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流出雑記 

11月の終わり

2009年11月30日 | Weblog
今日から一週間、朝から固定ポーズの為、めちゃくちゃになっていた生活リズムを矯正。支度しながら、ぼやけた脳でも溜まりに溜まった不燃ゴミを出す事だけは忘れない。
8時半過ぎ自転車で出発。
昨日この自転車で重い物を肩からさげて坂を下っていたら、突然何か金属がはじけるような音がして前輪の回転が急に止まり、反動で前に体が吹っ飛んだ。
おそらく蛙のような体勢で飛びながら、捻挫程度の覚悟をした。
自転車が倒れる音で前を走っていたダーリンが慌てて駆け寄って来るのが見える。
後ろから車が、車道に転がった私の靴をよけつつ、ちょうどグリーンのコートと手袋を着けた蛙状の私を横目に見ながら走って行く。
地面に両手両膝をついたので頭や顔は打たずに済み、すぐに立ち上がったが、叩き付けられた衝撃でしばらく視界に細かい網がかかり、周りの音が隣の部屋からのように遠く感じ、ガードレールに寄りかかっていた。
向かいの家のおばさんがふたりほど出て来て大丈夫?と聞いてくれるので大丈夫ですと答える。
自転車は前輪が壊れて、かなり力を入れて押さないと前輪が回らない。
怪我は肘と膝に擦り傷と打撲程度で済んだが、左肘が擦り剥けてしまったので、結婚式前でなかったことは幸い。
重い自転車を休み休み最寄りの自転車屋に引きずっていった。
車輪のホイール部分の骨が数本一気に折れてそのせいで車輪が歪み、回転が急に止まってしまったらしい。ホイールを交換すればまた走れるというので6000円払う。
それで一応直ったのだが、乗り心地が今までと違う。真っ直ぐに走っていても、なんとなく左にハンドルを取られるので走り辛いが、それくらいの方が安全運転を心がけるので良いかも知れない。
体は衝撃を吸収する為に瞬間的にかなりの筋疲労をしたのだろう。首と肩を中心に全身痛い。
これから年末の慌ただしい時期、皆様事故にはくれぐれもお気を付けください。

仕事場近くの自販機で缶コーヒーを買ったらうっかり冷たい方が出てきた。
しばらく自販機の前で考えたが、自転車で20分程走って冷えた胃に冷えたコーヒーを流し込む気にはどうしてもならず、ホットを買い直す。

開始15分前にアトリエに入る。
この近辺のクロッキー会で良く会う方が一番のりだった。彼はいつも朝食兼間食用にレーズン入りの自家製クッキーをココアの空き缶に入れて持って来ている。
時々私にもくれる。この日もふたつ貰い、コーヒーと一緒に食べた。

今日は私服での着衣固定ポーズだった。3パターンくらいの服と靴を持参し、皆でどの組み合わせにするかと考える。
靴下の色と髪型まで吟味しだすと、Ⅰポーズ目の20分は衣装決めで終わってしまった。
このアトリエは大きな窓からの自然光を利用して描く。曇りがちなときの青っぽい光に縁取られる。その肌触りは心地よい。
しかし、どうにも眠い。
思いつく限りの目覚める方法を試みても睡魔に押し流される。
間違って買った方の冷たいコーヒーも飲んだ。朝から缶コーヒー2本は、なんとなく胃が嫌な感じだと訴える。
なんとか6ポーズ終えた。

帰りつつ、公共料金を払い、家賃を払い、手紙を出し、卵とチーズのサンドイッチを食べ、判子を作りに行く。「相模」の認め印は、いろんな所で判子のタワーを見かける度にさ行を探すが全然見つからない。

家に戻る坂を上がると比叡山の紅葉が迫ってくる。秋晴れに山のラインがくっきり浮かぶ。坂の途中にある、初夏の頃は青田だった所が、いつの間にか畑に変わり今は土の中で大根が丸々と肥えている。
家に帰ると冬毛で丸々と肥えた小梅が出迎える。
洗濯機2回転。
餅を焼いて一昨日作ったぜんざいを食べた。

飾る場所に困るほどの花は徐々に褪せていく。最初にダリア、次にラナンキュラス。ブーケに使ったチュベローズも強い香りを放ち切った。
晴れの日を飾ってくれた花たちを出来るだけ手入れし最後まで見送る。
冷蔵庫では塩をして4日目の塊の豚肉が熟成している。その横では、先日の酒宴で残ったホタルイカ2匹がラップ越しに皿の上で横たわっているが、宇宙人に見えてしまって箸をつけられない。
今日は結婚祝いに貰ったルクルーゼを使おうと決めていた。
ずっと欲しかったが値段と重さでなかなか手の出なかった鍋。オレンジのココットロンド20センチ。この重み。
まずは米を炊いてみる。
吸水20分、火にかけて沸騰後弱火で10分、蒸らし15分。
蓋を開けてすぐはかたい炊き加減が好みの人にはちょうど良いくらいの感じだった。しばらく蒸らしておくと芯まで柔らかく甘いご飯になった。



嫁ぐ日

2009年11月20日 | Weblog
7時頃起床。3~4時間は眠れた。
母と真ん中の妹は行きつけの美容室で着付を頼んでいるので、私よりも早く起きてバタバタと家を出て行った。

母が小さいおにぎりを作ってくれ、それを二つとかぼちゃの煮たのを二切れ食べる。
式場入りは9時で、8時に家を出れば間に合う。それに今日は自分で化粧をしなくて良いから時間に余裕がある。
シートパックを顔に張りつけてぼーっとしていた。

下の妹は式場で振袖を着付てもらうので一緒に出発。
JRで京都駅、そこから乗り換えた地下鉄は思いっきり通勤ラッシュ。四方から黒いサラリーマンに圧迫されたすっぴんの私は、社会的に焦点のボケた存在のようだが今日花嫁だ。しかしそれを悟ってもらえる要素無し。

ダーリンは少し先に式場に着いていた。
支度部屋に入る。
担当の美容師はダーリンと顔見知りだった。以前彼が撮影のバイトをしていた結婚式場で何度か一緒になったという。赤い髪をタイトなおだんごに結った40代前半くらいの女性。一言でいうと、いかつい。
周りのスタッフにはなぜか「先生」と呼ばれている。

和室の支度部屋は建物の地下の一番奥にある。そこでひっそりと花嫁は作られる。事前に当日式場内で焚いてもらうよう頼んだ沈香が香っている。

髪に手際よくカーラーが巻かれ、顔がいつもより白く塗られていく。普段巻くことのない髪がくるんとなり、編んでまとめられ、その上からネットを被せると、控え室の歌舞伎役者のようになる。
次に細部の化粧に入る。
白い平坦な顔に眉や目が徐々に描かれ「今日の顔」があらわれる。
眉も目元も普段の私の化粧とは違うラインの引き方。姿見の向こうで仕上がっていくのを眺めていた。
「先生」は時々遠ざかって鋭い眼光で顔のバランスを見る。
目や頬に柔らかい桃色がふわりとのせられると、和装に似つかわしいような表情が自分の顔にあらわれた。装いによって自分のルーツが引き出されるという感覚。成人式の時はそんなふうに思わなかったのに。私に潜伏していたものとの邂逅はなかなか喜ばしいものだった。
そして鬘。
それなりに重いが、昔は今のものとは比べものにならない重さだったという。感極まると同時に花嫁は鬘の重量で終始俯いていたらしい。笄はあんみつ姫のようなシャラシャラした金色のものもあったが、鼈甲を選んだ。
施されていく特別な装いに中身も近寄せるようにびんつけ油の匂いを深く吸う。

白無垢の着付。
一枚着物を着せるごとに前合わせの重なりを整え、襟をぐっと引いてしっかりと貫く。
数本の腰紐で胴体が締めあげられ、体は布の重量を支えるただの芯のように感じられる。
『陰影礼賛』で常に着物を着ていた頃の女の体について書いているところを思い出していた。その部分を引いておく。

「私は母の顔と手の外、足だけはぼんやり覚えているが、胴体についての記憶がない。…それで想い出すのは、あの中宮寺の観世音の胴体であるが、あれこそ昔の日本の女の典型的な裸体像ではないか。あの紙のように薄い乳房の附いた、板のような平べったい胸…何の凹凸もない、真っ直ぐな背筋と腰と臀の線、そう云う胴の全体が顔や手足に比べると不釣合に痩せ細っていて、厚みがなく、肉体と云うよりもずんどうの棒のような感じがするが、昔の女の胴体は押しなべてああ云う風ではなかったのであろうか。…そして私はあれを見ると、人形の心棒を思い出すのである。事実、あの胴体は衣装を着けるための棒であって、それ以外の何物でもない。…闇の中に住む女たちにとっては、ほのじろい顔ひとつあれば、胴体は必要がなかったのだ。…極端に云えば、彼女たちには殆ど肉体がなかったのだと云っていい。」

「先生」は全身を使ってひとりで着付けていく。手馴れているが、ひとりでは大変そうな作業だった。私は棒として立ち、時々袂を持ち上げるくらいしか出来ることがない。

大差ないように見える白無垢も詳しく見るといろいろあり、高価なものは白い絹糸の刺繍柄で、金糸や赤が少し入っているものもある。柄は、咲き乱れる四季の花柄、御所車、夏なら流水に菖蒲の立ち柄もよかったが、正絹の艶やかな鶴の織地のものにした。裏地には花菱の柄が入っている。

白無垢に於いて熟考すべきは赤の量。
唇以外はすべて白か、小物や襟、袖、裾の縁の赤を入れるか、綿帽子を被るなら縁か内側に赤を入れるか…など。
このように花嫁はどんな装いにするかとあれこれ工夫の余地があるのに対し、花婿の紋付は3種類の袴の選択くらいしかない。着付けも10分程で済んでしまうので暇そうだ。

着付が終わり最後に紅を指し、綿帽子を被ると花嫁になった。
ずっしり重い。頭が動かし辛いので周りへの反応がどうしても鈍い。
ただ移動するにも数人の人の世話にならねばならない。 産まれたてのように、そこに居ること以外何も出来ないのであった。嫁ぐ日ばかりはそうしていることが、大いに許されているかのようだった。

明日結婚する人は何を考え何を食うのか

2009年11月19日 | Weblog
8時半起床
起きた瞬間、明日や と思う。
晴れているが部屋の冷え方が本格的になってきた。

朝、ローズヒップ、レモングラス、ハイビスカス、蜂蜜ティー。超熟トースト、かぼちゃクッキー2こ。
午前中、準備物の最後のものに着手。

お昼は近所のうどん屋に行った。普段は客のいない店だが、修学院離宮への観光客で昼時はほとんど満席に。
ダーリン、カレーうどん。私、きつねうどん。
カレーうどんは片栗のとろみで火傷しそうな熱々だが、カレーのだしがおいしかった。
寒さで後頭部がきりっとする、目に写るいつもの風景が少し違うものに感じられる、今の感じは大晦日に似ている。

家に帰ってダーリンが、天気がよいから玄関で記念撮影しようと言う。
三脚を立て、小梅も連れてきて3人で写す。

それからダーリンはパソコン作業。私は手作業がもうないので掃除して靴を磨いた。今年の正月に買ったカンペールのウェッジソールは何にでも合うし歩けるので、毎日履いてしまう。爪先や踵の内の擦れたところに靴クリームを伸ばすと染みて茶色が濃くなる。乾かして乾拭きすると艶が出て美しい。こういう作業好きだなと思う。

式当日の朝は実家からでることにしたので、宇治に帰る。
母は父も仕事帰りに来るように連絡したと言う。
もう式までに父に会うことはないと思っていた。
昨日父に出した手紙は今朝届いているはずだが、出勤前にはまだ届いていなかっただろう。だから父はまだ私の手紙を読んでいないはずである。

8時過ぎにケーキを携え父到着。
今日は真ん中の妹の誕生日だった。本人は誕生日デート。
妹達は遅くなるので、小さいコタツに3人で入って夕飯。
煮しまって崩壊寸前の大根がうまいおでん。まぐろ山かけ丼。ドライカレーをシュウマイの皮に包んで揚げた三角形のもの。中華スープなど。

テレビでは男子バレー 対エジプト戦。
それを見ながら盛り上がる。
父も母も学生の頃からバレーをし、出会いのきっかけもそれだった。
娘三人も小学生の時バレーをしていた。
バレーボールはそうして所々で我が家族をつないでいるのだった。
福沢という選手は父の出身高校の後輩らしく、決定率の高いスパイク、サーブで思いっきり攻める。福沢の活躍がチームの勝利以上のものを、彼が知る由もないこの3人の親子にもたらしていた。

夕食の片付けが済んだ頃、下の妹が部活を終え、大阪の下宿先から帰って来た。
ほどなく真ん中の妹も彼氏を伴い帰宅。
彼氏には初めて会った。手みやげにパステルのプリンを買って来てくれた23歳。
妹はイタリアンのコースを食べて来たので、もうお腹がいっぱいだと言いながら、父がケーキあるよと言うと、食べると即答。
コーヒーを入れ、ケーキを食べながら、父と妹の彼氏はパチンコの話題で盛り上がっていた。
妹から聞いていたとおり、一見軽そうに見えるが根はまじめで良い人 のようだ。 
そんなふうにしているといつのまにやら時間が過ぎて父と彼氏は同時にそろそろ帰ろうか、となり父に「いままでお世話に…」というのを言えなかった。

まあでも明日そういうようなことをまた言うしいいや、と思い、母と駐車場まで父を見送って、じゃあ明日、というと突然涙が出そうになった。

夜は母と一緒に寝た。

明後日結婚する人は何を考え何を食うのか

2009年11月18日 | Weblog
と幼なじみの結婚前に思っていたので、自分の場合どんなふうか書いてみる。

6時前起床
9時半から神戸で仕事。朝早いのは久しぶりなので、起きられるかどうか不安であったが、プレッシャーで目覚める。

朝、レモングラス、ローズヒップ、ハイビスカスに蜂蜜を入れた赤いお茶。超熟トースト、一昨日から冷蔵庫にあるダーリン東京土産のロールケーキ。

7時、家を出る。
自転車で松ケ崎へ、地下鉄で京都駅、そこからJR新快速姫路行き。
知覚のすべてに明後日結婚という意識のフィルターがかかってしまっている。おかげで妹からの、最近できたカレシと明日誕生日デートというメールを読んでも、彼女が誰かに大切に想われて良かった…と感極まる。

新大阪から座れたが、乗換駅の芦屋から一駅寝過ごして気付くと三ノ宮。一瞬ひやっとしたが、用心して早めの電車に乗ったので、目的地には余裕をもって着く。
缶コーヒーで眠気を覚まし、仕事場の専門学校へ。
今日のクラスは高校生だと聞き、専門学校なのに高校生クラスとは体験学習か何かですかと尋ねると、学校に馴染めなくて、登校拒否になったりした絵を描くのが好きな子達が通っていますということだった。

着衣クロッキー
10人くらいの一年生はほとんど女の子。
学校に馴染めなかったというのがなんとなくわかる彼、彼女ら。
高校生には見えないほど皆幼い。キャスター付きの椅子を滑らせて遊んだり、私の仕事用キッチンタイマーを見て、「にんじん」「にんじん」「あのにんじんうちにもある」とか言う。

いくつかのポーズをしながら、棚の上の牛骨に視点を定めていたとき何の脈絡もなく小学校の給食に出てきたほうれん草ともやしのナムルに小さい白い幼虫が混ざっていたことを思い出した。ほうれん草に付いていたのだろう。器の中にそれを見つけ、先生に報告しに行くと、大雑把な男の担任は、虫じゃない、野菜の一部がそう見えるだけだから大丈夫と言った。しかしそれはどう見ても虫である。
その後どうしたかは記憶にない。


昼休憩に入り、郵便局で父への手紙を投函。
消印は六甲になるが、不思議に思うだろうか。

サブウェイでアボカドとチキンのサンドイッチを食べる。
六甲アイランドにはなぜか外国人が多く、私が店内にいる間にも数回、レジの日本語と英語の混ざったやりとりを耳にした。店員の対応も英語のオーダーに慣れている。

午後かは二年生クラスだがやはり皆実年齢より幼く見える。
モデルさん、台に乗ってるとすごい大きく見えるけど、並んだらおんなじくらいですねーと話し掛けてくれ、背比べする16才たちに混ざる26才。

帰りチケット屋でJRの昼得切符を買うと、普通に買うより500円くらい安かった。

京都に戻り駅ビルで普段より赤みの強い口紅を買う。あと下着、コーヒー豆、紅茶、ウェイパー。

夕飯、お好み焼き食べにいった。
帰りにドラッグストアで新しい歯ブラシ、髭剃りの刃、小梅の大好物、ティッシュペーパー、トイレットペーパーはいちごの香りにしてみた。

父に

2009年11月18日 | Weblog
手紙を書いたが出すのを辞めて持ち帰り、自分でまた封を切って読んでやっぱり言っておかなくてはと思い、書き直して新しい封筒に入れ、また封をする。
両家親戚一同上司恩師友人知人を前に読まれる「花嫁の手紙」に書けることはかなり限られる。この手紙はそれとは違う。
こういう機会に伝えたいことは、感謝の気持ちだけではない。
どうしても言っておきたい事があった。父に。
それだけ書いた。

夜、風呂に入っていたら脱衣所と浴室の間の窓からダーリン顔を出し、「20日の天気、晴れ時々曇り 降水確率20% 天気予報の信頼度A!」
とだけ告げて去った。

最後の気がかり、天気も大丈夫そう。よし。