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流出雑記 

餅の花 梅の花

2007年12月26日 | Weblog
どこのお店もそうでしょうが、年末の花屋は忙しい。クリスマスが過ぎれば一気に正月花が並ぶ。今日から5連勤。これが終われば私は花屋を去ります。働きながら納得のいかないことはありました。でもお店も、働いている人たちも好きです。
でもやめます。

今日は餅花制作に勤しんだ。
餅花とは柳の枝に大豆くらいにちぎって丸めた紅白の餅を付けた正月飾りである。
気が遠くなるほどの本数を手作業で一枝一枝、20センチ間隔くらいで餅を付けていく。同じ動作の繰り返しに飽きるし、ぺとぺとするのであまり好まれない仕事のようだが、これが私にとって悦楽の時間であった。元来細かな手作業が得意というのもあるが、もちもちしたものを指でちぎったりこねたりするのが好きなのだ。
ヤン・シュヴァンクマイエルの映画で、パンを同じような感じで丸めて鼻から吸い込んで食べる女がいたのを思い出す。若干シュールな心持ちになる。

松・千両・梅・椿など店は正月カラー。
松は切るとべたつくヤニがでるが、ツッと尖った木の良い香りがする。アロマオイルに松の香り、「パイン」があるが、実物からの香りとはちょっと違う。
あと今の時期香りのするものは水仙。さり気ない姿からは思いもよらないほど強い香りを放つ。

あー、眠い 。
明日もガンバロう。

不注意多発

2007年12月20日 | Weblog
玄関で手を滑らせアップルシナモンティーの入ったタンブラーをぶちまけて家を出た。
靴下の上からだったが熱湯をかぶった右足の甲がひりひりする。
仕事で奈良に向かう。
地下鉄でお嬢様小学校の眼鏡ちゃんが空のお弁当箱を落とした。空なのに中を確認して弁当箱の回りをぺろぺろ舐めている。手のひらも。大好きなおかずでも入っていたのだろうか。
今日は穏やかな日差しがあり、ぼーと風景を眺めながら近鉄電車に乗っている。
次の駅は新祝園。
しんほうその と読む。
今のところ最も好きな駅名。
何か物語ができそう。

車内広告に人体の不思議展のチラシを見つけた。この展覧会をやると確実に稼げるようで毎年やってる。私もまんまと3回ほど行った。
近鉄学園前で降りてそこからバスに乗る。何度か行ったことがあるので心配ないが、だいぶ早く着きそう。
広い団地。相当な人が住んでいる。団地地帯を抜けるとセコム率が高い大きな家が多い。
今日の仕事は二時間。
5分や3分ポーズなど短い時間のクロッキーで時間が過ぎるのが早く感じる。
終わって、帰りの近鉄に乗っている。
この文章のはじまりから二時間以上が経過した。
お腹が空いたのでキオスクで何か探す。「赤穂の塩あんパン」というのを発見。好み。
もちっとした白い生地に甘すぎない塩こしあん。
好み。
京都であまり見かけない。おいしかった。

電車を降りて駐輪場で、暗かったのでよく見えず自分のでない自転車を解錠してしまう。さよなら100円。

魚にとっての水

2007年12月19日 | Weblog
魚にとって一番捉えにくいものは水の存在だと思われる
では演劇において一番捉えにくいものは何か

魚にとっての水のように

5年前、大学生になってすぐの講義で何もわからん一回生の私たちに太田省吾さんはそんなふうに問いかけた。

あるフィクションで一定の時間を満たす演劇。
そのしつらえは自覚的なものである。
役者は役を、すでに書かれた言葉を予定された進行の中で演じる。
では演じているその人。虚構の世界にいる生身はどういうことになっているのか。
演じるとは「なる」ことでも「なりきる」ことでもないように思う。
演じている役者の生きている現実は舞台上の時間と同時進行している。そう考えると役者は演じるというより劇の時間を生きると言うほうがしっくりくる。生身をひきずったまま役者は舞台に上がる。そんなことは当たり前で取り沙汰されることではないかも知れないが、私は舞台に居ながら、観ながらそういうことが気になる。だからといって役者は観客を幻滅させるようではいけない。
役者には虚構に耐えうる強度、見られることを引き受ける受容力が必要だと思う。
劇の時間を生きるために必要なもの。
劇を必要とする生身の理由。社会の中に収まらない体に対する意識とか、何かしら演劇で表現したいことがあるということでなく。
生身がある
私って何
今って何
いつまでたってもそれにぶつかる。
私と今。時間の流れの中。現在
虚構であろうと現実であろうと私たちは流れ続ける現在にある。
つまり今
今ということ。
それに接触して成立する舞台芸術。
しかし今は捉えられない。今と言ったしりから今はもう過ぎ去る。
今をできるかぎり今に。

生きているからそう言える。
生きている。
いつか死ぬ予定の上
そういったことを含んでの

劇の時間をそのためにしつらえる。現実の中ではほとんど目先のことのためにある行為を、今に立ち返るための行為へと。

あること
生きている
何かを完成に向かってつくりあげるのでなく
体を伴って。生身を引きずって。
進行形の中にしかない演劇にとっていちばん捉えにくいものは「今」ではないかと思う んですけど。
どうですか

泥羽 ドロウ

2007年12月16日 | Weblog
いつでも また 帰ってこれる場所
ぬかるんだ故郷
ここでは私のすべての努力らしきものが
ただ浅ましくみすぼらしいもののように思われる
今 というものに平行してペンを走らせている
意図するもの・無意識・期待・失念・輪郭・不明瞭さ・厳格さ・甘え
などを右往左往しつつ
どこへでも
どこへでもいける

この身に宿るものに従うしかないことを
様々な局面で感じる

私は席を譲る気はない

君はいつまでも死なず何も
変わらないね

ハウスハウザーハウゼスト

2007年12月13日 | Weblog
日曜日、冬物と器を物色に実家へ帰る。
昼前に着き、いつもポストに入れてある鍵で中に入る。
大体不在の父が夜勤空けの休みで家にいたので昼飯いこうということになった。そんなときは斜め向かいのケーキ屋の二階にあるオムライスが売りのカフェに行く。
父はカレーオムライス、私はデミグラスソースの。スープ・サラダとミニデザート、コーヒー付のランチセット。父はコーヒーは先にと頼んだので私もそうした。
小さい頃の記憶では父は休みの日の昼、いつもレトルトカレーかインスタントラーメンを食べていた。父がいる昼はカレーと煙草のにおいだったのをよく覚えている。舌は子供で、母の料理には味見せずソースをどばーとかける無神経な男だ。
コーヒーを飲みがら、某新聞社の新しい工場の責任者となった父の仕事のことや、花屋の日々のこと、妹のことなどを話した。皆それぞれ仕事や部活が忙しく実家に来ることは少なくなった。
驚いたのは父が中学時代から半生を傾け、社会人になっても続けてきたバレーボールをやめたことだ。昇進して練習に行く時間がなくなったことと、体力の限界を感じたらしい。同じ年代で続けている人もいるそうだが、練習の時間がないまま実力が落ちて同年代に負けるのも嫌だという。父は何につけても中途半端と負けるのが嫌いだ。 それで今はゴルフをやっている。おっさんが休みにする遊びとは違い本気なのだそうで、休みの日は必ず練習に行くという。月に二度は取引先の接待ゴルフがあったり、自分の都合で練習でき、年令的にも長く続けられるスポーツでもある。何にせよ体は動かしたほうがいい。
コーンスープとサラダ、ほどなくオムライスも運ばれてきた。デミグラスソースは自家製で、中はバターライスになっている。
最近パチンコでエヴァンゲリオンに凝っているそう。しかし父はアニメを全く知らないので使徒って何?なんで子供ばかり出てくるのか?などの質問に事細かに答えてあげた。

両親は別居していて父は四年前からがらんとした実家で一人暮らしをしている。もうすぐ正月なので、母の恒例、父の大好物「牛すじの昆布巻」を届けてほしいかどうか聞いといてと言われていたのを思い出して尋ねると、365本と答えたので笑った。さみしい。
オムライスは少し多かった。デザートは一口ずつのアイスとシフォンとフルーツ盛り合わせ。ホットコーヒーをふたつ注文する。
一服して店を出る。
お昼ご馳走になったし掃除でもして帰ることにする。散らかってはいないが前に掃除機かけたのはいつか覚えてないと言う。最近はネズミが出てパチンコの景品ハイチュウを噛られたらしい。
掃除手伝うかと思いきや打ちっぱなしに行ってくると言った。そういうところは変わらない。
居間と二階の寝室が生活スペースで他の部屋は使われていない。棚を拭きながら祖母の遺影と目が合う。体のすべての筋力が落ちる難病で亡くなった。自分のことばかりに必死だった高校から大学の頃の私はもっと介護、できることがあったのに避けていた。
徹底的に掃除しようと思う。
台所、洗面所、掃除機をかけ、階段や床はさらに雑巾がけ。玄関、外壁のタイルを拭く。玄関先は幸福が入ってくる場所なので念入りに。雑巾がすぐ真っ黒。 あっという間に夕方になり、帰ろうとすると丁度父が帰ってきた。きれいになっているので喜んでいる姿を見て、じゃあまた来るわと言う。
おー、気を付けてな。

私は帰る。
帰る家がある。ごはんを作る相手がいる。一緒に食べる人がいる。
お父さんは今夜何を食べるのだろう。
7人家族分の食料が詰まっていた冷蔵庫には烏龍茶、野菜ジュース、梅干し、チョコレート、ウイダーインゼリー、グレープフルーツ。そういう日々。
家に帰ると炊きたてのご飯や煮物の温かいにおいのする生活を大切にせず遠ざけたのは父だ。
心底阿呆だと思う。
でも冷たい部屋、コンビニ弁当。
お父さん、心底です。

私は帰る。
自転車で走りながら頬が冷たかった。

ある1日

2007年12月06日 | Weblog
電車に揺られて
眠い
耳に入ってくる駅名
女子大生3人の会話
を聞く
同じ高校だったらしい。2人は似た感じの巻髪流行り系。もひとりは少し落ち着いたそのノリとは違う系。
派手な子は明日エクステンションを付けにいくそうだ。ホットペッパーで安いサロンを探している。
スプラッシュというところが安いらしい。大学には遊びに行ってるようなものらしい。高校ではめっちゃ勉強したらしい。制服は2万で売れるらしい。電車の足元暖房が弱い。元彼とは仲良くできないらしい。就職でもよかったらしい。

今日の冷え込みは骨まで来る。
朝から高の原で仕事。
ココアしか飲んでなかったので11時過ぎ空腹でポーズしながらあんパンのことばかり考えた。
お昼はなんだか外で食べたいのでうちにいたダーリンを誘い、どこにしようか悩んで滅多に行かない方向へ自転車で行ってみた。三宅八幡の辺り。
寂びれた「定食・うどん・丼物」屋。 お参り客相手に賑わった時代もあったのだろうか。全部で8テーブルほどの閑散とした店内に常連のおじさんがひとり昼ドラを見ている。
お品書きにはきつねを筆頭に一通りのうどん・そばに親子等の丼物、定食も5種類ほどで値段は400~850円
私はカレーうどん、ダーリンはカツ丼大を注文した。
大将は薄暗い厨房で料理に取り掛かった。肉などがどのように常備されているのが気になったが揚げ油の音が聞こえてきた。
安っぽい籠入りの造花が天井からぶら下がっている。
机の上の醤油差しにはうっすら埃が積もっている。
15分くらいで料理が運ばれてきた。私の好きなカレーうどんのとろみ。豚の薄切りと玉葱、ミックスベジタブル入りのカレー。味は可も不可もなくカレーうどん。寒い日のうどんは幸せです。すばやく平らげて店を出た。
恐らくもうここに来ることもなかろう。おっちゃんの作ったミックスベジタブルカレーを食べるのも最後である。
こういう切なさはおしゃれカフェでは味わえない味覚だ。
ついでに三宅八幡にお参り。紅葉で上も下も赤。
池の鯉にめんどくさそうに米の残飯を撒くおばさんがいた。