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流出雑記 

our daily bread

2009年08月29日 | Weblog
『いのちの食べ方』を見た。
原題は『our daily bread』オーストリアのニコラウス・ゲイハルター監督。
私たちの日々の糧がどのようにして育てられ、商品となるか、消費者が普段目にすることのない過程のドキュメンタリー。
肉、魚、野菜、果実、スーパーに並ぶ食料品は、効率よく、低コストで安定供給できるよう、大量生産されている。それはどういう構造に支えられているのか。

あまりに広大なりんご畑。気の遠くなる数のりんごひとつひとつに虫除けの袋をかける為の人件費を省くには、飛行機を一機飛ばして農薬を撒けばいい。
結果消費者はいつでも取り合う事無く安いりんごを買うことができる。食後のデザートに、朝食にりんごジャム、もしくはアップルパイなどになり、消費者はそれらを胃に収めて排泄し、またりんごを買うので飛行機は農薬を撒き続け土壌に蓄積される。

ベルトコンベヤーで黄色いひよこが大量にピヨピヨ流れてくる。
それを、白衣の女たちが袋に駄菓子を詰めるかのような手つきで無表情に、鷲掴みにして分けていく。
牛、豚、鶏もりんごと同じに大量生産され、効率よく、捌かれ、肉になる。
その様はあまりに機械的で非情なのだが、この映画は一切のナレーションを挟まず、動物の「何かを訴えかけるような瞳」も誇張して捉えようとせず、その生産システムとそこで働く機械と人を傍観し続ける。
夥しい動物たちの放つ臭い、生暖かい血。生理的に避けたいような状況で淡々と作業をこなす人々。
従業員たちは働いているだけで残虐でも非道でもなく、ただありついた仕事がそれだったのだろう。作業に疑問を持つ暇もなく皆日々の糧を得る為に仕事をする。
しかしそんなシステムを考えだし、当然の如く、或いは知る由もないままその上に成り立つ世界に生き、生産する者、消費する者すべてが加担してどこか狂った事態を円滑にしてしまっている。何気ないふうに。
そして何より、なぜ私はこの事態にもっと罪や憤りや恐れを感じないのか。

オリーブか何かの木の実を収穫するシーンがあった。小型のショベルカーのようなもののアームの先端で木の幹を挟む。何をするのかと思っていたら、工事現場でアスファルトを割るような音と振動で木を揺すった。それと同時に大量の木の実が地面に叩き付けられる。痙攣させたという方が正しい。収穫というより搾取のようなその振動に冒涜というものを感じた。
そしてそういう振動は世界に隈無く行き渡り、冒涜を気付かぬほどに染み渡たらせ、私たちはいつの間にか麻痺している。
物質的に豊かな生活を享受し、良しとする生活をする人々に、この映画は一時釘を刺すかも知れない。
でも恐らく忘れ去る。
麻痺しながらそんなことはどこかに散乱してしまう。という予感を自分に持ちつつ今これを書いている。
なまぬるい諦めの気分が胃のあたりにある。胃液に混ざってアメリカ産グレープフルーツやタイで捕れたエビや福井県産コシヒカリやトンガの南瓜を消化する。
豊かなグローバル身体、それでもやはり居直りきれず、変な体勢になってしまう。私はそのフォルムを叩き込む。

2009年08月27日 | Weblog
先日、私の都合でかなり直前に仕事の日程変更を頼み、別のモデルを急遽手配してくれた若い画家に、お詫びとして何か贈ろうと思い画材屋に行った。
油彩コーナーで、油絵の具を赤系と青系一色ずつ選んだ。
色によってAからFまで、6段階に値段が別れていて、高いものでは1本1800円くらいする。なぜこんなに値段にひらきがあるのか、その色をつくる為の混色加減が難しいのだろうかと思っていた。

今日は午後から天理で仕事。5回固定ポーズの最終回。
100号のキャンバスに背景は青、中央に実寸の1.5倍くらいの大きさの寝っ転がった人体。真っ赤で肉の塊のようだ。
今日、始まりの段階ではそうだったが、終わる頃には赤の上に青が塗り重ねられ立体感が出て、所々下塗りの赤が見えるが今度は真っ青な人体になっていた。
それでこの青と赤、絵の具について質問してみた。
ちなみに最初に書いた若い画家とは別の画家である。
画面に使われている青はコバルトブルーで赤はカドミウムレッドと言い、どちらも鉱物から作られた色だそう。
絵の具の値段は原料によって違い、例えば黄土色系のものは原料が手に入りやすい土なので安価、植物原料のものは比較的安価だが、色として弱く、高価になるが強い色が出るのは鉱物系のも。
コバルトバイオレットという、これも鉱物系の非常にきれいな色があるが、下手に混色すると化学変化を起こし、濁ってしまったりするらしい。

真っ赤な人体はカドミウムレッド。
カドミウムといえばイタイイタイ病。有毒物質だ。そう言えばアクリル絵の具のカドミウムレッドにも後ろに有毒の×マークが付いていた。
それと、カドミウムもコバルトも極微量だが人体の構成物質として含まれているというのも思い出した。
カドミウムの血肉がコバルトブルー(これもまた有毒)に冷やされ画面にジュッと焼き付けられる。その2色は、動脈と静脈のイメージもはり巡らせる。
さらに細かく描き込まれ、複雑に色が重なり、靄がかり、飛沫のようなものが飛び、削り取られながらキャンバスの上で色は新たな物質に変化する。誰も見た事のないものに。
その画家の硬質な作風には鉱物の色彩の要素も加担していたのかと、色の選択に納得しながら話しを聞いた。


 

2009/8/24

2009年08月24日 | Weblog
寝ぼけながら、ご飯を炊くにおいがするような気がして9時過ぎ起床。
一階に降りると、机に竹のランチョンマットが敷かれ、その上に茶碗や味噌汁椀がきちんと伏せて旅館の朝のような風景になっており、台所から卵をかき混ぜる音。
仕事で徹夜して、起きたまま朝になり、朝ごはんを作ろうと思い立ったらしいダーリン。
普段我々は起きる時間がバラバラで、朝と呼べる時間に揃って食事なんて滅多にないことである。
炊きたてのごはん、あおさに似た岩のりという海藻を入れたおすまし、だし巻き、きゅうりの浅漬け。
いつもはシリアルなどで済ましているが、朝からつやつやの米はやはりいいものだ。
料理はほとんど私の役目になっているが、ごく稀に、こういう日もある。
お膳を整えて食事を作ってもらうことはどうしてこんなにうれしいのだろう。

午後から貸衣装屋に行く。
ドレスを見に来たのだ。我々は今年の秋に結婚する。

夕飯、おいしいピザを求めて、東一条通りにある石釜ピザの店に行ってみた。
広々とした店内、客席もゆとりがあり、カウンターには生ハムの塊、奥のキッチンはガラス張りで、薪が積まれ、その横の石釜の中はオレンジ色に燃えている。
6時半頃で客は我々のみ。メニューはイタリアンとスペイン料理。
ピザはマルゲリータにした。薄いけれど食べ応えのある芳ばしい生地にしっかりと風味のあるモッツァレラチーズ、とてもおいしい。
注文した他2品を食べ終えたが、我々の胃は全然満たされていなかった。
パエリアなんかも食べてみたかったが、ケの日の食事にしては高く付きすぎるので店を出た。
家でお茶漬けという胃でもなく、まだチーズの味が恋しい我々がたどり着いたのはマクドナルド。
そしてチーズバーガー、この味も未だにおいしいと感じるのだった。
こういう貧乏性による妙な食事が、のちに良い思い出になりますように。

父と寿司

2009年08月23日 | Weblog
父の住む実家近くのアトリエで仕事。
11時から3時間6ポーズクロッキー。
クロッキーなのだが少し変わっていて、20分のポーズ時間を5分×4に割って、同じポーズのまま90度ずつ方向を変える、というのをやる。彫刻のポーズの場合は体を前後左右から作らなければならないのでそういうふうにするが、クロッキーではあまりやらない。でもひとつポーズを正面だけから捉えるより体の構造理解につながるだろうし、そういう探究心と積極性をもって描こうとする人たちに出会うと、ポーズする方も各方向から描きどころのあるポーズを、多少キープし辛くてもやりたくなる。場に集中力が途切れない良い時間だった。

2時過ぎに終わって、実家に寄ると父は夜勤前で家にいた。
家の中はいつも通り片付いているとも散らかっているとも言えないが、父は台所のシンク周りだけはいつも清潔にしている。
庭はきちんと手入れされていた頃の事を思えば今は草木が茂りすぎている。
かつて鯉が泳いでいた池は、掃除されないので底に落ち葉などが溜まり、どんよりしているが甲羅がまん丸な亀が一匹いる。5~6年前に妹が学校でもらってきたミドリガメの亀藻(かめも)は小さい頃、人の手から餌を食べたりしていたが、今は足音がすると素早く水中に逃げ込む対人恐怖亀になってしまった。

ケーキ買うといで、と2000円もらって、すぐ側のケーキ屋に行く。
父はいちごの乗ったケーキが好きだが季節がらいちごは無く、代わりに桃のショートケーキがあったのでそれにする。父は桃も好きだ。私は抹茶ゼリー、白玉、あんこ、クリームなどがたくさん乗った和風パフェにした。

帰ってコーヒーを入れケーキを食べる。
父は女子ゴルフを見ていた。ここ数年、趣味という範囲を超えてゴルフに熱中している。うちの三姉妹のうち誰かひとりプロゴルファーに育てたらよかったなあ、と言いいながら。優勝賞金の金額を見て、確かにと同意する。

夜勤の前、父は仮眠をとる。夕食はそのまえに済ますので5時頃と早い。
管理職になってから夜勤の回数は減ったようだが、50を過ぎた体には堪えるだろうと思う。18の頃から週に何度か夜勤が入り昼夜逆転する生活で、もう体がそういうリズムに慣れているとは言っていたが。
晩ご飯どうするか、何か作ろうかとふたりでしばらく考えた。父は今日はなんか頼もう寿司とか、と宅配寿司のチラシをひっぱり出した。
二人前の桶とサバ寿司を一本注文する。

時間があったらカレー作っといたけど、2時間かかるから今日は間に合わんと父。
父カレーはまた進化を遂げているらしい。

待っている間に近所のスーパーへおつかい、仏花を買う。

ちょうど5時頃に寿司が届いた。
インスタントの赤出しに湯を注ぎ、やかんで黒烏龍茶を沸かす。いつも飲み物はペットボトルだったのに、お茶の葉と冷蔵庫に入れるお茶のプラスチック容器があったので何故か聞くと、その方が安いから、と言った。お茶ひとつ沸かさなかった父がそういうことも学習していた。

寿司はデリバリーだったが、思ったよりおいしかった。
久しぶりに寿司食うたいう顔してんな、と言われる。実際そうだった。

そういえば小さい頃、私は寿司といえば、まぐろと鉄火をずっと交互に食べるくらいその他のものはダメだった。
回転寿司に行き、父の横に座ると、父の食べた皿が積み重なり塔をつくるのがうらやましかった。せいぜいいつも5、6皿の私は一度懸命にまぐろと鉄火で9皿くらい食べて塔をつくったのを思い出した。

食後お茶を飲んで、いれたてのお茶はおいしいなあと言い、昔からの習慣、食後のチョコを2粒ほど。その後テレビの前で父は寝た。

お茶がおいしい、というような日常の素朴な感想の言葉を父の口から聞く度に、妙な感動を与えられる。
皿を洗いながら、側のゴミ箱に捨ててある冷凍ピザの赤や緑のパッケージや、スーパーで揚げ物をパックに入れて掛ける赤い輪ゴムが引き出しの取っ手にたくさん引っかかっているのが目に入り、そういうものをひとりで買って開けて食べる姿をうっかり引きずり出してしまう。
さみしくないのかと父に聞いた事はまだない。

仏手

2009年08月22日 | Weblog
9時起床。ゴミを出す。
昨夜切って砂糖と塩少々をまぶしておいた南瓜、こうして一晩置くと南瓜から水分が出てくる。そこに調味料を足して水を入れずに炊くとほっくり仕上がる。弱火でないと焦げる。

午後から奈良で仕事。
京都駅からJRに乗る。去年も確かこの時期に同じところに仕事しに来た。
会場は、トイレがホテルのようにきれいな公共施設。描きに来ているのは60代以上の男女15人程で、顔ぶれはほぼ変わらず。去年は裸婦だったが今年は着衣、できるだけ描きやすそうな色柄のはっきりしたワンピースを2着持参し選んでもらう。
2時間4ポーズ

2ポーズ目の途中、教室に彼らと同年代の女性がふたり入ってきた。ふたりは別の教室でやっている俳画教室の人たちで、絵を描いている教室の奥の物置部屋から色紙のストックを取りたいらしかった。
教室内はスペースいっぱいに15人がイーゼルを並べているので、物置部屋の前にもそこに行くまでの導線も塞がっている。描き手の誰かが一応、どうぞ、と言ったが、誰も道をあけようとしない。
ふたりは教室の端でしばらくもじもじしてぼそっと「すみません…そやけど、通られへんなぁ…」と言った。 それが勘に触ったのか、描き手のおばさんが「もうすぐ休憩やしそれまで待ったら?」と投げるように言った。
俳画のふたりは「じゃあ待たせてもらいます。すみません。」と教室の外に出た。そのとき残りのポーズ時間は7分ほどだったと思う。
しばらくしてタイマーが鳴り休憩に入る。
しかし誰も外で待っているふたりを呼ぼうとせず、それぞれ絵を眺めたり、自分たちの茶の用意をしたりしている。
仕方ないのでドアをあけて終わりましたよと声をかけた。ふたりはすみませんと奥の部屋に入って色紙の束を抱えてすみませんすみませんと出ていった。

ふたりが出ていった後、「なあ、すみません通してもらえますかぁ言うてくれたら私らかて気いよう通すのに、通られられへんなぁて、ちょっと常識ないわあ。」とおばさんたちは言う。
しかし雑談しながら描いていることもあるのに、ふたりが入ってきたときはさも集中してますよ、という空気を醸し、理由のない優越の中、通してくださいと言えない雰囲気を作ったのは単にいじわるだ。全員がそうではないにしても、誰も動かなかったのは、些細なことのようだが、この絵画の会に以前から感じる無神経さが露出した出来事だった。
ポーズしつつ彼らを見返す視線に微量に侮蔑の色を混ぜてしまう。
何描いてるんだろう。
全4回の固定ポーズなのであと3回来ることになっている。

終わって夕方京都に戻り、ダーリンと待ち合わせて近代美術館で野島康三展を見る。
野島康三(1889-1964)はピクトリアリスムと呼ばれる絵画的な写真を撮っていて、初期のものは特に、光のあたっている部分が立体感を出す為に白く抜いてあったり、撮影したものにかなり手が入っているようだった。
目で切り取ったものからそのものに感じた奥行きを明暗の中に掘り下げ、浮かび上がらせようとしているように見える。
粒子がざらつきを残した沈黙の肌理をつくり、静物も裸婦も写真の中で別の実存を与えられているように感じられた。
ふたつの仏手柑を構成して撮ったもの、ひとつは箱からはみ出していて、もうひとつは机の上に立たせてある。立っている方はずんぐりした本物の手のようで、最近読んでいる辺見庸のエッセイの中に出てくる、地雷に吹っ飛ばされた人の手が地面から生えているみたいに立っていたというのがよぎった。
全く関係のないふたつのイメージが私の中で多重露光のように重なり、焼け野が原に不自然な植物のように立っている手にうっすら柑橘系のにおいがまとわりついてジッと焼き付く。

人物ではモデルFの肖像が圧倒的だった。
眼差しに異様な力のある女性で、写真にどこか野蛮で生的なにおいが移り込んでいるようで見入ってしまう。
後期になる程、写真自体の精度はあがり、鮮明になってはいくが、そうなると初期のセピアの画面にあった引力は弱まっていった。
鮮明に、見えすぎる画面は何かぺろんとしたものに見え、解像度に頼った分、撮影者のイメージへの執着が薄まったように感じた。というような感想を近くのグリル小宝でハヤシライスを食べながら話したいと思っていた。しかし一緒に行った彼は、この日、ものを見る照準が定まらなかったらしく、なんかよくわからんかった、集中できなかったと言う。それで何だか私も失速してしまい、小宝もスルーして王将で、しゃべるかわりに焼きそばを口に運び咀嚼。

2009/8/12

2009年08月11日 | Weblog
昨夜、大林宣彦監督『廃市』(1984年)を観た。

福岡県柳川市が舞台。
夏、青年は卒業論文を書くために、静かなこの町を訪れる。
宿泊先は親戚に紹介された旧家の名残ある貝原家。そこには安子という娘がいて気立ての良い彼女は彼の世話を焼く。安子には夫と別れて寺に引きこもり姿を見せない美しい姉がいる。姉の夫は婿養子だったが、家を出て別の女性と同棲しており、ある日情死してしまう。
事件の発端となったのは姉妹の想いや思いやりのほつれで、激しい嫉妬や憎しみとは違うものがゆるやかに首を絞めていった様な、ゆるやかによどみながらこの町を隈無く流れる川の流れや、端から見れば情緒と見える町の雰囲気の中にある閉鎖的な要素にゆっくりと窒息させられたかのような死。
そんな出来事に立ち会いつつ、青年は一夏の間、安子に想いを寄せていたと帰りの電車の中ではっきり自覚するが、それも激情ではなく、焦点を結んだ像は、水面のようにゆらぎ記憶のなかに沈殿する。
全編を通して映像がとても美しかった。日本家屋の夏の建具と日差しの陰影、、柳川を下る船、岸辺を覆う緑、夏祭りの夜の紺…今の時候、夏の夜にちょうど良い映画だった。
九州、特に長崎、福岡を旅したくなる。
そうめんを食べるシーンがあって、なんだかそれがすごくおいしそうに見えた。見終わった後、ダーリンもそうめん食べたくなったと言うので、深夜にそうめん。固めに茹でてしっかり冷やす。ダーリン作キュウリの浅漬けと共に。
それもなんだか妙においしかった。


2009/8/8

2009年08月08日 | Weblog
10時半起床。二階の部屋は屋根が熱せられてかなり室温が上がっている。
下に降りて水を一杯飲む。
冷やしておいた無花果をかじる。
最近果物売り場に並びはじめた今年はじめての無花果。大きいのが4つ入りで280円をやおたみで発見。相場は398円なのでお買得。
よく熟れていたので青臭さは少なく糖度が高く、口に含んだ瞬間噛む前に形がなくなる。

小梅は暑さでだれている。毛を刈ってあげたい。

午後から大阪、森ノ宮で仕事なので12時過ぎに家を出て自転車で出町柳へ。外に出るとこれぞ8月という日射し。青田が栄える。
軒先でタライとプラスチックの漬物樽に水をはって浸かる兄妹。

出町柳に着き駐輪場に自転車を入れる。土曜定休の柳月堂は大掃除なのかパンを入れる箱や小麦粉の袋など店先に全部並べて何かしている。

京阪に乗る。新しいシートの座り心地はいいし冷房もちょうどよく快適。

京橋で乗り換えて、環状線に乗り換えて森ノ宮の駅からアトリエまでは歩いて10分程。炎天下、日傘の下に身を隠す。

3時間固定立ちポーズ。
右足のかかと部分に5~6センチの本置いてそれを踏んでいるので体が右上がりに傾いた状態になる。どうしても左足に体重がかかり、普通に立つより疲労するがこのポーズは9月末まで続く。

帰りの電車には浴衣の女の子。淀川の花火大会らしい。10日の宇治川の花火大会には行きたい。

7時前に帰宅。
晩ご飯は、昨日作っておいた角煮。塊の肉が食べたかった。

2009年08月06日 | Weblog
昨夜、阪本順治監督の『顔』(平成12年)を観た。
藤山直美演じる40過ぎのクリーニング屋の娘は引きこもりがちでひたすらミシンを踏んだりかけつぎをしたりして過ごす。
ある日働き者だった母親が突然死んでしまう。それをきっかけにもともと仲の悪かったホステスの妹(牧瀬里穂)と決裂、衝動的に妹の首を毛糸で締めて殺してしまう。
そこからは行き当たりばったでり助けられたり犯されたり、名前を変えながらの逃亡生活。
様々な人々と出会うなかで、無気力無頓着がへばりついたようだった顔に表情があらわれる。
他者との交通のないところに表情というものは必要ない。他者の存在によって相対するものとなる顔は、嘘も誠もひっくるめて照射される場として機能しはじめ、整備されていく。しかしどうなろうと彼女の顔は指名手配犯の顔である。彼女が外の世界へ飛び出すきっかけになったのは殺人であり、人々との出会いは逃亡のなかでのことだった。しかし人々を欺きながらも誰かに必要とされるまでに彼女は他者の中に身を投げ込んで変わっていく。その変容にはすがすがしいものがあった。

顔。
私はどんな顔をしているのかと今日の仕事中考えていた。
描かれているとき意識としてはどういう表情をしているかというと、視線は描き手とかち合い過ぎないところへ、遠くを見るように投げている。口元は少し口角をあげている時もあるが、大体唇をゆるめて閉じるか閉じきらないかくらいの馬鹿に見えないよう配慮したぼーっとした顔をしている。
例えばひとりで電車に乗ってじっとしているときはまた違った顔をしていると思う。自分でなんとなく設定した雰囲気によるものだが描かれる時は「描かれる顔」をしているのだった。
化粧はそれなりにきちんとしている。
着衣の時は着るものによって目の印象や眉の太さを変える、裸婦の時は赤いグロスを使ったり、また色をささなかったり。
モデルの仕事を本当に仕事としてやっていると意識された頃に描かれる顔としての一般的配慮をするようになったが、学生の頃は化粧に妙な拘りがあった。
何か欠落したような顔に惹かれて眉を無くしてみたり、まつげを全部抜いてみたこともあった。しかしその真意はどういう顔をしていたらいいのかよくわからず、どこかしら濁した不可解なものでいるのが居心地よかったからかも知れない。
若さを楽しむ事が下手だったしそこにあまり価値を見いだせなかった。まつげに美容液を塗るような若い女たちの女への甲斐甲斐しさと反対方向に走ってどこかに行ってやろうと躍起になったていた頃。
ようやく自分が女であることがそれなりに肌に馴染んできたと思う。
それはいろいろ拘りが多かった頃よりも様々な顔を同居させる余地があり、悪くないものだと思う。








2009/8/2

2009年08月02日 | Weblog
朝9時過ぎ、母と妹が車で迎えにきた。
母方の祖父母といとこと墓参りで墓地のある岩倉へ。それぞれ車で現地集合。
墓は山の斜面にあり、下から見るとお参りの人々が点々と配したように立っている。
墓地の駐車場は墓がせまってきて年々狭くなっている。駐車場は砂利なのだが、昔からその一面にワカメのようなものが生えている。海はもちろん池や川も近くにないのだが晴れていても湿っている。何なんだろう。
一番に着いたので先に墓掃除などはじめる。
墓は斜面の中腹よりやや上にあり、たどり着くまでに私や妹でも息があがる。
少しヒールのあるサンダルを履いてきた妹は靴の選択を間違ったとバケツをさげて登る途中で悔いていた。
しばらくして祖父母といとこも登ってきた。
いとこに会うのは8年ぶり。妹と同い年の男の子と専門学校生の女の子だが、女の子の方はインフルエンザで休校になった期間の補講で来れないらしい。

バームクーヘン、プチトマト、小さい茄子、団扇の形をしたお菓子を供える。
墓石が4つあり、先祖代々の墓と、幼い頃に亡くなった数人の子供の法名が彫ってある碑。昔、田舎では子供がちょっとした病気などで亡くなることが多かったらしい。沖縄で戦死した祖父の兄の墓。もうひとつはかなり古くて何が書いてあるか不明。
住職にお経をあげてもらう。袈裟は暑そうなので団扇で扇ぐ。
小さい頃はこのお経がひたすら長いものに感じたが実は10分足らずだった。

並べたばかりのお供えをゴミ袋に回収し、一族列になり斜面を順々に降りていく。

それからまた車に乗り洛西の祖父母の家方面へ向かう。途中で北山のケーキ屋に寄り、8月誕生日の祖母のバースデーケーキを受け取る。
サンマルクで昼食。
スープ、サラダ、前菜、メイン、アイスクリーム、コーヒー付きで焼きたてパン食べ放題1300円。メインは肉と魚の数種類から選べる。日曜なので家族連れで混み合っている。食事中、ウェイトレスが焼きたてのパンを持っていかがですかと何度も回ってくる。それが毎回違う種類なのでうっかり取ってしまいお腹がいっぱいになる。

祖父母の家で祖母の誕生祝い。桃と紅茶のケーキは暑さでクリームがだれて切りにくい。大破したのは私と妹が食べた。
久しぶりにいとこと話す。
今は舞鶴に住んでいるが、大学は京都市内で、北山あたりで下宿していたのにその間一度も合わなかった。
学生の時は探険部にいたそうで、山や無人島に行ったり、青春18切符を買ってサイコロを振り目的地へ向かうリアル桃鉄をやったり、ご当地ソフトクリームを1日でいくつ食べられるかを競ったりしていたらしい。今は司法書士の試験の結果待ち。立派になっていた。

夕方、今日は私も母たちと一緒に実家に帰ることにする。

8時頃、末の妹が大阪の下宿先から帰ってきた。教育実習の説明会が明日京都であるそう。
サッカー部なので冬でも日焼けして黒いが輪をかけてこんがりしていた。腕の内側は匍匐前進のトレーニングで擦り剥け、太ももは私のウエストと同じくらいある。
そんな女子大生感ゼロの彼女に気があるらしい男の子がいるそうで、まだ微妙な距離感を保ちつつ一緒に祇園祭に行ったりしているという。体育会系の逞しい男子かと思っていたら、運動部ではなくスポーツマネージメント専攻のタイトな男前だった。
真ん中の妹はカフェやスイーツに詳しい草食系の恋人未満がいるそうで、いつか正月にでも各々の相方を連れて一同に会し大富豪をしたいと思った。

2009/8/1

2009年08月01日 | Weblog
昨夜、野村芳太郎監督の『鬼畜』(昭和53年)を観た。
下町の小さな印刷屋を営む夫婦(緒形拳、岩下志麻)は工場のほとんど火事で焼いてしまった上、大手印刷工場に仕事を取られ経営は芳しくない。そんな折、夫の愛人が三人の子供を連れて突然やってくる。7年間支払い続けていた愛人と子供への生活費も滞っていたのだ。愛人はこのままでは暮らしていけない、あなたの子だから引き取ってくれと訴える。
7年間愛人と子供の存在を知らなかった本妻は当然憤慨するが、愛人は子供を置いて蒸発。
残された7才の男の子、3才の女の子、1才の男の子。
この夫婦に子供はなかったが本妻は面倒を見る気など更々なく、それどころか子供たちの存在は、ぎりぎりの生活と愛人への苛立ちの矛先の向かうところとなる。
一才の男の子が言葉にならない声で何かぶつぶついいながら、ちゃぶ台のところで味噌汁や醤油を炊飯器の中に注いでその辺を米粒だらけにしながらかき回して遊んでいる。それを目にした本妻は子供をひっ捕まえ、米を泣きわめく子供の口に詰め込む。
魔法を使えないこの映画の子供たちはとりあえずケンケンパなどして日々を過ごす。
ある日末の男の子は栄養不良で死ぬ。
それをきっかけに夫婦の間で、厄介者は始末しようということになる。
まだ住所も親の名前も言えない次女は東京タワーで望遠鏡を覗かせている間に置き去りに、物心のついた長男には、パンに青酸カリを入れて食べさせようとしたり断崖から突き落とそうとするがうまくいかない。
最終的に寝ている長男を夫が崖から投げ捨てるが、崖の松の枝に引っ掛かって一命を取り留め後日保護される。
長男は警察で父の名前も住所も黙秘するが持ち物から身元がわかってしまう。
自分を殺そうとした父親、それでもかばう子供。という親子の絆。

子役の三人の質素な生活の染み付いたような雰囲気がいい。女の子は煤けた人形のような顔をしている。長男は意識的だが妙な無防備さでカタカタ手足を動かす。

デヴィッド・リンチの『イレイザーヘッド』に精子のような形の気味悪い子供が出てくるのだが、ふとそれを思い出した。その子供が鳴き声をあげたりすると虫酸がはしるというくらい私には嫌悪感を感じるもので、しかしそれを見たくなり、この映画を高校性の頃から何度か見ている。
『鬼畜』に出てくる子供たちに似た様な嫌悪感を感じたのはなぜだろうとずっと考えている。