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流出雑記 

2016/2/28

2016年02月29日 | Weblog
 
 
沖縄に着いた日の夜、ホテルから歩いて20分くらいの嘉手納基地を見に行った。途中にあったサンエーというスーパーの菓子売り場で見つけたくんぺんという茶色い楕円の菓子をかじりながら歩く。ピーナッツの風味。
沖縄が返還されて2年後にコザ市は沖縄市になったけれど、今もコザで通っているようだった。コザゲート通りをまっすぐ行くと嘉手納基地に着く。見に行ったと言っても夜だったし、ゲートの前まで行ってそこに確かにフェンスの向こう側があることを確認しただけで、フェンスに貼付けられた警告に中は「軍用犬により巡視される」とあった。頑張ったら登れそうなそこを越えると異国ということになっていて、中に入れば私はよく訓練された賢い犬に捕まる。基地の周辺の街は褪せて錆びて寂れている。今はシャッター街の中にぽつぽつ営業している店がある。暗いバーの奥の方に空軍の制服姿がほの見えたりする。閑散とした商店街を歩いてたまたま辿り着いた大衆食堂ミッキーというどうにも目が離せない感じの店に入りソーキそばを食べた。後でそこが沖縄に詳しい惠子さんが送ってくれたコザおすすめリストに入っていたことを確認した。
コザが最も賑わっていたのはベトナム戦争の頃で、最盛期は市の経済の約80%を基地に依存していたくらい経済的助力を受けていたらしい。当時の沖縄はベトナムの戦地から戻って疲弊した兵士の一時休暇の地になっていて、酒や薬で羽目を外した兵士による犯罪も多発、けれど事件が起きても加害者が本国に帰されうやむやに終わることが多かった。そんな中アメリカ兵が運転する車が沖縄の人をはねた事故をきっかけに群衆が米軍関係車両に投石、火を放ち、暴徒と化した人々が嘉手納基地内に侵入し学校に火を放つ、というコザ暴動が勃発。それが起こったのが沖縄が返還される2年前の1970年。米軍統治下の沖縄で沖縄の人々には日本の憲法もアメリカの憲法も適用されないとても不安定な立場に置かれていたということを知る。
 
公演の打上げの席で沖縄の人が隣の宜野湾市はものすごく飛行機が低空飛行で飛ぶと教えてくれた。翌日のオフはそこに行ってみようとぼんやり決めた。打上げ2件目は今回公演の音楽、内橋さんおすすめのゲート通りにあるCLUB QUEENに行った。ネオン管の光る入り口から地下を降りると、地下にこんなにも人がと思う程混み合っていて、ステージではQUEENのコピーバンドが歌っている。でその歌と演奏がものすごく良い。特にBohemian Rhapsodyにはちょっと鳥肌が立った。でもQUEENだったら私は何を差し置いてもKiller Queenなので、どうか流れてくれと願っていた。舞監の大田さんもQUEENが好きなようでKiller Queen聞きたいと話してたらリクエストできるらしいでと聞いてみてくれたのだけど、しばらくやってないからKiller Queenはできないとの返答だった。この言い回しを今初めて採用するけれど残念至極とはこういうことだと思う。
 30分置きに30分程のステージがあり、曲目は毎回変わる。合間の時間にバンドメンバーは接客もする。話せばカタコトの日本語でフィリピンから来ていて6ヶ月滞在している、4月に一度帰るけれど6月にまた来るとのこと。要するに出稼ぎというやつらしい。こっちもパフォーマンスで沖縄に来ていて今日公演があったと劇場の場所を言ったけれど、外にあまり出ないからわからないと言った。 3ターン居座って踊り狂い高揚感が湿気る前に帰り、ホテルのタイルで出来た奇妙な浴槽に浸かる。宿泊先のよしだホテルは沖縄市で一番古い、アメリカの軍人向けに建てられたホテルだったそう。当時バスタブというものが沖縄になくてタイルばりで作った名残りらしい。
 
オフの日、こないだまで沖縄にいた野村さんに教えてもらった2件のタコスのお店のおいしい方の店に行った。確かにもうひとつの店のよりバラバラせず料理としての一体感があった。適当にバスに乗って宜野湾市に出る。アバウトに宜野湾は飛行機が低く飛ぶとしか聞いてないのでどこに行ったらいいのかわからない。適当に宜野湾という駅で降りる。まったく観光地的ではないところ。しばらく上空を気にしてみたけれど何も飛んでいない。チョコレート専門店の看板を見付けてほんとにそんな洒落た店があるのかと住宅街を入っていくとショコラティエという感じのチョコレートが宝石みたいにショーケースに並んだ店があって、入ってからしまった高いと思ったけれど、ひと粒でも買えるということで島コショウ入りの200円のチョコをひと粒手のひらに乗せてもらった。
店員さんに飛行機のことを聞くとこの辺も飛ぶことはあるけれど、それこそパイロットが見えるくらいのは宜野湾市の大謝名という地域だと聞いた。基地の中に土地を持っている人は働かなくても借地料だけで悠々暮らせてしまうので、日がな一日パチンコ屋にいるとか、働かないで済んでしまうがゆえに為すことまで見当たらず精神のバランスを崩し命を絶つ人があったり、などの問題があるという話しを聞く。それでも中には返還を求める人ばかりでなく、返さないでくれと思っている人達もつまりは一定数いるということ。
この辺りは住宅地だからそんなに飛行機は飛んでこなけれど、政治的に微妙なことがあった際に嫌がらせなのか思うような低さで飛んでくることがあるとか、いちいちニュースにはならないそんなこともあるらしい。
とにかく大謝名に行こうと思ったけれど、地図を開いたらわりと大回りして海寄りの方に行かねばならなかった。大回りをしなければならないのは宜野湾市の真ん中に普天間基地があるからで、しかもちょうどその真ん中あたりにいた。それでフェンスの際を歩いた。だいぶ歩いた、本当は雨の予報だったのに褒美のごとく見事晴れ上がり5月の空みたいで、長袖だと暑いくらいの日差し。なのにモッズコートを着てきてしまって何より見た目が暑苦しいのが嫌だった。
大謝名という標識の出ている国道沿いに出た。国道沿いはどこでもパチンコ屋が目につくけれど輪をかけて多い。道は大型チェーン店の並ぶ均質なつまらない感じになってきた。ついでそろそろ本数が少ないので帰りのバスのことも気になってきて、バス停を探したり、それ以前に財布に一万円札しかないから崩さないとバスに乗れないので、適当なコンビニみたいなのを探すのに右往左往した。
で結論としては大謝名に行ったが飛行機は見られなかった。飛ばなかった。日曜日。
 
帰りは来たのとは違う路線のバスに乗ったがそれは思ったところを全然通ってくれず、一応沖縄市に戻ったけれど、ホテルまで努力次第では歩けないこともないくらいの感じに離れた海沿いの嘉手納基地周辺で、そこから乗り継げるバスはなく、フェンスと国道に挟まれた逃げ場のない一本道をまたひたすら歩いた。
途中でQUEENを聞くことを思い付き、イヤホンを取り出して爆音でKiller Queenを耳に流し込みながら歩く。フェンスと歩道の間に繁茂する雑草の類いを眺め、私の知る街路樹との違いを眺め、フェンスの中の運動場、住宅地、フェンスの中をランニングする金髪の女性、フェンスの中のハトなどを見た。自販機は圧倒的にUCCついでDyDoが多い。よく見る500ml缶のレモンティー、一気に飲み干す。お腹も空いてきて途中にあったA&Wというルートビアのハンバーガーチェーン店に入る。店の中の雰囲気がアメリカ映画に出てくるダイナーみたいな感じで茶色いシートでゆったりしている。おばちゃん8人くらいのグループがそこでお茶したりしている。ルートビアは気持ち悪くて飲めない。ハンバーガーを食べた。
 
西日の中歩く。雑草というかちょっとした木にまで成長した道の脇の植物が歩道に生い茂り、すっかり消えた路側帯から否応無く車道側に押し出されてしまう道がしばらく続いた。見た感じもうそこは歩道とは認知されてなさそうだし、やはり誰も歩いていない。けれど路側帯の引かれた痕跡を確かに発見した。大半を植物に占められて歩行者に残されたゾーンは幅15センチくらいしかないけれどそこは歩道、歩いていい道のはずだ、ということを後ろ盾にそれを後ろから走ってくる車に背中で主張しながら歩いた。私の真横を通過する車は皆減速していく。なんでこいつ車道歩いとんねんと絶対思われている。大型トラックが通ったら引っ掛けられそうだったので車道側にコートの紐等が出ないよう体側に裾を引っ張った。横断歩道がないし車が延々途切れないから対岸に渡れない。フェンスしかないところだから普段わざわざそこを通る人はいないのだと思う。
 
やっと広いところに出たと思ったら、嘉手納基地のゲートだった。
青い空、白いゲートとその奥行きの拡がり、芝生、U・S AIR FORCE Kadena Air Base 、それら全体が目に入ったとき、耳の中で流れていたのがBohemian Rhapsodyで、あの曲の1番盛り上がる、転調のはげしいあのあたりで、そしたら昨夜のCLUB QUEENで見たフィリピンのコピーバンドとかそこで踊ってた老若男女、この数日のあいだに見聞きしたコザのいろいろ、PORTALのこと、ない交ぜになったどうとも言えない混淆の中にある様々、良いとか悪いとかでなくて、眼前の風景と音楽が記憶を巻き込んで完璧に象徴してしまうような瞬間が訪れた。それは一個の体の中で起こっている外に漏れない体感なのだけれど劇的な結び付き方をしてしまっていて、ちょっと泣きそうになった。こういう現象が起こるとき体っていう場所が自分にあって良かったと思う。散々歩いたランナーズハイや延々並走してきたフェンスの風景の加圧もあったのだろうけれど、大謝名への当初の目的を果たさぬ道のりはそれだけで甲斐あるものになった。
日が暮れる前になんとかホテルに帰り着き、最寄りのスーパーユニオンで買ってきたテビチに部屋に着くなり食らいついた。その夜はうまい足をこの世の誰にも遠慮なく食べることをしたかった。だってどうみても足だよと敬遠していた豚足を今回の沖縄で初めて食べておいしいことを知った。自分の足は疲れ果ててあちこち痛い。骨から肉を引きはがす。ゴミ箱に骨を捨てたらコツという音を立てた。口の中の油気をさんぴん茶で洗い流しあとはひたすらBohemian Rhapsodyをループしながらこれを書いていた。

2016/2/24

2016年02月24日 | Weblog
PORTAL沖縄へ。
日本の福岡より南下するのは初めて。神戸空港、三ノ宮から乗り換えのポートライナー乗り場がわからず朝から無駄にスーツケースを引っぱり回す。
1週間ぶりの座組の顔ぶれ。昼過ぎに飛び立って寝ているうちに那覇着。曇り。やっぱ暑いと思ったら空港内は暖房が効いてただけで外に出たら普通に肌寒かった。空港からバスで3カ所に分かれた宿泊先に順に降ろされる。バスから見える風景を行ったことないけどタイみたいだと出演者の男の子が言った。確かに建て物の壁と街路樹の感じ、看板などの色褪せ具合がタイに似ていた。別のプロダクションで一度一緒にタイに行った舞監の大田さんもほんまタイみたいと言った。
風景の中で異様だったのは墓地だった。墓は小屋みたいな形をした死者向けの分譲住宅地みたいになっている。

宿泊先のよしだホテルというところはコザで最も古いホテルらしい。ゆえにエレベーターがない。
ホテルに着いて自由時間、とにかく歩いてみたかった。ホテルを出るとサンサン通りという大通りで、その途中に見つけたスーパーに寄る。知らない土地に来ると必ずスーパーを覗く。噂通りシーチキンは箱で売っている。豚肉は売っている部位が多く、京都よりブロック肉の扱いが多い。ラフテー用の肉、足などが。鶏肉安い。こっちであまり見ないタイ産もある。牛肉はニュージーランド産のステーキ肉2、3枚入りがとても安い。野菜普通。
鮮魚は青や緑の魚が並んでいる想像をしていたけれど、そうでもなくなぜか鰤のアラ、しかも顔だけ集めたのがやたら多い。唯一ぐるくんという赤い魚が沖縄感を醸していた。もっと海の近くだと違うんだろうけど。
砂糖売り場は上白、グラニュー糖より黒砂糖きび砂糖が断然幅をきかせていて種類も多い。惣菜コーナーの揚げ油のにおいなどのせいで重篤な空腹がやって来た。菓子売り場で見つけたくんぺんという見たことない楕円形の茶色い菓子を買ってかじりながらコザゲート通りをまっすぐ行く。くんぺんは硬めの黒糖風味の生地に中身はピーナッツの風味の餡。
コザゲート通りは散髪屋、何屋かよくわからないもの屋、紳士物の洒落たスーツ店が並んでいるけれど、わりとシャッターが下りていて、どちらかというと閑散としている。

小さな星条旗が連なって入り口を飾る暗いバーの奥に空軍の制服姿が見えた。
まっすぐ歩いていくと嘉手納基地に出る。U.S AIR FORCE とある。この感じ、横浜で基地や根岸の外国人墓地を初めて見たときも感じた。別の場所の立入禁止とまったく違う感覚になるフェンスと境界。けれどここに来るまで歩いてきたこの町はこの基地との関係で成り立っている。入り混ざって生まれる文化のおもしろさもあるけれど、その前提にもちろんすっと飲み込めない事情が横たわっている。ここはまるで日本の縮図、露骨に可視化されていないものが見えるようになっている場所のように感じた。アメリカと日本の関係に無意識でいる訳ではないけれど、事情を目の当たりにしたときの言い知れない悔しさはある。沖縄だけの問題じゃなくて、自分の生まれ育った土地の文化形成の端々にアメリカという国は差し引くことが不可能なほど根深く関係している。そして何もかも御破算になるくらいのことが起こらない限り入り組んだ問題がすっきりとすることはなく、致し方ない譲歩や妥協を含まず面と向かい合える関係にはたぶん双方の国がある限りなれない。それはやっぱり残念なことに思う。外交とはそういうものかも知れないし理想論だとも思うけれど。けれど。
旅客機とは違うもっと鋭い戦闘機の飛ぶ音を聞いた。爆撃しなくてもその音はすでに日常への攻撃になっていることは間違いなかった。暗かったので嘉手納基地の全貌がどのくらいの敷地なのかわからなかったけれど、後で地図を見たら結構な面積だった。
ここにくる数日前に見たキム ギドクの「受取人不明」。それで韓国にも米軍基地があり日本で起きているような問題は韓国でも起きていることを知った。

何か食べようと店を探した。沖縄に詳しい方にオススメをいくつか聞いていたけれど、位置関係がまだよくわからないので見つけたところに入る。タコスかソーキそばと思っていたけれど、寒いので温かい方がいい。商店街みたいなところを歩いていたら沖縄そばと書いた店を見つけた。大衆食堂ミッキーと書かれた見るからにディープな店で、店先のメニューを見たら沖縄らしいものほぼすべて網羅されていた。沖縄そばを注文する。
セルフサービスの水と紅茶。紅茶はうすいレモンの風味と甘みがついていた。

2016/2/16

2016年02月16日 | Weblog
徹頭徹尾錆び付いて 侘びる隙も寂びる隙もない 無味乾燥引き換え券 大型スーパーマーケットの しぶとく傷まないクリームパンの山積み 動物感を消したこま切れ肉に慣れ親しんで 時折鰯の血走った目に睨まれると怖じ気ずく 唐揚げがかつて鶏であったこと 揚げずに唐揚げだってできるこのご時世に とさかのディテールをいちいち思い起こさない 出来過ぎキャベツの大量に打ち捨てられた畑 キャベツ畑に降り立つコウノトリは何を運ぶ 巻き過ぎ恵方巻きの大量廃棄 恵方にあるのは 高性能ゴミ処理施設に違いない 幸あれ 豊かさに隈無く挟み込まれた執拗なまでの無理無謀 不愉快な余剰が豊かと呼ばれる 余りあることに飼いならされてそれに気付いた人びとは 古き良き伝統的暮らしの慎ましさをググって 手前味噌を仕込み始める 幸あれ

2016/2/13

2016年02月13日 | Weblog
開演前、舞台袖に無駄に早くついている。単に袖が好きだから。

観客の足音と話し声、かばんに付いたキーホルダーが座席の木の手すりに当たる音、紙の音などが聞こえる。モニターに映る客席に徐々にいろんな色が増えて、埋まっていく。客入れ中の明かりがともるまだ始まっていない未劇の舞台上。

1時間やそこらの会話や動きの最良の瞬間のために、同じことを何度も繰り返してきた。演劇の欲望は繰り返せない瞬間の連続にある私たちの生の不可逆性の実感、に根ざしているのだろうか、とかそんな頷けそうなことを暗がりで思う。それでも何公演あってもその日その日の本番はやっぱり繰り返せない1回なんだけど。

客席でも舞台上でもない舞台袖は、見えてはいけない、見せない、あるけどない隙間のような場所。袖には見切れ線、というここから先はお客さんに見えてしまいますよという線が引いてあり、見えないように気を付け、足音を殺すため床にはパンチが張ってある。舞台袖はいながらいないで生身の緊張のピークを味わう場所でもあり、また緩まる場所でもある。

真横から舞台上を眺める開演前の宙吊りの時間。灯体のシルエット、吊られている美術、置かれている美術、操作盤、小道具、着替えの衣装。

良き瞬間を切望する。たった一言、たった一歩の足の運び、それが重なっていく時間を。繰り返しのなかで私の意思よりも先立って、良きものを希求する存在の欲深さがある。
この衝動を引き出すには私の外への宛先が必要で、それは観客を含めた作品に関わる人たちのため、とも言えるけれど、もっと別の、人型を充てがわれたときに交わした覚えのない約束、らしきものがある、と思うことがある。
覚えてないのに約束があることは知っている、というのは矛盾している。でも求めるものはいつも矛盾の真ん中にある。例えばそれは混沌を殺さないまま目鼻を穿つことのように。
良きものを希求する、それは必ずしも善ではなく、一義的な美でもなく、例えば残虐さの中にさえあって、なおかつ約束の形をしている。これは一体何なのだろうか。

2016/2/9

2016年02月09日 | Weblog
言葉のほつれを見つけては
手繰り寄せつなぎ合わせて
編む手癖
それであらわれる色柄に
隠された意図を読み取る
観念の囚人は
体内醸造で
血中アルコール濃度を高め
千鳥足であるのが常だから
耽溺を枕にして眠る