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流出雑記 

踊り納めの日

2010年12月28日 | Weblog
愛しのアイリーン・上を読み終え下巻が早く出てほしいと願いながら4時頃床に着く。

9時起床。横に小豆、足元に小梅。
朝食、みかん、白湯、アーモンド、残りのトマトスープ、ミルクぜんざいに白味噌を溶いて餅を入れる。

10時半過ぎ、家を出る。
神戸方面へ。
danceboxで山田うんさんの即興ワークショップ。

自由に踊るためにはどのような体を組織すれば良いか。
ただ何かしら踊りのテクニックを身につければ良いというのではない。 いつも同じ軌道をえがいてしまわない体。でも曖昧なのではなく、その都度選択したもの、その速度や質感を正確に体現できるようにありたい。
具体的には体の様々な部位を出来るだけ細かく意識的に使えるようになったほうが良いなと思う。そしてセッションの場で起こっていることに対してどのようなレスポンスをするか、もしくは別のものを投げ込むか、今それが必要か、といったことを見て、耳をすませて、感じ取って判断し選択すること。でもそれだけではない何かもある。体の放ちかたというか、開きかたというか。
今日13人来ていたダンサーはダンスという括りのなかでも違う言語で喋っているくらいの違いがあり、ソロでひとりずつやると歴然とそれが見える。習熟度ではない。体の組織の仕方というのか。それは意識的に身につけたテクニックだけでなく、それぞれが生きてきたなかで培ったようなものもひっくるめて。

挙げた手には責任をもって、と昔習ったある舞踏家に言われたのを思い出す。

踊り重ねていけばよくも悪くも体は組織されていく。ある型の熟達ではなく、常に組織化から逃れることをやっていくところにもっともダンスを感じ、私はそういう視点を持っているものをダンスだと思っている。こうやって書くのは簡単ですが。
即興をやっていて感じるのは精神的な部分での躊躇や臆病さだったりする。それを突き付けられる場でもあり、足掻きながらどうにか突破しようとする場でもある。そうして動き出すときに今まで知らなかった体に気付くことがある。

このインプロセッションに声を掛けてもらったピアニストの本多さんが、来年のリサイタルのフライヤーに私のドローイングを使いたいと言ってくださり、今日出来上がったものをいただいた。



ひとりで悶々と描いていたものがなんだか素敵なものになっているではないか。うれしい。小躍りしたい気分だった。してもよかった。
帰って、デザインを仕事にしている夫に見せてもこれはイイとのお墨付き。
リサイタルでは平面では伝えきれない素敵なピアノが聴けます。
以下詳細載せておきますので、関西圏の方は是非!

【光の音 闇の音~本多千紘ピアノリサイタル】

日時…2月12日(土)/13:30会場 14:00開演
会場…ベガ・ホール(阪急宝塚線『清荒神』駅徒歩1分)

プログラム…モーツァルト ピアノソナタ K.281
ショパン   即興曲 1,4番 
スケルツォ 1番
ラヴェル  『鏡』~蛾・悲しい鳥・洋上の小舟・道化師の朝の歌・鐘の谷

入場料…3000円(大学生以下1500円)