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流出雑記 

2014/12/28

2014年12月29日 | Weblog
イブの日にある鬼才の友人が出産した。神の子かも知れない。

年に一回クリスマスにケーキを作る。そのペースで上達しようがないと思うけれど、今年のデコレーションは去年よりこましになっていた。たぶん2パック使う生クリームの1パックを植物性にしたからクリームがだれにくく、素人がもたもたやるナッペに耐えてくれた。
それに鶏の足を焼き、チーズフォンデュとそれらしいものを用意して食べる頃にはもうかなり疲れていた。

今年は30日まで仕事。年始は4日から。とっとと働きたい。年末年始はテレビの前にいるのが苦手。

1日に人の集まり2件に顔を出すのは思ったより大変だったらしい。








2014/12/19

2014年12月20日 | Weblog

思わぬ東京一泊の朝。夜は廊下と部屋の壁あたりから時々聞こえる パキ という音が耳についてしまってなかなか寝付けなかった。音を聞かないためにテレビのスリープタイマーをかけてしゃべっていてもらった。

チェックアウトの10時に宿を出て近くのドトールでサンドイッチを食べながら、19時半の上演までどう過ごすか考えた。まず夏にモデルをさせてもらった写真の展覧会がちょうど今週末までだったのでそれを見に行く事にした。彫刻家と写真家のコラボレーションで、彫刻家は私の顔をもとにした仏像の面をつくり、私がそれをつけて写真家が撮るというもの。ギャラリーの最寄りは春日という駅だった。新宿からそれほど遠くない。乗り換えを一度間違い、たどり着く。地上に上がって見えた白いもこもこしたものは東京ドームだった。ギャラリーは歩いて数分。仕上がった写真はデータで見せてもらっていたけれど、実際大判でプリントされたものを見ることが出来た。

時間は12時前、資生堂ギャラリーでアラーキーの写真を見るのもいいなと思っていたところに映画を作っている遠藤くんが連絡をくれた。夕方横浜で相手してもらえることになった。それまでの時間、展覧会巡りもいいけれど、映画を見る事を思いついた。ちょうど見たいと思っていたデヴィッド フィンチャーの『ゴーンガール』がやっている。横浜に移動して、13時半の上映を見て遠藤くんに会うのが時間的にもちょうどよかった。

109シネマズという映画館、平日だけど席はわりと埋まっている。失踪、不在をテーマにしていたアイザックの稽古中にもこの映画のことは話題にあがったけれど、結局見にいく余裕はなかった。行方不明熱が温かいうちに見たいと思っていた。デヴィッド フィンチャーは、ベンジャミンバトン、ドラゴンタトゥー、ソーシャルネットワークなど見たけれど、そこまで掴まれなかった。

が、しかし、ゴーンガールはクリティカルヒットだった。

ある夫婦の話しで、5年目の結婚記念日に妻が失踪する。5年目というところはうちと同じと思いながら見ていた。

公開中なので内容には触れないけれど、物語の途中に織込まれたひとつのエピソードがスクリーンのなかの都合で完結せずに観客席、現実の方につながる打撃として届いてくる感覚があった。もちろん物語は物語として語られながら。

舞台のことを思った。客席と舞台上がつながる可能性があるとしたら、例えば観客を意図的に巻き込む、参加型といわれるようなやり方でなく、このようにあるべきだと思った。あくまでも映画であれば映画として、物語を遂行しながら尚かつ風穴をあける。そこから観客が自発的に何かを感受することがない限り、見たものによって意識に変革がもたらされることは難しい。手を差し伸べられたり教訓的に振舞うものに違和感を受け取る質だから特にそう思うのかも知れないが。

横浜から馬車道に移動して駅前で遠藤くんに会う。連れて行ってくれた近くのサモアールという紅茶専門店。レトロな佇まいで、店内は昭和の喫茶店に洋食レストランの白いテーブルクロスの雰囲気を混ぜた感じ。ロイヤルミルクティーとオムライスがおいしいと聞き、そのふたつを頼む。見て来たばかりのゴーンガールの話しなど。

7時前に別れて馬車道から歩いてKAATへ。2年ぶり。受付にはナナさんがいた。

『スーパープレミアムソフトWリッチバニラ』。コンビニの話し。

ゆるい体と言われるのをよく聞くけれど、そのゆるさはもはやゆるいと見ることが出来ない強固な縁取りを得てしまっている。それはきっとある意味よいことだけれど、たぶんそうでないところもある。音楽も言葉も動きも上演時間のなかにびっしりと書き込まれている。見ながら何かを察する必要がないくらいに劇の端々まで手渡される。わからないことが、全然ない。

いつの間にか街の風景の当然で、多くの人にとって店内の導線もほとんど身体化されたコンビニのあって当たり前、均質なサービスを提供し維持するためのしわ寄せと狂いを巻き込みながら、悲の観点が作家の言葉に翻訳され、俳優に体に落とし込まれて客の観点に届く頃にそれは笑いに反転している。あるいはほんとうにとりとめのないことに言葉と体を尽くして時間にたるみを作る。コンビニにまつわるエピソードがいくつも並ぶけれど、そうして出来た途切れて波打つ時間の流れをコンビニの店内音楽のように流れ続ける音楽が巻き取っていく。

売れないものは容赦なく消え、次から次に出される新製品の入れ替えスピードとか、システマティックに調理されデータによって並ぶおにぎりとか、それをひとつ手に取ってレジにいけばデータの一部として数値化される私とか。コンビニに限らず商品と名のつくものは、手に取る以前からすべて選択されたものだということを思うと、好きなものを選んでいるように見えて実は操作の上であることにはたと直面し、でもそれがなければそもそも選ぶこともできない。時々その導線から外れたものを求めたくなる。罠にはまりたいときもある。誰も握ってないおにぎりでむしろいい時もある。

 

帰りの夜行はわりと眠れた。5時半に京都に着くともう雪もなかった。


2014/12/18

2014年12月20日 | Weblog
チェルフィッチュを見るために東京に昼の高速バスで向かった日は日本の上に超巨大低気圧の渦が来ていた。
朝、部屋の中が冷蔵庫みたいと思って窓の外を見ると、結構雪景色だった。一瞬タクシーを呼ぶことも過ぎったけれど、自力を信じて自転車。道はところどころ凍てて、下手にブレーキをかけられない。徐行運転を心がけたのに下り坂で対向車をちょっと避けようとして転けた。カバンからiPhoneが滑りでた。

地下鉄で京都駅へ。
8時半に京都駅を出て16時45分東京駅着のバス。公演は横浜で19時半だから十分間に合う余裕があった。
地下から烏丸口に出ると全然雪はなかった。バスに乗るとやはり雪の影響で遅れる可能性が高いとアナウンスがあった。と言ってもこの程度の雪ならと高を括っていたら、山科の辺りが大渋滞だった。あまりに動かないことに不安になった男性客がこのままだとかなり遅れますよね。ここで降ろしてもらえませんか。と運転手に話しかけた。運転手は1度電話をかけてそのあと、道の途中でお客さんを降ろすと道路交通法違反で会社と僕が罰せられます。高速に乗ってから次の大津のサービスエリアでなら降ろすことは出来ますと説明した。男性客はそうですかと聞きながら納得いかなさそうだった。確かに、渋滞で止まっている隙にひとりバスから降りることがそんなにダメなのだろうかと思う。大津まで行くと無駄な遠回りになる。

どうにか高速に乗って男性客は大津のサービスエリアで降り、一緒にもうひとり男性が降りた。

滋賀に入ってから大垣あたりまで景色は雪国だった。車は徐行運転だけど流れている。
名古屋以降雪の痕跡は見られず、なんだか青空が広がっている。けれどこの時点でバスはすでに2時間半の遅れが見込まれていた。それはつまり今日の観劇は不可能ということだった。
アイドルのおっかけをしているらしい若い女の子3人は夕方からのイベントに間に合うために静岡のサービスエリアでバスを降りた。そこからタクシーで駅に行って新幹線を使うらしい。

結局バスが新宿に着いたのは19時過ぎだった。道が混んでいるので、東京駅まで行くのを諦め、新宿で降りた。バスに乗っているあいだ、夫とメールでやりとりしながら、一泊するしかないので宿を探していた。

以前公演で横浜に滞在したときに泊まったゲストハウスは確か2000円で泊まれた。連絡してみたが休みだと言われる。それで次に見付けた横浜の宿は2700円と安かったけれど、夫にURLを送ったらドヤ街のど真ん中だから泊まるなら安全なところに泊まってくださいと返ってきた。
その頃もうiPhoneの充電は10%を切っていた。結局夫が見つけてくれた新宿東口の方にある景雲荘という宿に泊まることになった。素泊まり畳の部屋。
お腹が好き過ぎて温かいものをとにかくすぐ食べたくなりそばにあったファーストキッチンではじめてパスタを食べた。東京に来たなぁと思った。
幸い化粧道具は持っていて、コンビニでメイク落としなどが入っているお泊りセットとヨーグルトを買う。いい安宿感いっぱいの部屋でフロントでポットごと渡されたほうじ茶を湯呑みに注ぎヨーグルトを食べ、ユニットバスに湯を張って、ストレッチして寝る。



2014/12/15

2014年12月19日 | Weblog
始まったときはどうなるのか行方知れずだったクリエイションも公演の日を向かえ、楽日の翌日。
アイザック イマニュエルの作品は『風の駅 -行方不明者のキュレーション-』というタイトルで上演された。

アイザックとはリサーチ期間中に太田省吾さんに所縁のある人に話しを聞きたいというきっかけで出会った。風の駅というタイトルはついているけれど、太田さんの同名の作品とはあまり関係なく、オマージュという訳でもない。

白い四角の舞台上、4人のパフォーマーが順番に三脚のついた業務用扇風機を四角それぞれの辺の真ん中に運び、4箇所に設置されたコンセントにプラグを差し、スイッチを入れる。そして吹いてくる風を受けることから発想されたムーブメントを約1分展開させたのち扇風機のスイッチを切る。次のポイントに扇風機を移動させ、スイッチを入れる…という繰り返しで、その途中でレインコートやビニール袋や紙などのモチーフを伴い、やがて扇風機が壊れ、規則変化に変調が起こってくる。
書いてみるとシステマティックでコンセプチュアル。これ面白いんだろうかと思ってしまうけれど、実際なかでやっていた身としては、ひとつひとつのことをこなす上で、有機的な流れのなかにいる感覚が強かった。
見かけはドライでも人や物に触れること、近づくこと、あるいは離れることに感情の手前にある湯気みたいなものが素朴に伴う余地があった。その余白があるために、体に体温が伴っていることと切り離されないものが構造の骨格とは別の仕方で作品を支えていたように思う。出演者のひとりに小学一年生のルイくんという男の子がいたことも大きく作用していた。
ひとつひとつバラバラに発想されたムーブメントであるけれど、それらをパフォーマーが自分でリエゾンさせつつ扱わなければ、規則的に進行するという意味の時間以外の生体の流れが生まれない。私にとってそのリエゾン作業は最も体の在り方を見出せる。血が構成に同期すれば外側で起こることが内面化され、それは姿になる。上演に至る頃、体にテキストが伴う感覚があった。ここでテキストと言っているものは劇中に録音で流れた行方不明者に関するものとはまったく関係なく、ごく私的に発生した読まれることのないもの。でも感覚としては、太田さんの小町風伝で老婆をやったときに近かった。この感覚を誘発することは演出として織り込み済みだったのだろうか。たぶん違う。
でもそれでいてコンセントを抜くとか、スイッチを切るという作業が差し挟まれることが、渦中にいる自分の状態に入り込み過ぎることを許さず、ある種の批評でもあって、そうしたなかで渡る絶妙なバランスがあった。

例えば優れた振付やクレバーな構造があったとしても、そこに何かが宿ったと見えない限り、それは抜け殻で、宿る、宿すということは、受動と能動の間にパフォーマーの心身が結ばれたときにしか起こらない。体が心を伴っていることは無視できないし、体は心の見かけを担う。
でも心を依り代にしたらフォルムはぐずぐずに崩れる。私たちはどうあがいても形であるから、体からでなければ心には触れない。
だからそこ型だけれど、目的は型ではない。



2014/12/10

2014年12月11日 | Weblog
昼、夫作の凝った豚汁。ごま油で最初にごぼうを炒めるらしい。さらににんにくと生姜のおろしたのが入っている。だから部屋のにおいは中華。でも食べると豚汁。しばらく鍋続きで、炊きたてのごはんを食べていなかった。久々の米がおいしい。
スーツケースと共に駅まで送ってもらう。その前に区役所で期日前投票。
今日から週末まで新長田暮らし。
シェアハウスの一室が私の部屋になった。稽古のあとは銭湯に行き、瓶の牛乳を飲んで寝る。
喉の風邪気を早く治したい。
作品は絶対におもしろくなる。

2014/12/8

2014年12月09日 | Weblog
アイザック、舞鶴での公演を無事終える。いろいろな不確定要素をはらんだまま上演に至り、終わってからもっとこうすればとか、時間をかけて稽古出来たら、という悔いもないことはない。それでも今回の上演には様々な要素が味方に付いたと感じる。でもそれは関わった人たちが引き込んだものだと思う。
常に反応し判断しながら渡っていく感覚の活きた感じは、どんなパフォーマンスにおいても要だと再確認。

観客席の子供たちの笑いが聞こえたらちょっとうれしかったりする、舞鶴ならではの公演から、次は劇場でかなり違うことになるだろうけど、今回の座組みなら何が起きてもきっとなんとかなる。

翌朝のバスで京都に戻り、そのまま午後大阪で一本仕事。乗り換え時間に余裕があって、衝動的に髪を切りたくなり予約と月休の障害がない駅構内の10分1000円のところに飛び込む。40過ぎの男性美容師はどういう経緯でここで働くようになったのか想像する。向こうも私がなんでここで髪を切るのかと思うだろうが、お互い何も聞かず髪とハサミだけでいいのがいい。


仕事を終えて、5日ぶりの帰宅。駅まで迎えに来てくれた夫と留守中ヒットだったそうなピリ辛とり野菜みそを買いにスーパーに行き、スーパーの隣のドラッグストアでルルとトリートメント詰替、ヘアカラーを買う。


久々の自宅。バラもちゃんと生きているので水はあげてくれていたらしい。コタツが出ている。久々の猫ら。小梅は逃げないけれど、小麦は逃げ去り来客時と同じ応対。

臨月を迎えた友人からピナバウシュなど色んなダンスの録画したやつをDVDに焼いてくれたのが届く。添えてあった手紙の字は中学生男子みたいなのに、余白のイラストは同一人物とは思えない繊細な線で描かれ且つうますぎる。

鍋の準備。
とり野菜みそには人参が合うらしい。ピーラーでひらひらにして入れる。みそ味の鍋は素を買わなくても出来ると思っていたけれど、鍋のときのみその量、具沢山味噌汁にならない濃度の参考になった。
テレビを久々に見た。テレビに視聴覚を占められるのがしんどい。


2014/12/5

2014年12月06日 | Weblog
一昨日の夜から舞鶴にいる。宿泊先はアマービレというビジネスホテルがもっているゲストハウス的な宿で、お風呂だけはホテルの大浴場を借りられる。
台所と居間が共用で、各々何を好んで食べるかがわかる。アイザックはコンビニのおにぎりなども食べるけれど、家だとゆで卵や納豆、豆腐、栗、果実、あとはなぜかチャンジャなどを食べている。極端ではないけど基本ナチュラリスト。グルタミン酸がなんとかと言い出したりする。そんなの納豆のだしにもチャンジャにも入ってる。今日は鍋をした。市販の鍋スープにはもちろんグルタミン酸が入っているけれどもう見なかったことにした。
舞鶴だから魚と思ってスーパーの鮮魚売り場を見てみるけれど、鍋に使う鱈は北海道産だし鮭はチリ産。舞鶴産のものは刺身では少しあったけれど少ない。
舞鶴の今いるあたりには服屋などあまりない。午前中に周辺を散歩して、あるのは自衛隊の人向けなのかメンズカジュアルとシニア女性の普段着の店くらいだったから買える場所はないとアイザックに告げたら、シニア女性の店はなぜだめなのかと聞く。だめな理由は見に行けばわかる。

2014/11/30

2014年12月02日 | Weblog

昨夜、本番前最後の休日。
敷き毛布を干す。掃除機をかける前に掃除機の中を夫掃除してくれたのでよく吸う。
久々に家でふたりでちゃんと食器を並べてお昼を食べる。夫作の黒ビール煮の残り少ないのにカレー粉を足してカレーにする。

午後、大学の後輩の卒業制作を見にアトリエ劇研。
現在時と並行して流れる上演時間、フィクショナルな時間に、どういう速度をもたせるかということは、劇で語られる内容やその量に関係するけれど、単にそれに従事する速度でなく、観客が体感する時間をどうクリエイトするかということが、特にコラージュしたテキストを用いる場合重要だと思う。筋書きに乗り込めない場合、時間のこと、時間の進まなさがすごく気になってしまうことがある。あまりいい意味でなく、進まなさに足を引っ張られるというか。

今日はシュラスコを食べにいく予定だった。京都にもシュラスコの店があるとワールドカップの頃に知って行こう行こうと言いながら今日になった。
串に刺して焼いた肉を目の前で好きなだけ削いでもらってむさぼる。それを思えば明らかにこれから降りそうで、やっぱりもう小雨が降り始めている天気も大した問題ではなく、三条木屋町の店のある辺りにたどり着いた。
私は目が悪いので見えないが、夫が看板あったと言う雑居ビルの下まで来たけれど、フロアマップに店の名がない。沖縄料理屋、韓国料理屋はあるけれど、串に刺した肉を焼いて削いでむさぼらせるような猥雑な雰囲気がない。
これは店が既に潰れているんじゃないかと調べたらやっぱりそうだった。
街中で急に行き場を失う。でも今日は肉を食べたい。
近くに肉なべ千葉という店がありそこはどうかと提案したら、夫は火で焼きたいと言った。肉々しければ煮ていようが焼いていようがいいのだと思っていたけれど、夫には火で肉を炙る調理法も重要だったことがはじめてわかった。それで行き慣れた焼き肉屋。勢いでカラオケ3時間。