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流出雑記 

11月末の日々

2011年11月27日 | Weblog

20日

2年目結婚記念日。
私は仕事、夫は伊丹に行って帰りは遅くなると聞いていた。

仕事が終わってお腹が空いたので、コンビニで赤飯おにぎりを買った。一応めでたい日なので赤飯、というわけではなくただ好物なだけ。絶対にいつも温めてもらう。

朝以来、顔を合わせたのは深夜1時で既に21日になっていた。 オレンジのバラを1本買ってきてくれた。そういうのはうれしい。たとえフレスコに売ってるバラであってもうれしい。オレンジのバラの花言葉に信頼・絆の意味があることを彼は知っていたのだろうか。まさか。

21日

稽古のあと、寿司が食べたくなった。それで昨日祝いそびれた結婚記念日にかこつけて寿司を食べに行くことにした。無論回転寿司。月曜で時間帯が夕飯時より少し早かったので客がいない。我々のためにのみ回転している寿司を眺める時間がしばらくあり、板さんもふたりちょっと暇そうなので、なんだか申し訳ないからはやく誰か客がくることを願った。

23日

寒くなると甘酒が飲みたくなる。甘酒として売っているのは甘すぎたりするので、酒粕を買ってくる。

粕汁もいいなと思うが夫がだめなのでしない。

寒くなるともうひとつよく作るのは蒸しパン。小麦粉50g、ベーキングパウダー小さじ半、砂糖適量、水50g、水は牛乳などでもいい。抹茶やココアを入れてもたのしい。酒粕を入れると酒饅頭のようになる。鍋で10分蒸す。蒸しパンがそこまで好きかどうか、売っているのはあまり買わない。蒸すという調理を寒い日の朝にしたくなる、蓋をあけて蒸し上がったふかふかを見たい、温かい出来立ての何かを食べたい、30分以内に、というのが主な動機で、それに該当するのが蒸しパンなのだった。

26日

お隣さんになると金時をいただいた。うちにきた芋はスイートポテトになる運命。夫裏ごし係。

27日

高校時代の友人の結婚パーティー。仲の良かった5人のうち3人が既婚者となる。

婚活中の友人はかわいいし家庭的なのにパートナーが現れないらしい。

彼氏が出来た友人はこの人が最後かも知れないという予感がするらしい。

主婦の友人とは月2万で4人家族の食費をやりくりする主婦がいて、その手腕について語る。週のはじめに5000円もってスーパーに行き、一週間分の食材を買う。翌週まで買い物に行かない、という作戦でやりくりするらしい。食べたいものはその日に決める私には難しい。

貯金ってなかなかできないね、という点は共通していたが、一方は月給やボーナスのある生活の話しなので、できない、の次元が違うなあと思った。

 


2011/11/19

2011年11月23日 | Weblog

19日、真ん中の妹の誕生日。

手作りスポンジケーキはパサパサするイメージがあって、手を出せなかったがついに自作に踏み切った。さほど高いものでもないのに、なんとなく買うのを躊躇していたハンドミキサーも購入。

しっとりふわふわに作るコツを調べに調べて重要なのは、温度と卵の泡立て、手際、焼けた後の保湿だと知る。
もうひとつの懸案事項は10月末あたりから猛暑と震災の影響でバターが品薄だったこと。クリスマスが近づくにつれてますます出回らなくなるのではと心配していたが、手に入った。

クリームを塗る前日に焼いておいた方がスポンジを切りやすいそうなのでそうする。

湯煎で卵を泡立てる。ここで泡立てが足りなくてもやりすぎてもいけないので、「生地を垂らすとゆらゆらおちて跡が少し残ってゆっくり消えてゆく程度」という初心者には見定めの曖昧な基準にはらはらしながら、どうもそんな気がするところで泡立てを止め、泡を消さないように粉を加えて練らないように混ぜ、溶かしバターミルクを加えて混ぜすぎずにきちんと混ぜ、型に流し込みオーブンに滑り込ませる。オーブンを覗いて膨らんでくるのを見ながらほっとしつつ、しかし浮き足立った作業だったので自信がなかった。心配なのでもう1台焼くことに決めて、足りなくなった卵を買いに走った。

1号も2号も外見はきれいな焼き色がついているし高さも出ているが、断面を見るまで、うまく行ったかどうかわからない。
翌日ナイフを入れてみた。想像していたより細かい気泡のスポンジが焼けていて、2号の方が作業の手際は良かったが、断面の状態は1号の方がしっとり整っているように見えた。なにがよくて出来が左右されたのかはわからなかった。

はじめてにしては上出来の予感だった。気を良くしてスポンジを提げ夕方実家へ向かう。

崩れそうなので、デコレーションは持ち運んで実家でしようて思っていた。
母に生クリームと苺を頼んでおいたら苺は2パックあり、惜しみなく贅沢に使える量だった。

スポンジに水と砂糖とコアントローのシロップを塗り、生クリームを泡立てて、緊張しながら断面にクリームを薄く伸ばしてゆく。薄切りにした苺を敷き詰め、さらに上からクリームを広げる。左官屋の心地で。
それを2段。一番上のスポンジを乗せると、売ってるケーキの1.5倍ほどの高さになっていた。苺が厚かったのだろう。

難しいのは側面にきれいにクリームを塗るところで、なんとか整えようとペトペトやってるうちにクリームは滑らかに伸びないようになっていく。なんとかしようと触わるほどより波立たせてしまう。
もうどうにもならないので、ふんだんにある苺を切って側面に貼り付けてごまかした。

さらに夫が余った苺でデコレーションを加え、鬼のように苺が乗った、鬼苺ケーキが出来上がった。見栄えはともかくよくわからないほど贅沢である。

これをパティシエの妹の誕生祝いに出して怒られやしないかと若干心配した。

夜8時頃、仕事を終えた妹が彼氏と一緒に帰宅。

妹は今の姓での誕生日は今年が最後になる、であろう。

ケーキに時間をとられる予感があったので、食事は準備に手間が掛からずかつご馳走に見えて楽しいものと思い、チーズフォンデュにした。夫はパスタを作って皆に振舞ってくれた。イカスミを練り込んだ真っ黒なパスタに海老とアンチョビ入りトマトソース。

ケーキの出来は怒られなかった。笑って食べていただいた。味は良かったので一安心。

次は1月2日に一番下の妹の誕生日なので、そのときパティシエにデコレーションの方法を指導してもらう約束をする。

深夜皆で大富豪した。

 


睡眠ミステイク

2011年11月16日 | Weblog

眠れない。眠り損ねた。

これは八つ墓村の祟りです。

前の晩、かりて来た八つ墓村を見て、見終わり風呂に入って寝ようとする頃にはもう5時半を過ぎていた。仕事が夕方からなのをいいことに目覚ましをかけずに眠ったら、覚醒したのは昼過ぎで、燃えないゴミも出しそびれ、世間じゃお昼休憩かと思うと追い打ちがかかる。それで今夜はそのバイオリズムの狂いを戻そうと2時に布団に入った。ついでに右を向いて寝る癖があり、それが体の歪みを引き起こすと聞いたので、真っ直ぐ仰向けに寝ようと心がけた。枕も低い方がいいらしいので、出来るだけ低くなるように調整してみた。それでいて早く寝ようとしたがダメだった。眠りに対する要求が多すぎたのか、まったく意識が遠のかず、いつまでも音が耳について眠れない。ついで気掛かりなことが周囲を漂う。困窮する家計、他にも仕事をする必要性の有無、デコレーションケーキの作り方、老化現象、苺の値段、食材の産地、週末の天気、稽古、眠れない。

3時半の時点で寝ようとすることを諦めた。

お腹も空いたような気がする。夕飯は鶏肉じゃがだった。じゃがいもはレッドムーン。ちゃんと面取りされていた。彼にとっておそらく生まれて初めての面取りだったのではないかと思う。結んだ糸こんも入っていた。

ミルクティーでも入れようと1階に降りる。

最近買った茶葉はウバ。ミルクティーに合う葉が欲しく、アッサムと迷ったがウバにした。その前はインディアンブラックティーという粉砕した葉を小さい螺髪状に形成した茶葉を使っていた。これも濃く出るのでミルクティー、チャイに向く。

八つ墓村に出てくる多治見要蔵の大伯母の老双子は小梅と小竹という。小梅は足元で丸くなっているうちの猫の名前と同じ。

映画のなかで小梅は後半水死体だった。

ふと調べてみた。うちの小梅はいま4歳だが、これを人間の年齢に換算すると、32歳くらいということになるらしい。いつのまにか小梅は我々の歳を追い抜いていた。5歳以降は落ち着いた猫になってゆくそうで、7歳でそろそろシニアフードに切り替えとある。

小梅は子猫のような高い声で鳴く。獣医さんにもこの子はいつもこんな鳴き方なんですかと笑われる。いつまでも幼猫のような気持ちでいたが、そうではないのだと認識を改める。改めつつあまり考えないことにする。

八つ墓村では渥美清の存在感の素晴らしさに今更ながら気付かされた。寅さんは見たことがない。

今まであまり興味のなかったショーケンもかっこいいなと思った。他どんな映画に出ているのか調べてみたら、わりと最近カリスマ主婦モデルと結婚したとある。その流れでカリスマ主婦モデルのオフィシャルwebサイトを覗いてしまい、どうでもいい情報を得る。

それで今5時半なのだが、手足が冷えて来た。ここで布団に入ればあったかくなり、ホッとしたその弛緩に乗じて眠れるのではないかと思う。

 


姫路大混雑

2011年11月13日 | Weblog

9時起床。晴天。

午後から姫路で仕事。
年に一度くらいしか行かないが、ここが一番うちから遠い仕事場。

交通費だけでも結構するので、チケット屋でJRの昼得を事前に買っておく。仕事をしている時間より移動時間の方が長いし、指名されて行く仕事ではないので別に私でなくても良いのだし、と思いつつ、抜き差しならない我が家の経済状態を省みるに仕事を受ける以外の選択肢はないのだった。

もうすぐ家の更新料を支払わねばならない、などの脅威。

心掛けてはみても貯蓄ということは不可能だ。貯まる程の余裕が無い。
つべこべいう間に働けよ。

京都から新快速で姫路へ。

大阪を過ぎて神戸、明石、天文台、海が見えて来た。

なみなみとした水。

リュウグウノツカイもあの水のなかのどこかにいるのだなと思う。憧れの魚だった。

高校生の頃、課題で海の生き物を作るというのがあって、迷わずリュウグウノツカイを選んだ。どんな素材を使っても良く、ホームセンターで薄いアルミ板を買って来て、それをあんな感じの幅になるように二つ折りにして、頭だけはアルミ板で別に作って接着した。胴体には2色の青いスパンコールを散りばめ、アクリル板を半円に切ったものを背びれに見立てて並べて付け、頭の触覚のようなのは、アクリルのしなる棒を付けた。

深海魚だが、時々浮上して来て網にかかったり、死骸が打ち上げられていたりする。飼育は難しいので水族館では飼えないらしい。一度どこかの水族館で剥製を見たことがあった。でもホルマリン漬けの体は白濁していて、名前に相応しい神々しさを見ることは出来なかった。やっぱり生きてないと。

水族館。しばらく行ってないが海遊館の大水槽に投げ込まれたら発狂するなと行く度思う。ジンベイザメやエイ、その他大小様々な魚たちの、あの密度のなかで正気を保てる自信がない。海の藻屑と化すしかない。

リュウグウノツカイは最大で10mにもなるというが、私が作ったのはせいぜい2mだった。そいつは実家の3階の物置の場所をとりつつ今もいる、ということを思い出し、物置に置き去ってきたもう必要でない色んなもの、押し入れの箱の中ですし詰め状態で眠る髪をおかっぱに切ったジェニーちゃん、プラスチックの野菜と果物、シルバニアファミリーの森のレストランのこまごました食器のことなどを思い出し、それらの存在、物量の圧を座席で黙々と感じているうちに姫路に着く。

駅前は改装中で以前と様子が違う上にえらくごったがえしていた。日曜日ではあるが、なんだろうか。観光にしては若者が多いし何かコンサートか、姫路城ブームで人が殺到、なんてことがあるのだろうか。

B−1と書かれた紙があちこちに張ってある。何のことか最初はわからなかったが、B級グルメグランプリという催しがやっていたのだった。それにこんなに人が集まるということに驚く。

駅からしばらく歩いてデッサン会を主催している画材屋で自転車を借りる。少し離れたところにある美術教室までその自転車で行くことになっている。ペダルを漕ぐ度に軋み、誰かに恨みを買ったのかと思う程ボコボコのカゴが付いているどうしようもない自転車で商店街をぬける。この商店街のなかには姫路に来る唯一の楽しみであるたいやき屋がある。1匹30分かけて焼いておりますと書いていある、皮が薄くて香ばしいたいやき。が、そのたいやき屋にもどうやらB−1客の列が出来ている。それで行きしなに買うことは出来ず、帰りにかけた。

仕事場は暖房を入れてもらっても肌寒かった。はやくあつあつのたいやきが食べたいと終始思い続け3時間過ぎた。

終わったのが5時だったので、さすがに列は引けていた。2、3人並んでいたが、すぐに買えそうだったので、しばらく待って念願はたす。

帰りのJRはおそらく混んでいるだろうと予想していたが、混んでいるうえに人身事故で遅れが出ているアナウンスと雑踏で予想以上だった。駅前で倒れた青年が4人の警官に囲まれていた。青年は完全にハイな状態だった。

帰りの電車は途中から座れたが、京都まではやはり遠かった。うとうとしていて、着いたと思い、慌てて立ったらまだ高槻だったり。

帰宅して速攻で白味噌うどん。具は白しめじと厚揚げ。その後、思い立ってスイートポテトを焼いた。

B−1グランプリの覇者はひるぜん焼きそばだったそう。


『中平卓馬/見続ける涯に火が…』跡

2011年11月07日 | Weblog

29日
朝。昨夜から呪文のように同じテキストを唱え続けていた。
東武百貨店へ向かう。
搬入口。
次々とトラックが着き、商品をおろしてゆく。ダンボール箱、ハンガーに掛かった大量のスーツ。
働く人たちの邪魔にならない隅の方にいてテキストを唱え続けた。

屋上16階 快晴。
日の出ている間は暑いくらいだった。
屋上で初めて声を出す。一度下見には来たが、ここで稽古できるのは今日の本番までの時間のみ。
午前中は音響の仕込みなどあって通してやれるのはゲネが最初で最後だった。地下に控室を用意してもらっていたが、できるだけ場にいて感覚のチュー二ングをしようと思った。邪魔にならないようにうろうろしながらテキストを唱え続けた。

私は今回覚えて喋るということをほぼ全編に渡ってしていない。
最後の方に暗記して喋るところが少しあり、朝からずっと唱えているのはその部分のテキストだった。

その他はずっとヘッドホンから流れてくる自分の声のテキスト朗読を聞いて、聞こえた言葉を声に出して言う、ということをやっていた。45分の上演時間中ほぼ半分の時間はその状態であった。それはまるでスピーカーとか、電波を受信して喋るラジオのように、キャッチした音を外に出しているという感じで、聞こえてくるものを声として出す。
私のなかに記憶されているもの、ストックではなく、聞き取ったものを声に変換する中継地のように、やってくるものをひたすら声として出すということをしていた。そして目だけはそれとは関係なくずっと動かし続けている。

最初はできるだけ聞こえてくるものをそのままただ声に出す。言葉にニュアンスを込めたりせず声に出す。
徐々に声を大きくしてゆくよう演出から言われていた。声を出すときにはどうしても喉を、舌を、声帯を震わせる。声を大きくするとその振動は大きくなる。淡々と読むときよりも「肉」体が声に巻き込まれる感がある。そもそもアナウンサーのようにうまく喋ることは出来ないのだが、屋上でマイクを通さないで言葉を客席の最後尾にまで届かせるには、かなり声を張らなければならず、読み方は声を届けるために必死になる。6階にいても案外地上の駅や車の音、何かの宣伝の声は聞こえるもので、それに風の音、百貨店のアナウンスなど、声を出す場に既にさまざまな音があるから尚更だった。

この場でやってみるまで、屋上でどれ程声が届くものか、演出にも私にもわからなかった。
屋内の稽古場とは当然音の反響が違う。後ろの席でもどうにか声は聞こえるようだったが、客席を並べていざやってみて、後ろの方の席では全然見えない、といって、ずっと座った状態で読んでいたものを、椅子の上に立ってやることになった。それでその前後の動きが変更される。場との関係のなかで方法が選択されていく。

16時
開場時間になると、昼間のあたたかさは蒸発して、じっとしていると寒いと感じるようになった。
お客さんがやってくるのを陰から覗きつつ、朝から繰り返し続けているテキストを唱え続けた。

テキストが覚えられない。
ずっと聞こえてくる音声を受け流して喋っていると、体に言葉が留まりにくくなるのだろうか。
俳優は与えられた台詞を覚えてそれを体に落とし込む、ということをする。その台詞が自分の言葉となるように引き寄せる。発話されるとき、台詞対する俳優の解釈が含まれ、書かれた台詞は受肉する。
しかしいわゆる台詞ではない中平卓馬のテキストは、俳優に解釈されて読まれる言葉ではないだろう。
演じるための、一般的な意味においての「台詞を体に落とし込む」ことはこの場合、的が外れているし、聞こえてくる言葉を読み続けていると、記憶する能動性が麻痺して、聞こえて来なくても聞こえて来るのを待ってしまう、という困ったことになっていた。この状態は俳優として見たらおそろしく役立たず、ほとんど機能していない。そのときにやってきたものを受けることしか出来ない、自分がまったく頼りないデクノボーに思えた。

野外では、見えるもの、聞こえるもの、風の感触、気温、におい、知覚する要素が多く、それも時間ごとに変化する。最後に覚えて読むところは、観客席に背を向けて街の風景を見ながら読むのだが、夜景を前にして読んだことはなかった。昼と夜のがらりと姿を変えた街を目の前にして、昼とは違う温度、空気のなかで読むことも不安だった。外から入ってくるものを体は受けとってしまう。正解に言うと、単に街を借景にすることは不可能で、中平卓馬の言葉を借りて言うなら、「世界は単なる客体ではなく、私は堅牢なものでもない。相互に侵犯しあう白熱する地場、それが世界である」 そのように体は晒され、準備したものは脆く、ぶらされる。ニュアンスや演技の技術、「逃れ去る情緒、陰影」を奪われた体、であるように感じられた。

16時30分 開演
はじめ客席に背を向けている。そこからしばらくして客席を振り返ったとき、そのなかに中平卓馬氏の姿を見つけてしまった。あ、と思った。赤いキャップですぐにわかった。

『なぜ植物図鑑か』をはじめて読んだとき、この人は、なんて体でものを見、考えている人なのだろうと思った。
自らの仕事を「肉眼レフ」と言い、カメラを構えシャッターを切る。
「私」の視線と、ものの視線とが交錯するところで瞬間的に焦点を結ぶ「身体をもってこの世界に生きてあるということ」
見ることも、聞くことも、話すことも、この体なしには不可能である。いくらそこから離れようとしても知覚には自己の体がつきまとう。体そのものを使って何かを為す人、こと俳優、ダンサーには常に「私」というものがついてまわる。それはどのような役をしていようと何をしていようとそうだ。
私は幽体離脱するように自己の体を見ることは出来ない。イメージのなかでしか対象化することの出来ない自己の体を扱わなければならない。それは難儀なことだ。知覚には私見が伴う。介在せざるを得ない「私」というもの。この在ってしまうもの。そこからしか世界をみることは出来ないということ。そこにありつつ私見によって世界を歪めることなく、あるがままを受けとること。「身体を世界に貸し与える」という言葉がよぎる。
それは能動的受動体とでもいうような体である。体を使って何か為す時はいつもそのようにあるべき、と思う。
変幻自在な感情表現、演劇的技巧、そういう方法でもって私はこの体で何かを表現するのではなく、「身体を世界に貸し与える」こと。
もっとよく見るために聞くために、晒され透過していく体。
決して透明になったりしない血肉と共にありつつ。

上演中に日は沈み、16階屋上から見える池袋の街には徐々に灯りがともり、薄明るかった風景は様相を変えて、終演する頃には完全に夜の姿になっていた。ビルの上に点滅する赤いランプの呼吸のリズム。道路に連なる車のライトは血流のように流れていた。

『中平卓馬/見続ける涯に火が…』


2011/10/25~28

2011年11月01日 | Weblog
25日夜 
京都駅八条口から夜行バスで新宿へ。今回のバスのシートは足が伸ばせて背もたれもゆったり後ろまで倒れ、小さい枕がくっついていたり、腰の後ろにクッションもあり、節約した結果の夜行バスなのに、かえって贅沢をしているような錯覚に陥るほど体が楽だった。

26日早朝 
新宿着。バスを降りてからバスの利用者の休憩所のようなところへ案内してもらった。更衣室や鏡台、ドライヤーなどあって、そこで身支度をしたり、うたたねしたりコーヒー飲んだり皆それぞれに街が動き出す前の持て余す朝の時間を過ごしている。

私の支度が済んだあたりで7時。
とりあえず朝食をとろうと街をうろつく。排水溝から上がってくる下水のにおいの濃さに人の多さを感じる。
歩き回った末、駅の地下にあるベルクという喫茶店にたどりついた。
夫は一度来た事があるらしかった。有名な店だという。
周りの環境の変化に同調しない独特の趣があり、壁にはメニューや何かがびっしり貼られている。品数が異様に多い。夜はバーになるようだ。
カウンターで注文する。厨房は慌ただしく、お客も次々にやってくる。朝の一服とコーヒーを飲むサラリーマン、ここに来るのを朝の日課にしている様子の人々。朝食をとる荷物の多い旅行者。
この店の名物はホットドックらしかった。それを注文している人が多い。慣れた人は、ホットドック ブルーチーズで、とか好みのようにオーダーしていた。
夫はトーストとゆで卵のモーニングを食べた後、やっぱり気になってホットドックも買った。とてもシンプルで、ジャンクな感じのないホットドックだった。

アッサムミルクティーをゆっくり飲んで、8時半店を出る。西巣鴨へ向かう。
いつもの道を迷いなく歩く通勤の人々の導線を妨害しつつ不慣れな歩きで山手線。
乗り換えて都営三田線。

宿は池袋だったが、西巣鴨に稽古場をとってもらっていた。今日から3日間朝から晩までここで過ごすことになる。
西巣鴨の駅からすぐの西巣鴨創造舎。廃校になった小学校を利用している施設で、体育館は劇場になっていて、稽古場は日当たりのよい教室だった。
機材セッティングをしている間に体をほぐす。少し眠る。

食事はすぐそばの巣鴨の商店街でとった。おばあちゃんの原宿と聞いたことはあったが、実際足を踏み入れたのは初めて。ここを歩くのが楽しくて、次の日からは都営三田線に乗り換えず、山手線の巣鴨駅から歩いて西巣鴨まで行くことにした。

池袋の安宿。ユニットバスの浴槽にはった湯の栓を抜くと、トイレのある方の床の排水溝から水が逆流してきた。隣の部屋に変えてもらったら、そっちの方が広くて断然良い部屋だった。

27日 
本番用に黒い靴を買った。
とにかく稽古場にいた。
夕飯を食べ損ねた。

28日
稽古場に音響のpsy氏が来た。
夕飯はコンビニのおでんだったが、ちくわぶが関西にもあれば良いのにと思う。
制作さんに通しを見てもらう、その最後の通しで覚えてないといけない言葉が思い出せなかった。