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流出雑記 

死んだイースト菌パン

2009年09月23日 | Weblog
昨夜みた夢  同い年の友人がファッションビルの一角に自分の店をオープンさせた。手作り雑貨などを置いている。カラフルな商品が並ぶ店内の棚やテーブルはアンティークの木製で相当お金をかけていてセンスも良い。
スペースの奥にはカフェが併設されている。そこもインテリアは一枚の木の大きなテーブル、アンティークの椅子で統一されている。メニューはまだ数少なく、5種類くらいのドリンクと自家製プリンと書いてあった。
友人は生き生きとした目でオープン初日の店内の最終チェックし、私はなぜか手伝いに来た訳でもなく、そこにいた。
友人の、感性を経済活動に結びつけ生きていく姿は立派で、跳ね返って自分の役立たずさが際立った。
その気分を丸ごと連れて目覚める。

今日は大阪で夕方から仕事。帰るのが夜11時前になるので夕飯にクリームシチューを作っておく。
クリームシチューに米は合わない。しかしパンを買い忘れた。パンも作る。
冷蔵庫のドライイーストは賞味期限が今年の4月。
さすがにイースト菌もうだめだろうと思ったが、ボウルに小麦粉を量ってしまったので、そのドライイーストを使う。
小麦粉、蜂蜜、オリーブオイル、スキムミルク、塩、ぬるま湯。
粉と水分が混ざってもろもろになり、徐々にまとまってグルテンを形成していく。
捏ねながら、今日の夢や試香紙の上ではいい出来だと思っていたのに、肌に着けてるとものすごく浅はかなにおいだった試作香水のことなどのことを考えていた。イースト菌が働いてないせいか、いつもより硬い生地を心臓マッサージの如く「甦れ!」と力を込めて捏ねた。
一次発酵の間にシチューの野菜と肉を切って、炒めて白ワイン、ローリエ、水で煮て、ルー。
40分経ってもパンの生地はほとんど膨らまなかったが成形して二次発酵。
シチューは鍋でとろとろしている。
オーブン予熱190度。焼けるのに18分。お腹がすいて豆乳を飲む。

パンが焼けた。
焼きたてを食べてみた。風味に問題なかったが、膨らまなかったのでベーグルのように目の詰まったパンになった。

ダーリンは3時になってもまだ起きてこない。
いつもは見兼ねて1時前に起こすが、昨夜は遅くまで仕事していたようだし、ほっておいてみた。
脳と目玉がシチューになっているんじゃないかと思った。

2009/9/18

2009年09月18日 | Weblog
夜、大学時代お世話になったダンサーのせつ子さんとダーリン、私の3人で食事。
出町柳のスペイン料理屋に入る。
せつ子さんへ、試作した香水、3種類を小さいアトマイザーに入れて渡した。
以前私が調香を勉強していると話したら、何か作ってほしいと依頼していただいたのだ。バラとシトラス系が好きということで、ローズベースのシャープなもの、少し甘さのあるハーバルなもの、もうひとつはミュゲ、リラなどのローズベースではないフローラルで組み立てたもの。
私はバラを使うのが下手なのかも知れない。自信はないがしばらく使ってもらって3つの内どれがいいか決めてもらう。

それぞれワインなどを頼む。オーダーした料理が出てくるタイミングがやや間延び。お腹が空く。私はジンジャエールを飲んでいた。ウィルキンソン。
やがてぐつぐついうオイルの中で煮えた海老とマッシュルームが運ばれてきた。このアヒージョという料理をスペイン料理屋に来ると必ず頼む。熱いオイルをパンにつけて食べるとおいしい。
あとトリッパのトマト煮。トリッパとは牛の胃、ハチノスという部位。 これがとても好きなので家で作れないかと調べてみたが、塊のハチノスは見た目ちょっと鳥肌の立つ代物で、その上高いので手を出せず。
このトマト煮のソースをパンにつけるのもおいしい。パンがいくらでも食べられる。
そういうものを食べながら舞台周辺のことを話していた。
せつ子さんの話しを聞きながら、自分の体に他者の体や物、自分以外の物質を重ね、例えばそれが完全に理解できない思考や痛みを持っていたとしても、トレースし、引き寄せ、眺め、触れようとすること、そういうところからこの人の踊りは生まれているのだと思った。
そのときの触れ方、体が出会った他者や物をどのようにフォルムとして可視化するか、それがテクニックだと言っていた。
この言葉を聞けたことは私にとって重要なことだった。

私とせつ子さんはデザートにクレーム・ブリュレのようなものを頼んだが、それが鬼のような甘さだった。あまりの甘さにせつ子さんはちょっと食べて残りをダーリンにあげた。私はコーヒーを飲みながら少しづつ食べていた。ダーリンは甘党なので大丈夫ですと言いながら残りをぺろりと食べたので、せつ子さんから糖尿病に気をつけるように忠告される。

せつ子さんと別れてからまた別の誘いでカラオケに行くことになった。
カラオケなんて2年以上行ってないし、初対面の人を含む妙な面子でどうしようと思ったが、先に異様な盛り上がりをみせていたカラオケボックスに到着すると、もう歌わないでいるより歌うべき状況だと腹をくくった。
最初に欧陽菲菲の「雨の御堂筋」を歌ったら声を出すのが楽しくなり、ここぞと「CAN YOU CELEBRATE」を熱唱しておいた。ほんとはGLAYの「HOWEVER」も歌いたかったが閉店時間になってしまい残念に思ったくらいだ。

家に帰ってお風呂に入り寝たのは5時過ぎ。



2009/9/10

2009年09月10日 | Weblog
お昼のニュースを見ていると、今日は世界自殺防止デイだと言っていた。
日本は世界で8番か9番目に自殺者が多く、中高年男性に増えているという。
その一例として、自宅の庭で焼身自殺した夫のことでインタビューに答えるモザイクの妻。
夫の勤めていた会社が経営難に陥り早期退職を余儀なくされ、転職したが長時間に渡る立ち仕事で腰を患い仕事が続けられなくなり、消費者金融で生活費を借り、借金がかさみ、比例して酒量が増え依存気味に。

そしてある日夫は、庭で頭から灯油をかぶり火を点けた。
妻がそれを発見したとき真っ黒になった夫はしゃがみ込んだ姿勢のまま口から煙を出していたと言う。
眼球はどこともなく前方に見開き、イのかたちに開いた口の隙間から煙が静かにのぼる。白目と口からのぞく歯の白だけが際立ち、あとは黒いだるまのような姿が頭に浮かんだ。
それと対面した妻が錯乱したり叫んだり電話したり、事態を把握し感情や思考を動かす前に、はたと、灯油とたんぱく質の焼ける不快なにおいの中、夫らしきものを目で捉えた瞬間の短い沈黙を思った。
一瞬、真空のような時間。
物干し竿、プラスチックのじょうろ、煤けたレースのカーテン、垂れたポトス、焦げた夫、リモコン、クッション、コーヒーメーカー、茶碗、溜まった新聞、アイロンシャツ…。
当たり前のような日常の風景の中に、それを支える為に煮詰まり膿み果てた異様な物体が現れる。
見慣れた暮らしのコンポジションを平然と維持すること、生きようとすることで摩耗し、居場所も体も奪い尽くされ、残された家族の記憶には奈落の穴を穿つ。
日常生活を営むことに追い詰められ、生きていることに喜びを感じる隙もなく、生きることを資本主義の枠の中に組み込まない限りどうにも道はないという事実だけがのしかかる。
妻はマイクを向けられて「夫の死を無駄にしない為にも…」というようなコメントしていた。その言葉、私には理解不能の諦め、肯定、無神経さが根を張っているようで、気丈というのとは違うように見えた。
家族は生垣や網戸に焼け跡が残るその家に今も住んでいる。