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流出雑記 

2012/7/24

2012年07月27日 | Weblog

先月の台風で休講になった授業の補講クロッキー。朝から神戸、六甲アイランドへ。

無事7時に目覚ましで覚醒。小麦も一緒に起きてきていつもより早い朝ごはん差し上げる。
京都からのJR、台風の日、休講の連絡が入る前に家を出て電車に乗っていた。高槻で連絡が入って引き返し、切符は駅員さんの判子をついてもらいそのまま返してもらった。ひと月財布で寝かしていたその切符を使う。座れたので乗換えの芦屋まで深い眠り。神戸方面に来ると京都、大阪と人の雰囲気ががらっと変わる印象がある。特に50代から上くらいの女性。着ているものや化粧だろうか。白が多い気がする。

無人運転のモノレール、六甲ライナー。港、海が見える。そういえば、ゆうべ見たコクリコ坂からも海の見える町の物語だった。横浜。魔法も使えない森の精霊も出てこない、門限があったり、釜でご飯を炊く日々の炊事をこなすような戦後日本の高校生の恋のはなし。失ったものの痛みがあるけれど生きて巡り会う。人を好きになる、ひかれるとは、自分のあずかり知らぬところで既に縁とか糸で繋がっていたと思うくらい必然的に感じられる、いや実際見えないけど繋がっているのかも知れない。ポニョとかよりずっとよかった。

仕事場。専門学校の1年生。はじめての裸婦クロッキー。描きやすいポーズをいくつかする。京都に戻って駅ビルの地下でカレー用スパイス買いそろえる。

自転車ふたり乗りの大学生カップル。黒田硫黄のマンガに出てきそうな感じの。女の子は洗いざらしの濡れた髪を風で乾かしながら後ろに乗っている。そんな真夏の昼下がり。

 

コクリコ坂に出て来た夕飯に触発されてアジフライ。魚売り場でアジを探していたら頭とわたを取ったのがちょうどあった。こういう動機の献立のとき は、この暑いさなか揚げ物をする億劫さは感じず、むしろ買ってくるのじゃ味気ないので、自ら揚げたい。キャベツの千切りもしたい。ただ、魚の扱いが下手もいいところなので、食べるときには衣に覆われて隠ぺいされるが、処理段階の台所は惨たらしい現場となるので見られたくない。

 昨日の夕飯は久々に鶏飯にした。とりめしでなくけいはん。
鶏を茹でて裂き、漬け物、錦糸卵、塩昆布、などを用意し、ご飯の上にそれらを好きにのせて鶏を茹でた出汁をかけてお茶漬けみたいにして食べる料理。奄美大島の郷土料理らしい。
この日はうちにあったすぐきとミョウガ塩漬け、人参ナムル、ゴマ昆布、錦糸卵。
はじめてこの料理を食べたとき一緒だったある人の話しをしていて、その人から鶏飯のことを思い出し、そしたら食べたくなった。別に添えたアボカド刺身、一緒に乗せるのもよし。

 


2012/7/21

2012年07月21日 | Weblog

 

天候昨日に引き続き不安定。

午後、小雨のなか大阪へ仕事。

仕事場の近くにあるローカルパン屋は私がここに来る土曜はずっと定休だったが、数ヶ月前から定休日を変えたのか開いているようになった。ある日、あんぱんが食べたくなって買ったあんフランス85円。あんこの甘さ、練り加減がちょうどよく、パン生地もおいしい。ふつうのあんぱんもあるようだが、私が行くときには何故かない。

仕事場中流れているラジオ。
レゲエのランキング、東京の丸の内にあるホテルのスパの紹介、缶詰を使った薬膳料理の勧め、イルカの歌う冬の宿、誰が歌っているのか聞き逃した反原発音頭。ふっくらごはんに放射能~という歌詞。
ニュース、大阪の工事現場で雨で緩んだ土砂が崩れて作業員ひとり生き埋め。原発収束作業の下請け会社が線量計に鉛のカバーを付けさせていた問題。作業員もそれを承知だったのだろうか。そうでもしないと作業にならないほど線量計が鳴るのだろうか。鉛を飲まされるようなニュース。

左足に重心のかかるポーズの後半、足が疲れてきたら押すと楽になるツボが足の裏にある。ぎゅっと押すとめりめり痛い場所があり、そこをほぐすといい。左足、土踏まずの右斜め下あたり。

帰りの京阪。電車を待つホームで並ぶ前の女性の携帯の画面が見える。何かのゲームの森のなかにいる。セミロングの彼女の髪は黒いシュシュで半分まとめられているが髪がとてもかたそうだった。ピンで留めているところから白い地肌が見え、ひとつの毛穴からしっかりした毛が3本くらい束になって生えているのが見える。

帰りの電車、座れた。ずっと戸川純を動画で学ぶ。

行き帰り雨に遭わずにすんだ。

夫遅くなり晩ご飯食べてくるメール。

昨日作っておいたししとうと南瓜の和風玉ねぎマリネ。よく冷えていて少しの酸味がいい。麻婆茄子の予定だったがひとりだと俄然面倒になる。そういうときのひとり飯。茄子を切って油と塩をを馴染ませてレンジで4分。フライパンに醤油、みりん、酒、砂糖を入れて煮立たせ茄子投入。それをごはんの上に乗せた茄子蒲焼き丼。とろとろの茄子がおいしい。

今後10年間の海洋汚染の広がりをシュミレーションした動画を見た。福島から赤く出始めた高濃度汚染の色は徐々に太平洋全域に広がり、日本海側にもまわり込み、10年後には周囲の海全体が赤紫に染まっていた。この予想は実際のものになるのだろうか。それにその10年後までに他に何も起きないとも限らず、現状山積する問題を思いめぐらしどんよりした心境にならざるを得ない。そういう動画をたぐっている途中、牛乳がどうやって作られているかのドキュメントに出くわし再生ボタンを押したが、冒頭数十秒で全編見なくても悲惨なことがわかった。拷問としか言いようのないやり方で飼育され搾乳されている。もちろんそうでない方法をとっている酪農家もあるのだろうけれど、そうでなく効率化、量産、利潤、たくさん作ってたくさん売る、を念頭においた商品というものが悲惨なやり方で作り出され、生活にくまなく入り込んでいることを知らないわけではない。薬品にしろ化粧品にしろ食品にしろ。フォアグラを得るためにとられる方法が残酷だと言って廃止する国もあれば、フランスでは伝統的な食文化を今後も継承していきたいとなる。

豆乳でカフェオレよりやっぱり牛乳で作ったほうがおいしいと思う。だったら消費する側に出来ることは選ぶことだけど、自分が関与していないからと言ってかわらない状況がずっとあるのかと思うと結局鉛のようなものが胃に残り続ける。そういうことに気を病んで同時に日焼けが気になり、太ももの裏の筋が痛いのが気になり、今月の家計が息詰まってくると、お買い得商品をもとめる。 書いていてきりがない。生活、日々はとても混雑したなかに成り立っている。安穏な顔をして。


2012/7/20

2012年07月21日 | Weblog

朝、晴れている、よし洗濯と思って起き上がろうとしたら珍しく偏頭痛。そのまましばらく横たわっていたら豪雨。

あーこの雨じゃバイクで走っている夫ずぶ濡れだろうな、と思いながら意識が遠のき、再び覚醒したのは11時半だった。頭痛は収まっていた。ちょうどずぶ濡れの夫昼休憩で帰宅。

布団から出たての人と豪雨のなか働いていた人。

布団から出たての人は挽回すべく昼食ををこしらえる。加ト吉のうどんを2玉茹でて冷水にとり冷やし、練りごま、麺つゆ、醤油などを調合しゴマだれを作る。冷えたうどんを器に盛り、その上にキュウリとハムの細切り、半熟煮たまごを切って乗せてゴマだれをかけた冷やし中華うどん。トマトを添えるのを忘れて別の皿で出す。

この豪雨は長く続かないとみて、洗濯する。洗濯スケジュールが今日だから。しかし案外しつこく降り続け、止んだのは4時頃だった。

祇園祭の日に梅雨があけて、その日から全力で夏がはじまったような暑い日が続いた。猫たち夏バテ気味。よく食べる小麦も食欲が落ちてかりかりを残す。猫も喉越しの良いものの方が食が進むかと、煮こごりみたいなゼリー入りの缶詰をあげてみた。小梅の方が喜んで食べた。2匹は家の中の涼しい場所を探す。階段の踊り場が人気。

急に土方巽が見たくなって、動画を検索してみる。肉体の叛乱、疱瘡譚、どれも部分的にだったけど。見ているとぐらぐらする。自分が今作っている踊りの中でもっと不可解なうごめきや整わないものに体を明け渡したいという欲望をもっている。型を真似てもどうしようもないので探して作って壊すしかないと携帯の液晶の中の土方巽を見ていた。

夕飯、麻婆茄子にしようと思っていたが、夫の好物のヤムウンセンに変更した。タイの辛い春雨サラダ。あと半端に残っていた餃子の具を使いたかったので強力粉で水餃子の皮を作りスープにする。それではごはんのお供が足りないので茄子とししとうのミョウガ味噌炒め。

ヤムウンセンに和えるタレはナンプラーと酢、レモン、砂糖、鷹の爪、ニンニクで作るがニンニクを切らしていた。仕方ないのでガーリックパウダーで代用した。それでいつもよりパンチがない気がしたが、夫もいつもとちょっと違うと思ったらしい。

生真面目に柔軟をしているといつも太ももの裏が痛い。無理にのばさないようにしているつもりだが、毎日続けると気持ちよい痛さでない痛さを感じ始め、痛いのでむしろ伸びにくくなったりする。しばらくサボっているともとに戻る。

痛さを超えたら新境地があるのか、はたまた伸ばし休みを作った方がいいのか、太ももの裏の筋がどうなっているのか整体にでも行って聞いてみた方がいいのかどうかと悩む。

 

 

 

 


2010/7/15

2012年07月16日 | Weblog

英語でメールを送るのに、翻訳ソフトと辞書を行ったり来たりして、出てくる見たことない単語(あったかも知れない)を調べ、たぶんこういう言い回しで言いたいニュアンスになっただろう、なっているだろうか、と送信ボタンを押す。

英語で日記をつけるといいと聞いたことがある。自分に必要な言葉を使おうとするので記憶に残るらしい。

そういえば今こうやってなんの苦ものなくひらがなとカタカナと漢字を組み合わせて文章を打っている。パソコンの画面に出ている編集画面のいろんな文字が意味していることも見た瞬間理解できる。わかる。わかるしそれを使うことができる。そ、れ、を、つ、か、う、こ、と、が、で、き、る。なんだかキーボードで文字を打つのが今かつてないほど楽しくなってきた。それは言い過ぎか。だから特にこれと言って書くことがなくても、今日のことでも打ってみる。

今日。today.

起きたら案外晴れている。というのは夜の間豪雨だったから。夜の豪雨のなかやめときゃいいのにたばこが切れた夫はカッパを着てコンビニまで下って行った。中毒やと思って見送った。でもばらの鉢を玄関に避難させてくれた。

洗濯物は2日前から干してある。うちはベランダに屋根があるので濡れないのだ。きっと今日は湿気が抜けるので取り込める。

胃がもよもよするので梅酢ジュースを飲み、猫たちのトイレ洗う。夫の雨合羽も洗う。小梅はおからの猫砂だが、小麦はおからの砂を食べるので鉱物の砂。ばらに薬。昼過ぎ夫帰宅。夫自ら濃い味の卵焼きを焼いて、お中元のハムと漬け物で白飯をかき込んでいる。私はまだ胃がもよもよするのでかぼちゃジュースにしておいた。

夕方伊丹に公演を見に行く計画もあったが、事情により中止になる。

わらびもちを片栗粉で作れると知り、やってみた。水で溶いた片栗粉と砂糖を火にかけて糊化させ、袋に入れて氷水に落として行く。見た目はそれらしく出来たが、なぜかあまりおいしくない。火にかける時間が足りなかったのだろうか。

洗濯物を入れて、中途半端に止まっていた絵に手を入れ、久々にビョークが聞きたくなってMDのヴェスパタインを引っ張りだして聞いて踊りたくなって踊って、玉ねぎを薄切りにし、酢と醤油と砂糖とだしを入れた容器に一緒に入れて2分レンジ、塩と少しの砂糖と酢をまぶして一晩置いた鶏肉(やわらかくなる)を一口大に切って、片栗粉をまぶし、揚げ焼き、さっきの容器につけ込んで2時間程味を馴染ませておき、西日が沈んだのを見計らって買い物に出る。最寄りのフレスコの野菜がどうもイマイチで一乗寺の生鮮館まで走る。上賀茂トマト、水菜、ミョウガ、ショウガ、かぼちゃ、牛乳、卵、合い挽き、小麦粉、強力粉、資源ゴミの袋。熟れたバナナがなかった。近くの恵文社に来ていた夫が自転車を見つけてレジにいる時やってきた。荷物が重くなったのでバイクで先に持って帰ってもらう。家に帰る途中ソフトクリームみたいな紫陽花の咲いている家がある。長い間咲いていたが、そろそろ白が緑と赤の混ざった色になってきた。それを切ってまだ捨てず、玄関に花入れを置いてさしてあった。愛を感じる。その近くに去年ゴーヤのカーテンを仕立てて枯らしていた家がある。今年もめげずに植木鉢をふたつ並べて、今のところ無事窓の格子にまで蔓が伸び、黄色い花も咲いている。でもやっぱりいつも水切れ気味で晴れの日はカラカラで葉がしょげている。雨が降った日はそこをほっとしながら通る。土が運動場の土みたいに白っぽくて見るからに保水力がない。腐葉土をすき込んでやりたい衝動に駆られる。

帰宅。植物に水。ディオレサンスはまたつぼみをつけている。

猫に晩ご飯。朝ねこ元気、夜メディファス。キャットフードの名前。

水菜を切って水にさらす。トマトはくし切り。ミョウガも刻んでそれはサラダ。みそ汁を作る予定だったが暑いので割愛。昼に作った鶏南蛮、サラダ、白菜の漬け物の夕飯。食後アイスチャイ。テレビ、Jポップを外国人が歌う番組をやっていた。

ETVのドキュメント、命のダンスというのをやっていた。京都の不登校や不良少年少女だった10代を集めて作っているダンスグループが南三陸の子供たちとダンスを発表する。震災を忘れずそれを乗り越えて進むため思いを伝る、というテーマを全身全霊で叫ぶよう表現する、そういうダンス。だから中途半端にやっていると先生は思いっきり怒鳴る。熱血指導と真剣な眼差し。何より和テイストな雰囲気の衣装はもっとシンプルでいいんじゃないかと思った。

新しいキャットフードと砂注文。泌尿器ケア低マグネシウムのフリスキーとピュリナワン。半熟卵4つ茹で醤油に浸ける。かぼちゃ茹でて冷凍。台所で何か話しかけてくる小麦。


2012/7/14

2012年07月15日 | Weblog

曇り時々晴れ間もあり時雨もあり

午後から大阪で仕事。

仕事場のアトリエは住宅街のなかにあって、アトリエの隣の家はいつも荒れている。玄関先がごちゃごちゃしている。金柑の木が植わっていて、時期になるとたわわに実るのに金柑に興味がないようで、収穫されないまま落ちて腐った実がそのままほったらかされている。かつてはいたのか今は空き家になっている犬小屋の上には雨ざらしで色あせた座布団が2枚乗せられている。アトリエに3年ばかり通っているが、未だこの家の住人を見たことはない。がさつだなあと思いながらしかしこの家の前を通るのを毎回楽しみにしているのはそこに猫がいるからだ。

サビ柄の猫で耳が垂れている。ちょっとヒマラヤンみたいに目の離れた忘れられない間抜けな顔をしていた。はじめて見たときは子猫だった。その家で餌付けをしている猫が産んだようだったが、目やにと鼻水も出ていた。もしかしたらあんまり丈夫な子じゃないかも知れないと思った。

その後しばらく見かけず、もしかしたらだめだったのかなと思っていた頃、また出会った。無事に育っていた。触らせてはくれないが、近くには寄れる。舌がちょっとはみ出したやはり間抜けな顔をしていたし、よく見ると左の前足の指が奇形だったがとにかく生きていた。それからしばらくいたりいなかったり、いるときにはにおいを覚えてもらおうと指を差し出して嗅いでもらった。

ここ数ヶ月姿を見ていないので気がかりだったが先週、久々に例の犬小屋のぼろ座布団の上にいるのを見つけた。あっと近寄って、あることに気付いて立ち止まる。見るからに痩せて毛艶も悪く、目つきも朦朧としている。いつもなら逃げる距離を一歩近づいたがほとんど声を出さずに鳴いて逃げる気力もない。様子を見るに死期が近かいことはあきらかだった。

今日また家の前を通ったが出会わなかった。

外にいる猫は病気になるリスクが高いし、家猫のように何十年も生きられない。病気になったり、野良が増えて苦情が出て保健所なんて猫を増やすくらいならと野良に積極的に避妊、去勢手術をする動物愛護団体もある。

先月まで野良だった我が家の小麦。徐々に家の生活が馴染み、押入れにお気に入りの場所を作ったり、朝起きると朝ごはん早く頼みます、とそばに来る。小麦は左耳の先が切れている。この野良は避妊済みであるという印で切り取られている。お腹の傷跡は毛に覆われてもう見当たらない。切れた耳の端に触ると、良かれと思ってしていることもそうでないことも人間の勝手な事情に過ぎないと思い知らされる。それでも一緒にいたい。少しでも幸せな気持ちで暮らしてほしいとただ思っている。ざりざりの舌で痛いくらい手を舐めてくれる小麦。

 

2件の仕事を終えて帰ったのは11時。河原町から京阪に乗り換えるとき地上に出たら宵ヶ山で四条は賑わっていた。襟を抜くをはるかに通り越しオフショルダーに浴衣を着る女子高生。浴衣着たい。

家に帰るとタンドレスのケーキがあった。誕生日、食事には行ったけどケーキを買ってなかったからと買ってきてくれた。ピスタチオとフランボワーズのムース、いろんな濃度のかぼちゃクリームを重ねたケーキ、キャラメルりんごとチョコレートのケーキ。どれも濃厚で材料、食感、組み合わせの端々にこだわりがびしびし伝わってくる。贅沢で胃が満ちる。

テレビのニュース。九州で大雨。川が氾濫して水浸しになった町がうつる。

夜中京都でも豪雨。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2012/7/6

2012年07月07日 | Weblog

曇り時々小雨時々豪雨

昼、四条河原で高校のときの友人と待ち合わせ祇園を歩く。ふだん街に来ても八坂神社の方にあまり用がなく、久々に歩くと観光客気分になる。東大路通りにある、お釜の炊きたてご飯が食べられる店に行こうとしていたが、店の前まで来たところで改装中だと知る。

仕方ないので四条通を戻りながら歩いているときにスリムクラブとすれ違っていたらしい。私は後ろ姿しか見ていない。

行き当たりばったりでランチ1050円限定20食と張り紙のイタリア国旗のはたはたしている店に入った。ビルの4階。ドアを開けると思ったよりかしこまった雰囲気で、縦に長い店の奥に女性客が一組以外は誰もいなかったので、12時過ぎでこの様子なら限定20食もまだありそうだった。他にパスタのランチもあったが女子とランチに来てパスタは御法度。なぜなら喋りながら食べるので絶対に冷める。冷めた麺を仕方なくすするのが嫌なのだ。20食のはプレートランチだそうで、ふたりともそれにした。すると大きな笹の葉型の白いプレートにふたりぶんの料理が盛られて運ばれて来た。スープもパンも全部そこに乗っかっている。そのプレートを対角線上に置いてそれぞれ取り皿に取って食べる。メインのポークソテーが付け合わせの他のものとあまり変わらない量と存在感で、全部前菜のようだったが、バゲットがおいしくてそれをおかわりして満足する。エスプレッソを濃い、濃い、といいながら飲む。当たり前だ。砂糖を入れて中和。

それから京阪で一駅、七条で降りて三十三間堂へ行く。彼女と仏像を見たかった。高校の卒業制作で、創作コスチュームを作ったとき、彼女は仏像の衣や装飾品から着想を得たドレスを作ったことが今も印象に残っている。高校生の頃にも一度来たがその時も一緒だった。

修学旅行生の班が数組と観光客がちらほらいるくらいで混んではいない。

前に来た時は、整然と並ぶ観音さまの圧倒的数に気を取られ、ほとんど印象になかった手前に並ぶ観音二十八部衆の方をしっかり見た。インド起源の神さまが多く、目には水晶がはめ込まれている。手を真似る。

端まで来て横からがいちばん真近で見られることに気付き、40本の手がどうやって付いているのかがわかった。観音さまは皆違う表情だが、台座の蓮のデザインも少しずつ違う。

それから三十三間堂の向かいにある養源院にも行ってみた。三十三間堂に血天井があるのだと思い込んでいたが、係の人に尋ねるとそうでなく向かいだった。

歩いて行くと「血天井」と書いた札が立っている。人はほとんどいないので静か。門から本堂への石畳の道は新緑。もみじの葉がさわさわ音を立てている。こういう音久々に聞いたと大阪の繁華街に住む友人。

中に入ると案内され、解説テープを流してくれる。杉戸に描かれた俵屋宗達のおもしろ象その他。これは血天井の供養のために描かれたそう。部屋のいくつかは伏見城にあった部屋を移築しているそうで、ここで秀吉と家臣が話したりしていた、といわれ、おお…ここで…と少し心拍数を上げてしまう。石川五右衛門がここで捕らえられたという宝物を置いていた部屋も移築されていた。石川五右衛門と聞くと、三条河原で釜茹でにされ、熱湯のなか一緒に投げ込まれた自分の子供を絶命するまで頭上に掲げていたというエピソードを思い出してしまう。そして語られることのない、自分を持ち上げていた父が死んだあと茹だるしかなかった子供のこと、晒されて一緒に茹だっていく親子の顔を見ていた人が大勢いて、その声を聞いただろうことを想像する。何度も何気なく通っている三条河原で。

そして血天井。伏見城の戦いで、最後に自刃した300人あまりの血痕の残る廊下の板を供養のために天井板にしたものだが、京都には数カ所あり、鷹峯の源光庵で一度見たことがある。血と油の後は拭いても削ってもとれなかったそうで(遺体がすぐに埋葬されないまま放置されていたためらしい)今も体の部分の跡だとわかるものが残っている。それにしても天井板にしようという発想がどこから湧いてきたのだろうか。それほど惨たらしく、何事もなかったかのように燃してしまっては浮かばれないということだろうか。

住むと夜ひとりでトイレに行くのが困難だと思う。

それから水族館にも行こうかと話していたが、その予定は次回にして甘味処であんみつ食べた。


2012/7/1

2012年07月01日 | Weblog

7月1日 一日。おついたち。

京都の商家では一日に赤飯を炊く風習があるらしい。今月もまた新しい月を迎えることができました、豆に働けるように、という意味を込めて。

先月のクレジットカードの請求が来て、その中に6月1日の回転寿司屋の支払いが含まれていた。その日外出していてたまたま、あらこんなところに寿司屋が、と気付いてしまった。

今晩何にしようか、寿司……寿司…食べたいねえ、いやでもな、あ!でも一日だし、月初めの景気づけ、ということにして寿司を食べよう、と寿司屋に行く口実におついたちを利用した。回転寿司だが、生け簀の鯵を活け造りにしてくれたり、その骨を食べられるように唐揚げにしてくれたりするので、うれしくなっていろいろ食べたら思ったより高くついた。

今日は朝から雨。

猫にご飯。小麦は朝ごはんのあとなぜか押入れに籠る。いつものかぼちゃジュースに小松菜入れてみる。パンがない。最近計量すればいいだけの食パンしか焼いてなかったので、久々に丸い田舎パンを焼くことにして、機械に捏ねもらい、発酵始める。その間掃除。明日は晴れ、明後日明々後日は雨、ということは今日干したら明日なんとか乾くかなと洗濯。パン、2次発酵させると生地が横にだれて膨らみでろんとしている。このまま焼いてもなと思ってもう一回丸め直して30分ほど置いてから焼いた。そんなこんなでパンにありつくのに4時間かかった。パンを少しだけちぎって小麦にあげたら食べた。豆腐も食べた。小梅も嗅ぎに来たが植物性蛋白には興味がない。多分小麦はなんでもいけるクチ。

夕方、ダンスの公演を見に行こうと思っていた。そのつもりで支度し、夕食の準備、蒸し鶏と玉ねぎのタレを作っておいて、そろそろ出ようかなという頃に豪雨。雨とゆから滝の如く水が落ちている。自転車で20分がどうにも辛い雨だった。しばらく悩んだ結果出るのを諦め、その時間は自主練にあてた。開演して数分後の時間に雨はぴたっと上がった。

夕飯蒸し鶏とアボカドを同じ厚さに切って並べ玉ねぎのタレをかけたの、冷や奴、鶏の出汁で油揚げと小松菜の煮浸し。

テレビ、金塊から金箔を作り、金箔を貼る行程をやっていた。1キロの金からサッカーのコート1面分の金箔が出来るそうで、まず塊の状態で数千万分の金をぼんぼん釜に入れて真っ赤に溶かす。冷ましながら圧をかけて徐々にのばし、何度も叩いて薄く薄くしていく。最後に出来上がった箔を正方形に切り取り、手で触ると剥がれるので息を吹きかけてのばす。ふわっと小さく波打ってぴたっと台紙に張り付く。美しい。ここまでの行程は金沢、金箔を貼るのは京都。糊のかわりに漆を塗ったお椀の内側に四角い金箔を張り合わせて、最後に綿で馴染ませると、継ぎ目なくお椀が見事な金色になった。この技術を習得するのに10年かかるらしい。そうだろうと思う職人技。実際使うには縁がないような代物でも、行程を見ているだけでなんだかとても満ち足りるすばらしさだった。

大飯原発は再稼働。昨夜、いつも借りている稽古場から電話があり、7月からの計画停電が実施された場合、会館自体が閉館になるのでそのときは稽古場を使えなくなりますとのお知らせ。

電気、ほんとうに足りないのか、それとも稼働させるためのこじつけなのか。専門家、民間の知識ある人の意見、実際のところどうなのか私個人で判断出来ない。足りるならもちろん即刻止めるべきだと思うけれど、どうしても足りない分があり、今すぐは原発に頼らざるをえないなら、その電力量を算出して、迅速に他の発電方法で補えるようシフトしていく体制を整える、もしそういうふうに説明され実行されるのなら、稼働させるということにもう少し同意を得られ、単に反感を煽る自体にはならなかったのではないか。致し方ない稼働なのか、今後も動かさないと別の理由で困るための稼働なのか。

デモの様子をユーストで見る。警察と再稼働反対を叫ぶ人々とのもみ合い。それをよそに制御棒は抜かれ核分裂ははじまる。何もしないではいられない感情、怒りをもつ人の行動は理解できるし、何時間も雨に打たれて声を上げ続けるエネルギーはすごいと思う。でも、この でも というのが、中継を見ながらひっかかり、それをうまく言えないことにじくじく苛立ちながら、つぼ押しで足の裏のつぼを突いていた。土踏まずのちょっと下あたり、痛いところが一カ所あってそこばっかりしつこく押していたらやりすぎて水膨れになった。