figromage

流出雑記 

2015/3/31

2015年03月31日 | Weblog

3月最後の日。ここ2、3日の陽気で桜が一気にほころんだ。植え替えをしたばらも日に日に新梢が伸びている。自転車で走っていて道の脇、畑の端に点々と青いオオイヌノフグリ。正月もとっくに過ぎて緩んだハボタンをあちこちの軒先で見かける。寒いあいだ赤い葉が詰まっている姿は凛として美しいけれど、春先になると伸びて徐々に形が崩れ、最後にはてっぺんに菜の花に似た黄色いのんきな花を咲かせてしまう。あの花が良くない。せっかく咲いたものに対して失礼なとも思うけれど、やっぱりあの姿はよくない。そういえば実家の庭にはツワブキが植わっていて、ツワブキも黄色い花を咲かせる。でも祖母はツワブキの花が嫌いで咲く前に全部切っていた。軒先も庭もありのままの自然ではないし、住む人の感性によって淘汰される場所だから切ったり抜いたりということをする。

花粉症は1番症状が辛いのはどうやら3月中旬で、4月が近づいて桜が咲くと少し落ち着いてくるような気がする。

新ジャガを皮のまま茹でて竹串が通ったら水分を飛ばし、多めの油で炒めて砂糖醤油をからめるのがおいしい。わさび菜という葉もの野菜を見つけてサラダにする。少しぴりっとわさびの風味がする。夫は最近安いオージービーフをうまくローストビーフに調理する方法を身につけて、塊の牛肉が食べたい日はそれを作ってもらう。それの付け合わせにもわさび菜は最適だった。

夫はお風呂の風呂釜を洗浄して、出てきた湯垢を見てその成果を肉眼で味わっている。その他の掃除に関しては特に潔癖でもないし、むしろそんなにしなくてもいいほう。でもそういう水垢系の掃除が好きなら洗濯槽クリーナーもやってもらおうとLINEでどれくらい成果がでるかのまとめサイトを送っておいた。


2015/3/29

2015年03月30日 | Weblog
朝からなんだ畜生と思うメールを受けとる。その判断はミスったと思え。

今日は少し特殊な現場にいた。
たくさんの人のプレゼンテーションを見て、そこであらわになるその人の体に蓄積しているログとそれによって形成される価値観、思考のあらわれを見ていた。目の役割。ふだんは目に見られる逆の立場にいるから目の役割は新鮮でもあった。

人の様子を見ながら、定型をもたない技術というのは、よるべなさを支えるしなやかな軸の強さなのだと思った。
メンタルで言うとひとつの価値基準に傾倒しないこと、フィジカルな意味に翻訳するといかにフレキシブルな背骨を持ち得るかということになる。なおかつ酔わずに自分自身を注視する視線を持ってそのことへの興味を失わないこと。はてはその先に個を出発点として、他者にもリンクする体の記憶の広がりを見出せるようなところに立っていられる根気というか、強度というか。
その覚悟だけはして、あとは手ぶらでいられるように、そのようにいたいと人の姿から我が身にあたる言葉が引き出されていく。
事あるごとにオーダーメイドできる自在さとぶれないトルソーとしてある。そしてその困難さに魅了されていなければならない。




2015/3/26

2015年03月26日 | Weblog

結構久々に会うダンサーの友達と午後お昼を食べる約束をしたのはロイヤルホストだった。理由は立地と彼女がなぜか20%割引き券を持ってるけど行きませんかと言ったから。平日の昼間にファミレスで待ち合わせるのは今までにないなと思いながら、ロイホに行くと言ったらその日休みだった夫も行きたいということになった。

平日と言っても春休みだから親子連れなどで思ったよりも混んでいて、名前を書いて少し待つ。

彼女とゆっくり話す機会はおそらく去年の冬以来で、その間に彼女が旅行したパリのことや天使論の横浜公演のことや最近見た公演のことをそれぞれ注文したランチセットやハンバーグやエッグベネディクトを食べながら話す。ドリンクバーのココアがおいしい。

彼女と夫はパフェも追加で注文した。私はすでにドリンクバーでお腹がぽちゃぽちゃしていたので、そこにクリーム系統を投入することに前向きになれず、夫の頼んだいちごのクリームブリュレパフェの上のいちばんおいしいカラメル部分と苺などを味見させてもらって、でも人が目の前でパフェ食べてるのをみると、胃の現状なんて鑑みずに頼めばよかったともうっすら思った。無念さを埋めるためもうそんなに水分いらないけれどキャラメルマキアートをデミタスカップで飲んでおいた。

彼女のバイトの時間が近づいて、私のタイ土産と米屋である彼女の実家から送られてくる一人暮らしの彼女が消費しきれない米を分けてもらってわかれる。

時刻はまだ3時半だった。天気がよかったしそのあと特に予定もなかったので、そこからバイクでしばらく走ったところにある宝ケ池に行くことになった。宝ケ池は池を囲んだ公園になっていて、犬の散歩やランニングコースになっている。子供の頃時々父が連れて来てくれた。その頃ここに来る時は池の鯉にやるパンの耳を持って来ていた。池のほとりからパンを撒いていたらアヒルがパンをほしそうに寄って来たので、手のひらに乗せて差し出したら、アヒルにはその位置が高すぎたのか、上からつまんで食べないで指の先から手のひらごとくちばしにはさまれた。別にそのこと自体は痛くもなかったと思うけれど、びっくりして大泣きしたことは、そのとき自分がどの辺に立っていたかも含めて今もはっきり思い出せて、今日はその位置にたまたまアヒルがいた。

池には貸しボートもある。ペダルで漕ぐタイプのとオールで漕ぐタイプの2種類。夫がボートに乗ろうと言ったので1時間1000円を500円ずつだしてオールで漕ぐボートを借りた。何年か前にも乗ったことがあった。そのときも春先だったと思う。水深がどれくらいあるのか知らないけれど深緑色の水を不慣れなオール使いでかいていてもボートは案外進んで、すぐに池の中央まできた。池からは戦艦のようなデザインの国際会議場、その奥には比叡山が見える、晴天。我々の他には足漕ぎの親子連れ1組とカップル2組のボートが浮いていた。

 

ホーリーバジルとなんかばらの苗でいいのがないかと帰り道のホームセンターを覗いたけれど収穫なし。今年はハーブ用の植木鉢にパクチーとホーリーバジルを植えてタイ料理に使いたい。ばらはディスタントドラムスとイントゥリーグが見つかればほしい。夕飯の買い物をして家に戻ってもらってきた米を炊いてみる。安かった白ネギをフライパンでしつこく焼いてからマリネ酢に漬け、きのこのみそ汁を作る。主菜は豚もやし炒め。これは左京区のある中華料理屋にあるメニューで、豚肉ともやしと玉ねぎを炒めた上に別に炒めた卵を乗せたもの。でも私は店で食べたことがなくて、食べたことのある夫が一度味を再現して作ってくれたらおいしかったので、それ以来食費が減ってくる月末やお腹がすいたときにさっと出来るおかずとしてうちで定番化したもの。今日はトマトを一緒に炒めてみると小玉のトマトを3つ切って入れた。それもおいしかったし、もらってきた米もやはり米屋の娘の食べている米はいい米なのか早炊きで炊いてもおいしく感じた。

夕飯のときにつけていたテレビでフィギュアスケートがやっていて、15歳位くらいの選手たちのなかでは雰囲気がアダルトな18歳ロシアのトゥクタミシェワという選手の演技がよかった。


2015/3/24

2015年03月24日 | Weblog
昨日に引き続き気温が低い。
花粉症は症状の出方が気温によってこんなにも左右される。寒い日は本当に楽。

いま食べているヨーグルトがビヒダスなのは、妹がFacebookでシェアしていたヨーグルトが種類別に解説されている記事にビヒダスが花粉症に効くと書いてあったからで、数日食べたからってどうなるものでもないけれど気休めというか願掛けに近い気持ちで食べている。そうでなかったらヨーグルトはブルガリアか恵の率が高い。
ヨーグルトには冬を経て凝り固まった蜂蜜を瓶からこそげ取って入れている。この蜂蜜は大学の先輩だった人の奥さんの両親が蜂を飼って作ったもので、風味がとても良く気に入っていますと伝えると時々会うときにうちにあるからとわけてもらうもの。
蜂蜜を入れてもらう袋はいつもクレドボーテだった。クレドボーテの高級コスメに私はついぞ触れたことはないけれど、何食わぬ顔でその袋に荷物を入れて持ち歩いたりしている。
今年に入ってから化粧品は自分で作るようになった。
ファンデーション、シャドウ、チーク。だいたいぜんぶ鉱物の粉から出来ていて、材料を揃えれば恐ろしく簡単にできるし、クレンジングを使わなくても落ちる。いわゆるミネラルファンデーション。spfも結構高い。シルクのパウダーなども入れている。
あとは化粧水とオイル。化粧水はいろいろ試し、真冬のあいだは酒粕を濾したものをベースにしていた。これもしっとりしてなかなか良かった。今は尿素を入れたものを使っているけれど、3日で明らかに肌が柔らかくなった。尿素は何かを補うというより肌質を変える。

夫のお昼、キャベツと玉ねぎと豚肉の本当に普通のソース焼きそばを作って置いておく。最近作るもののタイ風味傾向が著しいのでそろそろ飽きるかも知れないとスタンダード味を挟み込んで中和する。

加古川の始めて行く仕事場。
距離はあるけれど、京都から新快速で1本。加古川からバスで15分とあってそのバス1時間に1本しかない。
なんとなくやな予感がして早めに出たらやっぱりJRは早朝線路内に危険物が発見されて確認にしたために遅れているとアナウンスが流れた。
電車が京都駅を出たのは間に合う時刻だったけれど、ダイヤの乱れのしわ寄せが徐々にきて、姫路行きの新快速は姫路より手前の駅までとなり、運悪くその駅は加古川よりも手前で、西明石で新快速から普通に乗り換えなければいけなくなった。
確実に遅れることがわかったので、仕事先に電話を入れ、1時間に1本のバスには間に合わない旨を伝えると、駅まで迎えにきてくださることに。
電車を降りてタクシーのロータリーで電話をかけたらおじさんが手を挙げた。

結局会場には10分ほど遅れて到着したけれど、簡単に着れるようになっているポリエステルのサリーに着替えるのは3分で済むし、お腹が空いたと思っていたら会場にはおやつがたくさん用意されてもいて、あと1週間食べないと湿気る予感のする雪の宿や抹茶のキットカットなどをかじることもでき、休憩時間を短くして仕事は滞りなく終えた。
おまけに交通費の支給される上限金額をかなり越えてるなぁと思ってはいたけれど、支払いのときお茶代にと千円余計に包んでくださって、交通費はそれでだいたいまかなえる額になった。京都から来たと伝えたからだと思う。とてもありがたいことだった。

帰ってきて麻婆豆腐っぽいものを作ったら煮込む段階で味が濃いなと思い、夫にこれやっぱり濃いかなと味見してもらったら濃いなと言って冷蔵庫から牛乳を取り出し少し入れた。そしたらちょうどよくなった。

2015/3/23

2015年03月23日 | Weblog
掃除機をかけて昼ちょっと過ぎに家を出る前に4枚切りトースト2枚を牛乳と溶き卵と砂糖の液に漬けておき夫の昼食、自分で焼くように置いておく。夕飯に使う牛肉を冷凍庫から冷蔵庫に移動させておき、その横にあるチンゲンサイとオイスターソースなどで炒める予定で、ボリューム的にはたぶん玉ねぎも一緒に炒めることになるだろう。昨日作っておいたきのこマリネにも玉ねぎがたくさん入っていて、でもそんなに玉ねぎばかり食べたくないからマリネは次の日の小鉢に見送ろう。大丈夫マリネは酢を使っているから。タンパク質としてはやや足りなそうなので納豆を副菜に、みそ汁は赤だしでえのきと油揚げとネギあたりで。

今日は気温が低くくて昨日まで平気だった薄いストールではぜんぜんしのげない肌寒さで、その代わり花粉はあまり飛んでないように感じるけれど念のためマスクをしている。

くしゃみをするたびに鼻の奥から血のにおいがしてくるから粘膜もそうとう弱っているのだと思う。アレグラを飲み始めた頃、4年前は劇的に効いて、花粉対策に買い込んだマスクも保湿ティッシュも使わずじまいというくらい春を満喫できたのに、同じ薬があのときのようには効かなくなっているのは何故か。

仕事して、京都駅のチケットショップで加古川までの昼特切符を買う。明日の仕事場。引き受けてから遠さと交通費の高さを知った。
地下鉄で最寄り駅まで戻ってきて銀行へ行き、お金を口座から口座に移して、どうにか今月も生き延びることができることを確認し、サバイバルな気持ちで明日のお昼に作るものと明日仕事から帰って夕飯をさっと作れるよう買い物をして帰る。
日々、日々の準備をして、潤滑に日々が流れるよう工夫して。明日は燃えるゴミ明々後日は資源ゴミ。あたりまえな生活を成り立たせるよう毎日やっていることをやめたらどうなるのだろうと、時々生活を支える手をながめる心境になる。
この持久に必要なのは筋力ではないのだ。

2015/3/22

2015年03月22日 | Weblog

夫は今日提出しなければならない資料制作で目覚めるやDVDやらコピー用紙を買いに出た。天気がいいので冬物のかさ張るセーター類を洗う。

一昨日仕事先からもらってきたいよかん、むいて冷やしておいたのを食べるとみずみずしくておいしい。

仕事先はわりと田舎の方で、駅から歩いていく道、駅前のエリアには建坪の狭い新しい家々が立ち並び、駅から離れるにつれてそれとは比重のことなる重たい瓦屋根で蔵もついているようなお屋敷風の家並みに途中から変わる。そういう一帯のなかの一件が仕事先だった。この家には何度か来ている。依頼してくるのはこの家のご主人だが、定年後趣味で絵を描き始めた人。もともとは教員だったそうで暮らしぶりにもあきらかに余裕があり、通された応接室の棚には見た感じ中国のものが多そうな置物の数々が並んでいる。この家の若奥さまが淹れてくれたコーヒーを飲みながらそれを見ていたら、これはこないだ行った台湾で買うたんやとピンクとグレーのマーブル模様の2匹の豚の置物を手のひらに置いてみせてくれた。それは陶器かと思っていたけれど、持ってみると案外重たく、そういう模様の珍しいらしい鉱物を豚の形に彫ったものだった。2匹でまけてもらって6万円だったそうだ。

その家の庭の片隅には小さなほこらがあって、そこには弘法大師の像がある。これがどうしてここにあるのかはわからないけれど、家系を調べると一族のなかに出家して自分の寺を持った人がいたそうで、その関係ではないかということだった。家の敷地内にあるので人目に触れる機会がないけれど、昔から年に一度、村の人にお参りしてもらうようにしていたそうで、ちょうどもうすぐそのお参りの日だから、参ってくれた人におさがりとして配るためのいよかんとおかきがこの家には今たくさんあるらしく、仕事を終えた帰りがけに廊下からガラス戸越しに弘法大師に手を合わせると私もいよかんとおかきをもらえたのだった。

夫が帰ってきた。2階に上がってプリンタの音をさせている。トーストと目玉焼きとソーセージを焼いて、コーヒーといよかんも一緒に持って上がった。トーストは4枚切りがおいしいといったから超熟の4枚切りを買って来たけれど、超熟の4枚切りはもちもちしすぎて顎が疲れるという。このあいだはたしかロイヤルブレッドだった。

午後から大学でダンス公演の試演会を見るので、ついでに大学の図書館に寄ろうと早めにうちを出た。図書館の新刊が並んでいるコーナーに新猫種大図鑑というのがあった。猫の進化の過程から体の機能、種類、猫と幸せに暮らすためのアドバイスまで書かれている。

トラとライオンのあいの子にライガーとかタイゴンというのがいるそうだけど、そういう交配種には生殖能力がないらしい。馬とロバの子ラバでもそうらしいけれど、なぜなのかは書いてなかった。

 

 

 


2015/3/21

2015年03月21日 | Weblog

洗濯物を干すときに使う、真ん中から放射状にタオルとかを引っ掛けるところが何本ものびている、あれのことを私はたこ足と呼んでいるけれど、それは母がそう呼んでいたからで、たこ足でどこでも通じるのかどうかそういえば知らない。そのたこ足が今年に入ってからちょっとしたことで折れるようになった。最初20本あったのが今じゃ15本になってしまって、そのたこ足を買ったのはたしか今の家に引っ越してきたときにホームセンターで必要だけどそんなに凝らなくてもいい部類の生活必需アイテムをいろいろと一緒に買ったのを覚えているから8年前で、8年目に入ったとたん急に骨粗鬆症みたいな折れていき方をしている。5本干すところが減ったくらいどうってことないようでいて実はけっこう難儀するところがあって、たこ足に引っ掛けて干すのはキャミソールとトランクスとフェイスタオルなのだけれど、それでだいたい20本全部を使っていたのに15本になると足りない。足りないぶんを干すためにトランクスを1本に2枚かけたりしなくてはならない。かといってまだ4分の3の足を残しているたこ足を新品に買い替えるのも気の毒というか、まだこんなに足あるんだから十分使えるよと言わなければならない気持ちになる。これがもし10本折れてしまったらさすがにもうご苦労様でしたと言える気がするけれど、今の段階ではやっぱりまだ早いような気がする。

午後からクロッキーの仕事に行って、帰りに土14ℓとついでにパクチーの種も買って自転車のカゴに積んで帰る。ばらの植え替えを明日する。

タイでなんとなく買った箱にRamingと書いてあるジャスミンティーを入れてみたらすごくおいしかった。グリーンティーベースにジャスミンが香るくらいで、ジャスミンの主張が強すぎなくていい。調べるとRamingはラミンと読むそうで「タイ王国で初めて茶畑を開拓し製茶工場を創設したお茶のパイオニアであるラミン・ティー(チャー・ラミン)社は、アッサム種茶樹栽培において、タイ国内で唯一国際規格認定のオーガニック・ティープランテーションを所有する国内シェアトップクラスのお茶メーカー」だそう。おいしいけれど飲む前はそれがわからなかったから25パック入りのをひとつしか買ってこなかった。成分表にはグリーンティー99%ジャスミン1%と書いてあるから、それと同じブレンドをすれば似た感じになるかもしれない。

タイで買って来たいろんな種類のタイ料理の素のなかにあった煮物的なものを作ってみた。作り方はとてつもなく簡単で、鍋に湯を沸かして粉になっている素を入れて手羽元と卵と厚揚げを煮るだけ。素を入れた煮汁を味見したら、八角の効いた甘めの角煮の煮汁みたいな感じだった。でもオリジナルはちょっと甘すぎたので、手を加えてから煮た。タイ料理のなかでも中華よりの雰囲気のもの、カレースパイスを使ったインドよりのものもあるけれど、これはやっぱり中華の印象でその煮物はたぶんカイパローという名前。厚揚げが思いのほか合うし、これはこの素を使い切ったあとでも日本にあるもので再現ができる。あとタイの屋台でよく見かけたきのこのスープ。炒め物とか炒飯をしてもなんとなくタイで食べたものの印象を反映させてしまう。道路の脇の屋台で大きな丸い鉄板で作ってもらう炒めご飯は青菜と豚肉が入っていた。炒めご飯ができたらパッタイを同じ鉄板で炒めていた。がたがたするアルミのテーブルで食べるあの感じを作りながら思い出している。


2015/3/18

2015年03月20日 | Weblog
Parasophiaという国際芸術祭が京都でやっている。市内数ヶ所に展示があって、メイン会場は京都市美術館。興味のあった崇仁小学校の展示は金土日のみだったので、とりあえず京都市美術館から行ってみることにした。良い天気だけれど、夕方からは雨の予報。

友人がスタッフをしているので、どんな感じか先に聞いた情報によると、市美の展示は映像作品が多く、ほんとうに全部を見ようとすると1日がかりとのことだった。

美術館の展示で映像を見るのが苦手だ。ブースに足を踏み入れたところからそれを見ることになるので、だいたい途中から見始めて、終わってもう一度見始めたところまでを見る体感は、仕方ないという諦めを予め含んでいる。だって映像自体が作っている時間をちゃんと見られない。だから余程興味をそそられなければ見る集中力を持てず、通り過ぎる。

でも映画館ではなくて美術館で展示するという方法を選んでいるからには、映像の時間自体を着席させて最初から最後まで見せたいという訳ではないということか。展示されていてもほとんどただ前を通り過ぎてしまう絵や彫像があることと同じことだろうか。でも美術館のような展示空間に映像作品を展示するときに鑑賞者の体がどうあるべきかについて、何か策が足りない気がする。

この会場下見の段階で作家が見つけた大きなガラスの展示ケースに収まる2体の彫刻がいいと思った。この場所で展示をするということを出発点にしている作品に興味深いものが多かった。

いちばん興味深かったのは、作家による作品ではなく、京都市美術館の普段は立ち入れない地下スペースに入れたことだった。地下は急に空気が冷え、数台のプロジェクターでこの美術館建造からの解説が投影されている。
戦後一時米軍に接収されていた時期があると知った。地下には靴磨きの英字の看板が残っている。
中ではバスケットボールをしたりもしていたらしい。
痕跡をめぐるおもしろさには、歴史の裏付けがある分、体感に厚みもある。既にある痕跡を改めて見る機会と導線をアートの文脈でつくることには明瞭な意味と意義があるし、そういうことをツアーパフォーマンスとしてやっている演出家もいる。

例えば、体を痕跡と捉えたときにその痕跡を改めて見るおもしろさということからアプローチできないだろうかと考えていた。

2015/3/16

2015年03月17日 | Weblog

月に一度写真をライフワークにしている精神科医の撮影の仕事をもらっている。
人物を撮るけれど、撮ったものを反転させてネガの状態にしたり、影を撮ってそれをまた反転させて白い影の写真を作ったり、実体より影を撮っている。なんとなくその手法、被写体との距離の取り方を見ながら、職業柄ひとの生々しさをいやという程見てきたからなのか、影にこそ本質を感じるに至ったのだろうかと勝手に想像する。

先生は何かの話しの途中に、体と精神のあいだにあるものは感情だと言っていた。つまり心の病気とは感情の振れ幅が極端なかたちで表われたり、それとは逆に感情が動かなくなってしまったり、感情の発露に不具合が生じるということなのでしょうかと尋ねてみた。それは症状として表われているもので、問題になるのはつまり「想起する」というところにあるらしい。
正常と呼ばれる状態のときに人は過去の記憶から必要なものだけ取り出している。記憶というのはビデオで撮るように記録されたものを再生するふうな仕方で思い出されるのではなく、常に現在時において構成されるものであるから、不必要なことまで想起してそれに捕らわれて今をないがしろにするのは良い状態とは言えない。
もうひとつはまだ来ていない未来への杞憂が過ぎる場合で、先のことへの心配に捕らわれてしまうこと。

過去に捕われ過ぎることも未来を杞憂し過ぎることもどちらもそうなるときを想像すると、時間に余剰があるとき、時間を持て余す時期に陥りやすいように思う。適度な多忙さは心の健康につながるのかも知れない。いやそうに違いない。
未来 現在 過去の間にあり、その3点によって支えられている自分自身のバランスをうまくとれている人は正常と言うことになる。今のことしか考えられないのはどうなのだろう。これは聞きそびれたので今度聞いてみたい。

今日は肉を食べた。赤い牛肉の力を感じる。

自分の選びとっている生き方のうえで、ゆるされた時間のすべてを捧げなければ至らない生き方の理想のために道のない道を行く人は、自分で自分の修行の道を引いていくしかない。日々をどういうふうに生き、どのように体を使うか。それはどんな表現方法を選ぶ人にとっても同じで、自分を際に立たせて歩き続ける筋力は日々によってしか培われない。

新しい年度に入る前に身と身の回りを整えようと思う。


2015/3/15

2015年03月16日 | Weblog


きのう能『望月』を見た。花若の役は声変わりする前の少年。その声で読まれる台詞や、形との付き合いが周りの大人に比べればまだ浅い体の演じるようすには感動的なものがあった。

彼の体には圧倒的にシブい演奏と馴染まない形に追っかけられながら、それらの要素と観客の視線に晒されて、そういう負荷がかからないとやがて至ることのできない状態というのがあるのだと。彼の存在から年を重ねた能楽師の佇まいもこうして獲得されていったのだと形によってつくられた生きた姿を見ているという感覚が強くあった。

日常ではまったく別の言葉をしゃべり洋服を着て生活する体にインストールされる伝統は、現在時を生きる体において創造されるものであり、継承とはとてもクリエイティブなことなのかも知れない。

打って変わって今日はコンテンポラリーダンスを見に新長田。dbが主催している国内ダンス留学の成果上演。1月に20分のショーケースを4本上演して、その中から選ばれた2本が1時間の作品として上演される。
選ばれた2本は20分の段階でどちらも良いと思っていた。良さはそれぞれのこだわりを貫徹しているところにあったけれど、1時間に引き延ばすうえで時間の運び方に問題があったように思う。
見せたいものを見せるための適切な長さに観客への気遣いが含まれ、つまりこれでこの時間を持たせることができるか、飽きないだろうかという配慮によって挿入された新たなアイデアによって、作品のコアにあった良さが薄まった印象があり惜しく思った。

その帰り、行きたかったミャンマーカレー屋さんに行ったら臨時休業だった。去年から行くたびにずっと振られている。かわりに夫が知っていたベトナム料理屋へ。小雨が降るなか歩いていくと看板が光っているのが見えてきた。店内に入ると客は誰もいなくて、テーブルで奥さんと小さい子ふたりが何か食べていた。一瞬閉店してるのかと思ったけど、奥さんはテーブルを片付け、お茶を出してくれたのでメニューを開いて、ベトナムカレーとベトナム焼きそばと何か春雨の炒め物を注文した。
最初にカレーが出てきた。
赤っぽいからベトナムのカレーはトマトベースなのかと思った。しかしそれはどう見てもハヤシライスだった。食べてもいよいよハヤシライスで、明らかに完熟トマトのハヤシライスのレトルトだった。
何が起こっているのだろうと夫とふたりでとりあえずカレーと言って出されたハヤシを食べ終えてしばらくしてから焼きそばが運ばれてきた。
焼きそばソース味かもと冗談言ってたら、その通りソース味の普通の焼きそばが出てきて、麺はインスタントだった。野菜と肉はちゃんと入っている。土曜日のお昼に小学校から帰って家で食べたよく知っている味がする。
最後春雨はテーブルに置いてあったスイートチリソースかけたら辛うじてエスニックな雰囲気をまとった。

たぶん普段店で調理をしている人がいなかったのだと思う。にしてもこれはと思いつつ、幼子抱えて店を開けていなければならない事情など勝手に想像してしまうと何も言えない。そういうベトナム料理屋でベトナムの人が作った日本の超普通なごはんを食べて帰る稀な機会で微妙な感じに胃が満ちた。

けれど京都に戻って事態の特異さにマヒしていた胃の満たされなさが徐々に自覚されてきた。それで近くの居酒屋に行き、そのあともう一軒、深夜に帰宅。いつにない導線をたどった夜だった。