figromage

流出雑記 

8月31日

2008年08月31日 | Weblog
晴天、夏が戻ってきたような暑さ。

大阪で下宿している体大生の妹が遊びに来た。
昼に出町柳で待ち合わせて、つけ麺屋に連れていく。
事ある毎に人にススメている百万遍の「ろおじ」。

今日は、祖父母と同居していた、今は父がひとりで暮らす実家に住む前の家、社宅の辺りに行ってみようということになった。
新婚の父と母が暮らし、私が生まれ、妹二人も生まれ、私が7歳になるまで住んでいたマンションで今日一緒に来た末の妹は2歳くらいで引っ越したからそこで生活した記憶がほとんどない。
だったら一度行ってみようと話して決めた。

紫竹へバスで移動。
最寄り駅で降りてしばらく話しながら歩く。社宅の前まで来ても妹はそのまましゃべり続けて通り過ぎたので、ほんとに覚えてないんだなぁと思う。
私も久しぶりに訪れた。

3階建ての中に6室、それが4棟くらい建っている。
白い壁はひび割れ黒ずんで建物自体の老朽化と少子化もあるのか空き室が目立ち、閑散としている。
私が居た頃はほとんど満室で同じ年頃の子供がたくさんいたので敷地内にある砂場で毎日のように遊んだが今はそういう雰囲気はなく、砂場は中途半端な花壇と化していた。
子供の私にとっては広いと感じられた通路もピロティも今は二分の一縮小版に感じられる。

私たちが住んでいた部屋には別の家族が暮らしていた。
当時と変わらない二階の左側、黄色いドア。
前まで行くとドアの隙間から若い家族の生活のにおいがした。

しばらく歩いて通った幼稚園とその横の神社に参る。
さらにそこから15分ほど歩くと実家に着く。

3時頃。父は不在。
仏壇の祖父母に手を合わせ、しばらく休憩。横になると歩き疲れていたのかふたりで眠った。

玄関の開く音がしてびくっと目覚めると1時間ほど経っていた。
父帰宅。
打ちっぱなしに行っていた。

晩ご飯を皆で食べようということになる。
父はカレーが好きなのでカレーにしようと思ったが昼にドライカレーを食べたらしい。
じゃあ何にするかと3人で考えていたら父が「すき焼きしよか」と言った。

「ええ肉買って来て」と一万円の軍資金を得て、妹と近所のスーパーに買い物に行く。
ねぎ、玉ねぎ、えのき、しらたき、焼き豆腐、高いけど春菊、麩、卵、肉屋で100グラム700円の黒毛和牛、香水梨、グレープフルーツ、野菜ジュース。

父は夜勤で7時半に家を出る。晩ご飯のあと少し仮眠してから出勤するので、ご飯の時間は早めの5時過ぎ。
米も炊いて、下ごしらえをする。

すき焼きはええ肉のおかげでかなりおいしかった。
「久しぶりに「ごはん」食べたー」と父。
うれしそう。無邪気だ。

ふだんコンビニ弁当か外食だろうから。
父と母別居5年目。父は45歳で生まれて初めての一人暮らし5年目。

馬鹿だがどうも憎めない父。

  
食後一時間ほど寝て、父は会社へ行った。
片付けものを済ませ妹と我が家に帰る。
今夜は我が家に泊まる。

二人でパピコを食べながら夜の帰り道を歩く。
友達でもない恋人でもない兄弟というのがいてよかったなあと思い、歩く。
そういう心境に半分こしたパピコはなんかよく合っておいしい。


8月30日

2008年08月30日 | Weblog
5時就寝、10時起床。

この頃毎日曇り。

小麦などの値上げから食料自給率のことがニュースでよくとり上げられるようになり、特に危惧してと言う訳でもないけれどなんとなく我が家は米飯の献立が増え、食パンをほとんど買わなくなった。
白いご飯がしみじみおいしい。

朝兼昼  ごはん 油揚げと小松菜炒め キャベツとミョウガの甘酢 餃子入りかき玉汁 

午後からダーリンの仕事の打ち合わせで、同じ大学の一つ上の演出家と制作の方が来る。
シュークリームをお土産にいただいた。
コーヒーをだして私は二階で「土」がテーマの香水の続きを作る。
嗅ぎながらベッドで横になったらそのまま寝てしまった。断片的な夢を2つくらい見た。
4時頃ふたり帰られる。
私は6時から仕事。
雨は止んでいるので自転車で向かう。
サザンしか入っていないiPod。この夏ひたすらサザンを聴いた。 

文化芸術会館のクロッキー会
このクロッキー会はもう40年近く続いている集まりで、指導は入らず来た人は好きな画材で好きに描ける。
毎土曜に昼の部と夜の部2回あって、違うモデルが来る。

この会の代表をされている男性はもともと絵を描かれていたそうだが、毎週必ず来られるのにどういう訳か今は一切絵筆を取らない。
もう5年間、この会でモデルをしているが絵を描いているところを見たことがない。
それどころかポーズがはじまると煙草を吸いに部屋を出て、タイマーがなる頃に戻ってくる。
もしかして私が気に入らないのだろうかと心配になった時期もあったが、長く描きに来られている方に聞いたところどのモデルのときも同じだそうだ。
それでも会館の部屋を取り、会計、モデルの依頼など利益にはならない仕事にも関わらず一手に引き受けてもう数十年、代表をなさっている。
誰にでも愛想のいいタイプでなく、あまり表情も変わらないし言葉の感じも不器用だが、おじさん達でプロ野球の特に中日ドラゴンズの話題になるとテンションが一気に上がるところがおもしろく、私は好感を持っている。

3時間 20分~5分までいろんな長さのポーズ
9時前に仕事を終えサザンを歌いながら夜道を自転車で走る。ちょっと肌寒い。

帰宅し残り物で夕食。温め直したり、盛りつけたりダーリンが世話してくれる。

2日前、付き合って3周年だったと告げられた。

そうかあ…。







8月29日

2008年08月29日 | Weblog
4時就寝、9時起床。
昨夜、まだ出来ていない「土」がテーマの香水の続きをやっていた。
香りはじめはいいのに時間がたつと妙に弱々しくなる。


米を炊く。
身支度をしゴミを出す。
午後から奈良で仕事。

11時家を出る。
駅のコンビニでヤマザキのランチパックのシリーズにココナッツミルクを見つけてしまう。絶対いまいちだと思うのに買ってしまう。
やっぱり、な結果。

JR奈良駅。
仕事が始まるより早く着いたら知らない町を探索するという楽しみもあるのだが、この奈良駅周辺はどうも無味乾燥な印象。

仕事は2時間 4ポーズ固定
座りで足を右に流した横座り。床についた左手に結構重心がかかるが、腹筋で体重を胴体に引寄せることによってこの負担を軽減。
何気なく座っているようだが太ももの裏の筋肉が嫌な感じにしびれる。

休憩中に昨日大学の図書館で借りた本を読んでいて、椅子に置いたままトイレに行って戻るとおじさんのひとりが本を手にとっていた。
京都造形大の図書館シールを見て、孫が造形大の日本画だと言った。

難しい本読んでるなと言われた小林昌廣先生(講義を受けたことがあるのでこの呼び方)の「病い論の現在形」。

「私の死への接近」というところを読んでいた。

「死」は経験不可能であり、私にあるのは死の意識であり死自体ではない。
知人などの死を通して人が死ぬという状況を知っているだけで、私に対して絶対的な力を持っているはずなのに、その姿形はない。
目に見えない力  というと超常現象のようだがそういう感じでもない。

病気もせず生命維持に危機的な状況からも免れて暮らしている私にとって「死」は日々自覚されるものではない。
何かのきっかけでふと思うくらい。

5年前、自宅で祖母が亡くなった時、死ぬことは体が時間を含まなくなることだと思った。
時間はそこにある祖母の体を避けて流れているようだった。
 

今日ハンバーグを初めて作った。
褒めるところもけなすところも無いものが出来上がった。


8月28日

2008年08月28日 | Weblog
昨夜、宇治の家にて5時就寝、9時半起床。

曇りで湿度が高く蒸し暑い。

昨夜妹と3時頃までしゃべってしまったが、妹は6時にちゃんと起きて仕事に出ていた。
母は私が来たため昼からの勤務に変えてくれて、一緒に朝ご飯を食べる。

食べながら、介護福祉士の母の話し。
5年ほど前に92歳で独居のおばあさん家にヘルパーの仕事に入っていた。
おばあさんは独身で両親の残したお屋敷に住み、その横の土地にアパートを建てそれを貸すことで生計を立てていた。
四畳半風呂トイレ共同の学生アパートで、昭和の頃10室ほどの部屋は満室だった。携帯はおろか個人の電話がない時代、電話を取り次いだりする中で学生達との会話もあっただろう。
しかし時代が変わり部屋を借りる人も減りやがて誰も住まなくなった。
おばあさんには親戚があったが、皆地方に散らばっており、週に一度やってくるヘルパー以外に訪ねてくる人もほとんどない。

高齢ではあったが痴呆にはならず、足腰はしゃんとして動ける方だったので家はいつも掃除するところがないほど綺麗だったそうだ。
使われなくなったアパートの方も時々掃除して窓を開け風を通した。

おばあさんの家の中には生活に必要最低限のものしかない。
おばあさんは常に死に支度をしていた。
自分が死ぬと誰かが遺した荷物を片付けなければならない。
その時いろんなものがごたごたと出てくるのが嫌だと言って、押し入れの中もほとんど空。
たくさんあった着物も死装束にしたいものと2着ほどを残しておばあさんはすべての着物に鋏を入れて捨てたそうだ。売られたり、誰かに袖を通されることのないように。
肌着の古びたものを残すのは情けないと特に気を配り、白いかわいいレースのシミーズなどが整然と箪笥にしまわれていたそうだ。
美しくて悲しい 背筋がキーンとして涙が出た。
5年前に92歳、母が担当ヘルパーではなくなり別の事業所に移ってからのことはわからないそうだ。

昼前、母の出勤に合わせて一緒に家を出た。

京阪で出町柳に戻り、小雨の中自転車で帰る。
大学の図書館に寄り、本を借りた。
仕事の打ち合わせで大学に来ていたダーリンと落ち合い、そうげんカフェでアボカドサンドを食べる。

その後私は家に戻る。ダーリンはまた用事だったがそれを終えると夕方ケーキを携え帰宅。
何のお祝いかと聞くと、「人生の中でケーキを食べた回数を数えると我々は決して多くないと思う」
と言った。

ケーキを食べながら舞台の話しをした。

現実とかフィクションとかなんやかんや言ってたらもどかしくなってきてどうして舞台やるのにこんなに理由がいるのかと二人とも思った。

 


8月27日

2008年08月27日 | Weblog
昨夜4時前就寝、10時起床。

溜まったタオルを洗濯。
そろそろフェイスタオルを買い替えたい。
今はお互いの一人暮らし時代からのタオルを持ち寄ったので色柄、長さがばらばら。今度は揃えたいと思う。

朝ご飯にだし巻きを作る。卵液を一度ざるで漉すとなめらかに焼ける。
この一手間によって卵焼きに関しては私より出来る自信を持っているダーリンを超越する。

お世話になった方へお礼の品を見に、午後から街へ出る予定だった。
身支度をしていると事務所から突然連絡が入り夕方からの仕事の代打を頼まれる。
引き受けた。

伏見の方で宇治の家に近いので今日は仕事が終わったらそっちに帰ることにする。

家で仕事をしているダーリンの晩ご飯を用意しておくため、一旦家を出てスーパーで惣菜とヒレカツ、卵、納豆、ミョウガなどを買って戻る。

四時頃再度出発。
出町柳から京阪で向かうが、まだ時間に余裕があったので今日行く予定だった堺町御池の和久傳まで自転車を走らせる。

「つゆ生姜」というとても上品な生姜シロップ、それと胡桃のお茶請けで、体を温める食べ物を詰め合わせてもらう。
送り状を書いて手紙を預けて出る。

出町柳に戻る途中ゼスト御池のパン屋でモルトくるみパンを買って食べながら自転車。
冷めていたが、焼きたて!と書いてあった。

出町柳から伏見桃山まで20分。
降りると商店街。
少し時間があり、マクドとミスドとドトールが近くに見える。ドトールでヘーゼルナッツラテを頼み、すぐに飲み干す。

仕事場は駅近くの画塾。ここには何度か来ている。
前に来たとき、連絡の行き違いでその日私は仕事ではないと思っていたのに、当日開始時刻に「今どこですか?」という電話が掛かってきて血相変えて飛んでいった。
古い建物で、天井の太い梁が格好良い。
2時間半 5ポーズ クロッキー
途中、休憩時間にお茶が出る。
描きに来ている男性がクーラーバッグから小さなカップに入った手作りのレアチーズを取り出し振る舞った。うまし。

5ポーズすべて終え宇治に帰宅。
まだ誰も帰っていない。
冷蔵庫の残り物をつまみ食いしていると母帰宅。バレーボールに行っていたのでユニフォーム姿だった。

私の、人生最大に怒られた話を聞いてもらう。

妹も帰ってきた。妹もまたバレーボールに行っていたのでスカートの下はユニフォーム。

3人で話す。
将来的に今父がひとりで住んでいる家はどうなるのかという話題。
祖父母の代からの大量の荷物を片付けたり相続のことをいろいろするのは大変そうだが、そんな日がいつかくるのだろう。

押し入れに眠ったままのジェニーちゃんや踵まであった髪をおかっぱに切ってしまったティモテ、ぬいぐるみは今どんなふうなのか。
それはあんまり考えたくないことだと思った。

8月26日

2008年08月26日 | Weblog
先週末私は今までの人生最大の怒られるという経験をした。
あまり詳しくは書けないが、私が言ったことが発端でよもやそんな事態になると思っていなかったような事態を招き、居合わせた人々に迷惑をかけ、怒らせた人に労力を使わせたりしたのだった。

最終的には許されたのだが。

ビョークの「ヴォルダ」をやっと聴いた。
1曲目聴きながら踊りたくなって踊る。


8月23日

2008年08月22日 | Weblog
9時起床

洗濯。
小梅はいつもよりお腹が空いているらしい。足元に擦り寄って「ご飯くれ」の声で鳴く。
小梅の食器は群青色で縁取られた白いホーローのボウル。
器を洗っている間もシンクに手を掛けて待っている。
食べると2階に上がってまた寝る。

私は水を飲み、ミロを飲む。ホット。
朝ごはん、茎わかめの佃煮でお茶漬け。

午後から奈良で仕事。
11時前に家を出る。
空気に少しずつ秋が混ざってきていると自転車で風をきる肌触りで感じる。

JRで奈良へ。
天理や橿原神宮には行ったことがあるが、奈良駅に降りるのは初めてだった。大きな駅だが工事中。
観光地らしい所かと思っていた。しかし駅周辺には何もない。

駅からしばらく歩いた所にある生涯学習センターが会場。
まだ新しい建物で、トイレがホテル並みにきれい。洗面所も鏡もピカピカだった。

4ポーズクロッキー
2時間の仕事。
来週から毎金曜、あと3回来ることになっている。残りは固定ポーズ。

ちょっと苦手なおばさんがひとりいた。
お盆休みに40万のツアー旅行でベルギーに行ったと皆にお土産の菓子を振る舞った。

終わったらお腹が空いてい赤飯のおにぎりを買う。
帰りに京都駅の地下街にある輸入食品店に寄ったら、さっき食べたベルギーの菓子がおいてあった。460円。

明日から香水の学校の一泊研修がある。20人くらいで寝泊まりする。
詳しくは帰ってから書く。

明日は4時半起き。

8月21日

2008年08月21日 | Weblog
9時前起床。

昨夜見た夢。
大学の授業発表公演のような舞台の本番。
ほとんど練習していないバレエを踊らなければならない。5分くらいの曲の間あらゆる手段を尽くして私の思うバレエっぽいことをやったが結局バレエでも何でもなくなった。
以上。


午後から大阪、吹田で仕事。
10時50分家を出る。

地下鉄からJRに乗り換え、電車を待っていると斜め前に顔と首筋の色がはっきり違うドーラン化粧の背の高い人が並んでいた。
アイメイクも相当な濃さ。作務衣を着ている。
何かの役者かも知れない。男かも知れない。
白粉の粉っぽい甘いにおいがした。

余裕をもって吹田駅に着く。

市営の会館の部屋を借りての絵画教室。
建物の中には温水プールがあり、ガラス張りになっているので泳ぐ人たちが見える。
温水プールのぬるい湿気に酔うので私は苦手。

クロッキー、3種類のポーズを2回づつの6ポーズ。
立ちポーズ、椅子ポーズ、立ちポーズ。
描き手はほぼ初心者のおばさま方。
お盆に帰省していた孫の話しをしている。
孫は懸命に作った料理を食べずソーセージなんかを食べたいという、嫁も何もしない。

私は今でこそ好き嫌いは殆ど無いが、小さい頃野菜と魚介の大半は食べられなかった。

名古屋の親戚の家に行ったとき、祖母の妹にあたるおばさんはムール貝やらエビやら沢山乗った豪華なパエリアなど小学生の私が見たこともない料理を作って迎えてくれたのだが、それを目の前にして私は
「食べられるものがない」
と言ってしまった。
おばさんは「ないか~」と言って無神経な子供の一言を流してくれたようだが、その時横にいた母におばさんが去ってから静かな声できつく怒られた。

私もすごく失礼なことを言ってしまったと即座に反省し恥ずかしくて早く帰りたくて仕方がなかった。
今でも思い出すと申し訳ない気持ちになる。


ポーズが終わり、パンとコーヒーをいただく。
近所のパン屋で調達された人数分のパンの中から好きなのを選んでと言われ、明太子パンに惹かれたが一番大きいので遠慮し小さい枝豆あんばんにした。

その後無性に塩味と辛いものがほしくなる。
早く家に帰って明太子でご飯を食べたい。

ダーリンにご飯炊いてメールを送った。

夕方、半袖だと肌寒く感じる。
買い物して帰宅。
揚げたてだったコロッケをフライングして食べた。
夕飯は帰って15分くらいで完成。
念願の明太子ご飯、豚肉と玉ねぎニンニク炒め、アボカド・トマトわさび醤油和え、豆腐とキムチのチゲ風スープ、

夜はあったかいものを飲みたくなり紅茶を入れる。
ピアスをひとつ作った。 

内容がばらばらでタイトルがつけにくい日は日付にしようと思う

2008年08月20日 | Weblog
昨夜見た夢。
パン屋でサンドイッチを買った。変わったものがいろいろはさまったミックスサンド、パック入り。
私はまだ実家に住んでいる。
河原町丸太町の交差点からバスに乗って帰る。
帰宅すると母がめずらしくクッキーを焼くと言う。
サンドイッチを妹が食べている。勝手に食べはじめたことに私は少し腹をたてながら一緒に食べている。

以上。

クッキーが出てきたのは寝る前に読んだ「富士日記」のせいだと思う。
いつもよりバターと卵をたくさん使って柔らかいクッキーを作ろうとしたが失敗で不味かった。でも飼い犬は大喜びで食べた。 という話。
武田百合子はよくクッキーを作る。

私の小さい頃、母がクッキーを作ることはごく稀だった。
お菓子作りに凝る方ではなかったし、祖父母と同居だったので余裕もなかったと思う。
冷凍パイシートを使ったアップルパイ、スイートポテト、ぜんざい、ホットケーキミックスで作るドーナツ、クレープ、フルーツポンチが母の手作りおやつの記憶。

クッキーは型を抜いて作るのでなく、棒状にして冷蔵庫で冷やし固め包丁で切って焼くアイスボックスクッキーだった。
冷蔵庫の中でラップに包まれた20センチ程の棒状の生地を冷やす時間、待ってられず冷蔵庫を何度も開けて怒られた。
焼くといつもどこか焦げていたが、オーブンの癖だと母は言っていた。


今日は10時起床。
いつも1時頃まで寝ているダーリンがちゃんと起きた。
最近彼は規則正しい生活に憧れを抱いている。

布団の敷きマットと枕カバーを洗濯する。

午後は「土」がテーマの香水のウッディーノートを調香。
鼻が疲れると微妙な部分が嗅げなくなるので合間に本を読む。

「物乞う仏陀」という本。発展途上のアジアの国を巡り、特に障害を持つ物乞いを取材した旅行記。
貧困と人権教育の行き届かないところで障害者はどのように生きているのか。
道ばたで物を売る、歌う、地雷で足を飛ばされた兵士、ハンセン病患者、痛々しい体を晒して憐れみを乞う。
先天的に重度の知的障害をもつ子供などはまともに世話をしてもらえず庭先に転がされて汚物まみれになっている。

ベトナム戦争後に枯れ葉剤の影響で奇形児がたくさん生まれたというのは聞いたことがあるが、ベトナムで産婆をしていた女性は真っ黒で手足がなく四角い形に小さい頭と性器だけがついた嬰児をとり上げたことがあるという。

現地に赴かなければ本当に知ることのできない、私の日々と平行してある様々な現実。
私は旅に出ようとしない。許容範囲をこえるであろう現実と対面する決意と度胸と欲望が見当たらない。
誰かを通して文字や映像の形にまとめられ、私の受け取れるサイズになったものは手に取る。
想像する。でも想像など到底及ばない。及ばない分恐怖という塊が引っかかり、忘れない。
何も出来ないが忘れないでいる。

小学校の社会の授業で立命館大学の平和ミュージアムに行った時、爆弾で吹き飛ばされて上半身だけになったぼろ袋のようなベトナム兵を片手で持ち上げているアメリカ兵の写真が展示されていて、その前で吐いた女の子がいたのを思い出す。


夕方雨が降る。
夕飯の買い物に行けなかったら店屋物をとろうかと話しているうちに雨が上がり、何となく外で食べようという流れになる。

ふたりではまっているつけ麺屋に行く。

気温がずいぶん下がって自転車で風を切るとちょっと寒い。

帰りにドイツの黒ビールを買って帰る。
女子ソフトボールがオーストラリアと接戦のち勝利。
見届けてビールを飲んだら血行が良くなってまた全身痒い。

痒い。






最近夜になると全身が痒くなるのだが何故だろうか

2008年08月19日 | Weblog
10時起床。
夢を見た。
1、私は学生の頃住んでいたような木造の安いアパートにいて、二件隣の空部屋に断りなく母を匿っていたがそれがバレて焦る夢。
2、長い尾を引いた彗星が地球にやってきた。空は赤紫色になり、彗星は地上に近付くにつれ分解し、ボーリング玉のような火の玉が次々落ちて爆発。
どうやら世界の終わりが近い。ハリウッド映画のよう。
私は海の上、直径50メートルくらいの何もない島に外人に混ざって伏せていた。


今日は夜、なんとなく喫茶店で喋りたい気分になった。
ふたりで遅くまで空いているアナベルリーに行った。2時間ほどいろいろ話す。
毎日一緒にいてもこんなに話すことはあるのだなあと思う。
2時頃帰宅。
今日もまた夜更かし。

痒い