今年はじめて着物を着る。
年末から正月にかけて着る間がなく久々に着付けると、腰紐を締める位置が下過ぎておはしょりの中がごねごねになったり、お太鼓のたれが人差し指2本分くらいになってしまったり、やり直して着て出かけるまでに見積り以上の時間を食う。
母の叔母が反物で残していたのを母が着物に仕立てて、まだしつけのついたままだった海老茶に花柄の縮緬小紋に隣のおばあちゃんから譲り受けた金糸の入ったややフォーマル感のある、けれど名古屋帯という使いどころに悩む帯を締めた。
美術館にいく。
一昨年モデルをした彫刻の作品が入選したという連絡と招待券をいただいた。その方は数十年出品し続けては落ち続け、ようやく通ったそうだ。たゆまぬ努力が実ったのかモデルが良かったのかと電話口で笑ってられた。
会場に並ぶ彫像を眺めながらした覚えのあるポーズの像の前にきた。じっくり見ていると、後ろから声を掛けられた。作者の方もたまたま会場の係だったようで思わず会うことができた。
今回の作品の反省点を聞いたり、他の作品を解説付きで見て回る。
例えば実際モデルの肋骨の形が見えていても、そこを作り込むと全体を見たときに、そこで視線が滞ってしまうので、細部を作り過ぎず全体を見て目に引っかかりのないフォルムの人体が良い、とされているらしい。
思いの外彫像展示室にゆっくりといたので、他のフロアに残された時間が閉館まで30分しかなかった。
知っている人の油絵が出ているのを聞いていたので、洋画を中心にその人の絵を探し、気になるものの前で足をとめてあとは流し見た。毎年数点必ずある、現代の女性にどこで仕入れてくるのかというドレスを着せてそれを描く画家のモチベーションは何なのだろう。例えば中世ヨーロッパの王族や貴族が画家に依頼して描かせた肖像画で、富や名声や美を描き込むための豪華な衣装であるなら理解できる。でも現代の画家がモデルにドレスを着せてポーズをとらせて描くそれは、西洋の人が西洋人のモデルに着物を着せてモデルにし、日本画を描くようなことと同じなのではなかろうか。なぜ女性を、人物を描きたいのか。何を描きたいのか、という問いがつのった。
バスで戻り駅前のスーパーで買い物する。今日は塊の肉、と肉売り場を見回したが、目当ての豚バラも肩ロースもなくて合い挽きを買う。つまりハンバーグにすればいい。300グラムで4つできる。玉ねぎ半分みじん切りを生のまま使う。母がそうしていたから。パン粉は1合分くらい、牛乳目分量、ナツメグ、塩こしょう、卵1個。ぎゅっとした肉感の強いハンバーグでなく柔らかハンバーグになる。
前にハンバーグ屋さんに行ったらテーブルにお好み焼きやみたいな鉄板があって、そこに乗せておけば最後まで温かいまま食べられるというのが良かったのでそれ以来真似をしている。ティファールで焼いて取っ手を外してそのままテーブルに出し、付け合わせのブロッコリーとトマトを盛ったお皿に各自取る形式にした。トマトは一応赤い色をしているが、太陽の恵みを受けていない真冬育ちの水っぽさだった。4つのハンバーグはひとつ余るかなと思って作っているが余った試しがない。