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流出雑記 

2014/10/27

2014年10月28日 | Weblog
冷え込んでようやく10月末なんだと思う。
寒くなる前に中之島の野外で維新派を見た。用心して厚着して腰にカイロを貼って挑んだけれど、この日はむしろ暑いくらいだった。

終盤、舞台に水が満ちた頃、上からも水滴を感じ、終演とともに栓が抜けたような土砂降りになった。

それでもめげずにカッパを買って屋台でモンゴルパンという平たい熱々のパンに野菜を挟んだものを雨に打たれながらむさぼる。
去年の今頃共演者として稽古していた幾人かと顔を合わせ、松本さんを囲んでしばらく話したら、私だけ終電がはやく駅までダッシュでぎりぎりだった。なんだか最近望まずよく走っている。
阿波座から地下鉄を乗り継いで梅田からはJR。
電車の中は日本シリーズ帰りのタイガースまたはホークスのファン、コンサート帰りのEXILEファンでごった返している。高槻を過ぎたあたりで車内に聞きなれないブザーの音が響いた。車内にて緊急停止ボタンが押されました。気分の悪いお客さまがおられます。次の向日町駅に緊急停車します。とアナウンスが流れてる。各ファン皆何事という顔をしている。
しばらくして停車すると、車内に医療関係者の方いらっしゃいますかとアナウンスが流れる。気分が悪くなった人は別の車両でどういう具合の悪さなのかわからない。
車掌さんに連れられて満員の中を掻き分け、看護婦らしき若い女性ふたりとタイガースのユニフォームの男性ひとりが移動していく。ちなみにこの日阪神は負けている。

この電車が地下鉄烏丸線との最終連絡なので、もう間に合わないけど、京都駅からタクシーを使う余裕はない。しばらく考えて、JRの宇治線はまだあるかどうか調べるとあったので、急遽宇治の実家に帰ることにした。夫と母に電話する。
最寄り駅まで車で迎えに来てくれた妹に、この時間にいきなり帰ってくるのは喧嘩かと思ったと言われる。

帰るとお風呂を沸かしてくれていた。上がってから母の肩たたきをし、最近急に職場で始まったらしいフラメンコのリズムの練習を一緒にして寝た。




2014/10/25

2014年10月26日 | Weblog

気付けば10月も終わりに差し掛かっている。ここしばらくはよく観劇し、人に会うことも多かった。

今日は朝から大阪で仕事。12時半にその仕事が終わったら京都に戻って2時からもう1件あった。乗り換えはぎりぎりでミスれない。朝の仕事場は大人ばかりが少人数で静々描いているところだった。そこでの仕事を終えて、ローソンで買った炊込みおこわのおにぎりを食べながら駅まで早足で移動。おにぎりはすごく味が濃い。そこまで添加物にこだわらない方だけれど、味の素のうま味がしつこく舌の上で主張するのがちょっとうるさい。濃い味がもち米の重みで喉を通って胃にぽとんと落ちていく。電車には無事に間に合い京都に戻るJR。携帯のネットがなかなか繋がらない。youTubeから聞きたい曲がなかなか耳に届いて来ない。画面は丸いのがいつまでもくるくるしている。知りたいことや聞きたい音楽がいつでもすぐに引き出せないことはもはやストレスで、縁のなかった言葉や音や画像と急に繋がる回路の開けている奥行きがなければ閉塞感を感じるようになっている。こういう速度感や立体感はもうかなり体に入り込んで来ているけれど、別にそれを悲観している訳でもない。そうかと思えば触れば押し寄せる情報に疲労して画面を暗転し、本屋でたまたま探し当てた本の言葉に身を寄せて、そのうち文字を追う意識がもうろうとして私が暗転する。

 

今日の教訓 大胆さと雑さは違う。


2014/10/11

2014年10月17日 | Weblog

11日朝、9時過ぎに起きてチェックアウトの10時にホテルを出る。昨日目を付けておいた森下駅近くの喫茶店で朝食。鉄板で焼いたホットケーキがおすすめと店先に貼ってあったのが美味しそうだった。それとカフェオレ、夫ハムチーズトーストとブレンド。カフェオレは巨大な碗に入って出て来た。ホットケーキは両手の親指と人差し指で輪を作ったくらいの大きさで、4センチくらいの厚みがあった。何もつけずに食べてみて、昨日のたい焼きの美味しくなさを彷彿とさせる美味しくなさにはっとした。厚みはあるけれど、メレンゲでふんわりさせているのではなくて、水分を少なくしたタネを焼いているので、小麦粉のかたまりのようになっている。申し訳ないけれど例えるならおやきの皮に近い。それで風味もなく粉気が強い。シロップをかければと思ったけれど自家製らしいシロップもメープルやカラメルのような風味がなく、三温糖を煮溶かしたよう。そんなごまかしが効かない土俵でこのホットケーキは一体何で勝負しているのか。決して口には出せないけれど、どうしたらこんなに美味しくないホットケーキが作れるのですかと質問したい気持ちでいっぱいだった。

近くにパン屋があってここのカレーパンがおいしいと友人から聞いて、パンも小麦粉だからもしやと思ったけれど、なかなか来る機会もないので買ってみる事にした。揚げたてのカレーパンをあつあつのままでもらった。これは間違いなく美味しかったので、森下駅の粉ものは2連敗で止まった。

今回の滞在の主目的は東京都現代美術館でピチェ クランチェンダンスカンパニーのパフォーマンス「Tam Kai」を見ること。今年の2月に競演したピチェとカンパニーダンサーのケットちゃんが来ている。踊っているところを見たかった。

美術館では「新たな系譜学を求めて」という身体、ダンスに焦点をあてた展覧会をやっていて、その関連イベントでパフォーマンスをやってる。

「Tam Kai」という作品は今年の3月にピチェのワークショップを受けたときに踊ったことがあった。1時間くらいずっと大まかな構成はあるけれど動き自体は毎回即興で、展開のなかで常にピチェからsomething new!と言われ、もう必死で雑巾を絞るように自分にとってのなんなのかわからないnewに手を伸ばし続ける感じで大変だった。その場で起きること自体にダンサーたちの体が向かい、体に起こったことが場になって連なっていく。誰かのある選択は、即他の誰かへの多角的な意味での振付になり、お互いに掴んだり掴み損ねたりしながら全部ひっくるめて上演される。

ピチェのカンパニーダンサーは伝統舞踊のコーンの型を稽古するベースの上でコンテンポラリーな動きを模索している。

私がワークショップを受けたときの私を含めたほとんどが、日本のコンテンポラリーダンスと呼ばれているものからダンスに入ってきた日本人、20代~30代のダンサーだった。各々の動きの傾向というものはあるけれど、いわゆる型を持っていない。その初期設定の違いでこの作品の雰囲気というのはかなり違うことは始まってすぐにわかった。

カンパニーダンサーは年齢も40代~20代と幅広く、伝統の型に入れ込むことの出来る体であるけれど、そこからの外れ方、動きのチョイスにはにそれぞれの思考がもろに反映され、踊る人が体をどう捉えているか説明してもらわなくても一見してわかってしまう。それがこの作品を踊ることの怖いところであり、面白いところでもある。

公演が終わって数ヶ月ぶりの再会を果たすも相変わらず英語はあまり喋れないので終始浮き足立っていた。来年の公演に向けてのことを少し話し、会うべき人に挨拶をし、駅弁を買い夕方の新幹線に乗って京都に戻る。

留守番の猫たちはごはんを食べ尽くしていた。トイレ掃除をしてきれいな水とごはん。

猫たちを置いて行った夜はいつも今頃、あれ帰って来ないにゃーと思ってるかなと話したりするけれど、そもそも猫はそんなふうに思考せず、語尾ににゃーも付かず、帰ってくるとか来ないとかいう概念もないかも知れないと思った。

 

 

 


2014/10/10

2014年10月10日 | Weblog

昨夕は結局外出せず、不確定だった東京滞在は1泊になった。猫のトイレを2つ設置し、ごはんを大盛りあげて1日半の留守番をしてもらう。

9日夜発の夜行に乗る。眠りの表面を漂うくらいの浅い眠りを出たり入ったりして朝の東京駅に着いた。バス会社のラウンジで着替えと化粧。受付で30分のタイマーを渡されてパウダールームに入ると朝着いた女子たちがまつげを上に向け、髪を巻いたりしている。朝からかなり気合いをいれた服とメイクの女の子は今日どういう予定なんだろうかと人のすることを横目で見る。

夜行で東京に来るといつもは新宿に降りるけれど今回は東京駅で、新宿だと行くベルグがないのでルノアール。モーニングはコーヒー注文プラス58円でトーストと卵、172円でボリュームのあるサンドイッチが食べられる。ルノアールのイメージより良心的でうれしい。
朝ごはんを食べて胃が落ち着いたのに伴って眠りきれてない分が一気にまぶたに降臨する。ホテルのチェックインは2時だからそれまではどこかでどうにか過ごさなければいけない。この前夜行で来た時は新宿御苑の芝生で二度寝して、猫と戯れるコースだった。一応調べてみると御苑はデング熱対策で閉鎖中。

10時前までルノアールにいて、検索した結果近くのブリジストン美術館でやっているデ クーニング展を見に行くことにした。名前を知っているくらいで絵をくわしく見た事がなかった。ブリジストン美術館も初めてで、ブリジストンと言えばタイヤが思い浮かぶけれど。建物は別にタイヤっぽくもなかった。

デ クーニングの絵に、水の中の女というタイトルの絵が2枚あったが、それが特に良かった。なんだか問答無用にいい絵となんとなくうるさかったり、余計と思える描き込みのある絵がわりとはっきりある。夫はコレクション展のなかにあったピカソの「女の顔」の絵が好きだったらしく絵はがきを買った。

そのあと天気も良かったので、ホテルを取っている森下駅近くまで歩いてみることにした。そう提案したのは夫で、私は東京の地理をまったく把握していないけれど、地理をわかっている人にはそれ歩ける?と言われる距離だったことがあとでわかった。でも知らない街だと普段だったらちょっと無理、と思う距離でも初めての景色の連続なので、案外歩けてしまう。持ってきたけれどコートなんて全然いらない陽射し。隅田川のあたりにくると深川飯というのぼりをあちこちに見る。

森下駅の近くにたどり着きそこでお昼。夫、フライ定食、私、刺身定食。フライはカキとアジ。アジの身がふんわりしている。刺身は赤身、中トロ、はまち、タコ。まぐろが中トロが美味しい。 お昼を食べてコーヒーを飲むとチェックインの時間になったのでホテルに向かう。その途中で、元祖と書いてある年季の入った店構えのたい焼き屋を見つけ、これはと期待して一匹買ったら、びっくりするくらい美味しくなかった。小麦粉が古いのか皮が全然美味しくない。特別美味しくなくても大体美味しいものであるはずのたい焼きにもこういうことがあるのだ。

ホテルはもともとマンスリーで貸していた部屋のようで、ワンルームマンションの部屋の間取り。調理器具を借りることもできて、もし何泊かするのだったらあさりを買って来て深川気取り飯を炊きたいと思いながらベッドに横たわった。夜行で来ると横たわって眠れることは普段の当たり前から突如有り難いことにかわる。夕方まで寝て、それから横浜に行く。夜はSTスポットで友人の公演を見、予期せぬ友人数人に出くわして打ち上げに参加し、森下駅までの終電を逃がして東京駅からまた歩くことになったが、これが間違いだった。確実に地下鉄の終電に間に合うべきだった。疲れ果ててホテルに帰りつく。目を付けていた近くの銭湯にも行けず。


2014/10/9

2014年10月09日 | Weblog

ずっと曇っていたけれど、夕方から雨が降り出した。

当初の予定だと今日は東京にいるはずだったので、予定を空けてあったけれど、諸事情あって1日ずれ込み、今夜の夜行で東京行きになった。そのため仕事と観劇をそれぞれ1件ずつキャンセルすることになった。

1泊くらいなので荷物も大した事はなく、午前中に掃除機をかけ、トイレ掃除、お昼のオムライスを作って、午後イズミヤに張り子の犬を買いに行く用事は3時前に完了し、今5時過ぎで雨音を聞きながら手持ち無沙汰な時間を過ごしている。というか、1件ある連絡を待っている。それによって私は1泊になるか2泊になるか、未だ不確定で、さらに2泊になった場合、日曜に京都でと思っていた予定は不可能になるので、どうするかと落ち着かない心境になっている。お世話になっている人の個展が12日まで東京にいると見に行けない。確実に見に行くなら今だけれどちょっと自転車ではきびしい雨が降っている。ギャラリーは7時までなので、6時までに止んだら間に合う。それで街の方に出るのだったらついでに芸センで一度は見られないと諦めた公演、実は今日もやっているので見に行くこともできる。夜行は12時前の発車だから行って帰って風呂に入っても間に合う。そうしたらいいんじゃないか。でも雨はやむだろうか。連絡はまだか。ああ結構降って来た。そして5時半になった。もう晩ご飯を食べてしまおうか。お腹が空いてるような気もする。雨は止む気配がない。5時40分。あれ、止んで来た。どうするかなあ。もー。

 


2014/10/8

2014年10月08日 | Weblog

いつもその日の朝から書いているので今日は遡ってみる。

食後温かい棒茶を飲んでいたら米が炊けた。自分の夕飯は中途半端な量で残っていた冷やご飯を温め、冷蔵庫にある納豆、卵、キムチ、ちくわ、きんぴら、リングねぎを全部ごはんの上に乗せて混ぜる、ビビンパと言い張ればそんな気もする丼、を食べた。夫は稽古で帰りが9時過ぎる。

出町柳から自転車で帰ってくる途中、鷺の森神社へ上がる坂道を登っていたら、散髪屋から子供とたぶんその父が出て来て坂の上の方を見てはじまってるではじまってるでというので、何かお祭りなんてあったかなと思ったら、その親子が見ていたのは月だった。そういえばフェイスブックの投稿で最近月蝕という文字を見たことを思い出した。今日は月蝕なのかと親子に少し遅れて月を見上げ、下の方から欠けてきていることを確認したけれど、さっきから聞いているituneストアの視聴の曲の方に意識が傾いていることは変わらなかった。80年代の曲が100曲くらい入ったオムニバスのCDを上から順に視聴しながら帰っていた。昔からこういう聞き方をして、自分にとっての掘り出し物を探すのが好きだった。TSUTAYAで60~70年代歌謡曲の1年ごとのヒット曲が入ったCDを60年、61年と順番に全部借り、好きな曲だけ抜粋したMDを作ったりしていた。誰がどう見ても欠けている月の現象を見るより、未知の1曲に出会う可能性が開かれた端末の方に神秘を感じ、今日聞きあてたKim Carnesの「Bette Davis Eyes」という曲がたぶんこの先も聞き続けるタイプの曲で、歌詞の意味もわからないのに聞いていて泣きそうになった。

他にも玄関先に出て月を見ている人たちがいる。月に心が傾かず、端末にどこからか届けられる数十秒の視聴音源をイヤホンから接種し、でも大半はひっかからずすり抜けていく曲を手に取ってみては捨てペダルをこぎ、月にもうちょっと何か感じればいいのにと思う。

仕事中は夫のお昼に作り置いて来たクロックムッシュ、5枚切りの食パンで作ったのでちゃん中心まで火が通っていたかどうか気になっていた。

 

 


2014/10/6

2014年10月06日 | Weblog

晴れ

夜中から午前中にかけて台風で暴風雨の予報だったけれど、朝にはもう過ぎたのか逸れたのか問題なさそうだった。うちに連泊していた遠藤くんは今日神戸から船で長崎に行く予定で、船は出るのかと思っていたけれど、それも大丈夫だった。

仕事へ行く。仕事場でかかっているラジオはいつもfm765。流れてくるのは80年代くらいの曲が多い。メロディーを知っているけれど初めて聞く曲が流れて来た。

昔実家にあった電子ピアノの自動演奏に入っていた曲で、オリジナルの演奏を初めて聞いた。この曲が歌のあるものなのかどうかも知らなかったけれど男性ボーカルで、英語の歌詞の断片からどうやラブソングということはわかった。ポーズをしながら意識のなかではポーズほったらかしで、曲が流れ終わったあとの曲紹介に耳を集中させた。今までも同じ状況でいいなと思った曲を後で調べたことがあったけれど、聞き間違っていてなかなか見つからなかったり、聞き取れないこともあったから。

その曲はリックなんとかのフォーエバートゥギャザーという曲らしかった。調べると、Rick Astley 「Together Forever」という曲があった。87年の世界的ヒットソングだったらしい。87年ということは私は4歳くらい。テレビで流れたりしていたのかも知れないけれど記憶にない。小学生になってから電子ピアノのその曲をよく聞いていた。

 

心には残っているけれど調べる動機には結びついてなかったり、調べられるようなものではないことが、数十年の時差である日不意に明かされることがある。こういうことの奇妙さをただ偶然と呼ぶのが惜しくて何か言いようを考えてみるけれど、なんとなく野暮なことになるのでやめる。ただ、こういうことがおもしろくて生きていると言えなくもない。

帰りの電車の間、youtubeで「together forever」とその周辺の知らない曲をいろいろ聞いていた。たまたま先日の稽古で踊ったCulture Clubの「カーマは気まぐれ」のPVを見ながらボーイ ジョージかっこいいと思ったり、なんとなく聞てみたSusanne Vegaという人のLukaという曲がいいと思ってこの人の他の曲も聞いていたら、その中にまたものすごく耳に残っている曲が聞こえてきた。それが何に使われていたのかすぐに思い出せなかったけれど、しばらく聞いていたらはっと焦点が合った。太田さんが舞台で使っていた曲だった。tom's dinerという曲。なんども朝がくるシーンで流れていた。 太田さんはどうやってこの曲と出会ったのだろう。

日が暮れるのがとても早い。稲刈りが終わっている。

 


2014/10/4

2014年10月04日 | Weblog

晴れ

来客続く。今京都で開催中の演劇祭を見るのに関東や北陸からやってくる友人の宿になる。演劇祭以外にも公演が多いし、あちこち行って人と会えば外食の機会も自ずと増えて気付くと財布から諭吉や晶子が居なくなっている。

今朝栗ごはんを炊いた。栗は一週間くらい前に仕事に行った高槻の商店街を帰りに歩いているときに買った。岡山直産の農作物を売っている店で270gの袋150円。安い栗は小さめだけど栗ごはんにするのにどうせ割るのでかまわない。買ってきた次の日に下処理までして冷凍庫に入れておいた。何で知ったかは忘れたけれど、栗は冷凍しておくと甘みが増すと聞いた気がする。栗は時間がかかるけれど季節の手間も一度はしたい。

一年のうちの季節毎くらいに会うのが慣例になっている高校時代の友人と松尾大社に行った。彼女は今大阪に住んでいるけれど、いつも京都のどこかで会うことになっていて、お昼を食べて寺社仏閣を散策する。京都に住んでいるくせに行ってない場所が多すぎて目的地には困らない。それで今回はなかなか行く機会がなさそうな松尾大社にしてみた。車で前を通ったとき母にここはお酒の神様だと聞いた事があった。松尾大社の近くにある苔寺にも興味があったけれど、拝観に事前申込が必要と知ったときにはもう間に合わなかった。でも近辺には他にも寺社が多く、名前が素敵な月読神社とか、鈴虫寺などもある。阪急の桂駅から嵐山線というのが出ていて、桂から嵐山まで3つか4つくらいの駅で終点の短い路線がある。その途中の松尾大社駅で降りる。お昼に食べた料理屋さんの定食に生麩の田楽が付いていてふたりとも喜んだ。まだ紅葉シーズンでもないので店も神社も空いている。地元の散歩コースくらいしょっちゅう来ていそうなおばあちゃんが丁寧に拝んでいる傍で、本殿には一応ちゃんとお参りするけれど、境内のちいさい社はスルーして、縁結びとか夫婦和合とあったら参っとこうかと10円投げて手を叩くような雑い参拝者の願いが聞き届けられるだろうか果たしてと思いながら手を合わせる。

月読神社への道で異常な数の轢かれたカマキリを見た。月読神社の前にはパトカーが2台と警官が数人、物々しい雰囲気とまではいかないけれど、何かあったらしかった。何かはわからない。月読神社に参拝客は誰もいない。境内には掃除や草引きをしていた途中の道具類がそのままで、何かあったらしさの不安に拍車をかけた。すぐに出た。

鈴虫寺に向かったら、入り口に公益社の白いテントが立っていた。どうやらお寺の就職か誰かが亡くなって、今夜お通夜の雰囲気で慌ただしく、例え中に入れてもここで鈴虫の音を聞いたところでどうだろうかと鈴虫寺は見送った。そのかわり川沿いにばらがたくさん植わっているイギリスのお庭のようなカフェを見つけ、そこに入って庭で極めて優雅なティータイムを過ごした。そして帰りに駅に向かって歩いていると、買い物帰りで自転車の前カゴにスーパーの袋を積んだおばちゃんの袋から豚肉が滑り落ちて、おばちゃんは自分の自転車でそれを轢いた。幸いパックは破れなかった。

 

 

その他ここ数日の間に起こった事は、目論んだけれど叶わなかったことと、また別の新たな目論みを実現化しようとしていること。