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流出雑記 

2011/4/29

2011年04月30日 | Weblog

寝付けない日。

4時過ぎ。キータッチの音が耳につき気にしないようにするほど気になってしまう。昼間や夕飯のあとだって時間はあったはずだろうがと苛立ちはじめたあたりで一階に降りてコタツで寝る方向に切り替え。

5時半。ミルクティーで胃を温めて寝ようとしたら、ミルクティーで調子付いた胃が動き出してしまって今度はお腹がすく。そのままでは寝付けないのでバナナを食べてお腹を鎮めコタツにもぐった。

しばらくして小梅があらわれた。ミルクティーとバナナの胃の上に4キロの猫が乗る。みぞおちに前足をめり込ませ、そのまま落ち着いてしまった。食事の胃に堪えるがかわいいのでそのまま耐える。それからようやく眠りにつき、10時頃起きる。

体がどんよりしていて日課をこなす気力湧かず。
ふやけた頭のまま家を出て電車に乗り仕事へ。案外こんな日の方がポーズ中は無駄な思考が動かず冴えていたりする。そのかわり仕事が終わって帰りの電車では完全に気が抜けて大概乗り過ごすのだ。乗り過ごして降りた京都駅は人でもさもさだった。

昨日稽古のことを思い返す。暗い部屋をゆっくり歩くというのをやった。そういうことをするのは久々。

吸う息で足が持ち上がり吐く息でまた床に触れる。呼吸から浮力のイメージを得て足を運ぶ。どちらに行こうと考えないで足に任せ漂っていると自分が一本の棒のように思える。うまくいくと空間がひらくような、迎え入れられるような感じがある。空間が私を動かす。動いているのでなく動かされている私は意思や意図のない棒のように思えるのだ。そのように受容する体の据え方を知ることはとても重要でなによりおもしろいと感じるところ。もっと体の中が空っぽになり私は外側にあるような反転に体を導きたい。掴みどころのない深い欲望の輪郭があらわになっていく、その線の流れを、かたちを知りたいのだ。


2011/4/26

2011年04月29日 | Weblog

入るはずだった予定がなくなってスコンと抜けた一日。昼過ぎに起きる。
昨夜、コーポリアルマイムのクラスから帰って玄関をあけると、こんがりした卵のにおいがして部屋がちょっと煙っていた。夫は卵焼きをつくり、4合炊いたごはんをすべておにぎりにしていた。それにソーセージを炒めたのが付いた夕食。どうしてもこの組み合わせが食べたかったそうだ。
おにぎりはじゃこ高菜と昆布とツナマヨ。一個がコンビニの2個分くらいある。

お味噌汁も作ろうかと聞いたが、頑なにいらないという。
おにぎりと卵焼きとソーセージ以外のものを差し挟む余地はないらしい。
この3種を食べていると夜の家のコタツなのだが、別な場所にいるような気がする。昼間、芝生、お弁当。ピクニックの味がする。

深夜に友人から借りっ放しだったジャン・ルノワール監督の『ピクニック』という映画を見た。40分くらいと短い。未完の作らしい。

ふたりで全部は食べきれなかった4合分のおにぎりは次の日の朝ごはんになった。ほうれん草と油揚げのお味噌汁と出汁巻きをつけて。

さて空いた一日をどうするか。といってもすでに昼の2時を過ぎている。もうあまり遠出するほどでもないし、近場ならクレー展に行くか、映画を観にいくか。映画ならラース・フォン・トリアーの『アンチクライスト』が観たかったが京都での上映は夏らしい。

映画館のスケジュールを調べてみると、観たいと思っていた、アンソニー・ホプキンス主演の『ザ ライト』がちょうど良い上映時間だったのでそれに決める。
まともにホラー映画という訳ではないがエクソシスト、悪魔払いの話し。実話をもとにしているそうで、悪魔祓いは実際に行われているそうだ。
おもしろいのは、取り憑いた悪魔を祓う方法。悪魔(が取り憑いた人)にエクソシストは語りかけ、悪魔の名前を聞きだす。名前がわかれば神の名のもとに体から出て行くよう命じることができる。しかし悪魔もそう簡単に名乗らないので、錯乱状態の人を相手にエクソシストは根気よく語り続ける。数年かかることもあるし、うまくいかず憑かれたまま悪魔にとり殺される場合もあるらしい。

悪魔が取り憑くと、錯乱状態、幻聴、幻覚などの症状が見られたり、取り憑かれた人物が知らない国の言語で話しだしたりするなどの症状があらわれる。

それは表出の仕方、解釈の違いがあるけれど精神疾患といわれる状態との境目はないように思われる。どちらにしても手術で取り除ける病巣があるわけではない心の問題、良くない何かが心に滞留し枷となっている場合、その因子をはっきりさせ、本人と癒着しているものを客体化し、自分というものを捉え直す必要があるのだろう。なので悪魔に名乗らせる、つまり自身を苦しめるものに名を与え、エクソシストが神の名のもとに去れと命じる、という信仰を下敷きにした治療法には納得がいくなと思いながら見ていた。

夜は秘密の場所で巨大激安だけどうまいピザを食べて帰る。


2011/4/23

2011年04月24日 | Weblog

お呼ばれした先で長居して帰宅すると4時半過ぎ、それからお風呂に入って寝たのは6時だった。

夢をみた。

夜、実家にいる。父、母、妹たちもいて、居間にいると庭、縁側の方になにか気配を感じた。私だけでなく皆そうで、庭に面したガラス戸の方へ近づいてみる。はっきり見えないが間違いなく人の気配があるのだった。その気配は庭のほうだと思っていると急に天井や廊下に移動したりする。この気配を感じるとジェットコースターが急降下する直前のふっと静まる一瞬の感じがする。見えない気配は怖いのだがみんないるし、それが何なのか突き止めようと皆で目を凝らした。すると誰かが、あ、おじいちゃんや、という。透けているが確かに祖父の顔だった。祖父は笑いながら手を振ってこちらに走ってくるが、動きはスローモーションで実際は前に進んでいなかった。

 

これは現実の話しだが最近実家に帰ったとき、この頃手巻き煙草を吸う夫を見て父が戸棚からパイプを取り出し、使う?と差し出した。それは祖父が使っていたもので、私も小さい頃祖父にそれを見せてもらったことがあった。葉っぱを入れるところは、とうもろこしの芯をくり抜いて作られていると言っていたのをよく覚えている。確かにとうもろこしの粒の跡があった。私の知っている祖父は病気をしたせいで煙草もお酒も飲まない人になっていたのでパイプを使っているところは見たことがない。それを孫の夫が手に取る日がくるとは祖父も思わなかったろう。

祖父はゴーフルという薄い薄い煎餅の間に薄くクリームを挟んだ菓子が好物だった。たまたま先日それを人からいただいた。なぜこれが好きだったのかは聞くのを忘れた。

祖父は私が小学校2年生の頃に亡くなったが、祖父の頭のてっぺんのとんがりを私は受け継いでいる。

 

夢の続き。

場面は変わり、小型船にのってどこか南のほうの離島へ向かっている。もうひとり、その島をよく知るという初めて見る女友達が一緒だった。

島にひと気はない。曇りの砂浜を歩いて友達の祖母が以前住んでいたという空き家に向かった。その道のりでもさっきの夢にあったジェットコースター降下前の感じがあり、前方の景色に時々人のかたちが見え隠れしていた。

一応おことわりしておくと、私は実際に見えないものが見えたりはしない。怖がりすぎるので、そういう感覚が鈍く出来ているのだと思う。

嫌だなと思いながら空き家についた。その夜はここに泊まることになっていた。ふたりならとりあえず思っていたが、もうひとりはどうしても戻らないといけなくなったとかで夕方になって突然その日最後の船に乗って島を去ってしまった。

暗くなるにつれてひとりでいるのが心細くなり、外でシュロの木をざわつかせる風やちょっとした物音でびくびくするので、とにかく絶え間なく喋り続けるバラエティ番組をつけて音量を上げ、すべての電気を付けっぱなしにした。それが今いちばん安心を得られる方法だった。電灯とテレビの音で結界を作ってそのなかにいるような。そのとき電気は神様だった。でもその結界にはなんの力もないこともわかっている。暗闇にひとりでいることを誤魔化すことはできても、嵐でもきて停電になれば光も声もぷっつり途切れるし、こちらが祈ろうがすがろうがほんとうの意味で頼れないものにしか頼れないのかと思いながら、内容がまったくはいってこないテレビを見つめる体勢でその場にいることをどうにか維持していた。

雷の音が響いた。

目を開けるとそれは実際に鳴り響いていた。恐怖の場面を演出する音響のような鳴り方だった。

 

 

 

 

 


2011/4/18

2011年04月18日 | Weblog

温かくなると小梅は外に出たがるようになる。朝、玄関ドアの前で待っている。ドアを開けると温まったコンクリートの日向に転る。白いお腹の毛がまぶしい。

冬の間寒すぎて土を触らないでいたが、花屋やあちこちの家の軒先が色で溢れかえっているのを見ると我が家にも色が欲しくなる。青、紫の色彩をもつ花にどうしても目がいく。深山ホタルカズラ、何種もあるラベンダーから香りがだんとつに良かったふらのラベンダー。便利なパセリ、魚に合うディル。レモングラスはお茶にする用だがまだ収穫出来たためしがない。毎年小梅に食われる。今年もやはり食われている。猫はどうやらしゅっとしたイネ科の葉が好きらしい。写真の、真ん中から伸びてる蔓はトケイソウ。通っていた幼稚園の近くに咲いていて魅せられた。はじめて母に名前を尋ねたのはこの花だった。トケイソウ。実際文字盤のようだし覚えやすい。ちょうど時の記念日の頃に咲く。

一輪ずつ花屋で買うより育てて切り花にした方が得なので真っ赤なラナンキュラスを一鉢。あとユーカリも買ってきた。丸いかたちの葉が好きだ。

薄桃色の花びらがちらちら玄関先に溜まるようになった。もう葉桜。

天気が良い休日はバイクでよく大原へ行った。里の駅という地元で穫れた野菜や花、手作りのおはぎや巻き寿司などが売っているところがある。そこで素朴なお昼ごはんを買って外のベンチで里山の風景を見ながら食べる。

そのへんの花屋であまりお目にかからない山野草も売っている。端正な顔つきの小花をじっと見ている。

静原、大原あたりの桜の開花は出町などより若干遅いので、日々自転車で走り、鴨川や疎水沿いの桜を堪能してからも少し北へ出向けばまだ爛漫の春。

最近夫はフィルムで写真を撮るようになった。私もコンパクトカメラにフィルムを入れて撮ってみることにした。近頃写真を携帯電話のカメラでしか撮っていなかったので、最初シャッターを押すのになかなか勇気がいった。焼き付くと思うと息をつめる。どちらにしても像は写るがまるで別の行為だ。

大原からさらに山に入って、夫は気になっていたらしい大きな岩を撮っている。私はカメラを持つとなんでも接写したくなる。

杉林と清流、一台もすれ違わない山道。山の先に集落があった。そのいちばん奥には北山修道院村というのがあった。なんとなくノルウェーの森の直子がいた療養所を思わせる立地だが、ひと気のない冷たい感じのする場所だった。


インプロセッションの會 ♯3

2011年04月11日 | Weblog

よく晴れた日曜。

夕方家を出て近所の小学校の投票所で一票投じたのち出町かぜのねへ。

鴨川の三角州には花見の人がたくさん。それを対岸から眺めながらファミマの梅、野沢菜、しらす入りおこわのおにぎりをかじる。足元には植込みを覗きこんで何かを凝視しているサビ柄の猫。サビの子を見ると、どうしても小豆を思い出してかわいさが割増しされる。おにぎりの中からしらすを3匹つまみ出してあげてみたが食べなかった。

インプロセッションの會、3回目。

月一でやっている。先月は暖房をしっかり効かせないと寒かったが今日はいらない。
セッションを始めるまでじっくり体をほぐしたりできるよう、いつもより長めに場所を借りてみた。

この日の参加者は8人。

セッションの場にいるということは、アクティングエリアで何かしているときも、見ているときも、その場に関わることになる。場を共有し、ある状態からまた別の状態への移行を渡っていくなかで、例えば、セッションを見ながらこういう音を投げ込みたいと思えば持っている携帯で動画サイトを検索して音を出しても良いわけだ。もちろんその音は発せられた瞬間に空間を構成する一要素になるので、いくらでも取り出せるなかから選択しなければならないし、その音を発する責任も負うことになる。と書くと堅苦しいが、水にインクを落とすように、自分が投入した色の広がりやそれが混ざっていく様子、そこからまた別の反応が起こったりするのを見ること、そこにある体との関わりを感じることが出来ればよいと思う。

 

公演としてパフォーマーがショーイングし、観客がそれを見るときにも、観客の視線というのは作品に関わるものであるといえるが、セッションの場での見るということはそれより能動性を帯びた位置の「見る」である。つまり見て、そのことから動いた思考を体に、声に、動作に反映させて良いし、セッションの場はそれを望んでいる。どのような、誰の選択も受容する、そうやって様々にかたちの変わる時間を渡ること。踊りながら、他者の存在無しにはあぶりだすことのできない「私」というものがあるとあらためて感じる。それは日常的な人との関わりにおいても思うが、社会的囚われを取っ払ってよい場に体を持ち寄って人と出会い、波風立てても足引っ張っても出る杭になっても良い体になるとき、芽が吹いてくるようなおもしろさを感じる。

様々な人が立ち止まったり吹き抜けたりするなかで場が育つのを見ていたいと思う。

 

 


4月 もう8日

2011年04月08日 | Weblog

4月になった と思っている間にもう一週間過ぎていた。鴨川沿いの満開の桜が濡れている。花見の人びとは挫かれた金曜の夜。

4月 新年度。真ん中の妹は製菓学校の先生に、下の妹は養護学校の先生になった。私は今月も人体見本として母校へ通う。

関東の芸大の大学院に映画の勉強にゆく遠藤くんを見送った。彼は人見知りする小梅も慣れるほどよくうちを訪れ、夫の携帯の着信頻度は私を上回る。彼らのようなのを親友というのだろうと見ていて思う。いつのまにか遠藤くんは私にとっても数少ない気を許せる人物となっていた。
旅立つ日の夜、遠藤くんと恋人のさっちゃん、夫、私の4人でいろんなソーセージと巨大チョコレートパフェ(夫とさっちゃんはひとりで完食出来ると豪語)を皆で食べて見送る。これまでのようにしばしば会えなくなるのは寂しいが、いい作品を撮ってほしい。

橋本さんとみさこさんのウェディングパーティー。数年前に結婚されていたが式がまだだったのだ。会場装花や然程役立たないのに受付などのお手伝いをさせていただいた。舞台関係者が多く集い、式も演出家の演出のもと演劇仕立て、ドレスは衣装さんの手作り、音楽は楽団の生演奏。カフェのお庭を使ったガーデンウェディング。みさこさんの花嫁姿は言うまでもなく美しかったし、橋本さんの挨拶も感動的だった。誓いの儀式に立ち合うこと、それを見守る人たちのなかで巡り合わせの不思議を思う。


鯵の生姜煮、鯛のあら炊き、鯵フライ、焼き鮭、じゃこに醤油を垂らしてごはんにのせる猫まんま。ここ数日の夕食に登場した魚。最近なんだか魚が食べたい日が多い。鯖の煮付けで有名な上賀茂の今井食堂にも行った。平日だったが、持ち帰りも含めてひっきりなしにお客がくる。これでは煮ても煮ても鯖が足りないだろう。店はご主人と奥さんふたりで切り盛りしているようだった。骨がほろほろになるまで煮詰められた黒光りする鯖は濃厚でたしかにおいしいし、これで白飯をかきこむ至福はわかる。あつあつの大根のみそ汁もうまいが一度行ったら満たされた。混みすぎて気軽に行けないのと、案外さっと煮た鯖のほうが好みかも知れないと思った。

海のもの、そのうち食べられなくなるのではないかと思ってしまう。海だけでなく、野菜、米、水。スーパーに行って買い物をして、洗って切って煮炊きして献立を整えることその都度、そのうちこんなふうに食事をできなくなるのではないかと思ってしまう。箸置きをふたつ置き、みそ汁をよそっている隙に小梅はおひたしの鰹節をつまみ食いし、適当なテレビが騒いでいる。生活は地震の前と然程変わらなくてもそのなかで働く意識が変わった。あたりまえだったことすべてが今はそうではなくなる可能性をはらんだものとして認識される。どのようにして自分が生きているのか、あるいは生かされているのかをひとつずつ手に取ってちゃんと触りたくなる。なにも変わらずなにも起こりませんようにという願いがどうやら叶わない今は。悲観しているんじゃない。生きている。

物質的な問題に限らず何に触れ、何を見聞きし、見つめ、どのように、どのような世界と接して生きてきた体なのか、考えずにはいられなくなった。そこから体の原風景というものについて思った。土方巽の『病める舞姫』をあらためて開いてみる。そこにひしめいている記憶の風景や知覚されるものは魅力的だがどうしても私の体には縁遠い。私にとっての原風景とはどんなものなのか。 体を読む ということへの願望が漠然とある。それは単に回想するということではなく、読むと同時に書き込む作業なのだと思う。書き込む手は現在進行形の手だ。だから今と関わらないではいられない。

というようなことを考えている。