figromage

流出雑記 

2014/9/28

2014年09月29日 | Weblog
晴天

洗濯、普通のとドライマーク。物干しフル活用でなんとか全部干せた。
掃除、居間に敷いてある夏の敷物をそろそろ片付けたいので玄関に立てて干す。
種をまいたパクチーが芽を出していた。夏に苗で買って花が咲いたあとに乾燥させて種を取った。ちゃんと発芽するのか心配していたけれど、次々出てくる。来月末くらいには口に入るだろうか。
10月までにかばんも秋冬の色に切り替える。でも気候は9月初旬に戻ったような暑さ。金木犀の香りの甘さは肌寒さに似合うのにここ数日ちょっと暑過ぎる。

桐箪笥を人から譲り受けようと思っている。着物は現在不織布で出来たケースみたいなもののなかにぎちぎちに仕舞われ、これもまた置き場がないままベットサイドに置いてある座卓の下で見え隠れしている。いずれ着物用の箪笥を買わないとと思いながら、その余裕はいつ訪れるとも知れなかった。
置き場を画策しているけれど、全体面積のうち使用率10%くらいのくせに部屋の一画を占めているキャットタワーの場所だろうと思いながら掃除機をかける。分解して小麦がよく座っている部分だけ残してあとは捨てるにしても骨が折れる質量で、燃えるゴミに全部は出せない気がする。ものを捨てるのは心身ともにしんどくなる。

今日仕事に行ったところでは、休憩中にお茶タイムが挟まれた。人数に対して絶対余る分量の種々の甘い煎餅にオールレーズンなどが混ざって広げられている。なんで草加せんべいみたいしょっぱいやつが一枚もなくて全部甘いやつなのか。でも余ったのを入れるためのジップロック持参なところが熟練主婦だと思っていたら、余った甘い煎餅入りジップロックをギャラを共に持たされた。
あんまり嬉しくない。でも帰りに摘まんだ。

2014/9/26

2014年09月27日 | Weblog
久々に朝早い仕事。奈良の生駒へ。

地下鉄に乗っていると、隣に座っている中学生くらいの小柄な男子がスマホで聴いている音楽が漏れているというか、イヤホンのプラグがちゃんと刺さっていなかったみたいで、スマホのスピーカーから普通に流れていた。男子はそれに気がついていない。知らせようと思ったが、男子の聴いている音楽というのが、クラシックのピアノ曲だった。誰の曲かわからなかったけれど、あまり朝向きと言えないような重厚な曲で、知らせるよりなぜこの曲を聴いているのかものすごく気になってきて、こっちもちょっと聴いていたくなってしまった。もしかすると男子はピアニストを目指しているのか。手元を見る指はすらっとしているし、爪もしっかり切られている。と勝手に妄想を膨らませていたら、男子は音の流出に気づいてプラグを差し直した。

缶コーヒー、ジョージアの最近出た朝用のシャキーンと書いてあるのを買う。ブドウ糖入りらしい。モーニングショットより効くだろうか。

朝家を出るときはやや肌寒かったのに、10時近くなると暑いくらいだった。
仕事場に着いて缶コーヒーを開けていきなり3分の1くらいこぼす。
それでもこの缶コーヒーはかなり目が冴えるような気がした。

昼前に仕事を終えて、このローカルな町の駅前にある唯一の寄り道スポット、天然酵母のパン屋。くるみパンにこだわりがあるみたいで気が合うし、米粉入りの食パンもよさそうだったので買う。

帰りに2件用事。
週末から京都で開催される舞台芸術祭のチケットをまとめて取るために芸術センターに寄った。見たかった演目の上演日のチケットが軒並み売切れていた。当日券でなんとか見られそうだったけれど、もっと早く取るべきだった。

それから銀行。銀行印がどれだったかわからなくなって、うちにある3本全部持っていって窓口で聞いてみた。しかし全部違った。どういうことか。

夕飯は昨日水菜のナムルとおからを炊いたので、みそ汁と何か主菜を作ればいい。月末は食費も無くなってきて、鶏胸頼りになりがち。つくねみたいな和風のハンバーグにした。

お隣から菊と梨をもらう。
印鑑は、夫が引出しの奥からこれだろうというのを発見した。よかった。


2014/9/24

2014年09月25日 | Weblog


高校からの友人宅にお邪魔する。滋賀へ。本当は4月に会う予定だったのが、ちょうどその頃に友人が腰を痛めなおかつ妊娠が発覚して、とりあえずいろいろ落ち着いてからと日を改めることになり、今日になった。最寄り駅まで車で迎えに来てくれた。
シートベルトの下のおなかが大きい。
来ることになっていたもう一人の友人ねえさん(そういうあだ名)と共に自宅まで送迎してもらう。

新築が並ぶ一画に友人の真新しいうちがあった。表札は旦那さんの苗字。その友人のことをずっと苗字で呼んでいるので、ローマ字で印字された新しい苗字を見て、改めてこの人はほんとに嫁に行ったのだなと思う。
二人住まいの新居はすっきり片付いていて、台所は妊婦でも窮屈でない広さがあった。サラダとパスタとピザを作ってくれるらしかった。
ピザ生地は出席した結婚パーティーで当てたというホームベーカリーで一次発酵させてあり、ナポリタンの材料は切ってスタンバイしてあり、サラダは冷蔵庫で冷やされていた。
サラダとパスタを食べながらピザが焼けるのを待つ算段で、じゃあお湯沸かそうと言おうとしたら、友人はおもむろに長いタッパを取り出した。電子レンジでパスタが茹でられるやつだった。その存在は知っていたけれど、あれだけたっぷりのお湯で茹でることを推奨しているくせに、果たしてこれでうまくいくものかと高を括っていた。けれど実際作ってもらったものを食べてみて、何ら遜色のないことがわかった。今まで何十杯と鍋になみなみ張った水を沸騰させるためにガスを使い、その湯をザーザー捨てていたのは、あのタッパひとつでどれだけ節約できただろう。

料理する友人を傍らで見ていると、相変わらずがさつなのか繊細なのかわからないが料理はちゃんと出来ていく。冷蔵庫から取りだされる、ケチャップやおろしにんにくや、その他さまざな調味料は概ね巨大だった。それら業務用サイズのものはコストコで仕入れてくるらしい。コストコに未だ足を踏み入れたことがないけれど、単身者用冷蔵庫の家にはサイズ感が合わないだろうという予想はつく。一度は行ってみたいけれどまとめ買いが得意でない者は物量に怖気付いて帰るのがおちだろうと思う。

ピザ生地を伸ばして友人が即座に何かと何かと何かを混ぜて作ったピザソースを塗り、シーフードとキノコとチーズを散らしてオーブンで15分。

ピザを待ちながらパスタを食べ、ピザが焼けたら次のピザが焼けるのを待ちながら食べる。
友人はデザートにかぼちゃタルトも作ってくれていた。クックパッドのやでと言うけれど。出してくれたものはどれもおいしかった。

ねえさんも新婚さんで、話題は結婚に至るまでの道程、結婚生活のことなど話す。
特に高校の頃なんて人と住生活を共有するのは確実に無理そうなアクの強い女子たちだったのが、今やそれぞれ家族をもっている。根本的には皆変わらないけれど、生きていくための処世術をそれなりに身に付けていた。

夕方から天気が崩れ、夜はしっかり雨が降った。

2014/9/21

2014年09月22日 | Weblog

晴れ 

キンモクセイの季節になった。

途中まで読んだ本を、途中のまま置きすぎて、続きがどこからだったか、その前に何が書かれていたのかほとんど思い出せなくなっているときがある。それと似たようなことがいろいろある。長く絵を描いていないとどうやって絵のはじまりを作っていたかを忘れるし、こういう文章も言葉の編成の仕方を忘れる。料理もしばらく作っていなかったものは手順や分量が曖昧になり、英文法も覚える取っ掛かりに触れたこと自体を忘れてこれはどういう法則性でこうなっているのか、と引っかかる。踊り方も忘れる。方法というより自分のアクセルの踏み方を見失う。辞める気がないことに間が空きすぎるということはあまりよくない。だからといって常に何かをやっていないと不安になるのも良い状態とも思えない。緩やかにすべてを継続状態にしておきながら焦らないこと。地道以外のなにものでもない。

食パンはずっと角食派のつもりだったけれど、最近山型のような気がしてきた。耳が圧倒的においしい。角食はやはり四角い型に生地を閉じ込めて焼くのでその分パンはきめ細かくしっとり焼き上がる、山型はふたをせずに焼くのでそのぶん生地は上へ自由に伸びる。きめは大きくなるけれど歯触りがよく、なんとなく威勢のよさも感じる。そして圧倒的に耳がおいしい。

いろんな食パンを食べようとスーパー、パン屋問わず手当り次第に気になったものを買っていたが、値段に相当な開きがあること、シンプルなものだから究極は材料がものを言うところがある。それでスーパーのとパン屋のは評価をわけることにした。

スーパーにある各メーカーの食パンにも売れ筋のものと、生クリームやバター使用のちょっとリッチなものと廉価なものがある。安いのは売り出しでなくても100円くらいであるけれど、そういうのは買うまでもないことはわかった。

トーストしてバター等をつけずに食べて5段階評価をしている。あと数種気になっているのを制覇したらとりあえずスーパーのパン部門は一位を決めようと思う。

 

数日前、夏にできた種を取っておいたパクチーをまいた。目をこらすと細い細い双葉が出ているがそれがパクチーなのかどうかはまだわからない。パクチーにはいくつもの品種があるらしい。どう違うのか気になる。

今日の夜作ったハンバーグが会心の出来だった。忘れないように書いておく。

合い挽き300g、玉ねぎ小1個、卵1個、パン粉3分の2カップ。合い挽きにハーブソルト、ナツメグをふってこねる。玉ねぎみじん切りは炒めないでそのまま、卵とパン粉とマヨネーズ小さじ2くらいこねた肉に加えてまとめる。少し冷蔵庫で休ませる。その隙にみそ汁などを作る。フライパンを温めたねを4つに形成、やや強い中火で両面色付く程度に焼く。ホールトマト缶半分とウスターソース、コンソメを入れて煮詰める。ソースっぽくなったら完成。

 


2014/9/20

2014年09月20日 | Weblog

日に日に秋。夜はもう肌寒いの域。

先日ツァイミンリャンの『郊遊 ピクニック』見に行った。長編を撮るのはこれが最後になるそう。舞台作品も作っていて、海外で上演されたのを見た人から聞くところによればとても良かったらしい。

人間立て看板の仕事をする父、廃墟のような家で子供ふたりと暮らす家族。子供たちは日中スーパーの試食を食べ歩き、夕食は3人で弁当、洗面は公衆トイレで済ませて帰る。
母親はいるのかいないのかわからない。3人の女性が家族の傍にいたりいなかったりするけれど、具体的な関係性がどうとかいうことは描かれない。
この映画はとても良かった。スクリーンに映し出されるシーンのひとつひとつに、この画を見ることができてよかったと思わせる力があった。ストーリーの流れに観客を乗り込ませるのとは違うやり方でこの映画に面と向かうことになる。人の、どうしようもない生きていることのありさまを見てしまう。出来事にではなくて、存在していること自体に。

ものを食べるシーンがたくさん出てきた。わりと最初のシーンで老人が麺類を食べているのが後を引いて、お昼はそば屋に行った。名代 天ぷらそばとあったのでそれにした。えび天が一本乗っている。

 

寒くなるとしっかり煮たものを作りたくなる。夏場は目もくれなかった大根や牛すじを買って甘辛いしょうゆのにおいで部屋を温める。

 昨日おいに会いたくて妹のところに行った。生まれて2ヶ月半経ち、目が具体的にものを見ている目になっていた。体を動かしてあげると喜ぶ。出産してから妹は顔が変わったなと思う。年上に見える。

小麦が数日前からよく吐いていた。吐くことは珍しくないけれど、ちょっといつもより頻発していて、いつもは一気に食べ過ぎて吐く感じなのが、かりかりよりも水っぽいものを吐いているので気にはなっていた。ただ本人は元気でふつうにごはんも食べている。夜、テーブルに座って中学英文法ドリルをしていたら、トイレから出た小麦がおかしな動きをするので目をやると、おしりから何かぷらんぷらん垂れている。小麦を捕まえて2階にいた夫を呼び、小麦をホールドしながら垂れているのをゆっくり引っ張り出してもらうと、つーっと思いのほか長いものが出てきた。

紐だった。幅5ミリ20センチくらいの長さの紐が引っぱりだされた。それは先日夫のポケットから出てきて、紐の好きな小麦を私がじゃらして遊んだあとほうっておいたものだった。まさか食べているとは思わなかった。出てきたからいいものの、自然に排泄されない場合は腸閉塞を起こして、手術で取り出さないといけないこともある。よく消化器官を通過してきたと関心する長さだった。今後紐類には気をつけよう。

 

 


2014/9/16

2014年09月16日 | Weblog

朝 久しぶりに買って冷やしてあったりんごを剥く。半分に切り、もう半分に切り、また半分に切る。皮と実の間に包丁をあてて滑らせるとするする剥ける。この今や手慣れた雑作もない動作を上手く出来ず、りんごをガタガタにしていた頃、まだ台所の板につかない青さがいやだと思った頃を今も鮮度のある状態で思い出せる。

一人暮らしをはじめたのは10年前の今頃、夏の終わった頃だった。実家は親が別居することになって、高校生と中学生の妹2人は母に着いて行き、私はどっちとも言えないままとりあえず実家にいたが、中途半端にがらんとした家でその後しばらくの間どう生活していたか、ほとんど記憶にない。毎日何かを食べていたはずだけど、料理をした記憶もない。実家がどうも自分の居場所ではなくなってしまって、大学の近くの不動産屋で家を探した。学生の間家賃は父に出してもらうことになった。

家賃3万2千円のアパートは、築年数不詳の荘とつく名前で、一階でほとんど陽の入らない穴蔵のような六畳一間だったけれど、ユニットバスでないお風呂があった。母に車を出してもらって実家から必要な荷物を運び、リサイクルショップで最低限の家電を揃えてテレビもネットもないけれどすみかは整った。しばらくすると寒くなった。給湯器のない台所でも一人分の食器洗いなんて知れていたので真冬の水もそれほどこたえなかった。祖母が気にして給湯器をつけなさいと3万円くれた。どこに行ったら給湯器を買えるのかわからなかったけれど、調べるまでもなく3万円は生活費に消えた。

実家ではほとんど料理をしていなかったので、自分がうまくりんごを剥けないことも知らなかった。はりきって初めてその部屋で作ったのはスコーンだった。生ものを買って料理する過程はなんだか億劫で、動物性たんぱくの主力はもっぱらシーチキンかベーコンだった。りんごをいつからきれいに剥けるようになったのかは思い出せない。

 

今朝ついに古紙回収車をつかまえた。出したくて仕方のなかった溜まりに溜まった段ボールとチラシの束が裏から消えてものすごく爽快な朝。

 

 

 

 


2014/9/14

2014年09月14日 | Weblog
晴天続く。
小梅がよく外に出たがる。真夏の間と冬場はそうでもないけれど、人にとっていい季節は猫にとってもいいらしい。玄関を開けると隣近所のどこかの家の肉じゃがのにおいが漂っていた。玄関先は午前中ひなたになる。小梅は溝に生えているオオバコの葉を食んでいる。いつも全然消化できないのに食べたがる。温まったコンクリートの上でごろんごろんしている。小梅は日の光の下で見ると、敵度に油分をまとったつやのある毛並みにうっすら虹色がみえる。目は光彩が縮んで爬虫類みたいな顔になる。

暑い間は虫の害がひどかったばらも少し落ちついている。これからひたすら秋ばらを楽しみに過ごす。
散々バッタのサラダバーにされた青じそとレモンバームからバッタが忽然といなくなった。青しそはもう抜かないといけない。その後に種を取っておいたパクチーを蒔いてみる予定。

振付作品を作ると振り返って気付くことがあると、そんな当たり前なことを自覚する。
自分が何を拠り所にして作品を組み立てていたか、渦中から出て手に取れる。即興だと過ぎてしまった瞬間の連なりをほぼ振り返れない。やりながら同時に道筋を作るからその過程を生きる必死さでやったこと自体の体感密度は高いけれど。

作品を作ると選択したフォルムに今まで見たものの痕跡を発見する。
佐藤忠良、ブラザーズクエイの映画、パトリック ボカノウスキーの天使、 志賀理恵子の写真、バルテゥスの絵など、そのままというよりは、画面にあった構図の緊張感とか、浮いてた足とか、速度、部分的に出てくるところがある。そういうイメージの材料が記憶に散らばっているのをつなぎ合わせていたりする。
そして実際動きにするところで、頼りにするものは、やっぱり自分のあるかなしかの技法的なものから導き出している。それでも別にかまわない部分と、考える必要のある部分もあった。などなど。


2014/9/13

2014年09月14日 | Weblog

昨夜、森【mori】の上演無事終える。9月12日は雨が多い、雨の特異日だと調べて知ってしまってあーあと思っていたけれど、実際は日中アイスを食べたくなる陽気だったし、マクドの紫いもシェイクを飲んだ。甘い。甘いとろみに支配されたら次はしょっぱいものがほしくなる。ポテトのMを夫と半分こして胃はちょうどいい塩梅になった。

本番を終えた次の日の開放感と次にやりたいことを脳に浮かばせながら午後からの仕事に向かう。音楽を聞きながら。仕事は10分のクロッキーを何本もやったけれど目を閉じているポーズが多かった。眠いというより目を閉めておきたい感じがして。

今回使用した音楽 the entertainerは10年くらい前から使ってみたいと思っていた。そういう音楽がいくつかある。 森【mori】自分で書いたテキストを読んだのを録音て流しながら行った。こういう方法なら自分でも時間を作れる。それは映像でもいいとも思う。小さな映画も作ってみたい。何かを作りたいという欲求の出口を、何かを作りたいということの自覚を、ずっとぼやけさせていたかも知れない。正直にいえばここ半年は本当にやる気が起きてこなかった。原因は明らかで、最も身近な妹をはじめ近い人たちの妊娠、出産を見ていて、こんなに命がけでやれることないと感じたこと。それに比べて自分のやっていることは全然大した事ないと思ってしまった。今も大したことを出来そうと思っているわけじゃないけれど、自分に使えるもの、あらゆる手をつくしてやるということをしなければ、どうしようもない。もう少し図々しくなる術も持ってかつ謙虚にやっていこうと思う。

夜はしっかりとしてぱりぱりした肉が食べたくなり、鶏もも肉を2枚、皮がぱりぱりになるように焼いた。


2014/9/5

2014年09月05日 | Weblog

急に豪雨が降って止むを1日のうちに繰り返す。

朝から空は重たいので洗濯にも向かない。かぼちゃとにんじんを茹でて凍らせてあり、それを牛乳とミキサーにかけてジュースにするのとトーストがここ最近のセット。スーパー、パン屋問わずいろんな食パンを買うことにしてから、自分の普段の行動範囲だけでもかなりの種類があり、まだ発掘されていない食パンが実はそこかしこにあることに気付いた。笑ってしまうようだけど、興味を持たなければそんなことにも気付かないものだ。

食パンのために買い物導線が変わったりするのがおもしろい。ある興味によって自然に出てくるやじるしに向かってほぼ自動的に動いている。もちろん最初に設定する何かがないとそのやじるしは生まれないのだけど、設定されればそれに準じた動作や導線があらわれてくる。何を言っているのかというと、そういうふうに体が動いていくことはダンスの振付けのようだとも思うのだ。意識的にならなくても日頃からそういうふうに体は動いていて、住居の様式、乗り物の種類、職種によってもそれに準じた動作や所作が生まれている。それを取り出して振付けと呼ぶことは可能であるし、実際そういうことを題材にした作品も珍しくはない。問題はその振付けが体を踊らせることができるかどうか。ダンスに見えるとか見せるという演出的な手管だけでは届かないところに体を連れ出すには、踊り手のある自発が必要だと感じる。けれどその自発は「踊ろうとする」ことではない。もっと別の欲望を内包していることが条件のように思う。

山形と角食なら角食派、ということがわかってきた。きめが細かくてもちっとした生地が好みである。そして5枚切り派。ある程度の厚みがある方がトーストに向いていると思う。それに5枚きりならば、食パンカット用のスライサーを使い半分に切ってサンドイッチ用にできる。6枚切りだと薄すぎてそれができない。夫の昼食用にたまごサラダのサンドイッチを作る。生の食パンならたまごサラダ、トーストサンドなら厚焼きがいい。

雨の合間をぬって稽古場へ。最近踊ったあと毎回強制的にシャットダウンされる感じで異様に眠くなる。今日も稽古場で踊って寝て起きてしていた。稽古が終わる15分前くらいに雷が鳴り激しい雨。5時に出ると止んでいた。買い物して帰宅。米をとぎ、もやしと千切りにしたにんじんを茹でてザルにとってから酢と砂糖をからめて冷ましておく。ゴーヤのわたをスプーンでこそげとり切って塩をもんで置いておく。そこまでしてからあとは和えるのと炒めるのと汁物なので30分ばかり横たわる。

もやしとにんじんにごま油、塩、醤油、すり胡麻。中華スープは卵とわかめ。ゴーヤはさっと茹でておく。フライパンににんにくとひき肉、炒めて味噌、がらスープ、醤油、切った豆腐を入れてしばらく煮たらゴーヤを入れてすこし煮て水とき片栗粉。つまり麻婆豆腐の手順。ちゃんぷるではないゴーヤと豆腐のおかずを作りたかった。

金曜ロードショウでエヴァのQをやっていた。劇場で見た時は破からいきなり14年経っている世界にシンジと共に完全に置いて行かれた感でとても辛かった。今日2回目で少し分からなさが馴染んだ。テレビだとたぶんカットされてるから近々レンタルしてちゃんと見たい。