なものとして空転せず、時間は密度をもって満ち、流れていた。
女性は無反応で終始されるがままになっている。当然そこにいる彼女は実際介護を必要としておらず、ただ彼の行為に対して自身の体の重みを与えていた。しかし彼女もただの人形として扱われているのでなく、時折願望を口にするので、そこにある体はこの舞台にまったく関係のない欲望を内包した、ひとりの人なのだとふと思わされる。彼女は男性がかける言葉に対して一切応答しないし、男性も彼女に声をかける形式を維持しながら舞台上では疎通することを目的としていない。それでも言葉と行為が散乱しないのは介護される、するという目に見える明確な関係性に吸収されているからだろう。
応答しない女性を鏡にするようにして、ここにはいない実際に介護される体が想起される。

介護する、される関係の中でやりとりされる言葉や動作は実際の現場においては第三者に見せる意図をもったものではなく見られることを想定していない。むしろ清拭、着替え、排泄など、人が人らしく生きるためのベースとなるようなプライベートな営みに関する行為、介護される人する人との間だけで交わさるやりとりが、観客に見られ、感受される場で行われていることを意識的にさせるマイクとスピーカー。
マイクは声を拾いあげ、スピーカーはそれを拡張する、メカニカルなものの存在と介護される人とする人、さらに観客とふたりの間でそれを見ているもう一つの視線が同時に舞台にあり、時々男性の声にエフェクトをかけたり、必要な場面で音楽を流したりする、そこで行なわれる行為を俯瞰した視線があるということを意図的に見せていることは、この作品を単にマイム的なものにしてしまわない「見せるもの」としての意識的な構造を強固にかたち作っているように思われた。

この作品を見ながら、そこで為されていることを見ている、立ち合っているという感覚があった。舞台というのは本来何であってもそうなのだが、見ながらそのように感じさせるものはあまりない。
人のおこないを見ている、体を、そこにいる人そのものを見ている、という感覚。私が惹かれるものにはいつもそういう側面があるようだ。
介護するという動作によって引き延ばされるやりとり、観客席から客を舞台に引き入れる不確定要素を孕む余地のある強固な構造。それによって生成された時間は私にとってたいへん豊かなものだった。試演会形式の30分で見せることの出来るフィクショナルな時間としてとても興味深い試みだと思った。

2010/10/21

2010年10月21日 | Weblog
午前中、小梅を獣医さんに連れてゆく。
トート型のキャリーバックに入れるのに手こずる。一度ジッパーを閉めたのに顔で押し上げてにゅっと出てきた。玄関で格闘。
なんとか収まったバックを肩に引っ掛けて自転車で下る。時折にゃーと鳴く4キロは右肩にずしっとくる。

病院の待合室にはミニチュアダックスを連れた女性がひとり。
「ねこのきもち」を読みながら診察を待つ。
名前を呼ばれて診察室に入り小梅をバックから出す。診察台の上で小梅は用心しているときのイタチのような低姿勢になっている。先生は小梅の下腹部を触り、おしっこはたまってないですから、何らかの原因で残尿感を感じたようですね、念のため消炎剤と抗生物質の注射、しときましょうね。と手早く小梅の腰、だろうか、そのあたりに注射針を刺した。小梅その間微動だにせず。
帰宅後は元気にしていたのでもう心配なさそうだった。

洗濯とその他諸々の後身支度を済ませ夕方、地下鉄に乗る。
某有名私立小学校の下校時刻と重なった。
茶色の帽子にランドセル、制服、靴も揃いで茶色い。みんな走るので白いハイソックスは足首までずっている。
竹田行きの地下鉄がホームに入ってくるとドアの前に殺到し、わらわらと車内に入って散らばりそれぞれ仲の良い子と席に座る。メガネをかけている子が多い。幼稚園から塾通いだったのだろうな。無粋だと思いながらもこの子達の親は平均年収以上稼いでいるんだろうと思ってしまう。
電車通学ではなかった私はひとりで地下鉄に乗れるようになったのが遅く、6年生くらいだったと思う。乗り慣れないので電車で眠りこけている人など信じられなかった。起きて知らないところに着いていたらどうする、荷物を取られたらどうする無防備な、と思っていたのに今は油断するとヨダレも垂れている。

四条から阪急に乗り換え梅田まで。さらに御堂筋線、心斎橋で東京から帰ってきた夫と落ち合う予定だった。
心斎橋の大丸、地下からは揚げたての海老フライのくらっとするほど芳ばしいにおいが漂ってくる。少し早く着いたので、においにつられてふらふら食料品コーナーに入ってしまった。
色とりどりの総菜物やお菓子を目にして唾液や胃液の分泌が促されて何か食べないではいられない体になってしまう。
パン屋でかぼちゃの型のスコーンを見つけて買う。この頃一日に一度はかぼちゃナントカを食べている。ハロウィンが近いこの時期は期間限定でかぼちゃナントカをあちこちで見かける。黄色のパッケージを見かけるといちいち反応してしまう。
パン屋からでると夫に出くわした。
スコーンを買ったパン屋の奥に別のパン屋、PAULがあるのを発見してしまう。PAULを見つけたらクロワッサンを買わねばならない。ここのクロワッサンを超えるものにはまだ出会ったことがない。大丸を出るや否や歩きながらかじる。行儀悪いが、時間が経って油がまわってしなっとする前に、手にしたらもう一刻も早く食べたいのだ。

7時からウイングフィールドで村川拓也+工藤修三の『フジノハナ』という公演を観る。
CTTという様々な劇団がプレ公演や実験上演をするためのプログラムで、1組30分の持ち時間が与えられ2~3団体抱き合わせで上演される。

出演者は団体名のふたりで、介護をテーマにした作品。最初にこの作品を上演するためにひとり出演者が足りないので、観客の女性で誰でも良いのでひとり出演してほしいと説明される。戸惑った観客席からどうですかと声を掛けられた女性がじゃあと舞台に上がった。女性に要求されたことは、願望をひとつ思い浮かべて、それを台詞として劇中任意のタイミングで3回言うこと、衣装として手渡されたピンクのパーカーを着ること、そしてまず床に寝そべる体勢になるよう指示される。
ここから内容と感想について書きたいが、長くなりそうなので次回。

2010/10/19

2010年10月19日 | Weblog
久々に良く寝た。起きると11時過ぎ。
猫の朝ご飯のち人の朝ご飯。夫は東京に行っていない。
昨夜作っておいたスープ。
玉ねぎ、キャベツ、人参をオリーブオイルで炒めてトマト缶を入れて煮る。軒先のローズマリーの枝も入れた。作ってすぐはさらさらしているが一晩寝かせると煮詰まって若干とろみがついたようになる。食べたいと思ってもそういうものは売ってないしすぐには作れない。それが今朝食べたくなる予感があったので昨夜のうちに作っておいたのだ。それとかぼちゃパン、栗の渋皮煮。
栗。ドラマソロジー出演者のひとりが友人の家で穫れた生栗をもらったそうで、それをさらにもらった。栗は栗ごはんにしたい気持ちになるが、渋皮まで食べられる方が可食部が多くて得だなと思って渋皮煮にした。
皮を丁寧に剥くことと渋を抜くのに何度か水をかえて湯でこぼす手間はかかるが、最後に砂糖と洋酒を少し入れて煮て、てらっと仕上がったのを見る手間物の美徳を味わえる。さっと出来てうまいものが食べたいときと手間をかけたおいしいものが食べたいときがある。
稽古終わりで帰宅してやや疲れた空腹時などは焼きそばが食べたくなる。食べたくなるというか米を炊かなくて良いし、冷蔵庫にあるものをあまり考えず投入しすぐに出来るものを思い浮かべると真っ先に浮かぶのが焼きそばだ。麺に付いているあの粉は多少のことがあっても焼きそばを焼きそばとしてまとめあげてしまう。あの粉は。

先週末は東京で家をあけていて、月曜は稽古で家のことをほったらかしていたので、棚の上を拭き丁寧に掃除機をかける。敷き布団を起毛のあったかいのに変える。トイレの床を磨く。こまごましたことをやっているとすぐに時間が経ち、夕方仕事に出る。
義母が送ってくれたおかず生姜というみじん切りにして薄く味の付いた便利な生姜と、叔父にもらった粉若布を彫刻家にもらった新米に混ぜ込み、祖母の炊いた椎茸昆布を中に入れた、いただきものスペシャルおにぎりを持ってゆく。

夏の間は冷房を入れなければモデル台の上で朦朧としていたアトリエも、今は夜7時を過ぎるとぐっと室温が下がる。暖房を入れてもらっているが、それでも終わりがけには手足が完全に冷えるようになった。

帰りにドラッグストアでいつもの炭のシャンプーとリンス、エッグプロテイン配合と書いてあるトリートメント、葛根湯を買う。
帰宅後、夕方晩ご飯は済ませたはずだが空腹を訴える猫に夜食。
小梅が何度もトイレに行く。行ってもしゃがんでいるだけでおしっこが出ていない。数分置きにそれを繰り返すのでまた膀胱炎が再発したのか、心配になる。とにかく水分を取った方が良いので、水を飲んでほしいが猫は基本的にあまり水を飲まない。マタタビの粉を水に入れて差し出してみたが、私の手についたマタタビには反応するくせに水には興味を示さない。
猫缶にぬるま湯を入れてお茶漬けのようにしてあげてみた。鼻を近づけはしたが口をつけない。
仕方ないので好物の猫缶を開けて器に盛り差し出すと食べ始めた。ウェットフードから多少なりとも水分が取れる。夢中で食べているので気がつかないかなと、食べてる傍から器に少しずつ水を足してみた。すると食べながら、スープ状になった水を結構飲んでくれた。これで一先ずほっとしたが、様子をみて明日の朝に獣医さんに連れて行く。

2010/10/17

2010年10月18日 | Weblog
八条口の夜行バス乗り場はバスを待つ若者と出発時刻に現れない人を拡声器で呼ぶ声でざわついている。
これからバスに乗る自分もどことなく浮き足立ちながらその混雑の隙間に収まっていた。
数年ぶりの夜行バスで東京へ。宮沢章夫さんの舞台を観にゆく。
宮沢さんには大学時代に教わったことがあり、今回の公演には大学の先輩や後輩も出ている。それに来月フェスティバルトーキョーで上演するドラマソロジーのアフタートークに来てくださることもあり観ておきたかった。

ドラマソロジー演助のTくんに教えてもらった3300円の格安バス。もう少し出せば隣が必ず女性のシートもあったが、けちって一番安いのにした。横がおっさんやったらどうすると夫に言われる。3000円の夜行に乗るおっさんは確かに訳ありだろうが幸い隣には誰も座らず広々ひとりだった。
格安だけにブランケットは人数分ないらしく、数に限りはありますが必要な方は申し出てくださいというアナウンス。乗っているのは20代くらいの若者ばかりだった。
割合どこでも寝れる質だが、ずっとうつらうつらで休憩停車の度に目が覚めてしまう。
やっと寝入った矢先に新宿に着いてしまった。

まず降り立ったところがどこかわからない。人の疎らな日曜の朝の街。
排水溝から冷えた揚げ油のにおいがあがってくる。泣きながら何かのゴミを蹴っ飛ばす青年。
一先ず姿を整えたいのでトイレ探してさまよう。まず見付けたところはすでに同じ目的の女性たちに占領されていた。地下を歩いて地上に出てまた地下にもぐり、目も覚めてきた頃にようやく化粧直し用の鏡がある比較的きれいなところを見付け、顔を洗い、落ち着いて目鼻を描く。
やや折れ曲がった老婆が入ってきた。洗面台に立ちキャリーバックからタオルを取り出して顔を洗う。それからカフェオレのペットボトルをゆすいで水道水を入れようとするが、洗面台が浅いので蛇口とペットボトルの角度が合わず、思うように水が溜まらない。しかもセンサー式の蛇口の水がすぐに止まってしまうので、ずいぶん長いあいだ洗面台の前で格闘していた。

身支度を済ませ、さてどうするか。新国立美術館でやっているゴッホ展を朝一で観ようと思っていた。
開館は10時。日曜で混むのはわかっていたが開館前に行って入れば行列の中うんざりでなく観れるかも知れない。
とは言えまだ8時前。とりあえず六本木に移動することにして、大江戸線、深く深く下りていく。

東京ミッドタウン、テレビで見たことのある。
地下に開いているカフェがひとつだけあったので、そこでカフェオレを買って持って来た本を読む。
しかし大江健三郎の『レインツリーを聞く女たち』が、まったく今日の波長に合わない。活字を追うのが苦痛になってきたので、その向かいのTSUTAYAで今日の本を探す。
文庫のコーナーでかなり時間をかけて一冊選んだ、田中慎弥という人の『切れた鎖』。
そうこうしている間に気付くと9時半になろうとしていたので美術館へ向かう。
徒歩5分ほど。門の前には既に50人程の人が並んでいた。
開門してから切符売場に並んでいる間に前売りを持っている人たちがどんどん入ってゆき、切符を手にして館内に入った頃、展示室の入口は既に100人以上の列になっていた。
それでも会場が広いので、展示室に入ってしまえば観るのにストレスになる程の人集りに巻き混まれることなく、絵の前に立つことができた。

ゴッホがすごく好きという訳ではなかった。というのもあまりに有名である為に積極的に知ろうとする意欲を持てずにいたという方が正しい。以前兵庫県立美術館にゴッホ展が来たときも気になってはいたものの、ゴッホに長蛇の列を為す人を新聞で見て行く気力を削がれてしまった。列に押されながら絵を観ても観た気にならないのだ。
それで今回ようやくゴッホと対面する機会が巡って来た。
ミレーに影響を受けた、初期の農民を描いた写実的な作風から独特のタッチと色彩の画風が開花するのに大凡6年。
時代の流れと自らの絵に必要なものを吸収しそれを自身のものに集約していく過程を順に見られるのは興味深い。
やはり筆跡を実際に見るということには価値がある。
それにしてもどうしてこれほど熱量をもった痕跡を残し得たのだろう。それは単に強いタッチや色彩、テーマ性で魅せるものでなくモチーフと技法と画家自身が分かち難く一体であり、ひとりの人間の描くという行為に引き寄せられ、すべてが必然のように感じられるところにあるように思う。
風景であれ静物であれ、対象を描くという事がゴッホという人それ自身を描くことと違わないほどに、画家の生を目にしていると思わせる圧倒的な熱量が死後120年経った今も絵の中に残存している。
優れた画家は古今東西あまた存在するだろうが、絵を絵として享受することの歓びを理屈抜きに感じさせる普遍的なものがゴッホの絵にはあるのだと思った。

すばらしいものをみるとそれだけ跳ね返って省みる。
私は描きたいと思うものをもっと見つめなければならない。まだ自分の見いだしているものはカタツムリの目のようにおっかなびっくりで危うい。もっと深くもっともっともっと。全身で、探してやる。

正午前、高円寺で映画監督Wくんと落ち合う。その昔、大学1回生の頃宮沢さんの授業を一緒に受けた同期生で、今は東京に住んでいる。
初めて降り立つ高円寺、駅からすぐの商店街を歩いてタイ料理屋でイカや何かの貝をバジルで炒めたものを食べながら近況、ドラマソロジーのこと、最近完成した映画のことなどを話す。


公演は14時から。座.高円寺という劇場はまだ新しく、プラネタリウムのような外観に見えた。
作品はドキュメンタリー、フィクション、ディレクション、行われている内容を追うより、その案配を観察しているようだった。
終演後、ごったがえした東京駅に移動し、どうにか座れたベーカリーカフェでちょっと休み、監督に見送られ17時40分発のぞみに乗って帰る。
夫はドラマソロジーの会場下見を兼ねて明日から東京。私は仕事が入っていて、今日しか行かれなかったのだ。なので土産も特にいいかと何も買わなかったが、京都に着いて手ぶらもなあと思い直し、京都駅で阿闍梨餅を買って帰った。