figromage

流出雑記 

2015/11/27

2015年11月27日 | Weblog

『リアクション』福井公演を終え、京都に戻ってつかの間東京、今朝京都に戻ってきた。

福井で、地方都市で初演をすることの意味について考えた。私は生まれも育ちも京都で今も京都に住んでいる。京都も一地方都市ではあるけれど、舞台作品や現代美術の展示を見る機会や場所には恵まれた環境にはある。そのため観客となる人たちも見ることに忍耐のいるものを見慣れていたり、舞台活動に携わっている人だったり、比較的演劇、ダンスを見慣れた目、そして見知った人が多い。そこで上演されるものは、良くも悪くもそういう目が並ぶ観客席を想定している感があるということを、今回福井で初演をするまではっきりと自覚したことがなかった。福井にも小劇場や劇団はあるけれど、多種多様な表現のトライアルに触れる機会というのはやはり少ない状況にある。そこで上演されるものが、何かものを見たときに起こる、いつもと少し違う感覚やそこから考えうる個人的な動きに届かない「こういう表現のことよく知らないから、わからなかった」時間にしないための、作品を手渡す手つきが必要になってくる。わかりやすく説明するということではなくて、どのような構造で作品の謎や不可解さを支え、そのまま明快に提供するかという問題だと思う。そこを必ず踏襲することがそのまま創作の導線になるのだから、日々稽古場に籠っているうちに見失いがちな視線を常に保ちながら、引きの視線が構造を鍛える一要因になっているのだなと、作品の輪郭があらわれて来たときに思った。

でそういう部分を作って行くのは演出/構成の仕事で、出演者は上演時間のなかでその作品に必要な生きる状態を探る。そういう作業をしているときに、引きこもりがちなものを一緒に連れて出る気持ちになことがある。引きこもりがちなものは、何かしらの方法を介さない限りそのままでは社会的には浮かばれない生涯未発達部位のようなもので、効率の良い作業をしようとすると完全に邪魔になるし、特に何かをできる訳ではない。うまくやれもしないのに表現にとっての必須要素で、例えば引きこもりがちなものは個人的な作業、描いたり、書いたりするときの状態に必ず重なって出てきて私を動かす。他人がいるところで引きこもりがちなものが振舞って何か良い方向に作用するのは踊るときくらいで、一般的な社交の場で引きこもりがちなものが台頭すると大概ろくでもないことになる。ある程度歳をとってそのことがわかってくると対処法も身についた。 引きこもりがちなものは引きこもる性分でありながら、自分がいるということは暗に主張してくる。むしろ狙いはそこかも知れない。引きこもることで何よりその存在を意識させるやり方で、私に姿を隠しつつ、人前にさらされようとする。舞台を辞められない理由は引きこもりがちなもののせいだということはほぼ確信している。それはひたすら我欲で社会のことも他人のことも考えていない。そういうものが関わる余地がない。そのかわり変わることがない。矛盾のなかの捻れから生まれる躍動を担っている前表現状態。それでこの引きこもりがちなものを対象化しない限り私の目的はいつまでも私になってしまうので、そこからの反発は表現活動に携わるときの動力として利用しなければならない。引きこもりがちなもの自体はずっと謎のままでよく、これは私の前にすでにあったものとしか思えないそういう性質のもので、尚かつ多かれ少なかれ意識的、無意識的に関わらず誰もが持っている要素であるとも思う。そこにはもしかしたら一縷の希望がある。理解ではなくて、どうしようもなさの共鳴みたいなものとして。


2015/11/17

2015年11月18日 | Weblog

マリー・シュイナールの『bODY-rEMIX』という作品の映像を見た直後なのだけれど、節操なさに私は本質的な良さというものを感じられなかった。トゥシューズ、医療器具、宙吊り、体に装着するものの手を替え品を替え、それによって体を極端にメタモルフォーゼさせていく。それはどれも一見して形状や動きが奇異で突飛で際どく、誰が見ても面白い。次々提供されるものを寿司に例えるとずっと中トロか大トロを食わされているくらいの感じがある。
ほぼ裸体のダンサーたちは卓越して筋肉隆々で活力に溢れている。それに加えて体がある極点に、未知に達する絶頂感みたいなものが舞台上から流れてくる。映像で見ていてもそうだった。
中途半端にダンスで医療器具を扱うと良くないことこの上ないだろうけど、では表現の隙間で愚図つく倫理観をすっ飛ばせるほど一分の隙もないような卓越した体が医療器具をモチーフとし、抽象化してやりきれば作品として消化される、のだろうか果たして。不具のイメージをまとうそこからある意味最も遠い、とも言える可動域の広い体の表現に使われる身体補助器具を、動きまわる体と同時に見る。けれどそれら器具の扱いとしては「踊る際に体に装着するもの」トゥシューズと変わらないのだろうこともわかる。理屈ではわかる。
ものと体の関わりにおける必然性はそれを表現のために「使い切る」ことでは生まれないのではないか。あわいに生まれる必然を通過してしまっているように見える。
けれどそういったことを思考するのは別にこの作品の趣旨じゃない。終始何かが嘘くさいけれど、それに有無を言わせない力のある、つまりこれは良質のエンターテイメントだと思った。あれだけの異形が次々あらわれるのに、異形がひとつもない。


2015/11/16

2015年11月16日 | Weblog
なんだか疲れている。勝手に疲れてしまっている。忙しさなどではなくて受け取るものから疲労する。
テロ事件、その報復、それらの情報、SNSのタイムラインに着色される悪意のなさゆえに可能な暴力的振舞いや、正義感のようなもの、正しさの振りかぶったもの、個々のあり方の自由さを促しつつ、それを見えないよう手玉に取っているサービス提供側の意図が垣間見えたり。
平素はグローバルに人々をワンクリックでゆるく結ぶ束縛のない見かけのツールであるし、押し付けのない力加減で例えば何かの告知をできたり、実際必要な情報を得たり、緊急時の安否確認などに役立っている。反面これはコミュニケーション自体を、心を扱う商売であることが露骨に見えても来る。

衝動買いした『数学する身体』という本を読み終えた。著者の森田真生という人はどうやら京都在住で私より若い方で、読後感は一言でいえば清々しかった。
私はといえば数学は、算数の時点で早々に離脱して、二桁の暗算も割り勘の計算も電卓か人まかせなくらい避けて通ってきた。どれくらいわかっていないかというと、二次関数が何のことかもう思い出せない。なんかグラフだった気はする、という有様だから数学する身体のことはきっと皆目わからないと思って本屋でぱらぱらページをめくって開いたところに

第二章 計算する機械
「過去なしに出し抜けに存在する人というものはない。その人とはその人の過去のことである。その過去のエキス化が情緒である。だから情緒の総和がその人である。 岡潔」

とあるのを読んで、数学する身体と題された本のなかに情緒という言葉が含まれるのはどういうことか知りたくなった。
読んでみてわかったのは、自分では閉ざしてしまった数学の世界には、どうやら私が嫌う要因だった計算して正しい答えを求めよ、というものの先にもっと解けないような複雑さのなかに分け入って直観的に出会っていく世界や、心の探究に入っていく道筋があるらしいことを知った。

「頼りなく、あてのない世界の中で生まれて亡びる身体が、正確に、間違いのない推論を重ねて、数学世界を構築していく。」「曖昧で頼りない身体を乗り越える意志のないところに、数学はない。一方で、数学はただ単に身体と対立するものでもない。数学は身体の能力を補完し、延長する営みであり、それゆえ、身体のないところに数学はない。」

もしまだ数学を勉強する環境に身を置いているときにそういう言葉を聞く経験があったなら、数学との関係も変わったかも知れない。嫌い、わからないが先立ってしまった数との出会いは、私とは関係なく感覚をひたすら硬直させるものとしか思えなかった。
数学者の岡潔という人は、数学の中心にあるのは「情緒」だと言い、数の先にそういう柔和な感覚の広がりがあることはいずれにしても私には未知の世界だけれど、数学が身体と相容れないものではないということはわかった。その関係はまるでダンスの起こりのように感じた。
それで興味を持ったのは、数学というアプローチから身体と出会った人がダンスを作るとどうなるのだろうということ。
今から私が数学を学ぶより、踊る身としてはそこから見出されるものを踊ってみること、その体感をトレースすることに興味がある。そんな機会を持つことが出来たらいいなと結構ほんとにやってみたいと思った。

2015/11/14

2015年11月14日 | Weblog

大体週に一度雨が降り、隙間にうまく洗濯をして、一週間後に福井でやる『リアクション』という作品のための稽古の隙間に仕事をしている。

私のことではないんだけれど、予め決まっていたバイトの日程を雇う側の都合で明日は仕事がなくなったと度々休みにされることは、おかしいのではないか。事情があってバイトの雇用形態を選んでいて、自由になる時間を確保しつつ生活する術としてそうしているのであって、雇う側に約束を守る義務は無いのかも知れないが、雇われている方も入りたいときに入れないのでは意味が無い。これは雇われている当人が悪いのではないけれど、実際手を打たなければ生活に響くのだからこのままで良い訳がない。つまり雇われている本人が原因ではない事情でそうなってしまったんだから仕方ないねで収集つかない。言われるがままにしていることも正しくないと感じる。それで困ることが実際起こってくるのだから。

起きたらツイッター、パリの多発テロの情報が流れている。劇場で人質に取られ殺された人もいると流れてくる。100人以上が死んでいる。テレビでその事がろくに報道されていない、日本政府のその事への対応の遅さが避難され、確かにテレビをつけるとNHKの番組の隙間のニュースでツイッターより遅れた内容が伝えられた他は土曜朝のバラエティ番組しかやっていないし、テレビは平穏無事を是が非でも提供しようとする装置に見えてくる。むしろテレビは何が起きても何事もなかったことのようにどうでもいいおしゃべりや賑やかしのなかに不穏な出来事を均してしまい、それを担うことに意地になっているのではないかとも思えてくる。液晶のごとく平らに。もしも私が外国にいて自国での大きなテロや災害があったと知ったときに、そのことを母国語のネット上で受け取れても、その国のメディア、テレビではそれほど伝えられずに、自国と同じ分量で報道されることはないにしても今朝のこのテレビのような状態を目の当たりにしたときに無関心を、温度差を感じずにはいられないだろう。

そんなことを言いながら実際私はパリで起きているテロをどういうふうに受け取っているのかをさっきから自問自答しているけれど、正直な実感として起きていることを思うこと以上にそこに入り込むことができない。知れてしまう状況にある以上は知る、知ろうとする。そしてそれを自分とは関係ないことにはしない、しないでいようとする。実際に自分が受け取れている実感以上の振舞いはしない。そしてそのことについて沈黙するほかないこともひとつの態度として引き受けなければならない。言い換えればあらゆる事柄から無関係には居られないということでもある。ただ出来事を自分の側に引き寄せて、自分を縁取る要素としまうことは浅はかにうつり、どこか正しくないと感じる。その線引きの有無、情報を担おうとするなら相応の覚悟がいる。それを言うことの役割の引き受けを、その必然が起こらない限り、情報を「利用」してはいけないということを特にネット上での自分の振舞いの基礎にしている。それがどういう類いのことであっても。けれど何かが起こる度にそういうことを、それさえ正しいのかどうかを、ものすごく考えさせられる。

今日も予定通りに数時間後、稽古場に行って稽古をする。すべてのことを忘れないで最もすべきことに集中する。それ以上の誠実さが今のところ思い当たらない。


2015/11/11

2015年11月12日 | Weblog

今年読んだもののなかで忘れられない喉に変な感じで引っ掛かる読後感を残す小島信夫の小説。抱擁家族のことごとく自然な振舞いを失って、カタカタ動いているような人々を思わせるのになおかつ異様に人間臭く、どうしようもなさが漂ってくる奇妙さに惹かれる。こんなふうに人を描く方法もあるのかと思った。
抱擁家族に至るまでの短編集を読んでいるけれどそれもおもしろい。すごく些細で物語になるほどでもないけれど実は根深く、おそらく誰でもこの種の微妙で嫌なやりとりをしたことがある、と感じること、などを題材として扱ったり、いちいち言いたくないような心のありようをきっちり手に取られるよう。ざくっと書いてあるようで異様な緻密さがある。あと台詞がおもしろい。
読んでいると、どんなにやっても破綻しないから大丈夫と言われているようで、書く勇気がわく。


2015/11/9

2015年11月10日 | Weblog

文章を書くことには文体とか言葉の選択、言い回しの工夫というよりは、それを書くことによって何が露出しているかとういうところに重点がある。いま表出とか出現ではなく露出という言い方を選んだそれが最適と思える。おそらく書くこととは、書こうとするそのときに意図するものを既に感覚のなかでは漂わせているのだけれど、それをそのままに変換する言葉というものがあるわけではない。書くことは常にその近似値を探し、連ねて意図の輪郭をあらわそうとする行為であるから、書こうとしたものはいつも言葉の輪郭にふちどられ、その形状の隙間から露出する書けなかったものに支えられた形であると考えるべきだと思うからだ。

言葉をそのように捉えて書かれたもの見ると、書かれたものからいろんなものが透けて見える。そしてそっちに実を見てしまう。そう考えると実像は言葉の影になっているもので、言葉自体は書きたいものの虚像なのだろうか。けれどずっとずっと使って来た言葉はもう体に癒着して単なる記号を使っているのではない親密さに達してしまって疑う余地のないもののような顔もしている。それでもやはり言葉は、一生それを言うことの出来ないものを常に含んで機能している。そういうものとして改めて言葉と接するとき、意思伝達記号の咀嚼の先にその甘みを知るようなところがある。こういう色気のあるものだったのかと言葉と出会いなおせる。それには書くのがいい。言葉はその奥にどうしてもそれ自体さらすことの出来ないものをはらんでいて、けれど可能な限りそれに触れようとする手つきだけが残っていくという質のものだから。書くことで痕跡を見ることが出来る。だから言葉を使う創作、書くことは、読み手が編まれた文章の頁をめくり、読むことで痕跡とその余白から、どのように、何をそこから見ることができるかということの案内と塩梅だと思う。

昨日の深夜まで演劇についての本質的な話しを延々、それもとてもおもしろい話しをたくさん聞いた。4時間くらい寝て起きたら数時間人の言葉を聞き倒したのに思考が整然としていて、むしろ自分のやりたいことの道筋が掃き清められていて不思議に思った。


2015/11/7

2015年11月08日 | Weblog

昨夜ETVでやっていた『それはホロコーストのリハーサルだった~障害者虐殺70年目の真実』

第一次世界大戦で敗戦したドイツは巨額の賠償金を抱え、国内では不満が高まるなか世界恐慌で追い打ちがかかり、国民の3分の1が仕事を失う事態に陥る。敗戦から積もり積もった負の気分が国に充満し、ドイツ国民のプライドを取り戻そうとする望み、そのような動力を生む人物が要請されたことによってヒトラーが台頭する流れが今ならはっきり見て取れる。子供の頃に見たテレビ番組で「ヒトラーは自殺と見せかけて実は今も生きている」というのをやっていたのを思い出す。その度怖かったけれど、ヒトラーが今も生きていたからといって同じことが起こるわけじゃないよ、とそういうものを見ては眠れなくなっていた当時の私に教えてあげたい。世界史を知らず時代背景を鑑みる視点がなかった頃は、悪の象徴が復活することはそのまま悪の再生と思えた。それにしてもなぜそんな番組をやっていたのだろう。

ドイツ民族の失った誇りを取り戻そうとする熱狂の加速が、優秀な遺伝子のみを残そうというような極に振れて、純化、優性思想を実現する手段に至ってしまう。当時ドイツ中で上映されたプロパガンダ映画では精神病院を撮影し、硬化した表情で何をするでもなく並ぶ彼らのような人々を生かすために国民の税金がどれほど投入されているか、後世に優秀な遺伝子を残していく為には遺伝性の認められる疾患のある者の種を残さないことが必要と吹聴する。そして遺伝性疾患のある者から生殖能力を奪う断種法が制定され、実際施行されていた。
その頃、精神医療の発達で治らないとされていた病気が治るようになってきていた。しかし治る見込みのある患者を受け入れる以前にベッドは根本治療の困難な患者でいっぱいだった。医師たちは治る患者を治したい。しかしそれが潤滑にいかない状況が横たわっていた。そして時代の流れのなか人を「効率的に良く」していこうという正当化によって不治と見なされた患者を安楽死させることが許可される。それはT4作戦と呼ばれた。

ハダマー精神科病院には地下にガス室が今も残っていて、そこではドイツの他の地域の病院から治る見込みがないと判断された精神病者や知的障がい者が毎日バスで送り届けられ、その日の内にガス室に送られていた。バスの窓には目隠しがされていたが、町の人々は満床のはずの病院に人を満載にしたバスが毎日やってきて帰りは空になって戻っていくのを不審に思っていた。
当時を知る人が、病院の煙突から出る黒い煙を毎日のように見ていたと証言する。それはとても嫌なにおいがし、町に戻った帰還兵が戦場と同じにおいがすると言ったという。それで町の人々は病院で何が行われているか推察できたけれど、見て見ぬ振りをしていた。
入院していた家族が殺されると、ある日突然死んだという通知が一通届く。何の前触れもなく突然死ぬことはおかしいと役所に訴えると、そんなことを言いふらすとあなたが危なくなると言い渡される。それでもやはり病者を殺すことは非人道的であると司教がそのことを公の場で訴え、それをきっかけに国民の反感を恐れT4作戦は停止された。
死体の山を組織的に合法的に築くことが可能であること。効率的に人間を整理しようとするような思想は行き過ぎると、その人間には生産性があるか否かという 有用無用の価値判断基準に一元化され、そこからはみ出るもの、それ以外のものを認めるゆとりをなくす。(そういう視点から見れば一億総活躍という言葉も危うい)そういうゆとりのなさは健常とされる人々や家族だって生きている限りその心身は常に損傷する可能性にさらされていて、いつでも選別対象になりうるという想像力の欠如にも繋がっている。
当時精神病院に勤務していた看護師の証言は、バスで到着した患者たちがどうなるかを知っていたけれど看護師は医師の助手でしかなく、またそういう法律があるのだと信じ、ただ使命感を持って仕事をしていただけであり私は生涯において悪いことをしたことはありません、という内容だった。この言葉には確かにそういう実感が伴っていたのだろうと感じられたし、簡単に非難できるものではないと感じる。けれどそう言い切ってしまう看護師の証言は、それを罪と認めてしまえば真っ当に生きたはずの自分の生に大きく支障を来す程のことであると察しているからこその防御のようでもある。

さらに作戦の停止命令が出たあとも薬の過剰投与などによって医師による患者の殺害が続いていたことも明らかになる。
刷り込まれ慣習化されてしまった価値観は急には覆らず、惰性によって患者は処置されていた。
それで延べ20万人が殺され、さらにその後はじはるホロコーストでの600万人の大虐殺にも精神病院で培われた効率よく人を抹殺するノウハウは生かされることになった。

多くの人々のアイデンティティや生活が不安な地盤におかれた状況で生きることに指針や強い牽引力が求められているときに、これが法だと刷り込まれることによって人間を塗りつぶし、主体的に考える余地をなくせば人間はこうも破綻に踏み出すことが出来、望む望まないに関わらず狂った動力に巻き込まれて行くことがあるということに常に目を見開いていなければいけない。


2015/11/6

2015年11月06日 | Weblog

気温が下がってくると猫が布団の上に殺到する。小梅は足下で小麦は胸の上当たりに乗って来るので息苦しさに目を覚ますと猫の顔の輪郭が目の前にあったりする。ストーブをつけると猫はそこにも殺到する。普段仲のよくない2匹が致し方なく温かい場所を分け合っている。

仕事を終えて夕方家に帰る道、空き地の草むらにもう2ヶ月くらい打ち捨てられたままのビニール傘があって、毎日まだあると思いながら視界に入れる。中学校の塀の向こうから部活の音が通りに届いてくる。良く聞き取れるのは中学時代やっていた軟式テニスのポコンというゴムの玉の音。それに女子達のかけ声。野球部の声。そこに吹奏楽の練習が混ざる。

紅葉した並木道からとてもいいにおいがする。赤くなった葉からする甘い落ち葉のにおいがする。更地があまりおもしろくない家並みに変わっていく。こういう建て売りの箱型のコンパクトな家が立ち並んで出来る風景を例えば50年後、今の私たちが文化住宅の立ち並ぶような昭和の色濃い街並をおもしろく見るのと同じように、若い人から見たときにノスタルジーを受け取る風景になるのだろうか。時の風化を受けて今のところ無味乾燥なあの家並みにも味らしきものが出てくるのだろうか。

家々の換気扇から甘辛い醤油のにおいや生姜焼きのにおい、おでん、あきらかに秋刀魚、などが漂ってくる。うちには3日目のおでんが土鍋で眠っており、自転車に積んだ買い物袋のなかにはさらに足す練り物などが入っている。おでんは具を変えながら4日くらい食べる。だから初日に大根は1本仕込んでおく。飽きないように具を日々数種更新し、日ごとに味が染み込んで最終的に大根は出汁の結晶のようになる。


2015/11/5

2015年11月06日 | Weblog

夢。家の近くの川の上流に感染すると皮膚や末端が欠損する伝染病の隔離施設があり、そのあたりをそれぞれ足や手が短かったり顔に引きつれのある患者が杖をついて時々4、5人列になって散歩しているのを見かける。その川のほとりの木で川床のようなものが立っているのを屋根にしてその下で親のいない男の子が暮らしていた。大きな桶のようなものに水を汲むのを手伝った。川の水は少し濁っているが、喉が渇いたのでそれを飲む。近くの屋台が連なる市場に食べ物を買いに行くけれどあまりお金がない。市場に売っているものは野菜、とうがらしのような粉など香辛料が多く、黒いにんにくの5個入りが1900円とか全然安くない買えないと思って見ていたら、かけらを1個味見してみなさいと生のにんにくを差し出され、生はいやだと思いながら断れずかじったら、ねっとりしていておいしかったけれど腹の足しにならないし予算的に買えない。結局手持ちのお金では買えるものがなかったので、しかたなくその辺の草を見て食べられるものを探した。そうしていると手がなんとなく乾燥してかさかさする気がして、見ると手の全体がうろこのようにひび割れ、やや腫れぼったくなっていて、右手の手のひらの真ん中が丸く水色になり始めていた。

 

11月後半の公演の稽古をしている。出演者はふたりなのだけれど、今日の稽古で体の一部を接触させながらどちらが主導権をにぎるでもなく触れた状態を維持しつつ、そこから動いてくる動きをお互いの間の原動力として展開を見守りながら動いて行く、というようなことをやっていた。最初は微細な力加減の変化で押されるような感じがあったら元の位置に戻るよう同じくらい押し返す、そういうことをやっているとその振幅が徐々に大きくなって全身にも動きが伝搬するようになってくる。この動きを生み出すには基本的には受動に比重を置くけれど、能動も必要になる。誠実な地点かに何かを点火させなければ始まらない。それで、はじめのうちはオーガニックな地点から起こってくるものを辿っていられるのだけど、数十分経過してわりと体が動いてくると、体を動かしていた接触箇所のあいだの動機に貪欲さが生まれて来て、それをどこまで反映するべきかという判断ゲージに各々差があり、積極的に握ろうとしていなくても主導権らしきものが生まれてしまう。それで握ってしまった方はなんとなく展開というか方向付けを余儀なくされ、握っていない方はそれに連れて行かれる形になる。それは望まない主従関係なのだけれど、何か事が起こるということは既にその矛先に至る責任がある。その背負い方。

いわゆる躍動感には必ずしも結びつかないし、状態としてはずっと宙に浮いているようなものになるのが正しいのかも知れない。けれど、それおもしろいだろうかともどこかで思うので、何かしらそこから見いだせる体の状態の端々をさらに探査する積極性が生まれる。そしてそれが目に見えて創作の方向に向かうと良くないことはわかる。言葉にすると延々「私は」という主語を使わずに私を維持する状態。そのときの私の状態はあいてのあることに根拠がありつつ、委ねていながら寄りかからないバランスを取っている。そういうことはよく考えると日常の人間関係のなかでも常につきまとっていることでもあるが、でもダンスで、体の状態に置き換えてやってみるといろいろよくわかる。

そしてこの微妙な作業をやることの必然を今のこの世界を眺める中で捉えるべきと思った。稽古場のなかで質感だけ追っていると訳が分からなくなって、放っておかれると落としどころがひたすら体の快楽に向かってしまう。それはだめと思って抑止力を働かせるものだからずっともやもやしていたけれど、この稽古期間中に何を稽古すればいいのか今たぶん結構わかった。つまり貪らずあいだで維持すべきものをあいだとして維持し続けるための力加減を知る為の稽古をしている。


2015/11/3

2015年11月04日 | Weblog

今日が最後のカントルの上映会。通い詰めて見られるものは全部見た。『今日は私の誕生日』という作品の最終リハーサル後にカントルは倒れそのまま帰らぬ人となったそうで、誕生日を目前にしながらそれを迎えることなく死んで行ったのかと思うと演劇的皮肉のようでありながら、これ以上の出来過ぎもない。この作品でもカントルは舞台上にいるはずだった。亡き後の上演では本人がいるはずだった位置に椅子が置かれている。

舞台上はカントルの部屋を模していて、ベッドや画布の張っていない木枠を立てかけた大きなイーゼルが3つある。木枠のなかには自画像やベラスケスの王女の絵となっている俳優がいて、人物たちは動くし画面から出てくる。ベッドにはこの部屋の住人らしい人物、つまりカントルでもある影のような人が寝たり起きたりしている。床には布に包まれた数人の人らしきものが転がっている。また、他の作品と同様にカントルの記憶のなかの人々、父母や故郷の神父も絵の奥からあらわれ、画面の中に収まったり、画面から大砲と共に人物がはみ出して来て部屋を戦場に塗り替えてしまったり、女中と影が衛生兵に変わったり、その他具体的に誰なのかわからない人物達が画面の奥から溢れては去りまた溢れてくる。

他の作品と比べて人物たちは血の気を帯びて来ているように感じ、硬直したふるまいがそれほど目立たなくなって、人物の行為にも具体的な意志を見て取れる部分が増えていた。ラストに近くなって葬送のシーンがある。木の板が肩に担がれ運ばれてくる。『今日は私の誕生日』というタイトルの着想は、ポーランド前衛芸術家によって結成された「クラクフ グループ」の創設メンバーであるユダヤ系ポーランド人画家のヨナシュ・ステルンのホロコーストから生還したエピソードが元になっているらしい。ゲットーから強制連行され集団処刑の際に地面に転倒し、死体の山のあいだで死者を装い深夜逃走。長い放浪の末命からがらハンガリーに辿り着き九死に一生を得たそうで、それ以来この逃走の日を自ら誕生日として祝っていたという。このヨナシュの役は劇中にも登場していた。ラストは記録映像では映像としてそこでストップさせてエンドロールを流したけれど、全員が出て来てパレードのようになり踊っている最中に流れている音楽がいきなりカットアウトされ、俳優全員ぴたっと止まるという強制的に切断させたような終わり方をした。その幕切れ自体もまるでカントルの急逝ようだったし、死は終わりになって訪れるのではなくて、誰しも途中で迎えるしかないものなのだと思った。長く生きたとか本人のもう十分に関わらず、生の途中でやってくる。

カントルのことはもう少し時間をかけながら考えるけれど、カントルの作品群はひたすら個であることにこだわり抜いた末、必然的に触れてくるものによって劇の時間を立ち上げている。劇中に出てくるどんな人物もオブジェもまっとうにいかがわしくそれ故に誠実。私が見ることができるのは上演の記録でしかないのだけれど、それでも、国や時代背景の異なる2015年の私にもそこに含まれたものを生きたまま受け取ることができ、個人的な生を生きようとする精神や体の置き所、作品の在り方がリアリティを伴ったフィクションとして届いてくる。扱われている内容のことよりも個に端を発する現実から生まれるイリュージョンを溢れさせてはそれが壊れるイリュージョンを重ね転倒させつつ、何よりそこでいつもあらわになる主題であるカントルという人を好きだ。