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流出雑記 

2012/1/16

2012年01月18日 | Weblog

燃えないゴミを出し、最近毎日食べているあぶり餅風白味噌餅を食べる。

昨夜、今夜食べる鯖を煮た。
醤油で甘辛く煮て唐辛子を効かせる。そういう味付けの鯖缶が美味しかったので真似をした。
一晩おいた方が味が馴染むかなと思ったのでそうしてみた。

今年は食費月2万を守る目標。
そうするとひと月30日として、1日あたり約600円。日々の食材の他に徐々に消耗する調味料や米、おやつなんかの出費が入ることを考えるともう少し抑える必要がある。
これはなかなか難しい。うっかり輸入食品店なんかに行って余計なものを買ってしまうと月末に困窮するはめになる。
今まで雑費と食費がごちゃごちゃになっていたので、それをきっちり分けた。
今のところ順調。週の予定に合わせて、遅くなる日は温めればすぐに食べられるものを作り置きしておくだけで、うっかり外食する出費は防げる。そのかわり工夫して料理をする。
午後から仕事で帰ると7時前。
ネギの味噌汁、茹でたほうれん草にはポン酢と胡麻ドレッシングを半々で和え、鯖は温めるだけ。
鯖をもっと柔らかく煮たいが、それは単に煮る時間を長くすべきなのか、火力の問題なのか。

夜は絵を描く。

在宅で仕事をする夫は最近空き時間に高齢者へのお弁当を配達する仕事をはじめた。
独居で半寝たきりだったり、痴呆があったりで、自分で買い物したりすることが出来ない人たちに日々の糧を届けることと生存の確認。
様々な事情で余生を独りで送る人々の家、生活の端っこを垣間見、特に大晦日なんかはプラスチックの弁当箱に入った冷えた蕎麦で、いつもと変わらないまま年を越していくのだと思うと、やっぱり辛いものがあるという話しをしていた。
ずっと独身の人もあるだろうし、数十年前はおせちを並べて家族で新年を祝っていた人もあるだろう。
どうしようもないことだが、どうしようもなく寂しい。
独りでは広すぎる家の、冷え切った空き部屋や食器棚に並ぶ温かいものをよそわれることのない器たち。一切合切詰め込まれた六畳一間の生活空間。
どちらにせよ独りで夜中に目が冴えて、誰かと思っても涙を流しても、それに誰も気付かないし、命が果てても翌朝ヘルパーや弁当配達がやってこない限り誰も気付かない。
寝る前にそんなことを思い巡らせていたら、独りというのが、喉までせり上がってきて涙腺を圧迫した。


2012/1/14

2012年01月16日 | Weblog

かよっていた幼稚園の横に今宮さんという神社があった。
境内へ向かう道にあぶり餅というのを売っている店が2件向かいあって並んでいる。どちらもかなり年季の入った佇まいで、その前はよく時代劇のロケに使われたりした。どちらの店もあぶり餅元祖を名乗っている。

あぶり餅は竹串に一口大より小さめのきな粉をまぶした餅がついていて、店先ではそれを炭火であぶっている。近くを通るとその香ばしいにおいと火の温みに誘われる。そうやって焦げ目を付けた餅に白味噌を溶いたタレをかけて出される。
幼稚園の頃、何かしら父兄が参観に来るイベントの帰りなどはあぶり餅が食べたいとねだった。一皿15本500円。沢山のように見えてひとつひとつが小さいので幼稚園児でもすぐに食べきれ、いつも足りなかったが、安くないのでおかわりはさせてもらえなかった。
2件の店でたれの味が若干異なる。

先日、白味噌を少量の湯で溶いて、きな粉と砂糖を混ぜ餅にかけたらあぶり餅に近いものになるのではないかと思い付き、早速やってみた。餅はトースターで焼いて強めに焼き色を付ける。 四角い餅を8等分くらいにして白味噌たれを絡めたら、あぶり餅の親戚のようなものになり、なかなかおいしかった。
餅の尽きるまでこれが朝ごはんになるだろう。

今朝も餅を焼き、たれを作って焼けた餅をたれに絡めながら切っていた。餅の弾力に抗して箸を使っていたら、右の箸の握っていたあたりがぽきっと折れた。あーあと思いながら残り3分の2の箸で尚も切り進めようとすると、今度は真っ二つに折れた。3等分になった箸を見ながらなんだろうこの既視感と思って、その記憶はすぐにつながった。
小学校6年の3月、卒業前の最後の給食。
メニューはポークカツだった。
1枚丸々お皿に乗っていて、最後だからとご馳走で送りだされることが何だか誇らしく嬉しかった。それを箸で切って食べていたら、プラスチックの箸が折れたのだ。最後の給食の途中で毎日のように持参していた箸は役目を終えた。先生に割り箸をもらってカツの続きを食べた。
中学では新しい箸を使うのだなと折れた箸を見て思っていた。

今日折れた箸は2年前、結婚したときに実家の隣の親戚からもらった夫婦箸だった。どういう来歴だったか忘れたが、云十年その家の戸棚か押入れで眠りについていた、色褪せた箱に入っていたのを手渡された。ものを貰って珍しくあまり嬉しくなかった。私から見てあまり感心できる家庭でなかったので、そこにずっとあったものであるのと、あんたとこは女ばっかりやから、家が絶えへんように考えんとあかんのちゃうか、おうちとお仏壇どうすんのかな思ておばちゃん心配してんねんでという話をされて返答に困り、あまり良い気がしなかったのだった。

でも箸を邪険に扱うのはなと思い、箱から出し洗い、煮えてへばりついたシールを剥がして時々使っていた。

メインで使っていたのは福井駅の土産物屋で買った箸だったが、それも端が欠けたりしているので、年初めに新しい箸を買 おうかと思う。


2012/1/12

2012年01月13日 | Weblog

コタツで沈没し8時起床。
朝のテレビ、今期いちばんの冷え込みを伝える。朝のうちは自転車のサドルなどにうっすら積もっていた。
夫見送りみかんを食べて絵を描く。ミルクティーを入れ、きな粉餡餅を食べる。正月、母にもらった御座候の餡子。あの中身の餡子だけが売っているとは知らなかった。

午後大阪で仕事。
夕方京都に戻る京阪の向かいの席、黒髪をきちんとまとめ、黒い鞄に黒い靴、リクルートスーツの女の子。色白で大きな目、口紅で色を足していない血色のいい唇。
白地のバーバリーチェックのマフラーが良く似合う。黒い鞄から緑茶のペットボトルを取り出してひと口飲み、ペットボトルを戻すついでに鞄に入っているコンビニの袋から、袋入りのドーナツを取り出し少し隣のおじさんに遠慮しつつ封をきり、オールドファッションのドーナツをかじった。
面接を終えた帰路。何を見るでもなく前方に視線をやりつつドーナツを食べている。ほっとしているようでもあり、不安そうでもあり。どこか見覚えのあると思ったら、ハムスターに似ている。
好物だったのか、甘いものが食べたくてたまたま目に留まったドーナツだったのか、緊張が解かれてようやく口にしたドーナツだったのか。
就活。仕事につき給料を得て彼女はドーナツその他諸々を買って生きる。

幸福というものが個々によってかたちの異なる、あるいはかたちのないものだとして、生活とは幸福を具現化しようとその周りを覆ってゆくこと、輪郭を描いていくことのように思える。ドーナツの如く。

夜はコーポリアルマイムのクラスを受けに行く。
今まで会場を借りてクラスを開かれていたが、引っ越された先生宅に稽古場ができたので、これからはそこで稽古できることになった。
サムさんというコーポリアルマイムのアクターが日本に来ていて彼から教わる。今までコーポリアルマイムを教わった人を思い浮かべると、精密にバラされた体に柔和な人柄が入っているという感じで、皆人間らしくあり人間離れしているように見える。

帰るとカレーを平らげた夫がコタツで眠り、そのまま朝までどうやっても起きなかった。


2012/1/8

2012年01月10日 | Weblog

年明け初稽古、の予定だったが、インプット、言葉が足りない、ということで稽古場に行かず本を読む。クレジオ、ロブ=グリエ、聖なるものの場と媒体。
とっかかりになるものが、一片でも、手掛かりをさがす。

結局この日は稽古場には行かず、近くの赤山禅院に行き、弁財天に未だ茫洋とした作品の成功を拝んできたのだった。

夜、夫打合せで外出することになった。夕飯に鰈を焼こうと思っていたが、ひとりだと面倒になってやめた。
今週、帰りが遅い日が多いので数日食べられるカレーかハヤシか何か作っておこうとスーパーに向かった。
皮を剥かずに丸ごと食べられる小さいじゃがいも、鶏ももが安かった。家にトマト缶があったので、カレーでもハヤシでもなくトマト煮を作ることにする。他、人参、煎茶など買って戻る。

お腹がすいて、一先ず夕飯にする。昼に作った豚汁、昨日炊いた里芋、高菜と卵かけご飯。

食後にお茶を煎れた。
一人分3gの茶葉、湯呑みを温め、少し落ち着いた湯で30秒。

ひと口飲んで、おかしいと思った。
玉露入りと書いてあったが、あり得ないうま味があったのだ。前に一度、上等な玉露を低温で抽出したのをいただいたことがあったが、それはちょっと驚くほどうま味があった。なぜ葉っぱからこんな味が出るのかと恐れいったが、それとは何かが絶対に違う。
買ってきたのはかりがね入りでご家庭用の普通の茶葉だった。
なんだこの取って付けたようなうま味と思って袋の裏を見直すと、原材料名、茶葉 の次にアミノ酸と書いてあった。
要するに味の素が入っているという事。だしの素ならまだしも、お茶にこれは小馬鹿にされている気分だった。ちゃんと見ないで買った方も馬鹿だが。
残りでお茶を煎れる気にならないし、お茶風呂にしても私に味が付いたところで只々気持ち悪いし、いろいろ考えたが使い途がない。まだ袋いっぱいの茶葉を前に途方に暮れていると、暖房していない2階に上がっていた小梅が降りてきた。冷えた猫を抱く。こんな茶は猫も飲まぬ。耳の端がいちばん冷たい。

じゃがいもを洗い、玉ねぎ、人参を洗って切る、鶏肉を切断する。にんにくから目が出ている。水もないのに緑の芽が育とうとしている。芽を摘む。にんにくと鶏を焼く。その他とトマト缶と水を入れて煮る。
トマト煮の隠し味コチュジャン。

夫帰宅。鰈焼く。小梅落ち着かない。小梅鰈を少しもらい、納得したようにヒーターの前で丸まる。夫コタツに沈む。
私風呂に入らないと一日が終わらない。毎日一日を終えて眠るのだ。


2012/1/7

2012年01月08日 | Weblog

仕事始め。
目覚ましで7時過ぎに起きる。
白湯と王林。王林ハズレ。柔らかい。
身支度。芸能ニュース、上戸彩の結婚を伝える。EXILEと。

もらいもので大袋いっぱいのプレッツェルの残りと薄皮ピーナッツパンを一個齧って8時20分家を出る。
自転車のサドル凍っている。
松ヶ崎まで行って地下鉄で四条へ。
新年初の缶コーヒーはBOSSのブラジルなんとかにした。緑の缶が良く見えた。

着衣で少し変わったものをと言われていたので、ロングのドレスを持って行った。ノースリーブで寒いだろうとは思っていたがやはり寒い。部屋の暖房は全館管理のため調節出来ない。耐えられないレベルではないが鳥肌立ちっぱなしだった。

この絵画クラブの先生はあなたは~?と聞いたりするとき、おうちは~?と言う。
あなたをおうちというのはどこの方言なのかと調べてみると、京都弁だった。

仕事を終えて帰る途中の道、あったかかろうと思って通り抜けた大丸の帽子売り場で見つけたセールの帽子5400円を買う。

スーパーに寄って1時過ぎ帰宅。
夫も午前の仕事から帰っていた。
お昼 夫、鍋焼きうどん。昨日の夜も鍋焼きうどんだったのに昼もこれがいいと言った。生おかきという薄く切った餅をトースターで焼いてうどん出汁につけて食べている。
私、年末焼いて冷凍しておいたパンに南瓜サラダをのせて食べた。

里芋を洗って剥く。値段が安くて粒の揃ったのを見つけたので、お正月、義母に聞いた茹でこぼしてから水は入れずに炊く方法を試す。一晩置いた方が美味しいと思うので、明日のおかず。手の甲がむず痒い。

今夜はキムチ鍋。母のお気に入り叙々苑のキムチ鍋スープをもらってきた。
ニラが高すぎたので青ネギにした。白菜、しめじ、大根と人参はピーラーでひらひらにして入れる。肉は豚肉。
茹でて潰して冷凍しておいたじゃがいもに小麦粉と片栗粉を加えて練る。白玉団子くらいに丸めて鍋の〆に入れた。


2012/1/5

2012年01月07日 | Weblog

5日
朝、美容室に予約を入れる。
9日からの固定ポーズが始まる前に髪を切らないと4月まで髪型を変えられないので、年明け早々髪を切る。
始めて行く近所の美容室。髪の量は多い方だが、髪のはえている範囲が広いですねとは始めて言われた。猿の惑星を思い浮かべた。

髪を切ったあとブーツのかかとを直しにカナートに行く。ゴムの部分が磨耗してほぼ無くなりヒールの木の部分に達していた。修理屋のおじさんに重傷ですな、なんでもちょっと早めがよろしいよと言われる。
30分かかる間、スリッパを借りてカナートの中をぺたぺた歩いた。

かかとが新しくなった靴を履いて横からフォルムを見ると、以前の美しさを取り戻していた。それに歩きやすい。新品の靴を買ったようだった。1000円でこうならもっと早くに直せばよかった。

夫は来月の公演会場下見で横浜へ行っている。
ひとりの夜は白味噌鍋。ほうれん草、しめじ、あげ、豆腐を潰して片栗粉を入れ、こねて茹でると餅のようなすいとんのようなものになる。白味噌には牛乳を少し足すとコクが出ておいしい。

今年最初の絵を描いた。
最近絵のサイズが大きくなって、以前のようにスキャンしてタンブラーに載せることが出来なくなった。
紙の重要性に気付きはじめた。
ハガキサイズで描いていた頃はケント紙などつるつるした紙が好きだったが水彩を使うようになり、筆に引っかかりのある紙の良さもわかった。紙によって絵が変わる。写真のはアルシュの粗目。


ゆく年くる年

2012年01月07日 | Weblog

大晦日
掃除の詰。夕方、父が車で迎えに来てくれ、荷物と小梅を積んで宇治の実家へ。真ん中の妹は着物を着て平安神宮に出掛けていった。下の妹も同窓会で再会した男の子と会うのだとおめかしをして出掛けた。
母はキッチンで魚の切り身を薄切りにしている。鰤しゃぶだった。大根おろしを手伝う。
父、母、夫、私。紅白を流しながらコタツで鍋をつつく。母は福井の鰤ほどおいしくないと思うけどごめんなぁと言いながら出汁にくぐらせて白くなった鰤を自分以外の3人の器に入れてくれる。
実家の正月料理である牛すじの昆布巻き。父はこの昆布巻きとこの煮汁をかけたごはんがあれば正月は満ち足りるらしい。
大晦日だが味見と言って一本切って出された。祖母の代から同じ昆布屋の昆布を使っていたが、今年母がその店に買いに行ってみると昆布屋は店をたたんでしまっていた。それで別の昆布屋の昆布で初めて作ったので母は出来を心配していた。
炊いて1日目なので味がまだ少し浅い。試食した父はうまいと言ったが、醤油辛いのが好きなので、もう少し辛い方が好みやけどなと付け加えた。母は明日にはもうちょっと煮詰まるから今日はこんなもんやねんと言った。
年末にかけて仕事が立て込み馬車馬の如く働いていた夫はついに電池が切れ、深い眠りにつき、そのまま年を越した。
1月2日が誕生日の末の妹のバースデーケーキを作成する。
夜中に妹たちは帰ってきて、風呂に入って床につく。

元旦
4時頃布団に入り6時起床。
皆まだ眠っている。
母とふたりで伏見稲荷に行く。
母は伏見稲荷に祖母に頼まれたお札をもらいに行く用があり、ついていくことにした。

こんなに朝はやく初詣に出るのは初めてだった。電車で10分程で着く。
境内ではもう屋台があいていて、りんご飴の赤やパンパンに膨れた綿菓子袋のピンク、串刺しの鮎は整列した状態で炙られ、イカ焼きのにおいがただよってくる。
朝からジャンボ焼き鳥串なんて食べる人がいるのだろうか。
甘酒がないか見回した。

朝なので鬼のような人混みではなかったがそれなりに賑わっている。古いお札を納めて新しいのを買いに並ぶ。売り子の巫女さんが、お守りを一体、二体と言っていた。そう数えるのをはじめて知った。

おみくじを引いたら大吉だった。母は末吉。

母は帰りに狐の顔の形に焼いた煎餅と、ベビーカステラを買った。ベビーカステラのおっちゃん元ヤクザさんやと言う。左手の小指無かったそうだ。
帰宅して熱いお茶とベビーカステラをつまんだ。最近9時前に目が覚める夫も起きてきた。
ベビーカステラは思っていたよりもちっとしている。一粒毎に小指のことを思い出さざるを得なかった。

お膳の準備をし、皆を起こし、餅を焼く。私は断然白味噌贔屓だが、元旦のお雑煮は毎年多数派のおすましになる。

黒豆、梅の形の生麩、栗きんとん、ごまめ、煮しめ、昆布巻き、鰤の照り焼き。家で作るものと買ってきたお重が並ぶ。

一通り食べ終えて落ち着いたころ、はやくゴルフの打ちっ放しに行きたい父を引き止めて、コーヒーを入れ、ケーキを切って妹の誕生日を祝う。欲しいと言っていたカバンをプレゼントした。

夕方、福井に帰る。
京都駅で義父リクエストの千枚漬けなどを買い、サンダーバードに乗る。席がなかったのでドアのあたりにいた。敦賀を過ぎたあたりから雪景色。福井駅に近付くと雪はもう路肩に若干残っている程度だった。そういえば一昨年の大晦日は大雪だった。
駅まで兄と弟が迎えに来てくれ、車で家へ。
実家に着く。義母は台所で夕飯の支度をしてくれている。揚げ油の香ばしいにおいがする。2階に料理を運ぶ。おせち、お寿司、刺身、大きなエビフライ、鶏の丸焼きなどおいしいものがテーブルいっぱいに並ぶ。その中で義母の里芋の煮物がいちばんおいしかった。一度茹でこぼしてから水はほとんど入れずに炊くと聞いた。

福井には冬しか売らない羊かんがある。とらやのようなねっとりしたのでなく、寒天でゆるく固めたみずみずしい羊かん。
水分が多く痛み易いので冬場しか流通しないらしい。平たい容器にそのまま流し固められていて、好きなだけ付属のヘラで切って食べる。目の前にあるとすいすい食べてしまう。

夫の実家は2日が忙しい。
剣道の道場の初稽古があり、そのあとの新年会。
いちばん忙しいのは義母。
買い物から料理、片付けまで一手にこなす。これを毎年ひとりでと思うと、何かと用事の多い年末から年明けにかけてとんでもない労力である。さほど役に立たない嫁だが皿洗い係がひとりいれば少しは助けになるだろうか。

夜は義母にシフォンケーキの作り方を教えてもらった。過去3回、自分で作ったのは惨敗に終わっている
深夜の冷えた道場の片隅で冷まし、型から外すと見事な出来栄えだった。

義母おすすめのターシャテューダーのDVDを見た。庭がほしい思いが募る。2本あって全部観て風呂に入ると朝だった。

翌日は祖父の家に行き、夕方サンダーバードに乗って京都に戻った。譲り受ける予定だったシフォンの型を忘れてきた。


2011/12/31

2012年01月04日 | Weblog

 

人の細胞はだいたい7年で全て入れ替わるらしい。

終わりつつある2011年、28歳の今年は4度目の総入れ替えが完了した年でもあったのか、と考える。

7年前、21歳、大学3回生。

親元を離れてひとりで生活し始めた年だ。

ひとりで、といっても家賃と学費は面倒みてもらっていたので完全な自立ではない。

 

毎月ポストに入る電気とガス代のレシートみたいな紙すら新鮮で、しばらく集めていた。

生活費は知れていたので、今と同じモデルの仕事でなんとかやっていた。でも余裕はなく、公演が近づくと稽古に時間を取られて働く時間はなくなった。

大学の前にあった99円ショップで冷凍の緑黄色野菜ミックスや安い調整乳や、あんまりおいしくない食パンを買って食べていた。

おいしくない食パンは切って牛乳と卵を溶いて塩コショウした液に漬けて、フライパンで焼き、焦げ目が付いたらケチャップを絡めてフレンチトーストのようにして食べるとおいしかった。500gくらい入っている安い餡子のパックを味噌のように冷蔵庫に常備し、毎朝ぜんざいを食べていた冬もあった。小倉トーストにもした。

お湯と牛乳を沸かした鍋に粉のコーンスープの素を入れ、溶けたら少しコンソメを足し、冷蔵庫野菜ミックスを入れたクリームシチューみたいなものは、10時に稽古を終え、冷えた部屋に帰りつき、とにかく早く温かいものが食べたいときによく作った。緑や赤が浮かぶ白いシチューを白い息の出る部屋で食べた。そうでなければ味噌汁に野菜を沢山入れた。

 

親に頼っていた部分はあったにせよ、どうにか自力で衣食住を整え、生活するということを知った頃だった。

テレビもネットもない六畳一間、家賃32000円の木造アパートひとり暮らしから、28歳の体は培われてきたことになる。

 

当時、誰にも迷惑を掛けずに生きたいと思い、誰かと暮らす、ましてや結婚なんていうものは到底不向きだと自他ともに頷くような人間であったのに。

 

28歳からの7年間、また徐々に体は作り変わっていく。残りながら変わっていく。音も立てずに、気付かないうちに。気が付けば、そのようになっている。

平気だったことが平気でなくなったり、平気でなかったことが平気になったりするだろう。

 

来年はどのような年になるだろう。