寝る時間がめちゃくちゃになっている。
大掃除。埃を落とし、窓を拭き、カーペットの表面も拭く。風呂のタイルと目地の係は夫。
終わって冷えた足をコタツで温めながら、苺のフレーバーティーにミルクを入れたのを飲む。テレビで戦力外通告をされた野球選手たちを取材した番組がやっていた。ドラフト1位で入団したが、思うように活躍できなかった20代の若い選手、3人の子供がある30代の選手。
ほとんど野球に費やしてきた人生を降りる選択を迫られたときの、まだ十分にプレイのできる逞しい首や腕、日焼けした顔、野球の為に組織された体を見ているのはつらいものがあった。ある人は家族を養う為に野球とは関わりのない仕事を選ぶ。ある人は一軍選手のバッティング練習のためにひたすら投球する、いわば裏方的な仕事に就く。そんな仕事があることをはじめて知った。
寒いので小豆に寝床に湯たんぽを入れ、夕方夫と自転車で松ヶ崎へ向かう。地下鉄で四条へ。地下鉄の駅の中に出来た花屋はお正月らしい赤白のアレンジメントを並べて、いつもより賑わっている。鞠のようなポンポンダリアや種々の菊、きりっと首を伸ばす水仙、ひと際良い香りをさせているフリージア、千両、松。
大晦日から帰省するが、帰って来たら部屋に水仙を飾ろうと思う。
7時過ぎ、夫が浪人中、東京の美術研究所に通い、そこで出来た唯一の友人と、その恋人と落ち合う。
ふたりとも東京で、年末年始の休みをつかった旅の途中だった。
東京からフェリーで徳島にはいり、そこから陸路で京都までたどり着いたところだという。
店の選択をまかされていたので、どこで食事をするか直前までふたりで悩んでいたが、京都に来た他府県の人をよく連れて行く店にする。
丸太町通りの、繁華街から少し遠のいたところにある町家を改装した店。一階のカウンターには常連客が少しいて、二階の座敷は静かなカップルが1組、会話の妨げにならない、かなり謙虚な音量でうっすらジャズをながれている。
この店はおぼろどうふがとてもおいしい。彼も彼女も日本酒が好きでいろんな土地の銘柄を南下しながら飲んでいくことにする。私は弱いのだが、おちょこに少し注いでもらって旅路を楽しんだ。
ふたりとも勤めているが写真をやっていて、最近なんだかよく見返したくなる『センチメンタルな旅、冬の旅』の話題など。
死を撮ることと死人にカメラをむけること、死人を撮ったからと言ってそれは死を撮ったことにならないような気がする。生きていていようが死んでいようが印画紙の上に焼き付けられる静止画。ある日撮られたポートレイトの姿を被写体自身は留めることができない。それを写真に留め、留まらないものの傍らで留まらないままに留め続ける。それは祈りにも似ていつつ、ある冷たい距離をもって祈る自らを視ているようにも思える。
とてもいい晩だった。夫は友達に恵まれていると自分で言うが、確かに。
今年最後の人に会える時間をこの人たちと過ごせてよかったと思う。
終電もすっかり逃し、店を出てからコーヒーでもと24時間営業している東大路のからふねやに行ったが、営業時間が12時までになっていた。
仕方ないのでローソンで缶コーヒーを買い、バス停でまたしばらく話したあと、ふたりはホテルをとっている京都駅の方へ、私と夫は真反対の北へと帰路についた。
タクシーはすぐひろえるが、少し歩きたかったので百万遍くらいまでと思って喋りながら歩いていたら、高野まで来てしまった。
その頃既に空腹の夫となか卯に入り、うどんでお腹を温めたら松ヶ崎までまた歩く。キンと冷えた年の瀬の空気のなか、その道のりは距離が問題にならない心地よい旅路だった。
大掃除。埃を落とし、窓を拭き、カーペットの表面も拭く。風呂のタイルと目地の係は夫。
終わって冷えた足をコタツで温めながら、苺のフレーバーティーにミルクを入れたのを飲む。テレビで戦力外通告をされた野球選手たちを取材した番組がやっていた。ドラフト1位で入団したが、思うように活躍できなかった20代の若い選手、3人の子供がある30代の選手。
ほとんど野球に費やしてきた人生を降りる選択を迫られたときの、まだ十分にプレイのできる逞しい首や腕、日焼けした顔、野球の為に組織された体を見ているのはつらいものがあった。ある人は家族を養う為に野球とは関わりのない仕事を選ぶ。ある人は一軍選手のバッティング練習のためにひたすら投球する、いわば裏方的な仕事に就く。そんな仕事があることをはじめて知った。
寒いので小豆に寝床に湯たんぽを入れ、夕方夫と自転車で松ヶ崎へ向かう。地下鉄で四条へ。地下鉄の駅の中に出来た花屋はお正月らしい赤白のアレンジメントを並べて、いつもより賑わっている。鞠のようなポンポンダリアや種々の菊、きりっと首を伸ばす水仙、ひと際良い香りをさせているフリージア、千両、松。
大晦日から帰省するが、帰って来たら部屋に水仙を飾ろうと思う。
7時過ぎ、夫が浪人中、東京の美術研究所に通い、そこで出来た唯一の友人と、その恋人と落ち合う。
ふたりとも東京で、年末年始の休みをつかった旅の途中だった。
東京からフェリーで徳島にはいり、そこから陸路で京都までたどり着いたところだという。
店の選択をまかされていたので、どこで食事をするか直前までふたりで悩んでいたが、京都に来た他府県の人をよく連れて行く店にする。
丸太町通りの、繁華街から少し遠のいたところにある町家を改装した店。一階のカウンターには常連客が少しいて、二階の座敷は静かなカップルが1組、会話の妨げにならない、かなり謙虚な音量でうっすらジャズをながれている。
この店はおぼろどうふがとてもおいしい。彼も彼女も日本酒が好きでいろんな土地の銘柄を南下しながら飲んでいくことにする。私は弱いのだが、おちょこに少し注いでもらって旅路を楽しんだ。
ふたりとも勤めているが写真をやっていて、最近なんだかよく見返したくなる『センチメンタルな旅、冬の旅』の話題など。
死を撮ることと死人にカメラをむけること、死人を撮ったからと言ってそれは死を撮ったことにならないような気がする。生きていていようが死んでいようが印画紙の上に焼き付けられる静止画。ある日撮られたポートレイトの姿を被写体自身は留めることができない。それを写真に留め、留まらないものの傍らで留まらないままに留め続ける。それは祈りにも似ていつつ、ある冷たい距離をもって祈る自らを視ているようにも思える。
とてもいい晩だった。夫は友達に恵まれていると自分で言うが、確かに。
今年最後の人に会える時間をこの人たちと過ごせてよかったと思う。
終電もすっかり逃し、店を出てからコーヒーでもと24時間営業している東大路のからふねやに行ったが、営業時間が12時までになっていた。
仕方ないのでローソンで缶コーヒーを買い、バス停でまたしばらく話したあと、ふたりはホテルをとっている京都駅の方へ、私と夫は真反対の北へと帰路についた。
タクシーはすぐひろえるが、少し歩きたかったので百万遍くらいまでと思って喋りながら歩いていたら、高野まで来てしまった。
その頃既に空腹の夫となか卯に入り、うどんでお腹を温めたら松ヶ崎までまた歩く。キンと冷えた年の瀬の空気のなか、その道のりは距離が問題にならない心地よい旅路だった。
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