figromage

流出雑記 

梅雨入りの日

2011年05月29日 | Weblog
梅雨入りと聞いて雨靴を買った。今月何かと物入り、だったかどうか、札入れが無人になっている。
仕事のあと直接行く夜の稽古の前に買ってしまうコンビニのおにぎりや電車賃など一日の大した事ないような出費のしわ寄せが月末にひびく。
雨に耐えうる靴を持っていなかったので、雨の日は濡れてもいい底の薄いスニーカーを履いていた。乾くのは早いが雨が染みるのも早い。濡れた靴下の不快さを梅雨の間中連れて歩くのは嫌である。
ゴムの靴であってもピンキリで一万円以上するおしゃれな長靴なんていうのもあるが、当然そんなものは買えない。出来るだけ安くて履くのが嫌でない雨靴が見つかりそうな店はどこか。
見当はついていた。イズミヤだ。

ミセスの衣料品や安っぽくてどうしようもない靴や鞄に紛れてときどき掘出し物が見つかったりするのがイズミヤ。こういうどうしようもないところで心を射止められてしまう買い物には、藤井大丸の好きな店で的を得たものをもとめるショッピングにはない喜ばしさがある。それに安い。
今回その嗅覚は見事にあたり、それなりの雑貨屋に置いとけば3000円で売れますよと言ってあげたい雨靴1980円をゲットしたのだった。

買った翌日さっそく雨模様。それを履いて仕事に出た。地下鉄の構内を歩いているとき、何かが気になって後ろを振り返った。左足首のところに1980円と書いてある値札がぺらぺら足にあたっていたのだった。

それにしても靴下が濡れないということはこんなにも快適なことだったか。こんなことならもっと早く買えば良かった。
午後から大阪で仕事をして、夕方伊丹、アイホールへ向かう。ままごとの『わが星』を観に。
開演は19時だったが18時前に伊丹に着いた。雨の中開場前なのに人が並んでいる。前売は完売、僅かな当日券をもとめる人の列だった。そのなかに友人も3人並んでいた。

待ち合わせしていた夫がやってきた。少し時間があったのですぐ近くのイオンモールへ行って、気になっていた四角いみたらしだんごを1本ずつ買った。餡がちょっと甘すぎる。
この頃みたらしだんごを食べたくなることが多い。スーパーで売ってる3本100円くらいのでもうれしい。

開場時間にアイホールに戻る。

客席に囲まれた中央に丸くて白いアクティングエリアがある。開演時間が近づいた頃、斜め前に座った女性はおそらく俳優だと思っていたらそうだった。そのほか数人の俳優が客席のなかに紛れ込んでいた。

長くなりそうなので内容は別に書く。

終わったあとの拍手には心を込めた。そういう心境になる出来の作品だった。

帰りは月山そばに寄った。白いそばに熱い鶏入りの出汁をつけて食べるつけ麺。麺の量が4段階になっていて小盛りがくのいち、普通が侍、大盛りは忘れた、特盛りが達磨大師という名前。
侍と達磨大師を注文。

観劇×2人分=6000、伊丹までの往復交通費×2人分=2800、みたらしだんご×2本=160、缶コーヒー×2本=440、晩ご飯=1800

等の出費により昼のギャラは消し飛んで札入れはまた無人に戻るのだった。



意味がわからん言葉で意思の疎通を計りたい

2011年05月26日 | Weblog
5月22日 

この日のインプロセッション参加者は8人。
そのうちミュージシャンがひとり、踊り兼ギターを弾く人がひとり、あとはダンサー。

このところ言葉と体の関係について考えるところが多い。
言葉をしゃべるとき、声は意味と方向を持つ。何かしらの事柄を言葉にして梱包するとき、そこには誰かに届けたいという意思の働きがある。そういうとき、それを実行する体の状態は、相手に届ける為の適切なボリュームとニュアンスの声を発するよう瞬時にチューニングされる。
役者が台詞をしゃべるとき、日常会話でも人は自然にそのようにやっている。意図的にずらすことも含めて。

踊る体が発話するときは、そこから少し脱臼したような状態になるのではないかと思う。
言葉が介入することによって導き出される状態。その音との関わり、リズム、意味の負荷。そういうもので体を動かす。声は体を振動させて発する音だがその音の出口はひとつしかない。明確な方向性を持つ。発話するときに体にできる正面をなくすように発語できないだろうか。言葉を発しながら同時にそれを喰らって体自体が言葉になるような。観念的な言い方だが。
でもそれでいてダイアローグが成立する状態。意味のやりとりだけでない言葉の交信をしたい。

意味がわからん言葉で意思の疎通を計りたい と歌ったのはZAZEN BOYS

まだ埋もれたままの、体に埋まっている踊りの回路を掘り起こすこと。また、他者によって引きずり出されること。踊るという事を狭義に捉えず、かといって何でもアリの脆弱さに陥らないように。体であることを忘れないよう、その約束を一カ所引き寄せておくこと。だから今日も丹田を耕すのだ。

私の体って何か、私とは何か。そのとき舞踏が踊られる。
踊ることを知って間もなかった頃、ある舞踏家に舞踏とは何かと聞いたときの回答。

別に言い方は舞踏でなくてもいい。
ただ、「私の踊り」は他者と共に探し続けるものであり、そうしなければ私というものの在ることのほんとうの意味での豊かさを引き出す事は出来ないように思う。

パン

2011年05月22日 | Weblog
うちに帰るとライ麦パンが机の上に置いてある。打ち合わせから帰っていた夫に聞くと、ある方の手作りであった。驚きと感動の到来物。

切ってみると、売ってるやつみたいにクラムが細かくしっとりしている。
うちでも今までに何度かライ麦配合率の高いパンを焼いたが、どうもクラムが粗かったり、中央が陥没した状態で焼き上がったり、なかなかうまくいかなかった。
それでさっそくレシピを教えていただく。
なるほどと思った。水分の約半分をヨーグルトに変えることによってライ麦パンらしいほのかな酸味としっとり感が出るわけだ。
そのまま食べてもおいしいし何かのせても邪魔にならない。
のせるなら玉ねぎをみじん切りにし、ツナと混ぜ合わせる。そこに酢、コショウ、塩、マヨネーズ、刻んだディルをたくさん入れる。ディルというセリ科のハーブは清涼感があり魚に合うので、ツナとも相性が良い。写真はそれにアボカドをのせたサンドイッチ。

ディルというハーブはマレーネ・ディートリッヒから教わった。
『マレーネ・ディートリッヒのABC』というエッセイのなかに、ドイツ家庭料理のレシピがいくつか出てくる。
牛肉をドロドロに煮て粥状にしたものなど見たことも聞いたこともないものもあったが、たまごやキューリを使ったサラダやジャガイモ料理など我が家の冷蔵庫にもあるものを使ったレシピもあった。



フィルムの陰影に完璧に作り込まれた姿から想像しにくいが、ディートリッヒも芋の皮やたまごの殻を剥いたり、ドレッシングの塩加減をみて酢をもう少し効かせたほうがいいかしら…などと思っていたと想像するとなんだかおもしろい。煮魚にもサラダにもディルがよく使われている。それでどんな味がするものか気になっていたときに園芸店で苗を見つけたのだった。軒先に植えて水さえ切らさなければ予想以上に発育し、最後に黄色い傘を広げたような花を咲かせる。
そういえばその本のなかに、子供に与えるのは白いパンは控えて、出来るだけ茶色いパンにしなさいとも書いていた。ドイツ人だからね。

パンにのせるものでもうひとつ好きなのは野菜のマリネ。
玉ねぎ、ピーマン、トマトをみじん切り、酢と塩とオリーブオイルで和えて冷蔵庫で一晩ほど置く。これは福井の母に教わった。

書いてみると人様から教わったものばかり食べているようだ。教わった人ひとりひとりは出会わないが、胃の中で混ざっている。そういうことが出来る体を携えているということはおもしろい。


自転車

2011年05月17日 | Weblog
先週土曜の昼。
午後から大阪で仕事だったので自転車で出町柳まで下り、そこから京阪に乗るので駐輪所へといつもの導線をたどっていた。ところがいつも通りでないことが起こった。市営の駐輪所も柳月堂の方も満車になっていたのだ。両方満車というのは初めて。乗る予定の電車が出るまであまり時間がないので、仕方なく川端通りに面したロッテリア側の歩道に停めた。撤去されないことを願って大阪へ。

で、夕方戻ってくると自転車がない。
しばらく周辺を歩き回ったがない。

保管場所は十条。うちまで片道一時間くらいかかる距離である。その日はそのまま叡電に乗り、とぼとぼ歩いて坂を登り帰宅。

夕飯、リクエストのドリア。ホワイトソースは牛乳とバターと小麦粉で作ったが、ミートソースは手を抜いてママーのを使った。取っ手の取れるティファールのフライパンに2合くらいのご飯を敷いてホワイトソース、ミートソース、チーズ。オーブンで15分。チーズの焦げ目と焼けるにおいは完璧だったが、惜しむらくはママーの能天気な味のミートソース。抜いた手がはっきりわかる。

翌日の日曜は仕事のあとすぐに稽古場に行かねばならなかったので自転車を取りに行く隙がなかった。
月曜、午前の仕事が終わったあと取りに行くことにする。この日、夫も朝から病院だった。バセドウ病の治療薬、甲状腺ホルモンを抑える薬をきちんと1日3錠飲んでなかったので、下がっているはずの数値が少し上がっていて先生に目ぇ飛び出るよ!と怒られたらしい。

診察が終わった夫に迎えにきてもらい、百万遍の白水へ餃子を食べにいく。
白水は昼時の2時間半だけやっている中華料理屋で、夫はここの餃子が好きなのだった。カウンターのみ10席ほどの店内、そのどこに座っても調理場が見渡せる。使い込まれた油っぽくて黒い厨房でご主人は中華鍋をふり、奥さんがごはんをよそう。勝手が良いようにあるべき場所にものが落ち着いている。
隣に座った人が注文した肉もやし玉子炒めもうまそうだったが我々は餃子定食600円。ごはんとスープに餃子12個付きだから安い。
表面がカリカリの餃子、変わっているのは餡で、具材がかなり細かく刻まれている。醤油と酢とラー油を垂らした小皿につけて食べると塩気と酸味に引き立てられた餡の甘みと皮の香ばしさ、そのバランスがすばらしいと夫の評価。

餃子でスタミナをつけたのちバイクで十条に送ってもらう。
自転車保管所。といっても砂利の空き地に撤去した自転車を撤去場所ごとに分類して並べてあるだけ。
管理のおじさんは路駐を咎めたりせずご苦労さんですと言ってくれる。それだけで2300円支払う苦痛は多少なりとも軽減された。
黄砂で霞む曇り空の下、撤去されて待つ自転車の群れの中から愛車を探す。べ-ジュで、さすべえが付いているいつもの、あの。

見付けた。
あちらでも私を見付けた顔をした。
きっと乱雑にトラックに投げ込まれて連れて来られたんだろう、後輪の鍵が車輪に詰まっている。ごめん、と思う。
8年くらいまえに別の場所で今より二代前の赤い自転車を撤去されたとき、管理のおじさんにどのくらい引き取りに来るのか聞いてみたら、半分ほどやねと言っていた。

そして十条からの長い道のりを北上する。
普段通らない裏通りを走る。
おいしい参鶏湯が食べられそうな韓国料理屋がたくさんある九条、比較的新しい市営住宅とかなり年季の入った平屋、その間に突如ベンチを置いた憩いの場があったりする八条口から七条付近、ゆるゆる走りながら、独特の雰囲気のある住宅街の路地。住宅街だが生活感に少し異質な趣きが混ざっている五條楽園。

川端通りを走りながら四条三条、気付けばいつもの出町柳。

ポイントカードを溜めているドラッグストアに寄って洗濯槽クリーナー、ファブリーズの詰め替え、資源ごみの袋。スーパーで挽き肉、人参、太めの春雨、葉物は安かったニラ50円。今夜はチャプチェ。

春雨をゆがいたりしている間に、夫が自転車に油をさしておいてくれた。それがなんだかしみじみうれしかった。



うつわ かたち からだ

2011年05月14日 | Weblog
実家の庭の物干しの下には祖父の陶芸の作業場があった。水っぽい粘土がなみなみ入ったポリバケツや道具類、ろくろをまわす祖父の横で粘土を捏ねて遊びながら分厚い小皿を作らせてもらったりした。写真はその小皿。裏に片仮名でミカと彫ってある。実家の食器棚から持って帰って来て、今も漬け物を盛ったりするのに使っている。
祖父が生きていたら、河井寛次郎の話しをしたかった。祖父の尊敬する人であったらしい。
河井寛次郎の文書を読みながら、祖父と大野一雄の話しもしてみたいと思った。そんな舞踏家がこの世にいたことを祖父はおそらく知らなかっただろう。そんな話しをできたらよかったが、祖父は私が小学生の頃に亡くなっている。


「 番茶碗の高台をつまんで釉の中に浸す。素焼きされたこの茶碗は夏の旅人のように裸体で渇いているので、いきなり全身をあげてこの釉の泥水を吸う。思う存分吸う。すすめれば酒好きはどろどろになるまで酔いしれても酒から離れないように、これもまたほっておけばずぶずぶになるまで吸うのである。
茶碗は水が欲しかったのだけれど、水と親しく交わっていた釉の分子はどこまでも水と別れを惜しんで、この渇者に四方八方からとりすがる。次の瞬間には裸体であった茶碗は水を吸った報いにぴったりと膚についた釉の着物を貰って出て来るのである。」

河井寛次郎 『蝶が飛ぶ葉っぱが飛ぶ』 より

この部分は大野一雄より土方巽の「病める舞姫」を思ったが、どうもこの人の言葉はからだにひっかかる。からだにひっかかりのある言葉を使うということは、そのようにものを考えているということだ。
河井寛次郎は生涯新たな技法や釉薬を研究し続け、それに伴ってさまざまな色やかたちを生み出した。
土身火魂
これも陶工の残した言葉だが、読み方も意味も指定されていないらしい。

ツチノミヒノタマシイ

土を捏ねてかたちをつくり、釉をかける。土、かたち、釉薬、それに熱が加わる、その交わるところに結ばれるうつわ。
器官、知覚、感情、記憶、体温の熱を帯びて、それらの交わるところ、からだというかたち、それは常に揺れて変化し続けるけれど、それに照応するように、新たな自分のかたちを探すようにうつわが作られる。うつわ かたち からだ。

ものをつくるということがそのような探索の旅であるとき、その痕跡に惹かれる。惹かれるものはいつもそうだ。居直ってしまっているものをあまりおもしろいと感じない。

河井寛次郎に惹かれるのは晩年の写真に祖父の面影をみるところがあるというのもひとつ。



夏へ

2011年05月09日 | Weblog
母の日。大阪で仕事を終えて天満橋でカーネーションのブーケを買って夕方実家に帰る。

実家のマンションのドアをあけると中はいいにおいがする。休みだった真ん中の妹が台所に立っていた。アイフォンから音楽を流しながらハンバーグを焼いている。その隣でもうひとつのフライパンにハインツのデミグラスソースをあけて温めている。今日は煮込みハンバーグらしい。赤いルクエの中にはにんじんのグラッセが既に出来上がっている。サラダを手伝う。
母は仕事で7時頃、末の妹はなんと言うスポーツだったか人数の少ないサッカー、の試合で遅くなる。
あとは真ん中の妹の彼氏と夫が来る予定。

母より先に妹の彼氏が帰宅。ほどなく母も戻り、夫もそろそろかと思っていた時に電話がなった。疲れて寝てしまって今起きたという。待っても1時間はかかるので先に食べることにする。

母が作った昨日の残りのクリームシチューをスープがわりにした。久しぶりにクリームシチューを食べた。じゃがいもがちょっと溶けたカドのない懐かしい味がする。
煮込みハンバーグはうまく出来ているように思ったが、母はハンバーグ自体にもう少し味をつけたほうがいいんちゃうと言う。母の煮込みハンバーグはたしかにもっと味が濃い。

夫が来て、下の妹も帰って来た。この日は実家に泊まる。
朝、母は黄色いキウイとバナナを切ったのとホットケーキとかりかりベーコンのった水菜サラダの朝ご飯を出してくれた。気を使わなくていいのに。朝からお姫さまをする。
母と一緒に家を出て電車に乗り、途中乗り換えで別れた。
母校で仕事。昼前に終わる。母校の最寄り駅は京阪の丸太町だが、けちって出町柳まで歩いて駅前に置いている自転車を取りに行った。

半袖でも良いくらいの陽気。花屋の店先に並ぶビオラも皆びろんとのびている。自転車で走っていると背中が汗ばむ。帰ったら絶対に冬布団とコタツを片付けようと心に決める。

連休

2011年05月07日 | Weblog
ゴールデンウィークは東京から兄とその恋人が泊まりに来ていた。奈良に行き鹿、阿修羅、大仏を見、嵐山に行きトロッコ列車に乗るなど、京都に住んでいる者にとっては近すぎるが故に行きそびれている観光地へ赴く5日間だった。

最終日の夜、なんだかカラオケに行くことになった。沖縄出身の兄の彼女は沖縄の歌手の歌をいろいろ唄ってくれた。澄んだ声で歌がうまい。彼女の選曲なのか実際そういう歌が多いのか、前向きな内容の歌詞、海や空や花、親や家族を想う歌が多い。同じ国土であっても陸続きでないところに故郷があるということは、なんとなくそこへ馳せる思いも少し質が違うように感じる。人にもよるだろうが、彼女に関しては生まれ育った土地への愛着というより愛情が伝わってくるなと思っていた。


ふたりが東京に帰った翌日、福井の父が岡崎の武道センターで剣道の試合。父は剣道の先生で夫の実家には道場がある。高校まで夫も剣道をやっていて、実は剣道一家の息子なのだった。
私の母も見に来た。試合は3分で引き分けでも延長戦はなし。それも打ち合うのでなくほんとうに一本打つか打たないかというくらいの戦い。相手の状態と自分の状態、呼吸と間合い、打つべき一瞬というのを見計らって、その一瞬に体を連動させる。見慣れない者にとってはどちらが一本とったのかわからないくらい動きが早い。

試合のあと4人で聖護院の河道屋に行って蕎麦を食べる。父はビールをおいしそうに飲み、いいとこ見せれんかったナーと笑っていた。父の試合は引き分けだった。

父は他の試合を見に戻り、母と夫と高島屋に陶工 河井寛次郎展を見に行った。
晩年まで変化し続ける作品を見ながら、なぜそのように変容し続けていったか、残された言葉を読むとどのような思いで物を作り続けていたのかよくわかる。


私は木の中にいる石の中にいる 鉄や真鍮の中にもいる
人の中にもいる
一度も見た事のない私が沢山いる
終始こんな私は出してくれとせがむ
私はそれを掘り出したい 出してやりたい
私は自分で作ろうが人が作ろうがそんな事はどうでもよい
新しかろうが古かろうが西で出来たものでも東で出来たものでも
そんなことはどうでもよい
すきなものの中には必ず私はいる
私は習慣から身をねじる まだ見ぬ私が見たいから
         *  
こんなところに自分がいたのかと ものを見つめる
         * 
身体の中に無数にいるまだ見ぬ形のいる身体
         * 
呼べばいつでも起きてくる者がからだの中に寝ている人間



まるで舞踏家のようだ。この人は土に触りながらずっと旅をしていたのだと思う。ろくろの前に座っていても、体を伴った旅をしている。時間をかけ、積み重ねないと達する事の出来ないところへ真摯に向かう人の痕跡を見ることは、自分はどのように歩いてくべきか、検証する機会でもある。やはり日々の暮らしも仕事もひとつの信条の上に貫かれた生き方に強く惹かれる。美しいと感じる人の生き方というものに。

そのあと月ヶ瀬で念願のあんみつを食べ、阪急百貨店あとのマルイを見てまわり母とわかれた。

寺町辺りをふたりでぶらぶら歩いて夫は上着を1着、私はスニーカーを1足買った。どちらもぴたっとくる感じがあった。


物かって帰る私買って帰る   これも河井寛次郎。


安い物でも高い物でも買い物がこうであればいい。