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流出雑記 

楽日

2010年11月29日 | Weblog
ドラマソロジー、無事最終日を迎えることができました。
足を運んでくださった皆様、ほんとうにありがとうございました。
公演中に思ったこと等、師走に追われつつ追々書いていこうと思います。

今日は最終日の翌日。
演出、演助、音響、照明、私の5人が同じホテルに泊まっていた。そのメンバーで朝方まで飲み歩き、チェックアウトぎりぎりまで寝て安ホテルを後にした。
東京にきた初日に買った花は今日まで枯れずに咲いていてくれたが、行きよりなんだか増えてしまった大量の荷物を持って帰らねばならず、ホテルの部屋でお礼を言ってわかれてきた。しかし音響のS氏だけがキャリーバックと片手に赤いガーベラと白い羽衣ジャスミンに似た小花を片手に降りて来た。ちゃんと茎に濡れティッシュが巻いてあった。
ホテルを出てそれぞれ美術館、機材を返しに、海辺へと別れた。
いいチームだった。

書きたいことが溜まっている。
しかしおそらくずっと潜伏していた風邪菌が喉の奥に広がっている。ほっておくと熱が出る気配。
明日から仕事、今回の公演の為にスケジュールを調整してもらっている方々がいるのにダウンしている場合ではない。とりあえずルル、生姜、睡眠、生姜。

初日

2010年11月27日 | Weblog
本番初日を無事終えた。 
出演者たちは昼間のリハーサルもこなし、体力的にハードなスケジュールをやりきってくれた。
明日、というかもう今日か、今日からはマチネだけなので少しゆっくり出来る。

安ホテル暮らしにも慣れた。ほとんどホテルと劇場の往復しかしていないが、どこでも案外暮らしていけるのかもなぁとぼんやり思う。よくも悪くも慣れ、順応できてしまう。ただ、今は公演という目的があるからいいのかも知れない。私は生まれてこのかた京都を出たことがないのだった。

なんだか、何かを書きたいが、安ホテルであってもこれだけは毎日きちんと変えてくれる白いシーツのベッドの中でもう寝た方がいいはずだ。
明日、明日もある。いや、今日か。
14時からです。残席少なくなってるそう。

小屋に入ル

2010年11月25日 | Weblog
昨日から池袋の安ホテルに泊まっている。
最初部屋に足を踏み入れたときはここで6泊…と思った。空気の入れ替えに窓を開けると、大通りの騒音ととんこつのにおいが入ってくるので、入れ替えることに意味があるのかどうか。
これ以上小さくはならないであろうユニットバス。なにより私はこれが苦手なのだった。風呂とトイレが同居しているのが。と愚痴をこぼしてみたがシーツやタオルは真っ白で清潔、寝れたら上等である。

テクニカルのメンバーも同じホテルで、それぞれの部屋を訪問してみると、窓を開けると隣の壁で異様に湿度の高い部屋、iPadで現在地情報を出すと、何故か富士の樹海を指す部屋など。どの部屋にしてもどことなく陰気なので、通りがかった花屋さんでそれぞれささやかに花を買った。ベットサイドに一輪あるだけでちょっといいお部屋に。

その他の出演者は劇場が目の前の、もう少し良いホテルに宿泊している。良いと言っても普段彼女らが旅行やなんかで泊まるところに比べればずいぶん劣るに違いないだろうけど。

劇場は仕込みが始まり、徐々に出来上がっていく。
ケーブルが血管のようにあちこちに張り巡らされ、舞台が血を得て生きものようになる。それくらいその作業を魔法のように感じる程に、技術について私は無知で、てきぱき機材が準備される様をちらと見つつ、楽屋でひとり体を捏ねまわしてるのだった。パンの気分がする。捏ねるのを怠ると口当たりが悪くなる。しっかり捏ねて、休ませる、形成して、休ませる、焼く。

池袋には食べ物やさんが多いようだ。それだけたくさんの胃があるということか。それもとんこつラーメンや中華、ホルモン焼きなどこってりとしたものが多い印象。排水溝から上がってくる油のにおいも強い。

ホテルから劇場までの道のりは覚えたが、まるで土地勘がなく、この街の全貌はまだ把握出来ていない。それに大体地下の劇場にいる。小屋入りのあいだの本番というリミットがはっきり設定された体。落ち着かないがこの時間がわりと好きだと思う。

前夜

2010年11月23日 | Weblog
約一週間分の衣類の詰まった旅行鞄と猫2匹と共に実家に帰っている。家出ではない。夫も一緒。
今日は実家に泊まり、朝にはそのまま新幹線で東京に向かう。家をあけるので2匹は実家でおあずかり。
今週末、『DRAMATHOLOGY』東京芸術劇場 小ホールにてついに本番を迎える。
ここまで漕ぎつけるのは、ついに、とわざわざ言いたくなるような道中だった。俳優ではない出演者の方々には、それぞれの家族の事情や高齢故の体の事情など、様々な不安要素が常に並走していたが、昨日伊丹のアイホールで皆揃って劇場での通し稽古を終えることができた。
初演のときには本番中きっかけを忘れて進行が止まったり、どうにもカバーできない事態になったらどうするかと、本番中もそういうことが常に気になっていた。それがまったくなくなった訳ではないが、以前はあまりなかった身を委ねられる感じが今はある。良い予感がする。

さあ寝よう。

















2010/11/20

2010年11月21日 | Weblog
起きると喉が怪しい。加湿器の必要を感じる朝。
多少の喉の痛みを油断してほっておくと、その日の夕方には喉の全体に荒れが広がって、夜熱っぽくなるというパターンがよくある。広がる前に叩くこと。来週本番故に死守。

11月20日、結婚してちょうど1年だった。
稽古のさなかで特にお祝いをする余裕はなかったが話しをした。

バセドウ病になってから夫は以前より気が立つことが多くなった。根本的に人柄が変わったというのではないが、その変化は本人も自覚のうえで、私も言動の端々にそれを感じるところがあり、それに対していちいち落胆したり同じ圧力で投げ返したくなったりということがあった。ひとつひとつは些細なことだが蓄積すると痼りができる。夫も夫で心身の変化、煙草が吸えなくなったこと、その他事情による今までと違う生活に適応できておらず、捌け口を見いだせない苛立ちの衝動に駆られることがあるという。
過剰に甲状腺ホルモンが分泌される病気であるために、ホルモンバランスが乱れて苛立ちを招いたりするらしい。例えば生理前にちょっとしたことで苛立ったり、情緒不安定になるときのあの感じかと思うと、少し身に引き寄せて想像することはできる。頭では大袈裟と思っていても、制御できず何だかわからない衝動が先立ってあらわれてしまうとき。
病気と付き合うという言葉があるが、病名の判明から2ヶ月ほど、本人も私も付き合い方がまだ掴めていない。時間が解決する分と、お互いにある程度病状にのまれない立ち方を身につける必要があるように思う。

私はどちらかと言えば気に入らないことに対して過敏で苛立ちやすい質であり、母や妹は実家に居た頃の私の暴君ぶり…いや、そういうところを嫌ほど知っているので、それと一緒に暮らしている夫をある種の超人と讃える。一応私も27年生きてきた中で、当時から思えば多少の分別はわきまえているつもりだが。
確かに彼は私に足りないおおらかさを持っている。それは羨むところでもあり、
私はそれに大いに助けられていたことにも気付く。私の角ばったところをうまくいなしてくれていたのだと。ハサミが飛んで来たらウサギに変えてみせるような。
人に対する振る舞いの丁寧さや親切さだけではない、相手に対する施しで表されることではない、なんとなく人として草原のような広さを感じられるような、おおらかさというもの。
相手から受けたものを自分自身に反射させるとき、それを結構鋭く、不愉快であったら不愉快さをきっちり反射させてしまう。そればかりではいけないということを、今ようやく身に染みて思う。

2010/11/17

2010年11月17日 | Weblog
夫は伯父の葬儀で福井に帰り、稽古は休みで不意の休日。
昨夜なんとなく、バタイユの眼球譚を久しぶりに読みたくなって、夜更かしをしてしまい布団に入ると5時を過ぎていた。
小豆が9時頃起こしに来たが、懐に引き入れてもう1時間眠る。
獣医さんで注射してもらって半日の入院後、体調の良くなった小豆はものすごくお腹がすくようで、山盛りのごはんをきれいに平らげる。痩せているのに急に食べるものだから、食後しばらくはお腹の辺りだけ膨れて、上から見るとツチノコのようなかたちになっている。

昨日やおたみで買った4個入りの王林は、歯触り甘み酸味風味良好大当たり。こんなに美味しいものが木に成るという果物の感動を与えられる。

隙あらば洗濯、掃除。我が家の掃除機は紙パックでなく、吸い取ったゴミが目に見える容器の中に溜まるので毎回収穫を確認せずにはおれない。冬場はやはり綿埃が多い。一番収穫が多いのは春先で、そのほとんどは2匹のいらなくなった冬毛。

お葬式の日だぞと思いながらお昼に小豆ご飯をどうしても食べたくなった。小豆の、祝い事の意味を抜いて、ああいう豆の入ったご飯を食べたいだけで、だからこれはただの豆ご飯ですお許しくださいと思って炊飯スイッチを押す。
いや、一説によれば、食べたいと思うものの栄養素が体に足りていないときにそれを欲することがあるそうで、小豆に含まれる何かしらが私に不足していたに違いない。来週本番であるからいま体調を崩すことはあってはならぬ、という事情をふまえた上でお許しください。
私はこういうまぬけな我慢のできなさでいつか痛い目をみる気がする。
煮たかぼちゃ、いただきものの柚子の皮をすって漬けた柚子白菜と味噌汁。
5つばかりいただいた柚子は刻んで蜂蜜漬けにして柚子茶の素にする。

こまごましたものを買いに出る。
無くなりかけていたリップクリーム、ハンドクリーム、クレンジングクリーム、洗剤、柔軟剤、画鋲、合わせ味噌、寒くなると恋しい白味噌、きび砂糖、ドライいちじく、猫缶6個、夫の薄皮ピーナッツパン、見つけてしまった進々堂のかぼちゃメロンパン、ストッキングなど。
明日からの連日稽古に備えて数日食べられる夕飯を作っておこうと食品売り場をうろつく。ハヤシライスか牛肉とごぼうのしぐれ煮か筑前煮…と精肉売り場で牛肉のコーナーを覗いたら、煮込み用のブロック肉が安かった。それで一気に方向転換しポットローストに決め、人参玉ねぎブロッコリーを買ってなんだか荷物満載になった自転車をこいで帰る。

常温にした肉に塩こしょうをしてしばらく置く。その間に野菜を切る。フライパンで肉に小麦粉をつけて表面に焼き色を付け、玉ねぎを敷いた圧力鍋に肉を移し、まわりに人参を散らす。潰したにんにく、ローリエ、赤ワイン、トマト缶、コンソメを少し入れて水を足し30分加圧。ブロッコリーは別にして固茹で。これは明日のごはん。

今夜は無性に白味噌だった。さつまいもとブロッコリーをごろごろ入れた白い味噌汁。
今日は久しぶりによく台所をしたなという感じ。
そういえば明日あたり『幸田文 台所帖』が届くはず。
日常の端々でその人の人となりは蓄積されていく。習慣、所作のひとつ取っても人を幻滅させるのは簡単でその逆は要努力。ちょっとしたことも結構あなどれぬ、と幸田文を読んでいると思う。

2010/11/15

2010年11月17日 | Weblog
日曜の夕方、福井の伯父が突然亡くなったという知らせ。

小豆は最近食欲が落ちて寒くなるにつれて痩せていく。小梅はすっかり冬毛に衣替えしているのに小豆は夏とほとんど変わらない。片方がころころしているので余計貧相に見えてしまう。一昨日の明け方、2ヶ月ぶりに痙攣を起こした。この小豆の持病は未だ原因不明。治まったあとは案外けろっとしているが、以前立て続けに痙攣が起こったときはもう駄目かも知れないというところまで衰弱したので、朝9時に獣医さんが開くと同時に行って診てもらう。
この日は稽古で10時に家を出ると日が暮れるまで夫も私帰れない。抗痙攣剤等注射してもらって半日獣医さんにお預かりしてもらう。
帰宅しお昼のおにぎりを作って伊丹へ。
今日のおにぎりはおかか生姜とじゃこ昆布。

稽古場に着いて、出演者のご主人が脳梗塞で倒れたという連絡。とにかく今日の稽古は休むということだった。ご主人の容態がどのような具合かはまだわからない。場合によっては出られない可能性がある、ということになる。本番は来週。この日の稽古中は稽古をしながら最悪出られない場合どういう方法でやればいいのか、いまいち働かない頭で考え、代役ということはあり得ないし、映像、音声出演が苦肉の策かと終始悶々としていた。
稽古の途中でまた連絡があった。どうやら程度の軽いものだったらしく、次の稽古からは行けますということ。
突然の不幸の知らせなど、暗雲立ちこめる心境に晴れ間がさしたようだった。

稽古が終わり京都に戻って小豆を迎えに行く。
缶詰を2つ食べてごきげんでしたよと言われる。

夕食はもらった冬瓜の煮物、白菜サラダ、皮の白い雪化粧という品種のかぼちゃの煮物、これはとても煮物向きのかぼちゃだった。
演助のTくんのご実家産さつまいも。豚肉とごま油で炒めて醤油みりんで甘辛くと思っていたら、夫がカレー炒めを提案。みじん切り玉ねぎと短冊に切ったさつまいも、豚肉を炒めて醤油などで味を付けてカレー粉。夫の作るものはごはんのすすむしっかり味で冬瓜の煮物などは影が薄くなる。
でもこのカレー炒めはスパイスがさつまいもの甘さを引き立たせる秀作であった。
食べ物をありがたくおいしくいただいて命を養うのだ。

マームとジプシー『ハロースクール、バイバイ』

2010年11月15日 | Weblog
マームとジプシー『ハロースクール、バイバイ』先週と同じくピンクに塗られたアトリエ劇研にて。

快快に引き続き東京の劇団、初見。
開演前から役者たちはバレーボールのユニフォームを着て、舞台上でストレッチなどをしている。床にはコートの白いラインが引かれていて、そのラインは壁を伝って天井へ伸びている。
開演、試合開始。と言っても相手はいないしボールもない。役者たちは見えないボールをレシーブしトスを上げ壁に向かってアタックを打ち込み、中学女子バレーのように大声で声を掛け合い、大声で喜ぶ。小学校の頃バレー部だったのでその様子には身に覚えがあった。チームプレーでの声掛けの必要と、チーム内の雰囲気を盛り上げ、相手を威圧する意図もあり、1点取る度にコートを走り回って喜ぶ。そのように教えられるのだ。

同じシーンが正面を変えて何度か繰り返されながら部員それぞれのエピソードのシーンが挟まれ、内容が徐々に進行する。
そこで起こっていることはすべて回想である。
舞台上では試合の内容でなくその熱量のみが場に発生する。声の熱量がアトリエ劇研の劇空間に無理やり押し込まれたようなボリュームで届く。つまり観客席に適切に届く声ではない声量でもうそこにはいない相手に向かって叫んでいる。役者たちの声は観客に届けるための声ではない。また、試合が終わって女子同士になると、ふたりの間だけで通じれば良い声量と速度になる。
それで役者の言葉は、この劇の内容を観客に向けて語るための発話ではないところに焦点があるのだと思った。
演出家は、この作品は記憶の「再構築」ではなく「蘇生」であると言っている。
蘇生、一度死んだもの息を吹き返す、そのように役者にも観客にも「あの頃」の記憶が立ち上がってくるものを作りたいと。
演出家は劇作も兼ねており、いつも14歳を主人公に物語を書いているらしい。

まず台本に沿って芝居の内容を伝えることを適切に表現すことより、役者の体に「あの頃」を甦生させることを目指すということ。
それがうまくいっていたかどうか、私の目線から見れば意図しているものはキャッチできた。それはある年代に限られた「あの頃」感ではあるだろうし、共感を親身に持てる年齢層とそうでもない場合で作品の見方は大きく変わるように思う。

でも私にとってこの作品の中で最も印象に残ったのはにおいだった。
劇場の大きさと舞台と客席の近さもあって、女子たちの吐く息や発汗で立ちのぼる体とユニフォームの生地のあいだのにおい、汗をかいた地肌と髪に残ったシャンプーのにおい、膝サポーターのゴムのにおい、それらが混ざったものはまぎれもなく部活のにおいだった。
体育倉庫のホコリとカビのにおいを嗅ぎたくなった。
においにつられて当時の、どちらかと言うと嫌なことが多かったことを思い出していた。