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流出雑記 

2010/07/30

2010年07月31日 | Weblog
今週の火曜あたりから小豆の具合が今までにないくらい悪化していた。
5歩もあるくとぱたんと倒れてしまい、トイレまで行けなくて部屋のあちこちを濡らす。目の前に水の器を持っていくとふらつきながら頭を持ち上げてほんの少し飲むがまたすぐ寝そべってしまう。何より食欲がまったくない。
獣医さんで血液検査をしてもらうと、もともと悪かった腎臓に関わる数値はほとんど正常値だった。そうすると考えられるのは脳の方に何かしら原因があるかも知れないと言われる。もしその原因をつきとめようとするなら、大きな病院に行ってCTを撮ったり精密検査を受けなければいけないが、そのためには全身麻酔が必要になる。この衰弱した体でそれはもう不可能に近い。
脳の方に原因があると予測して、それに効果のあるステロイド剤と数値が低めだったカリウム、抗生物質等の点滴をしてもらって帰宅。
帰ってきてもぐったりしている。どういう姿勢でもしんどいのか、しょちゅう起き上がってよたよたと床の冷たいところに移動しては倒れる。小さい頭蓋骨が床にあたるこつんという音を何度も聞いた。玄関のコンクリートの上でおしっこをしてしまい、そのままおしりからしっぽがびしょびしょになった。猫はきれい好きで体が汚れるのを嫌う。小豆は特に用を足した後、汚れていない部分のトイレの砂さえ踏まないように縁をつたって出るような子なのに。
心の準備という言葉が浮かぶが、なにをどう準備すればいいのかわからない。
もう小豆は2階に上がってきて朝起こしてくれたり、ごはーんごはーんとなくことがないのか、そういうことばかりがよぎって、そんな心の準備には手がつけらず散らかる一方だった。
しかし翌日、昨日と比べれば体調は驚く程よくなった。台所の方へ行くとごはーんとなき、食欲も戻っている。薬がうまく効いてくれたらしい。持ち直すとはこのことかと思った。

今は点滴はやめて錠剤の薬をもらって飲んでいる。
悪化する前と同じように過ごせる程回復した。一週間でこの変化。
5歩も歩けなかったのが2階に上がって来てこれるようになった。ごはんもがつがつ食べている。膝にのってきて喉を鳴らす。その振動がとてつもなくいとしい。
さび柄の小豆は写真でとっても顔がよくわからないことが多いのだが、ようやくうまくとれた一枚。でもなぜか逆さまになっている。


2010/07/24

2010年07月24日 | Weblog
大阪で仕事。正午過ぎ、日陰のないアトリエまでの道のり、帽子の陰から公共施設の植え込みをぼんやり眺めながら歩いていた。連日の日照りで草花は限界寸前の顔をしている。ここ数日降ってないので、そろそろ夕立ちが来ても良いのにと思っていたら、その日の夕方ちょうど降ってきた。
そんな具合に良い雨が降ると、実家に来ていた住職が「良いお湿りで」と言っていたのを思い出す。若すぎるとどうにも身の丈に合わない言葉も歳を重ねるとある程度しっくりきて使えるようになるけれど、「良いお湿りで」はまだまだ遠いと電車に揺られながら思っていた。


ひとつ前に書いた名無しの草のことを調べてみた。
「白い葉のような花」と打ち込んで検索ボタンを押すと、すぐさま正体がわかってしまった。

半夏生

ハンゲショウ
名前の由来は、半夏生(太陽の黄経が100°になる7月2日頃)に花を咲かせることに由来する説と、葉の一部を残して白く変化する様子から「半化粧」とする説がある。日本の本州以南、朝鮮半島、中国、フィリピンなど東アジアの亜熱帯性湿地に分布し、日の当たる湿地などにて太い地下茎で分布を広げて群生する。
日本では、生育に適した土地が減少していることから自生株は近年減少傾向にあり、地域によっては絶滅が懸念されている。 らしい。

なんどかこれを全部抜いてしまって睡蓮鉢にしようかと考えたが、ずっと実家にあったものを持ってきたので、毎年秋になると枯れて姿を消すのだが、根はずっと残っていて記憶をもっているように思えて、植え替えに踏み切れなかった。植え替えなくてよかった。
ハンゲショウという言葉と植物が夏を思うときの記憶のなかに根を張る。何気ないものでも、そういうふうに世の中にあるものと親密になる感じが好きだ。

夏の夕暮れ、実家の庭に水をまくと、日中に日差しにさらされてからからになった緑が水を得て表情を変える。土の匂いがして少し涼しくなる。小学生の頃は祖母に代わってホースで水をまくと縁側に面したガラス戸のあたりまでびしょびしょにして怒られた。
水苔の上を飛んでいたサギソウ。
真ん中はいつ咲くのか疑問だったガクアジサイ。
夏のはじめに咲く紫のとても美しい花があった。母に名前を聞くとテッセンと教えてくれた。子供の頃テッセンというのは英語だと思っていたが、後にテッセンとは日本語で、英語ではクレマチスというのだと知った。
しかもテッセンは漢字で書くと「鉄線」。つるが強いことからそう呼ばれるようになったとか。茶花に使われているが、そもそも在来種ではないようで、それでなのか和花ばかりの庭の中でなんとなく少し違う趣を感じてテッセンは英語だと思い込んだのかもしれない。

いつからそうだったのか知らないが、実家では夏になると近所の酒屋から瓶の三矢サイダーをケースで買っていた。なので冷蔵庫にはいつも冷えたサイダーが入っていた。
その酒屋は今はセブンイレブンになっている。
缶でも瓶でも三矢サイダーは同じかも知れないが、瓶に透けたサイダーの色や栓を抜く音、ガラスのコップに注いで飲んだ記憶が瓶の方がおいしかったと後押しする。瓶の三矢サイダー、探せばどこかにあるだろうか。

2010/07/21

2010年07月21日 | Weblog
玄関先の植木鉢がすぐ干上がるので夏、と思う。
実家から持ってきた水の張った鉢に植わっている謎の草がわさわさ育っている。秋になるまえに枯れてなくなるのだが、根が残っているので5月頃から育ち始める。母になんの草か尋ねたが、名前はわからないらしい。昔から花を咲かせる訳でもなく夏になると出てくるという。しかしその草が、去年から花らしきものを咲かせるようになった。花らしきものというのは、つぼみがつくのではなく、てっぺんから突如白い葉が出て、花芯が一本つく。カラーやスパティフィラムをごく素朴にしたような感じ。一度真剣に調べてみようと思いながら、まだ名無しの草と呼んでいる。
午後から仕事で昼過ぎに家を出る。
坂を下る途中の空き家にイチジクが植わっている。いまは葉と茎の間に卓球の球くらいの緑色の実がいくつかついていて、食べごろになって誰も気付かなかったらそれは私のものだと思っている。
駅前の商店街の布団やは店先にいくつも鉢を並べて、白百合を山ほど咲かせている。通る度にその前だけものすごく甘い。白百合の前はアマリリスだった。球根の植物が好きなのだろうか。

松ヶ崎から地下鉄途中から近鉄線に連絡し新田辺へ。
向かいの席の老夫婦。おばあさんがカバンからおやつの袋を取り出した。たまごボーロを久しぶりに見た。
おばあさんは封をきっておじいさんに手渡す。おじいさんは空いてる方の手にボーロを山盛りにして、はいと袋をおばあさんに返し、一粒ずつ食べ始めた。

その横の女子大生は、目の下に3日くらい寝てないようなクマを作っていて、そのまた隣の女子大生は、濃いアイメイクだがつけ睫毛の具合が悪いらしく、携帯の鏡を何度も見ては目をいじっている。

昨日の今頃は実家にいた。ひとりで実家に帰ったのは久しぶりだった。
たまたま教員採用試験を受けるために末の妹も帰って来ていた。
夜、皆が寝静まってから、あまり小説を読まない妹の本棚で『終の住処』という小説を見つけた。芥川賞受賞作で、帯には「妻はそれきり11年間、口を利かなかったー」とある。何があったのか知りたくなって読んでみた。すぐ読めるながさだったので読み切り、そのあとクレイモアという漫画の新刊も読んで4時頃寝た。
翌朝、母は仕事に出た後だった。
最近擦ると目が赤く腫れるという真ん中の妹。午前中すでにじりじりするアスファルトを歩いて皮膚科に行ったが休みだったらしく、帰って来て扇風機の前で倒れて寝た。
台所には桃2つと黄色いキウイが4つ。野菜室にはピンクグレープフルーツもあった。実家にはいつも種々のフルーツがある。冷えたグレープフルーツをひとふさずつ丁寧に剥く。
末の妹と朝兼昼ご飯を作る。
冷凍庫においしそうなたらこパスタソースがあったので、パスタを3人分茹でてソースを絡め、大葉を刻み、それと海苔とネギをのせて大皿に盛った。
3人でパスタを取り分けてすする。
快適にクーラーの効いた部屋、フローリングの床、白い壁紙、ポトスのグリーン、3階のベランダからの夏の風景、テレビの音、時々誰かの携帯の振動音。

食器を片付けて、真ん中の妹の運転で近くのショッピングモールへ、末の妹が明日の教員採用試験の面接で使う画用紙やなんかを買いにいく。
体育会系なので、ふだんジャージの末の妹にロングワンピースを着せてみたり、300円と異様に安いかごバックを見たり、ソフトクリームを食べたりして帰る。

冷蔵庫にあるもので夕飯を作り、夕方の仕事に間に合うように家を出て、仕事を終えるとそのまま自宅に帰った。

夏休みらしくていい1日だったなと電車のなかで思い出しながら実家にパンツを忘れて来た事に気付く。



2010/07/17

2010年07月17日 | Weblog
ついに快晴、ようやく夏到来。
雨続きで日向ぼっこができなかった小梅は私が起きると既に玄関に待機して、そとでた~いと鳴く。
ドアを開けると白い陽射しが差し込む。コンクリートの上でころんころんする小梅の横に雨で何度も濡らされた靴たちを並べて日に当てる。
小豆はごは~んと鳴く。昨日より調子は良さそうだが、連休前にもう一度病院。

薄切り玉ねぎにオリーブオイル、塩コショウ、酢を少々、電子レンジで2分。それをトーストにのせて食べる。水だし番茶に砂糖をいれて牛乳で割ってミルクティーにした。

午後から大阪で仕事。12時過ぎに家を出る。
もう雨を気にして履いていく靴に悩まなくていいし、自転車を最寄り駅に停めておくか、出町柳まで行くか考えなくても良いだけで軽やか。帽子に日焼けどめ、自転車で走る。

出町柳から京阪で京橋へ。
電車の窓から見えるマンションのベランダにはそれぞれの家の布団が待ってましたというように干されている。白いシーツの敷布団、ギンガムチェックの掛け布団、ピカチュウのタオルケット。
電車の冷房はよく効いているが、京阪は常識的な温度設定なので羽織るものがなくても平気だが、近鉄だと強風にさらされ続けるので、カーディガンを忘れると後悔することになる。
京橋で降りる。駅前の広場は暑いのと土曜なのでごちゃついている。そのなかに大安吉日と書いたプラカードが見える。なにかと思ったら宝クジを買えということだった。
仕事場のアトリエまで歩く。軒先のほおずきが火照っている。

このアトリエではポーズ中ずっと音楽が流れている。曲はジャズやボサノヴァのスタンダードナンバー。時々クラシック。CDが何枚か入るプレイヤーにそれらが入っていて、ループし続けている。このアトリエに通いはじめて1年経つがCDのラインナップはほとんど変わらない。
固定ポーズの後半疲れてきて立つのがいやになってきたので、レンズ豆くらいの玉をイメージして、体の内側で転がして時間を過ごした。体が動きそうになるが、もちろん動かしてはいけない。オータムリーブスが流れている。

帰りの電車、ランチしてケーキでも食べて帰りがけのマダム5人組が際どい駆け込み乗車。あーお腹いっぱいやわ。帰ってご飯すんのいややなぁ。明日また出るさかいお父さんのごはんしとかなあかんわ、めんどくさいけど。

出町柳に着くと背中に鉾のプリントで祇園祭と書いたTシャツを着たおじさんがいた。

  

2010/07/16

2010年07月16日 | Weblog
いつもなら朝起こしにきてくれる小豆が今朝はベッドに上がってこない。
一階に降りると、カーペットの上でのびていて、小豆おはようと近寄ったらはじめて会った人にするように逃げて、下駄箱の裏に隠れてしまった。小梅が玄関に降りてその様子を伺っている。
身支度を済ませ夫を起こし小豆を病院に連れていく。このところ通院している。

いつもと違う今朝の行動、口内炎を抑える為の薬を使うとお腹を壊してしまうことなど先生と相談しながら、小豆にとっていちばん良い治療方を考える。
最初先生の見たてでは、小豆は5歳から10歳くらいの間だろうといわれていたが、爪の伸び方やよく食べるのに全然体重が増えないところをみると10歳を越える高齢かも知れないと言われる。人でいうと70~80の歳。だとしたら、衰弱しきってここまで回復したことも奇跡的だと思う。
とにかく出来るだけ体が辛くないように、ちゃんとごはんを食べられるように、穏やかに過ごせるように。
通院していると驚くほど財布が軽くなっていくのだがもういい、猫貧乏でいい、
きみのために働く。

午後から大阪で仕事。
ひとりはずっと自営業で職人的な仕事をされていて趣味で絵をはじめ、アトリエを持たれた方。そこに若い頃渡欧して絵を学び、絵を生業としている画家が教えに来られる。お二人の年齢はほぼ同じだが、たどって来た道、技術や知識はまったく違う。キャンバスの張り方、下地の作り方、色や筆の持っている特性、構図、すべて知り尽くし伝える人とそれを吸収しようとする人。教える側と教わる側の年齢差があるときはあまり思わないが、このお二人を見ているといろんな生き方があるとつくづく思う。

帰り道、空は怪しかったが、電車に乗っているあいだに夕立ちは降り止んでくれたいた。雨で熱のこもったアスファルトがちょうど良く冷やされて心地よい夕暮れ。夕飯の献立を考えながら自転車を走らせスーパーに寄る。
きれいなゴーヤがあったのでゴーヤチャンプルに決める。

玄関を開けると小豆が出迎えてくれた。

冷蔵庫で保存できて毎日混ぜなくてもいいぬか床に漬けてあったキュウリを引きあげた。ぬかに触ると手がしっとりする。油に触ったときのようにべたっとするのでなくベールをかけたようになる。米ぬか石けんというのもあるくらいだからやはり肌にいいのだろう。

祖母が元気だったころ実家の裏にはぬか漬けの大きなポリバケツがあった。
祖母や母が毎日かき混ぜていたのだろうが、子供の私にとってその辺りは異臭がするゾーンであまり近づきたくなかったし、ぬか漬けも食べられなかったので何らうれしいものではなかった。
小学校1年から祖父母と同居になり食生活は断然和食で、夕飯にスパゲッティの出てくる核家族の友達をうらやましく思った。
今思えば祖父母の食生活とこってりものが好きな父、子供たちが集う日々の食卓を整える母の仕事は大変だっただろう。

そう思うとふたりなんて気楽すぎる。しかも食べ物に関して何の文句も言わない夫である。
ただひとつ、米の炊き加減問題があった。
私はやわらかいごはんが好きで夫は一粒一粒しっかりしているかたいごはんが好みだった。
だいたい水加減をするのは私なので好きなようにしていたのだが、あるとき度が過ぎて夫に言わせれば粥に近い炊き加減になった。そのときばかりはクレームがついた。それからは3合なら3合の内釜の線にきっちり合わせることにした。
しかし最近になって私も米の粒がしっかりしているごはんの良さがわかった。
それで線より下で水加減するようになり、我が家の米騒動は収束した。
次に炊き加減が変わることがあるなら歯が悪くなった頃だろうかと夫のおかわりをよそいながらふと思った。

2010/07/12

2010年07月12日 | Weblog
恐怖の5時起き奈良通いの日々を乗り切り、過密スケジュールからようやく解放された。
それで気が緩んだのか喉が怪しかったので昨夜ルルを飲み、風邪薬を飲んだことを忘れてその後少しビール飲んでしまった。
次の日はほんとうは休みのはずだったが、前日になって急な仕事の依頼があり、朝から出なければいけなかった。目覚ましを家を出る一時間前の、7時20分にセットして寝る。

朝、目覚ましが鳴って止めた。その後またうとうとしてしまい、しばらくして、しまったと飛び起きて時計を確認すると確実に遅刻する時間になっていた。
落ち込みながら電話をかけ、しこたま怒られるが弁解の余地なし。
でもなんだかずっと耳のなかに水が入ったときような感じが体全体を覆っている。それで頬っぺたや二の腕をつねって確認すると痛くないので夢だとわかった。
あー夢でよかったと思っていたら目覚ましが鳴り朝がきた。
今度はちゃんと起きて一階に降りたが、足に水圧がかかったような抵抗感がある。またつねって確認する。 夢だ。
それを5、6回繰り返し、夢だとわかるたびに今度こそ実際に目覚めようと潜る(夢だとわかったあと暗い空間を泳いでうつつに戻ろうとする)が一向にちゃんと体に戻れない。トンネルを出たと思ったらまたトンネルという感じ。死んでしまってないか不安になった。

そして7時20分、実際に目覚ましの音で目が覚めた安堵で二度寝して起きたら8時40分。
仕事は9時30分から四条烏丸。しかも雨。この時間だと電車ではきわどい。とりあえずパジャマを脱ぎ捨てタクシーを呼ぼうか考えているときに起きた夫が寝癖のままバイクで送ってくれることになった。
雨のなか車の間を縫って自力では40分かかる道のりを17分くらいで着いてくれた。会場内のトイレで顔を整え何事もなかった顔で仕事開始。
私を送った後雨は突然豪雨になり、夫はパンツまでびしょびしょの濡れねずみになったと帰ってから聞き、心の底から申し訳なく思った。

3日程前、借りてきたアニメのDVDを見ながら途中で寝てしまって、畳をガサガサ擦る音で目が覚めた。小梅が虫でも見つけたのかと音のする方を見ると、小豆がのたうちまわっている。それがおさまるとよたよた右の後ろ足を引きずって2、3歩あるいてへたりこんでしまった。テーブルから飛び降りてねん挫でもしたのかと足を確認するが、腫れたり熱をもったりしている様子はない。しばらくしてから小豆のごはんの器をもってカンカンと鳴らすといつものようにニャーと走ってきた。足自体に異常がある訳ではないらしい。
次の日は様子をみているといつも通りにしていたので、もしかしたら足が痺れただけだったのかもと思っていた。
しかしその翌日の朝、マスカラ塗っている傍でまたガサガサ音がした。全身に電流が走ったようになっている。あきらかに痙攣だった。それも数十秒でおさまるとけろっとしていたのだが、すぐさま病院に連れていく。

午前の診療が終わる時間ぎりぎりだった。先生はこれから1件手術があり、その間に検査結果を出しておくので1時間半後にもう一度来れますかと言われ、小豆をおいていったん帰る。

冷蔵庫に残ってたししとう、じゃこ、みょうが、天かす、塩こぶで夫がお昼のチャーハンを作ってくれた。
食べてしばらくして小豆を迎えにいく。

検査結果の表を見ながら先生がひとつずつの数値に関して丁寧に説明してくださった。
小豆を拾ってすぐの頃の検査ではかなり悪かった腎機能に関わる血中尿素窒素量の値がほぼ正常値まで下がっていた。黒い炭の薬はちゃんと効いていたのだ。
検査結果から見て考えられる痙攣の原因は、少し高めの数値がでたアンモニアが脳にまわった為か、あるいはもともとてんかん発作を持っていて、それが数ヶ月に一度起こる体質なのか、というところらしい。小豆がうちに来たのは3ヶ月前なので、それより前の事はわからないのだ。もうひとつ可能性があるのは脳に腫瘍等がある場合だそうで、小豆は若くないのでそういうこともあり得る。
大きな動物病院で脳のCTを撮るなど精密検査を受ける事も出来るが、その場合全身麻酔が必要で、猫にとっては心身ともに相当な負担になる。人間と同じように精密検査を受けさせることが必ずしも正しいとは言えない面があるので、紹介はすぐにでもできるけど少し考えてみてください、と言われる。

一先ず様子を見ることにして、痙攣がおさまらなくなった時のための薬をもらって帰って来た。

点滴を打たれた左前足の人でいうところの二の腕の部分が振り袖のようにたるんとして、それをふりふり小豆はしばらく家の中を歩き回って何か訴えるように鳴いていた。






2010/07/07

2010年07月07日 | Weblog
岩下徹さんのソロダンス『放下23』を観た。
無音、即興、60分という条件で年に一度踊られ、23というのは今年で23度目ということ。
これまでに過去の放下を確か2度観ている。
中央のアクティングエリアは照明にてらされている以外何もない床面。 開演前のアナウンスがあって程なく、その少し前から客席の隅でストレッチをしていた灰色のシャツと黒いズボンにシューズの岩下さんがあかりのなかに入る。

四方を囲む人々の視線のあいだで1時間。

表現内容に寄り掛からず、予定された動きに従属しない体に計測可能な速度ではない「速度」を感じる。すばやいとか軽やかという言葉では言い当てられない、意味や内容から放たれている分の質量変化なのか、危うさや焦燥感を引き受けた独特の間合いから生まれるのもなのだろうか。
あらかじめ用意された意味やかたちに踊らされない能動性は、居合わせたその場において受容器官としてひらかれる。
フォルムはそのあわいに表われては変容しフォルムと言う前に過ぎ去る。問題なのはかたちではなく、動くと動かされるのあいだで生成するものを体で渡っていくことだ。

腕の描く軌道、手首の角度、掌の表情、足首のくねり、崩れ落ちかた、すでに岩下さんが踊ることと不可分になっているかたちや回路がある。即興の時間を成立させる踊り方というものが岩下さんには確立されている部分があり、だからこそ常に瀬戸際で踊るほかなく、即興にこだわりぬくからこそ、そのような足場に立って継続しなければならないのだと思う。綿密な踊る回路が既に通じている体があることを前提に、それを拠り所に踊るのではなく、そういうものからひたすらに遠ざかりプリミティブな状態を掘り起こそうというのでもなく、経てきたものひっくるめて包括的に浮かび上がってくる現在形で立つということ。毎年同じ条件のもとでやるというプレッシャーによって奇をてらったり、行為の厚塗りに陥らないベースがあるからこそ継続のなかで見えてくる行為の根がある。
それは書き込んで何かあらわす方法ではなく、むしろ如何に余白を生成させるかということに思える。
私にとってそのような人の行為に立ち会えることは観劇において最も価値あることであり、それよりおもしろいと思えるものはそうないとあらためて思った。

2010/07/06

2010年07月06日 | Weblog
来年の2月まで週2回のペースで通う彫刻のアトリエは50代から70代の男女それぞれふたりが製作している。
4人は馴染みの製作メンバーで、アトリエの裏の水路に蛍が飛べば休憩中に皆んなで外へ出て、ええもんですなぁと眺めたりする。
今だいたい粘土で全身の大まかな形があらわれはじめている。製作はまじめになさっているが、ここでの休憩中の会話はおもしろい。
先日、名前についての話題になった。
最近の若い親は子供に妙な凝った名前を付けるというようなところから始まり、昔は田舎じゃ子沢山でいちいち名前を凝るどころか一郎二郎というふうに付けていったくらいだといちばん年長の男性が言う。
その続きに、留吉や留子のように名前に「留める」という漢字のついている人は、親がこの子で最後にすると決意を込めてつける名前だそうで、留が付いている人はまず末っ子なのだそう。子供の名前で親の決意を表明するとは。名乗る度にどことなく気恥ずかしいように思う反面、大人になってから親と名前の笑い話ができていいような気もする。
でも留吉のあとにまた授かる場合だってある。
そんなときは又吉や又八となるらしい。 その話しを思い出してポーズ中、台の上で思い出し笑いを懸命にこらえていた。

6ポーズのうち3ポーズ終わるとお茶を入れてくださる。それにはいつもクッキーやお煎餅がついてくる。ロールケーキだったこともある。
この前はコンビニのやけどどうぞ、と笹餅を出してくださった。
ちょうど5つ入りでひとついただく。買ってきてくれたのは女性で、もうひとりの女性と笹のかおりがしますね、と言いながら食べていると、買ってきた女性は食べたあとの笹をつまんで、でもこれ本物の笹と違うんちゃう?と言う。
ここから笹論争が巻き起こった。
笹の葉には確かにプラスチックっぽい質感があるが、私と一緒に食べていた女性は本物だと主張した。
その証拠にかおりがあるし、爪で葉の端をしごくと水がでますよと言ったが、や~そりゃ餅の水分を吸ってるんでしょうと切り返される。
プラスチックの葉が水分を吸うものかとさらに反論できる点を探して葉を裏返し裏返し観察する。
火を点けてみればすぐわかりますよと若い方の男性がライターで葉を炙ってみた。プラスチックなら溶けて異臭がするはずだ。
しかしこの葉は焦げているだけだった。やっぱり本物ですよとひとりの女性と私は証拠を前に胸をはった。
するとおもむろに年長の男性。わたしが子供の頃は百姓の家じゃあ田植えが終わるとねぎらいに餅をついたもんです。ちょうど今時分、笹の葉でこうやって包んでね。よく山に熊笹を採りに行かされましたよ。熊笹の葉はもっと厚かった。
何度も熊笹に触った手が本物でないというのだから反論のしようがない。
それにつられてなんとなく、まぁコンビニのもんやからプラスチックやろなというところに落ち着いてしまった。

でも間違いなくあれは本物の笹の葉だった。葉を捨てずにどこかに吊しておけば乾燥してカラカラになるはずだ、それを見れば、と帰り道に思いついた。
同じのを次の仕事のときに買っていってやろうかとも思ったが、帰りの電車に揺られているうちになんだかもうどっちでもよくなってしまった。

2010/07/04

2010年07月04日 | Weblog
9時半、小豆に起こされる。
最近朝から奈良で仕事のある日は5時台に起きるので、猫たちの朝ごはんもそれに合わせ早くなっている。今日は日曜なのでゆっくり寝ていたら猫の方では、ずいぶん遅いがどうなってるんすかと言いたいようすだった。
昨日は大雨だったが今日はカラリと晴れている。

手入れを兼ねてヴェルヴェーヌの葉を摘み、それでお茶を入れる。葉を洗いポットに入れて湯を注ぎ一度湯通しする。フレッシュハーブでお茶を入れるときはそうすると青くささやクセが抜ける。薄いグリーンのレモン風味のお茶が寝起きの喉を通ると目が冴えてくる。

猫たちの朝ごはんが終わったのを見計らって掃除機をかけ、身支度をし、冷蔵庫のひやご飯をチャーハンにして3分の1食べて後はラップして夫のお昼に置いておく。

12時過ぎに家を出る。
郵便局で振込みを済ませドラッグストアでタンポンを買い地下鉄の駅に向かう。
松ケ崎の駅前に自転車を停めて地下に降りようとすると、階段の傍に見覚えのある赤い髪の女性が携帯を耳に当てて立っていた。
結婚式のときにヘアメイクをしてもらった美容師さんだった。駅の隣にある式場で仕事だったのだろう。
全身黒のいでたちに赤い髪がよく栄える。次の仕事の打合せだろうか、相変わらずの鋭い眼光は電話の相手にも届きそうだ。
私が花嫁になった日からもう半年を過ぎたが、その後も彼女は週末の度に花嫁をつくりあげてはバージンロードに送り出しているのだ。
ふと彼女の手に懸かった花嫁たちの行列を想像した。その中に私も並んでいる。
私より少し背は高いが小柄な体をフルに使ってひとりで白無垢を着付けていく手際の良さを思い出す。
声を掛けようかと思ったが電話中だったのと、あと2分で電車が来てしまうので小走りで階段を降りた。

ちょうど午前中の式に出席してこれから披露宴会場に移動する列席者の私より少し若い女の子たちが同じ電車に乗っていた。
気合いの入った位置でアップにした髪、薄ピンクやベージュのサテンのドレス、セルリアンブルーのグラデーションのドレス、レースのショール、オーガンジーのボレロ、黒いヒール、エナメルのバック。今出川あたりでみんな熱帯魚のようにひらひらと降りていった。とたんに車内から色が消え、地下鉄はだんだん深海へ向かっている気がした。

地下鉄から近鉄に乗り換えて新田辺でまた乗り換えて。
彫刻の仕事。

この頃固定ポーズの仕事が多いが、先週久々にクロッキーの仕事をした。
3分~2分の短いポーズの連続。
固定ポーズの場合、一旦ポーズが決まってしまうと後はひたすらその形を維持することになるので、ポーズをしているときはどの筋肉を使ってポーズ維持しているのか、無駄な力が入っていないか点検しながら省エネモードで立つ。クロッキーになると、短いポーズの場合は特に次のポーズを常に構想しながらポーズすることになる。
背骨を反らしたら次は猫背に、左重心の次は右に、極端なポーズの次は何気ない動作で止まってみる、立ったら次は座るか寝るか膝立ちか、というふうに体にかかる負荷によって決まる次の体の使い方と、囲むように座っている描き手のどの位置にも正面が来るように考えてやっているうちにポーズの流れができてくる。 クロッキーの場合は体に力の循環があるので、終わったあとも同じポーズを維持したあとの枯渇した感じとは違う。疲労感はあるがどこか気持ち良い。

7時に帰宅すると夕飯が出来つつあった。
福井の実家から届いた山盛りの玉ねぎとじゃがいもを使って何か作ってと夫に頼んでおいた。
冷蔵庫にはガラスの鉢に白菜と玉ねぎのサラダが冷やしてある。
じゃがいもは棒状に切って豚肉と醤油やみりんで甘辛く炒められた。七味がアクセントになっていてごはんがすすむおかずになった。テレビでは綿毛のような生まれたての合鴨たちがとてとて走っている。10羽のうちいちばん最後に生まれた子は他の兄弟よりひとまわり小さく、走るのも水に入るのも何してもビリだが一生懸命で、生まれついた星のもと生きるひたむきさを代表しているようだった。

デザートは井村屋のあずきバーだった。