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流出雑記 

2015/1/25

2015年01月26日 | Weblog
タイから戻り、連日稽古している。
この間ほぼ無収入になるので、隙を見つけて仕事をねじ込む。
最近雨が多い。冷たい雨。タイは乾季だったけれど雨季に入ると1年のうち4分の3は雨らしい。

洗濯物を2日くらい干しっぱなしにしている。雨が直接当たらないから、ほっておけばいずれ乾く。

タイから帰ってすぐぜんざいを作り4日くらい毎朝食べた。大納言で。
でもまたすぐにタイ料理も食べたくなって、タイカレーを作った。ココナッツミルクはけちらず入れるべき。
酸甘辛の刺激的な味覚に魅了された舌はなかなか帰ってこない。
ぜんざいにも最終的にココナッツミルクを投入してしまった。

化粧水の自作を去年から始め、肌に合うものを作れるようになったので、今年はアイシャドウ、チーク、ファンデーションに手を出したい。早速乳鉢に乳棒、材料となるマイカ、酸化鉄などを集め出している。

酒粕を顔に塗ってみたらたいへんよい。化粧水に少し蜂蜜を入れてみた。最近スキンケアの冒険の旅に出て気分転換している。


2015/1/15 タイ4目

2015年01月19日 | Weblog

タイ4日目。

帰国の日の朝。チェックアウトは12時。11時半にケットちゃんが車で迎えに来てくれて、そのままお昼を食べに。ケットちゃんは普段の朝、自宅の近くの広い公園でランニングをする。その公園にはいろんな運動器具があるので、走った後はそれを使って運動し、公園の向かいにある食堂でよくごはんを食べるらしい。その店に行きたいとリクエストした。 昼時、店の前には行列ができている。何種類もの炒め物や和え物などのおかずが店先に並び、店員さんにこれとこれというふうにオーダーするとごはんを盛った皿におかずを一緒に盛ってくれる。ケットちゃんのおすすめはフライドポークで、塊のまま揚げた豚肉を短冊に切ったものを確かにほとんどの人がオーダーしている。フライドポークとブロッコリーとエビの炒め物、汁気の多い赤いカレーのようなものをかけてもらった。 店先でそれぞれ好みのものを盛りつけた皿をもらって店の奥のテーブルについて食べる。テーブルに比べて椅子が少ない。混んでいるけれど食事をしている人たちは場所を詰めてくれたり、空いている椅子を見つけてくれたり親切だった。 皿に盛られている時はたいした量に見えなかったけれど、テーブルに置いてみると結構なボリュームだった。肉も野菜も十分にあってそれで200円くらいの食事。この食堂みたいなラフなスタイルの食堂が日本にもあったらいいのにと思った。いわゆるデリという感じだけれど、もっと大衆的で手軽だったらいい。

皆ほんとうに満腹だった。テーブルの上にはどうぞご自由にのモンキーバナナに手を伸ばす気力は一切湧かなかった。 それからケットちゃんの暮らすアパートを訪問。アパートの駐車スペースに車を止めると、憩いの場みたいなテーブルの置いてあるところにケットちゃんのお母さんがいて、紹介してもらう。数日前に飼いはじめたという手のひらに乗るサイズの子犬もいた。ご両親はこのアパートではないところに住んでいる。ケットちゃんがカンパニーダンサーになり、実家から通うのが遠くなったため、ご両親がこのアパートを買ってくれたのだそう。

部屋は1階。日本の団地のような雰囲気。間取りは2部屋。8畳くらいのリビングとその奥に簡易キッチン、シャワーとトイレがあり、ベランダ。部屋にはあまりものがなく、ダブルサイズのマットレスが壁に立てかけてある。稽古をしたくなったときのためにスペースを確保するため。 押入れ的な収納はないけれど、タイで暮らすなら、かさ張る冬布団とか、暖房器具とか、衣替えということも必要ないだろうから羨ましい。 ケットちゃんのお母さんがタイのおやつを差し入れてくれた。ココナッツミルク味の濃厚な牛乳かんみたいな中にココナッツファインを甘く煮た餡が入っている葉に包まれたちまきのようなもの。丸いスポンジ生地に黄色っぽいシロップを染み込ませたもの。薄い緑やピンクの麺状のもので皮を作り、その中に甘塩っぱい佃煮的な餡を包んだもの。 お昼でほんとうに満腹だったけれど、手をつけないのも悪いし、興味を引かれるものばかりだったので少しづついただく。

それからケットちゃんはこれから1ヶ月日本に滞在するための荷造り。我々はランニングするという公園を散策。公園は真ん中に池がありその周りにはツツジくらいの丈で色も似たブーゲンビリアが満開になっている。今は乾季らしいので園内の植物の為にスプリンクラーが散水している。朝は気持ちがいいだろうけれど、昼過ぎには汗ばむ。首にピンクのリボンを巻いた白黒の子猫がいて、触らせてくれた。

1周約2キロの公園を半分くらいまで来ると、ケットちゃんが話していた公園の運動器具のコーナーがある。引き寄せたり押したりひねったり回したり開いたり、体のいろんな部位にアプローチする器具があり、結構おもしろかった。腹ごなしにもちょうど良かった。

公園を1周したあと、夕方ケットちゃんと落ち合う予定の、公園から歩いていけるターミナル21というショッピングセンターに向かう。 何の前情報もなく来たけれど、このショッピングセンターは、空港がコンセプトらしかった。各階のフロアガイドも空港にある電光掲示板を模していたり、フロア毎にロンドンとかローマとかいろんな国の都市名が付いていて、トーキョーという階もあった。代官山とか巣鴨とかその他時々おかしい日本語が至る所に散りばめられているけれど、日本の製品を取り扱っているわけではない。

主に女性向け、観光客に向けた少し値の張るものが多い印象。それでもデザインが冴えていて素材もいいサンダルが900バーツ、3600円とか、最終日でスーツケースもいっぱいでバーツの手持ちも少なかったからよかったけれど、余裕があったら購買意欲に火が付きそうで危険だった。

地下は食料品売り場。高級スーパー。夫が何だかわからない緑色のジュースを買った。青臭くやや塩気のある予想外の味。落ち合ってからケットちゃんにこれは何と尋ねたら、グァバだという。日本にもグァバジュースはあるけれどかなり雰囲気が違う。今回の滞在でいちばん理解し難い味覚だった。あとのものはすべておいしかった。 スターバックスは欧米からの観光客の憩いの場になっている。異国に来ても知っているマークを目にするとちょっとほっとする。滞在中にファミマとセブンイレブン、ローソンも1件見つけた。街を走っている車はケットちゃんのも含めてほぼ日本製だった。

7時のフライトに間に合うように空港へ。空港まではケットちゃんが恋人未満だと言い張る友達が送ってくれた。彼はイギリスへの留学経験があり、英語が堪能で車はBMWだった。これから1ヶ月離ればなれになるふたりは空港で抱擁していた。でも恋人未満らしい。

帰路もホーチミン経由。機内では行きと同じ軽食が出た。後からくるコーヒーにミルクを入れたかったので、はじめてミルクを頼んでみた。味はクリームっぽい風味が強い。他の飲み物と同じく常温だった。たぶんその飲みなれない牛乳が原因だと思うけれど、ホーチミンについてすぐ腹痛に見舞われた。タイにいる間は何を食べても平気だったのに。


2015/1/14 タイ3日目 

2015年01月18日 | Weblog

タイ3日目。

この日は午前中にワット・プラケオという寺院に行き、その後国際交流基金を訪問する予定だった。7時過ぎに起きて8時にホテルを出る。ホテルからタクシーで約1時間、ワット・プラケオの入り口の前に着いた。入り口の前の交差点はすでに観光客でごったがえしており、欧米や中国、韓国からの団体客がどんどん中に入って行く。寺院の中では極端な露出やサンダル履きを禁止している。入り口の真横にはショートパンツで来がちな欧米の観光客を待ち構えて、エスニックな雰囲気の薄手のパンツを売っている人がいる。ぼったくり価格のトゥクトゥクも待ち構えている。ワット・プラケオの敷地はとても広いけれど、このザ観光地状態の中に500バーツ払って入るのかと思うと気が引けた。500バーツは日本円に換算すると約2000円になる。
それでしばらく悩み、その近くにあるワット・ポーに予定を変更しようと話しているところにケットちゃんが合流。ワット・ポーに行きたいと言うとトゥクトゥクの運転手と交渉して、おそらく常識的な値段で乗せてくれるようにしてくれた。ワット・プラケオからワット・ポーまでは歩いても15分くらいで乗車時間は数分だけど乗ってみたかったのでうれしい。屋根の内側はドラえもん柄だった。

ワット・ポーはバンコク最古の寺院であるらしい。敷地の中には大小さまざまな仏塔がいくつもそびえ立っていて、全面立体的な陶製の花の装飾で覆われている。鮮やかな色彩感覚だけれど色味は角がない。仏塔だからこれはつまりきっと偉い人のお墓なのだろうと思って見ていた。

本堂には金色のご本尊が何体もの仏像に囲まれて鎮座している。距離は遠く、かなり見上げる位置にある。日本であまり見たことがないと思ったのは、ご本尊に向かって手を合わせ座り、参拝客に背を向けた状態の仏像があること。それから有名な涅槃像。英語ではリクライニングブッダと表記されている。リクライニングという言葉が椅子以外に使われるのを初めて見た。お堂に入るとまず螺髪の突起、巨大な頭部が見える。ほんとうにお堂のぎりぎりに収まっている。これはお堂か涅槃かどちらを最初に作ったのだろうかと考えてしまった。奈良大仏建造の行程を歴史で習ったはずだけれど、どっちだったか思い出せない。やはり仏像が濡れるのはまずいからお堂が先だろうか。お堂の壁面も花模様や壁画でびっしり埋め尽くされている。宇宙の真理が描かれているという扁平足の足の裏の前は特に人が多いし、読み解く時間もないから宇宙の真理は謎のままだった。背中側にまわると、壁沿いに銅の鉢がたくさん並んでいて、小銭が入っているので賽銭箱のようだった。なぜあんなに並べているのか。後から調べて知ったことだけれど、あの鉢は108個、つまり煩悩の数だけあって、端から1個ずつ硬貨を入れて行き、硬貨が鉢にあたる音で煩悩がひとつずつ消えてゆくというものだったらしい。

移動時間が迫っていて寺院の中で受けられるタイ古式マッサージの時間は残念ながらなかった。ケットちゃんが国立博物館のチケットを買っておいてくれたけれど、それも見る時間がなく、ケットちゃんの運転で国際交流基金のオフィスに向かう。

車内でtryと言って見たことのない果物をくれた。見た目は赤いパプリカのヘタをとってひっくり返したような形状。味はセロリのようなさわやかな風味とりんごの雰囲気があり、甘みは強くない。チョムプーという名前。

タイの道は混むと聞いていた。オフィス街へ向かう道は渋滞していたけれどなんとか到着。昼時のオフィス街を歩く人たちはやはり都市生活者の面持ちで女性の顔色が特に違う。化粧気がある。このあたりの歩道に犬はいない。でも食べ物を売る露天は出ている。

オフィスでの所用が済み、結構お腹が空いていた。ケットちゃんがサツマイモのペーストにトウモロコシを混ぜて焼いたようなものを露天でぱっと買って皆にくれた。

お昼は昨日行きそびれたヌードルのお店に行こうとしたけれど、またしても休みで、近くの別の店に入る。グリーンカレーをまだ食べてなかった。メニューの写真にはグリーンカレーの横にそうめんのような麺が添えてある。でもグリーンカレーはぜひタイ米で食べたい。この麺をライスに変えられるかとケットちゃんに尋ねたら、そうしてもらえた。食事メニューの裏にはドリンクメニューがあり、タイ語表記のなんだかまったく見当がつかない飲み物の中から、ケットちゃんがどれでもいいからチョイス、という。3人それぞれ適当に指をさしたらしばらくして紫、ピンク、黄色、のカラフルなジュースが運ばれて来た。どうやらハーブティーだった。おいしい。カレーには別皿で野菜がついてくる。パクチーではないセリに味の似た野菜など。

稽古場に着くと2時過ぎていた。5時まで稽古。7時からカンパニーの通し稽古を見せてもらうことになっている。その前に市場に行って夕食を調達。厚めのビニール袋を膨らませた中におかずやスープ類を小分けして売っている。ごはんはラップに包まれている。ココナッツ系のスープを買う。ながらちゃんはケットちゃんのレコメンドで鶏の爪先部分、指がはっきりわかるかたちで揚げられた唐揚げにチャレンジしていた。それぞれ買って持ち帰り、スタジオのキッチンで皿に移して食べる。スープの具は鶏と冬瓜だった。

食後、野外のパフォーマンススペースで「BLACK&WHITE」というピチェカンパニーのマスターピースを見る。本来は凝った衣装があるけれど、今日は皆稽古着のままで照明もないし、音はピチェのiPadから流れている。それでも、というか装飾と空間演出がない上に本来作品には想定していない野外の音や鳥の鳴き声や風に晒されながらも尚、動きとその強度で踊りの時間が進行する作品の芯のに触れたようだった。透明な結晶体を思わせた。フォルムや作品の持つ時間には確固たるものがあり澄んでいて、硬質だから外的要素に侵されず、作品の外側にあるものさえ結晶体の表面に映すことが可能になっているほど研磨されたものと感じられた。

ただ、じっと見ていた方は蚊に噛まれ放題だった。でもなぜか痒くない。終わってからそれぞれに自己紹介し、今日でここに来るのは最後なのでピチェにお礼を言ってホテルまでケットちゃんに送ってもらった。

ホテルから少し歩いたところに大きなスーパーがあるのをながらちゃんが見つけて3人で行ってみた。BIG Cというスーパーで品揃えと売り方はウォールマートばりだった。ガパオやグリーンカレーのペーストは1袋40円くらいで売っている。日本だと150円くらい。

ヨーグルトを買ってホテルで食べた。タイ最後の夜。


2015/1/13 タイ2日目

2015年01月17日 | Weblog
タイ2日目。
朝。起きて身支度を終えた頃、夫が朝食を食べにホテルのレストランに行くというので一緒に降りた。しっかり食事をとるほどの腹具合ではなかったので、ココナッツミルクwithチキンandパイマクルー 写真を見る限りトムカーガイと思われるスープを注文する。
酸甘辛がココナッツミルクとレモングラス、パイマクルーなどの香りでまとまめられているこの料理が好きだ。健啖家の夫は昨夜の食事量をもろともせず、炒め物と米をかき込んでいる。

昼前にホテルまでケットちゃんが迎えに来てくれて昼食。行こうとしていた彼女お勧めの鴨のヌードルの店は閉まってたので、その近くのレストランに入った。
ソムタムやその他辛い和え物、辛くないきのこのスープにはオジギソウの葉のような見たことない野菜が浮いている。
珍しかったのはケットちゃんが頼んだ青菜を天ぷらのように揚げたものに辛いソースを添えて食べる料理。嬉しかったのはタイのもち米カオニャオがあったこと。
タイの瓶のコーラはちょっと味が違う。

始めて訪れるピチェのスタジオはイスラム教の人たちが住む地域の路地の奥、オペラレッドのブーゲンビリアが満開のところにあった。
敷地に入ると増築中の建材を削っている大工さんとピチェが外にいた。ピチェは笑顔で迎えてくれ、どうぞ好きに使いなさいと言ってくれた。ケットちゃんが中を案内してくれる。稽古場と小さいけれどちゃんとブラックボックスの劇場もあり、さらに野外劇場、レジデンススペースまであって、敷地内には極楽鳥花や葉の大きな南の植物、池には蓮の葉と鯉、稽古場には常に風と犬が通り抜けていく。話しには聞いていたけれど、素晴らしいところだった。

カンパニーメンバーはここで毎日稽古をしている。今日カンパニーは劇場で新作のリハーサルをするらしい。カンパニーダンサーはタイの伝統舞踊、コーンの基礎を毎日行う。
私も混ぜてもらった。音楽を流しながらいくつかの基本的な動きを反復をする。最初は肩幅より広くスタンスをとって立ち、膝が直角になるくらいまでゆっくり腰を落とす反復の動き。太ももが辛そうな動きに見えるけれど、これをするときに使うのは足の筋肉というより、いわゆる丹田のあたりで重心を引き上げてそのポイントを上下移動するような感じ。というフィジカルな理解は出来ても、型の中に込められているものを理解するには至らないので、今日来た私がやっていることと毎日これをやっているダンサーたちとの間には同じ上下の動きをやっているようで全く違うのだろうなと思っていた。
でも言い知れない幸福感もあった。と同時にこんなに恵まれた環境に体を据えていることが自分にはまるで不分相応に思えて、どちらの意味でかわからないけれど一瞬泣きそうになる。

約1時間の基礎のあと、休憩して『天使論』の初稽古を夕方まで。

夕食はスタジオ近くの市場に行った。食べ物の屋台、野菜、魚、肉、雑貨、衣類、金物、いろんな材質のものが色とりどりにひしめいている。揚げたものを売っている店が多く、香ばしいにおいや揚げ物にかける甘辛くスパイシーなソースのにおいが漂う。人が行き交いぶつかるぎりぎりでよけながら目に飛び込んでくる、いきなり手を伸ばす勇気の出ない目新しい食べ物を見送る。この日はカオマンガイを食べた。カオマンガイは鶏を茹でた茹で汁で米を炊いたもの。似たようなものを家でも作るけれど、外で食べるのは初めてだった。
上に乗せる鶏を揚げ物と焼いたものと茹でたものの3種類があった。3種頼んで味見をしたけれど、本来のカオマンガイである茹で鶏のものが一番美味しかった。

ホテルに戻り結構疲れていたのですぐに眠った。エアコンを付けないでいると寝苦しい程ではない少し暑い部屋で素っ裸で寝るのが気持ちいい。







2015/1/12 タイ1日目

2015年01月16日 | Weblog
まだ朝日が登る前の冷えた早朝、空港行きの迎えの大型タクシーに乗り込む。車内も冷えている。 今日から4日間タイに行く。10時発の飛行機なので朝が早い。乗客は夫と私の他に一緒に行く制作のながらちゃん、あともうひとり知らない人を拾ってタクシーは関空へ。窓の外は雪が舞っている。
3泊4日のバンコク滞在。一緒にクリエーションすることになったピチェ クランチェンダンスカンパニーのダンサー、ケットちゃんの暮らす国を見に行く。これが初めてのタイ。
関空からベトナム航空、ホーチミン空港で乗り換えてタイのスワンナプーム空港に着くのは夕方6時半頃になる。直行便よりも時間はかなりかかるけれど、渡航費が安い乗り換えルート。でも時間がかかることはあまり苦じゃない。旅慣れていないからトランジットで知らない国の空港に降り立つだけでも楽しい。
それより問題だったのは、今朝からずっと左眼の裏でごろごろしているまつ毛か何かのせいで、瞬きするたびに粘膜に異物が接触する不快感が伴っていることだった。何度も鏡で眼の中を見たけれど、ごろごろする原因が見当たらない。そのまま出国手続きをして飛行機に乗って離陸し、地面を離れる緊張に慣れると眠くなり、しばらくして機内食が運ばれてきた。眼の中の異物感は空港にいるときほど気にならなくなっている。
鶏をエスニックカレー風に味付けしたものにヌイユが添えてあり、デザートに梨子のムースが付いてくる洋食にした。ホーチミンまで約5時間。朝早く起きたので、うとうとしている時間が長かった。着陸が近付いた頃にようやく目が冴えてきて持ってきた田中慎弥「第三紀層の魚」の続きを読んでいたら、薄っすら酔った。
ホーチミンも気温31度。時間はバンコクと同じ。だいたい3時くらい。すると日本5時くらい。
せっかく降りたし、空港内のカフェでベトナムコーヒーを飲みたいと甘そうなラテを写真で見て選んだら、エスプレッソくらいの濃さのコーヒーに、生クリームを入れて分離したようなあまり甘くない飲み物だった。
他ふたりはココナッツの実にストローが刺さっているのを注文していた。ココナッツの実があるだけで充実したトランジションの時間を過ごしている感が格段に上がった。搭乗を待っているときに左眼から突然涙が出てきて、それと共にようやく異物感が消えた。何がごろごろしていたのかは不明。
乗り換えてタイ、スワンナプーム空港へ。機内ではパンとサラダとハムの軽食が出た。お手拭きに付いている香り、少し強い芳香に異国基準の清潔感を感じる。夫は機内食が出る度にビアと言う。1時間半くらいでタイに着いた。

空港でトイレに行くとレモングラスの香りがほのかにする。
パスポートチェック、我々の並んだ列の入国審査官が慎重だったのか、他の列より進行がずいぶん遅い。何にそんなに時間がかかるのかと思うくらい足止めされている人。ちょっともめている。自分の番が来てどうなるのかと思っていたら1分以内に終わった。私が悪事を働かなさそうだからかと思ったら、日本のパスポートは強いですからね、とながらちゃんが言った。見た目より絶対的に菊の紋が信頼されていた。

空港に迎えに来てくれているケットちゃんを探す。ここで待っていると連絡のあった3番出口を目指して歩き、たくさんの待ち人の中からケットちゃんの姿を見つけた。
紺色のタイトなワンピースを着ている。彼女の服装は去年の2月、神戸で一緒にクリエーションをしたときの冬服しか知らなかった。

今日のバンコクは少し寒いくらいだと言う。確かに日本の熱帯夜のような暑さはなく、羽織るものがあった方がいいくらいだった。想像よりもずっと爽やかだった。今が雨の降らない時期だからかも知れない。
ケットちゃんの運転。ピチェのスタジオまでは毎日車で通っているそうで慣れている。フロントミラーに金色の仏陀のキーホルダーがぶら下がっていて、車が段差を超えたりするとちゃりちゃり揺れる。その度にケットちゃんはそれを左手で押さえる。何か意味ありげだとしばらく見ていた。けれど気になってそれは何なのかと尋ねたら、ただちゃりちゃりするのか気になるから押さえているだけだった。後から調べると、そのキーホルダーみたいなものはキーホルダーなんて安っぽい名前のものでなく、プアクルアンというちゃんとしたお守りで、小さいけれど高価なものだとわかった。信号で止まると、花輪を売る人が車道を歩いてくる。その花輪はプアンマライといって交通安全のお守りだそう。他の走っている車のフロントミラーを見ると、確かに花輪を掛けている車が多い。

ケットちゃんが住んでいるのはバンコクの中心街に近く、ピチェのスタジオは中心街からチャオプラヤー川を隔てたローカルなエリアだそうで、確かに川を渡ると高層ビル街から街の雰囲気が変わる。薄暗いネオンの明かりの歩道にテーブルを出して食事をしている人たち。その足元にはだいたい野良犬がいる。だいたい白っぽい犬で、人々は犬もいて当然のように食事をし犬もいて当然のように寝そべっている。

1泊3000円のホテルは普段日本で泊まるどのホテルよりも広くグレードが高い。シャワールームがガラス張り。
チェックインしてからホテルのそばのレストランで夕食。そこも歩道いっぱいにテーブルを出していて、メニューは写真が少しあるけれどすべてタイ語。厨房も半分路上に出ていて、数種の青菜が山積みにされている。薄ピンクのプラスチックの取り皿。トムヤムクン、名前を忘れたけれどタイ語でサラダはヤムなのでヤム卵、あとはエビのカレー、貝の炒め物など。それにタイ米。どれも均等に辛い。辛いけれどうまい、水、うまいけれど辛い、水。その繰り返し。

タイのヴィヴィッドな味覚に満ちた胃でいつものファミリーマートに行き、品揃えの違いにはしゃいで、それぞれ水やらビールやら買って部屋に戻る。
浴槽がないこと以外申し分なくラグジュアリーな気分で眠る。


本と体

2015年01月10日 | Weblog

本屋で、あいうえお順に作家の名前が並ぶ文庫本の棚を行ったり来たりして、気付いたら三十分くらい経っている。そういうときは欲しい本が見つからないんじゃなくて、欲しいと思う本に出くわしに来ている。

この世界に存在する一生のうちに到底読みきれない星の数ほどの本のうち、私に解読できる言語で書かれていて、実際手に取り、書かれた文字を追うに至るものは、実はごく限られているいうことにあるときふと気が付いた。しかも本は増え続けている。想像の追いつかない紙の質量にくらっとする。

本を読むためには文字を追う目と、書いてあることを処理する脳みそと、ページをめくる手を動員するので、読みながら誰かと話しをしたり、片手間に何か用事をしたりすることはやはりできない。だから必然的に手に取った一冊とは、ある種の親密な時間を過ごすことになる。その相手を探すのだからそれなりに慎重になるけれど、かといって長時間ぐずぐずしていても出会うための反射神経が鈍ってしまう。

人気作家だとか受賞作であるとか問わず、惹かれるタイトルを見つけたら直感で手を伸ばす。最初の数行読んでみて、なんだかピンと来なけば棚に戻す。読んで少し気になったときは、その本を棚の整列より少し前に出して保留にしておく。それを繰り返す。棚を見渡せば、これまでそんなふうにすれ違ってきた本が何冊もあって、ああ、これは前にも一度手に取ったけれど、今回はどうだろうと、もう一度開いてみる。数行読んでみて、やっぱり今じゃないとまた棚に戻す。そうして見送る選択を数年繰り返して読まないままの本もある。

硬そうなもの、柔らかそうなもの、甘味、苦味、ピンと張ったもの、脱力したもの、今の私に必要な、不足している言葉の栄養素は、鉄分、コラーゲン、いやプロテイン、あるいは毒。書き出しの数行がぴたっとくれば、今この感覚がほしかったのだというのが分かるけれど、その尻尾を掴むのに時間がかかる。

本に印字されている文字の連なりは、それを書いた人の体が残した痕跡であるから、文字自体が肉筆でなくても、肉が関わっていない本はなく、また読む方も肉を関わらせずに本を読む事はできない。だからどうしても手に取るその時々に相性が発生する。読むことの体への浸透性は思いのほか高く、よく見れば「本」は「体」のなかに入っている。

本に体の痕跡を見て取ってしまうせいか、ある本を読んでいて、すでにその著者が亡くなっている場合、もうどこにもない体が残したものであること、残された言葉の痕跡に取り立てて不在を感じることがある。

『富士日記』を読み始めたとき、著者である武田百合子は既にその数十年前に亡くなっていた。『富士日記』の上、中、下とその他のエッセイを読んでしまい、あと残るは『犬が星見た』だけになったとき、これを読んでしまったら、もう読むことの出来るこの人の日記は尽きてしまうと思うと惜しくて、まだ読まずに取ってある。日付のある日記であるから尚更なのかも知れないけれど、日々が尽きてしまうということに、他にはない名残惜しさがあった。それで、どうにか終わらせないために、『富士日記』に描かれている山荘の生活のなかで執筆された武田泰淳の『富士』を読むことにした。その他にも、若い頃の武田百合子をモデルに書かれた『未来の淫女』という短編があることを知り、これは古書で値も張ったけれど、どうしても読みたくなって取り寄せた。

もし武田百合子が生きていたら『犬が星見た』を取っておくために『富士』や、買う予定だった新色のアイシャドウを諦めて『未来の淫女』を読む事はなかったかも知れない。待っていれば新刊を読めるのだから。でも迂回した道のりで、結果的にそれがあまりに豊穣な寄り道だったことはしばしばある。

そんなふうに自然とあらわれる読書導線に沿って本を選べる間は数冊渡り歩き、それがふと途切れたところで文庫本の棚の前を延々行ったり来たり、本屋に潜る機会が訪れる。本棚のどこかにあるはずの、明記されてはいない宛て先を感じ取るアンテナを立てて、四十五分が経過した。

本の中に織り込まれた見ることのできない風景の断片や、会うことのない人々の印象が、記憶の編目に残っている。そういう、イメージの痕跡を読後の体に残しつつ、日常を生きる密かな楽しみというものが、読むことの先にあることを知ったとき、私にとって読書は、娯楽とも勉学とも違う、体につながった行為と感じるようになった。

ようやく巡り会った次の一冊を携えて、本屋から這い出す。

 


2014/1/6

2015年01月07日 | Weblog
帰省から戻り4日仕事始め。

5日、うちのまわりの雪が溶けてきて、昨日やっと着物を着て外に出られる雰囲気になった。何着るか年末から考えていた。葡萄色の古典柄の小紋に濃い緋色の帯、羽織は香色地に紅型調の形染めで蝶と流水模様。

すぐ側の赤山禅院にお参り。雪はまだ残っていて境内の風景も所々白い。粕汁と抹茶が振舞われている。

赤山禅院は天台宗の荒行、千日回峰行で行者さんが訪れる寺で、延暦寺から赤山往復60kmの道のりを数百日間毎日行き来する赤山苦行で知られている。
かなり前に2回くらい赤山禅院に入って行く笠をかぶった白装束のただならぬ早足な人にすれ違った。その行者さんは2009年に千日回峰行を達成した大阿闍梨だった。

境内をお参りしていると、スピーカーから読経が流れ、阿闍梨さまがいらっしゃるまで唱えましょうと呼びかける。
赤山禅院の住職、叡南覚照 大阿闍梨の若かりし日の写真はめちゃ男前。しかもこういう口調で喋るらしい。「徳よ、ワレが遺弟じゃ。ワシがいるさかい、あんじょうオヤジさんを送れ。まず、頭を丸めてこい」
1927年生まれ。1960年(昭和35年)、33歳のときに千日回峰行を満行。いわゆる高僧でありながら、気さくな人柄や型破りな発想が、多くの人から慕われてきました。 現在、赤山禅院の住職を弟子に譲り、赤山禅院にて療養中。
家が近いだけでなんか嬉しい。

夕方大阪で仕事。写真。
今日知り合ったマダムから、暴漢に襲われたときは助けてでなく火事だと叫ぶことと、海外旅行に行くときは必ずブラの中にドルを忍ばせておくのよと教わる。火事というのは、そう言えば人は外に出てくるからだそう。

帰ったらごはんがある幸せ。
じゃがいもと豚肉をお酢で炒めたの。


2015/1/2

2015年01月03日 | Weblog
京都市内でも20cmを超える積雪。58年ぶりらしい。
福井は道路脇に除雪された山が1m超えて積まれている。元旦に乗ったサンダーバードは2時間以上遅れ、特急料金が返ってきた。無事帰省。2015年を迎えている。
今年は今迄より自由に振る舞えるようになるらしい。自分の使いどころがわかるようになるらしい。そんな占いに書いてあったことに促されたのか、そんな気がしている単純さ。
物心ついたときから変わらない性質のどうしようもなさとそれをカバーしようと良くも悪くも身に付けてきたもの、でもそれも別に脱がない。もはや必要だから。海水と淡水が混ざる汽水のようにあれたらいい。
出会うべき人には出会えるし、行きたいところに行ける根拠のない自信。これは私のおこないによって得たというより自信の方から勝手にやってきている感じで意味がわからない。けれど唆しに来たわけではなさそうに思う。ここで書いてることを今年の年末見返して思い過ごしでした、となりませんように。
これからもっとしっかり文章書いていきたいのと、いろんな人と仕事がしたい。