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流出雑記 

2013/1/9

2013年01月11日 | Weblog

今年はじめて着物を着る。
年末から正月にかけて着る間がなく久々に着付けると、腰紐を締める位置が下過ぎておはしょりの中がごねごねになったり、お太鼓のたれが人差し指2本分くらいになってしまったり、やり直して着て出かけるまでに見積り以上の時間を食う。
母の叔母が反物で残していたのを母が着物に仕立てて、まだしつけのついたままだった海老茶に花柄の縮緬小紋に隣のおばあちゃんから譲り受けた金糸の入ったややフォーマル感のある、けれど名古屋帯という使いどころに悩む帯を締めた。

美術館にいく。
一昨年モデルをした彫刻の作品が入選したという連絡と招待券をいただいた。その方は数十年出品し続けては落ち続け、ようやく通ったそうだ。たゆまぬ努力が実ったのかモデルが良かったのかと電話口で笑ってられた。

会場に並ぶ彫像を眺めながらした覚えのあるポーズの像の前にきた。じっくり見ていると、後ろから声を掛けられた。作者の方もたまたま会場の係だったようで思わず会うことができた。
今回の作品の反省点を聞いたり、他の作品を解説付きで見て回る。
例えば実際モデルの肋骨の形が見えていても、そこを作り込むと全体を見たときに、そこで視線が滞ってしまうので、細部を作り過ぎず全体を見て目に引っかかりのないフォルムの人体が良い、とされているらしい。
思いの外彫像展示室にゆっくりといたので、他のフロアに残された時間が閉館まで30分しかなかった。
知っている人の油絵が出ているのを聞いていたので、洋画を中心にその人の絵を探し、気になるものの前で足をとめてあとは流し見た。毎年数点必ずある、現代の女性にどこで仕入れてくるのかというドレスを着せてそれを描く画家のモチベーションは何なのだろう。例えば中世ヨーロッパの王族や貴族が画家に依頼して描かせた肖像画で、富や名声や美を描き込むための豪華な衣装であるなら理解できる。でも現代の画家がモデルにドレスを着せてポーズをとらせて描くそれは、西洋の人が西洋人のモデルに着物を着せてモデルにし、日本画を描くようなことと同じなのではなかろうか。なぜ女性を、人物を描きたいのか。何を描きたいのか、という問いがつのった。

バスで戻り駅前のスーパーで買い物する。今日は塊の肉、と肉売り場を見回したが、目当ての豚バラも肩ロースもなくて合い挽きを買う。つまりハンバーグにすればいい。300グラムで4つできる。玉ねぎ半分みじん切りを生のまま使う。母がそうしていたから。パン粉は1合分くらい、牛乳目分量、ナツメグ、塩こしょう、卵1個。ぎゅっとした肉感の強いハンバーグでなく柔らかハンバーグになる。

前にハンバーグ屋さんに行ったらテーブルにお好み焼きやみたいな鉄板があって、そこに乗せておけば最後まで温かいまま食べられるというのが良かったのでそれ以来真似をしている。ティファールで焼いて取っ手を外してそのままテーブルに出し、付け合わせのブロッコリーとトマトを盛ったお皿に各自取る形式にした。トマトは一応赤い色をしているが、太陽の恵みを受けていない真冬育ちの水っぽさだった。4つのハンバーグはひとつ余るかなと思って作っているが余った試しがない。

 


2013/1/6

2013年01月07日 | Weblog

年が明けて数日。

大晦日に父に迎えにきてもらい猫たちと実家へ。暴れる小麦対策の洗濯ネットは功を奏し、いつもより手間取らず猫バッグに入れることができた。でもにゃーどころかぎゃーと泣き叫んで止むことのないまま宇治に着く。

母は風邪の胃痛で本人はおかゆしか食べられないのにおせちの数品とかに鍋の用意をしてくれていた。かにをいっばい入れて鍋を火にかけて冷蔵庫にお茶を取にいっている隙に鍋が思い切り吹いてコタツ布団にまで浸水した。4人掛けの小さいコタツ布団なので即洗濯機に突っ込んで洗った。かにを食べているとかにって何だろうと思う。肉でも魚でもない筋状のもの。母はかに雑炊を食べた。

下の妹は年越しを友達を迎えるそうでいない。父母夫私の4人でゆく年くる年を見ながら年を越す。

元旦は昼におせちを食べる。いつものとおり、重箱には詰めず、一人分ずつお皿に、松葉に刺した黒豆、きんとん、かずのこ、ごまめ、生麩、かまぼこを盛りつける。お雑煮はお澄ましに丸餅、かまぼこ、三つ葉と柚の皮。このお雑煮は祖母がお茶会で出されておいしかったと家で作ったら祖父がこれをとても気に入り、それ以来実家のお雑煮は白味噌でなくこのお澄ましと決まったそうだ。お煮しめは電熱の鍋で暖かいまま出す。これは祖母がそうしていたかららしい。

午後福井の夫の実家に帰る。毎年自由席で立ちっぱなしで後悔していたので今年のサンダーバードは指定を取った。風景は徐々に雪景色。駅からタクシーで実家へ。今年は母方の祖父も来ていてよりお正月らしい雰囲気。おせちやおすし、刺身、串揚げなどが並ぶテーブル。里芋や厚揚げを煮たもの、重箱に入っている母の煮物が私はお正月いちばんうれしいが、どうも男兄弟たちにはそれだけでは物足りないらしく、せっかく正月に帰ってきたからごちそうをという母の愛で夫の実家のおせちにはいろんなごちそうが並ぶ。厚揚げを煮たのがしみじみおいしい。デザートは母のマーマーレードシフォンだった。自分で焼くのよりしっとりしている。

実家のお正月は2日が忙しい。朝、昨夜は泊まって行った祖父を見送り、居間でテレビに目をやると箱根駅伝がはじまったところだった。前を走る白バイの巡査を紹介で、読み上げられた名前に聞き覚えがあった。幼稚園のときにひとつ上の学年にいた男の子の名前だった。集団登校のとき一緒だったので手を繋いで登校した。歩くときは学年が上の男の子が歩道の車道側を歩くことになっていた。そのときのちょっと守ってもらっている感じはうれしかった。かなりめずらしい名前なので同姓同名はまずいないと思う。彼のお父さんも警察官だった。

2日はなぜ忙しいかというと自宅の道場の稽古初め、新年会がある。母と朝から買い出しに行って、稽古が終わった昼ごろから道場で宴会が始まる。母はジンギスカンの用意をし、私は芋煮のための里芋の皮むき係をする。芋煮は里芋と手でちぎったこんにゃく、牛肉、ネギを醤油、酒、砂糖で炊く。芋とこんにゃくを煮ているときに洗い物をして鍋から目を離したら吹きこぼれた。大晦日にかに鍋を吹きこぼし、ここでもまた同じことをしている。 道場の方にお邪魔してジンギスカンをつまんでいると、去年福井の駅前でやった「天使論」の公演を観に来てくれた方に声をかけてもらった。夫は中学生の男の子とじゃれている。遊ぶのが上手だ。

コップ、芋煮の椀、ジンギスカンの鍋、洗い物を効率よく片付ける。ビールの空き缶がどこからともなく耐えることなく湧き出る。

夕方徐々に人が帰って、台所も落ち着いた。

夜は弟が勤め先からもらってきたという大量のかにを皆でひたすらほじくりだして食べる。茹でがにだったが兄はちょっと焼いて焼きがににしたりしていた。さらに母がえびフライを作ってくれたので甲殻類でお腹がいっぱいになるという稀な経験をした。

大晦日から三ヶ日にかけてよく降って福井は雪国です、という風景だった。3日の夕方京都に着くように帰る。

サンダーバードに乗り、雪はどこからなくなるのか観察していた。結果、京都まで残り約30分の近江今津を過ぎたあたりで風景から白がなくなった。