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流出雑記 

したため『巣』

2011年02月28日 | Weblog

午後、コーポレアルマイムのワークを受ける。この頃そこで体を開拓するのがおもしろくてしょうがないことのひとつ。

その後アトリエ劇研でしたための『巣』という演劇を見る。

冒頭、暗転のなかから3人の若い女の子の掛け合いの台詞が聞こえてくる。明かりが入ると素舞台のブラックボックスに3人の姿があらわれ、それぞれの部屋についての話しがはじまる。
舞台の床に3箇所四角い明かりが落ちた。それはそれぞれの部屋の冷蔵庫をあらわしていて、その前でドアを引く動作をし、冷蔵庫の扉が開くと女の子たちはヴーと見えない冷蔵庫の音を出す。というように実際そこには何もないけれど、触るものの名称とそのときに出る音を口に出しながら彼女たちはそれぞれの部屋の台所を冷蔵庫から流し、コンロ、トースターと横移動しながら朝食の支度をする。
日々の導線、いちいち記憶していないようなほとんど無意識にさっさとやっている朝の支度の行為があらためて縁取られながら舞台の上で再現される。その縁取り線からうっすらとここではない彼女らの台所が見える。ラース・フォン・トリアーの『ドックヴィル』を少し思い出す。この映画はある村の話しなのに全シーンスタジオ内で撮影されていて、風景はなく昼夜はライトで調節され、村の家々の境目やドアも床に白チョークで書かれた線であらわされる。なのに見る者のイメージのなかで勝手に想像された架空の村の風景が目の中に残る不思議な映画だった。

別のシーンでは一人がけのテーブルと椅子が運ばれ、化粧ポーチを持った女の子がひとり登場して座る。化粧ポーチをひっくり返すと中からジェンガが出てきた。ジェンガの木のブロックを積み上げて、ひとりでブロックを抜きながら、ひとつ抜く毎に化粧水をつける、美容液をつけると化粧するときに使うものを声に出して言う。おもしろいのはそれらはすべて商品名まで言われること。例えば化粧水は「極潤ヒアルロン液をつける」、というふうに。様々な商品名を聞きながら、あたりまえだが眉墨一本とってみても商品でないもの、商品名がないものはひとつもないのだった。それとこれは年代の近い同性ゆえにわかることだが彼女が口にするコスメの商品名はどれも特別高価なものではなく20代前半の定職に就いていない女の子が限られた経済状況のなかで探して選んでいる手付きが想像されるもので、そんなところからもより彼女の生活感というものを鮮明に感じてしまう。彼女はバランスを取りながら外側に向かって名乗る状態の「私」を添加していく。アイラインを強く引きたい日と薄くアイシャドウを入れるくらいであまり目を触りたくない日もあるとジェンガのバランスを見ながら思っていた。

彼女はさまざまにある商品から自分に添加するものを買う。化粧品だけでなく着るもの、食べるもの、住居に至るまであらゆる商品を買って、そのなかで暮らしている。そこにいる彼女におびただしい商品名との否応ない関わりの一端を見、そのような生態系のなかで培われた体を見ている、という感覚があった。そしてそれは何も彼女に限ってのことでなく観客である私自身も同じように培われ、暮らしているものだと気付く。

いま部屋のなかを見渡してみる。1階の6畳の居間、消えているがパナソニックの液晶テレビが目の前にあり、その斜め上には無印良品の振り子時計、千本通りにある釘抜地蔵の赤いだるまの家内安全守り、ほんとうは1年経つとかえして新しいのを買うのに、マトリョーシカに似てかわいらしいので溜めていて今5体並んでいる。

ニックの座椅子に座り、無印良品のこたつに入り机の上のマックブックのキーを叩きながらこの文章を打っている。喉が渇くと、関西電力の電気で稼動しているナショナルのNR-B112Jという品番の冷蔵庫から、かおりちゃんの京番茶を無印良品のガラスの1ℓボトルに入れ、京都市水道局からの水を、ゼンケンのニューアクアセンチュリーという浄水器をとおした水で水出しにしたものを取り出し、これはもう買った場所も値段もわからないガラスのコップで、飲む。小腹が空くとシスコのエース家紋おしるこ味というビスケットをかじる。 もっと詳細にやれそうだがここでは省略。言葉にすると大体どんなふうか知りたかったのでやってみた。

 

またあるシーンでは兎のかぶり物をし可能な限り服を着込んだ女の子が帰宅する。いらっしゃいませ~ありがとうございま~すとバイトの時に繰り返し言っているであろう言葉を自動的に口が再生しているような投げやりさで唱えながらひたすら服を脱いで、脱いでいく。ようやくインナー姿になって服の山の横に座り煙草をふかす。やっとまともに息を吸えたというように。

「巣」、彼女たちが彼女たち自身をはぐくむ場所、それにまつわるいちいち覚えていないような日々の、でも間違いなく彼女たちの「私」に関わり、体そのものをかたち作ってしまっている日常のことごと、所作を見つめる目線から紡がれたものに、もはやあたりまえに思って意識化することのない体の構成因子を手に取りなおす時間をもらったようだった。演出家はきっと3人の俳優に膨大な質問をしながらこの作品を作ったのだろう。彼女たちは役名をもたず彼女たちの名前をもったまま舞台上にあった。でも単なる私語りにならないものとしてひとつひとつのシーンに見るものへフックが仕掛けられていたように思う。そのフックへの掛かかり具合は年代や性別で差があるかも知れない。それでも人の見つめ方や作品を紡ぐ手付きに可能性を感じた。

 

 


麻生三郎

2011年02月27日 | Weblog

近代美術館に麻生三郎最終日滑り込む。
初期のスープの皿を舐める男の絵、犬の目をしている自画像。

初期の作品では家族や自分の身の周りの人物を描いていたが、次第に主題は個人的なものから象徴的な家族や母子像へと広がり、戦後のものになると焦げ付いた赤い街の風景に人が立つ人があらわれる。画面上の背景が類焼するように人物の輪郭を侵し、その境目は徐々にはっきりとしなくなり、後期の作品になるにつれて人は形を失っていく。背景は描かれる人物の為のしつらえではなく、世の中、外側からの圧力として描かれ、図と地の力関係が均衡しつつ画面にひしめきあっている。それに押しつぶされんとしながら存在し、画面からこちらを見ている人の姿から、写実的に描き込まれた輪郭や陰影が見せるものとは異質な生きているもののリアルさが迫ってくるように感じた。

 



表出する形状、かたち、描くにせよ踊るにせよ形を見出す瞬間は常にそのような拮抗からあらわれるものでありたいと強く思う。

後期になるほど大作となっていく作品は密度を失ってはいないのに、徐々に絵としての引力が弱くなっているように感じた。私にとってはその絵を20センチ四方に切り取って見ても圧倒されるものを感じる説得力をもったマチエールが大画面に広がっているのに、引いて見たときの絵にあまり心を動かされない。画風が定着した晩年の大作は方法に鎮座してしまっているようなところがあったからだろうか。それとは逆に初期のクロッキー帳の数枚の人物のスケッチは、何かが見出されようとしている予感を孕んだ線がそのままに残されていて、作品ではないけれどもしかすると作品そのものより印象に残る魅力をもっているように思ってしまった。

そんなことをいうと画家は怒るだろうか。ある作家の絵を生涯に沿って見ていくというのは興味深いが良し悪しかも知れない。一枚一枚の絵を完成したものとして受けとれず過程のなかで見てしまうところがある。

夫は青いパステルと水彩で描かれた裸婦のクロッキーを気に入っていた。帰りがけにその絵柄のポストカードをミュージアムショップで探したが、最終日だったからかポストカードは一枚も売っていなかった。代わりに麻生三郎と関係のない猫の柄のクリアファイルを2枚買った。

夜は久々に回転寿司のむさしに行った。ねぎとろのとろが今までと違う。不自然にピンクが鮮やかで、どうもとろ以外の混ぜ物が混入している気配のある気味悪い食感と味だった。 

 


『今あなたが「わたし」と指差した行く先を探すこと2』

2011年02月23日 | Weblog

下腹部に鈍痛。若干間延びした状態で落ち着いた40日周期の血の巡り。当然仕事の日はかぶってくる。人前に体をさらしたくないと毎度のことながら思う。もたつく体を連れて1時から4時までクロッキーの仕事。

終わってからartzoneに『今あなたが「わたし」と指差した行く先を探すこと2』という展示を見に行く。
絵や立体の作品ではなく展示されているのは人である。ガラス張りのartzoneの前まで来る。外から見ると数人の人が何かしら中で準備しているように見える。展示期間中で入って良いと知っていても少し躊躇した。いざ入ってもなんとなく挨拶して、入っても良かったかまず聞いた。ギャラリーのなかには5、6人の人がいて、ダンサー、役者、ミュージシャンなど主に「見られる」場に立っている人たちが展示されている。展示といっても陳列されているのでなくそれぞれ中を普通に動き回っているし、こんにちはと言えばこんにちはと返ってくる。

展覧会形式というとマレビトの会の『HIROSHIMA-HAPCHON:二つの都市をめぐる展覧会』を思い出すが、この場合の展示では俳優はキャプションの前に立ち、空間に点々と配置され、それぞれの体験に伴った都市についての報告が為され、観客はそれを好きに見てまわるようになっていた。通常の観劇のように客電の消えた客席に腰掛けてものを見ているわけではなく、他の観客が動いている様も同時に見えるので、自らも空間において観客であるということに意識的にならざるをえない。その意識の軸の立った状態でこの観劇をどのような時間として体験し、どのように見るかということは観客に託され、それを問われる場であると感じた。俳優の体を介して「報告」される記憶は、観客としての私が訪れたことのない土地や出会わなかった人のこと、体験しえなかったこと、ここではないもの、ここにはないものをその距離と共に想像させるものだった。

『今あなたが「わたし」と指差した方向の行く先を探すこと2』における展示では、演出的な操作統率されているわけではなく、在り方は基本的に展示されている個々にまかされているということだった。

時間によって何かイベントが起こっている場合もあったようだが、私が入った時間は特に何も行なわれていない時間だった。それぞれに音響機材を触っていたり、壁面に絵を描いていたり、豆を煮ていたり、ダイニングテーブルのような机の置かれた椅子に掛けて何かしていたりする。展示されている人同士普段のように話したり、見に来た人と会話もする。展示中の人がカメラを構えて展示中の人にインタビューを撮り始めたりする。それぞれの行為はそのことだけに集中して行なわれているのでなく会話をしている途中に関係のない動作が差し挟まれたり、観客がそれに巻き込まれることもある。

日常と非日常、見る、見られるの狭間にあるような場を設える意図、そのバランスが傾かないように、シーソー状態を維持することが空間を構成する人たちに課せられている。日常的な会話や所作だけでなく、特別な表現技法を身に付けた体で何かを物語るのでもない。質は違うがどちらもその先には「他者」が想定されている。「他者」との間で生成する「わたし」というものの状態を日常でも非日常でもない、そのどちらの衣服を着込むことのできないところに積極的に体を据えようとし、そこから覆うことで名乗られるような「わたし」でない「わたし」を露出させようとしているように思われた。

訪れた人はそこで場を共有する一種の責任を負うことになり、鑑賞するだけでは済まされないという強制力。この引き入れ方によって単に見るという立ち位置よりもう少し幅をもった知覚を広げることのできる観客もあればそれをこころよく感じない観客もあるだろう。
展示者はどのような状況が発生してもその時にその場を引き受けなければならず、そういう場に体を開くことに少なからず意義はあると思う。
訪れた観客は入った瞬間からその場の構成因子となってしまい、その影響は展示者に反映されて現在進行形の時間のなかに組み込まれる。そしてそれはその場にいる観客自身にはね返ってくるものである。

この企画の人間展示は、どこかでも誰かでもなく、ここにある「わたし」にとっての「あなた」と「あなた」にとっての「わたし」、相互の影響のなかに立ちあらわれるものそれ自体であると言える部分はあったが、観客として訪れた私にはどことなく魚の小骨が引っ掛かったような体感が残っていた。場で発生する展示者と鑑賞者の関係性が対等な立ち位置でのダイアローグであったと言い切れないところがあり、引っ掛かりは展示者に特権性がどうしても発生してしまうということだった。一見して開かれた場を設えようとしているのにもかかわらず。会話しているはずなのにモノローグに荷担しているようなときのどことなく曇った体感がどうしても拭えない部分があったのだ。これは何かを意図して仕掛けた側とそれを見に来る側である以上仕方のないことなのだろうか。鑑賞者が作品に関わりを持つこと、そういうときの鑑賞者の体にとっての豊かさとはなんだろうかと、そのことを数日、今も考えている。


近江鉄道に乗って仕事にいった日

2011年02月18日 | Weblog

あまり眠れないまま6時半起床。昨夜雨。久々の雨。朝の冷え込みはずいぶんまし。
太陽礼拝、白湯、みかん、ナッツ、パン。

7時半過ぎ家をでる。滋賀県で仕事。

松ヶ崎から地下鉄で京都へ、JR琵琶湖線で近江八幡下車、さらに近江鉄道というローカル線に乗り換えて八日市という駅に向かう。この電車は本数が少ないので一本逃すと次がなかなか来ない。5年くらい前にここの仕事が来たときに電車を逃した。焦って近江八幡から八日市までの距離を知らずにタクシーを使ったら9000円くらいかかったうえに次の電車を待った方が早かったという失敗をやらかした。

京都駅は通勤時刻だけ新快速の着くホームが変則的で、琵琶湖線も朝は北陸に向かう特急のホームに入る。知らないので毎朝の慣れた通勤導線を移動する人たちの間を縫って、朝の時間に慣れない体が右往左往する。それで前回は乗るつもりの電車に乗れなかったのだ。今日は用心して早めに出て、無事近江鉄道に乗ることができた。

隣に座った50代くらいの出張サラリーマンふたり組はなんかほっとする電車やなあ、日曜日のテレビのぶらっとナントカ旅みたいやなと話している。トヨタとかホンダとか言っていたので自動車関連の仕事らしい。あとは常に部下の誰かを怒っていないと気が済まない上司の気質と対処法についてなど。

風景はほぼ休憩中の田んぼ。近江と言えば近江米、米どころなのだ。あと近江牛、近江住宅。

八日市に着く。駅までデッサン会のメンバーの人が迎えに来てくれることになっていた。迎えに来る人とは初対面なので、前日確認の電話で特徴を聞かれた時にカラフルなカバンを持っていると伝えておいたら見つけてくれた。

10時にポーズ開始。缶コーヒーが効いたのか思ったより頭は冴えている。窓の外に見える街路樹に視点を定めていた。木の葉がざわついている。今日は風が強い。

12時昼休憩。お弁当付きだった。地元の農家の方が野菜等を売る市場の手作り弁当で、蓋のところに製造者の名前が書いてあった。煮物、ひじき、豚の生姜焼き風、かき揚げ、卵焼きなどのおかずが少しづつとごはんは黒米、白米、炊き込みの3種類詰まっている。おかずの味付けはどれも甘みが強い。デッサン会の参加者はほぼ60代後半の男性で、その人たちと机をかこんでお弁当を食べる。たまたま隣に座った人はここに来てる人は大体もう定年退職しているが、自分は仕事を辞めてからまた起業した、いわゆるベンチャー企業ゆうやつやと仕事のことを話してくれた。製造業だと言うのでなんの仕事かくわしく聞いてみるとネジを作る仕事ということだった。ネジにはまだ開発の余地があったのか。弛まないネジを開発しているそうで、これは絶対に需要があり、大企業相手に仕事ができておもしろいそうだ。開発したものが売れたときはいつもペテン師になった気がするとも言っていた。弛まないネジは溝に秘密があるんですかと尋ねるとええとこ突くねと言っていた。

お弁当は少し多くておかずはやはり甘かったが、特徴的な甘さが作った人のあることを思わせて残すのがなんとなく気が引けて全部食べた。

お腹がいっぱいになった後はやはり眠気に襲われる。まずいと思って休憩中に缶コーヒーを買いに行く。1日に缶コーヒー2本も飲みたくないが眠気覚ましが他にない。

矢川澄子の『兎と呼ばれた女』読み終える。体があることの困難、共感と反感を同時に覚える。この人の随筆をものすごく読みたいが絶版になっているものがほとんどのようだ。そして矢川澄子が傍らにあり最良の頃に編まれたという澁澤龍彦の『夢の宇宙誌 コスモグラフィアファンタスティカ』を手に取るタイミングがやってきた。今までに何度かすれ違ってきた本だった。そしてこの本を開いたところで天使に出会う導線らしい。こういうふうにたぐり寄せられていく出会いにふつふつと興奮する。読書家にはなれないし怠惰なのだからせめて必然的読書くらいは。

帰りに京都駅でタイカレーのセットとキャンベルのパンプキンスープを買う。

夕食、塩とオレガノ等を擦り込み冷蔵庫で数日寝かせた豚モモ塊の表面を焼いて野菜と共に蒸し煮。あとトマト、パンプキンスープ。


インプロセッションの會 3月の予定

2011年02月17日 | Weblog
その日集まった人たちで即興セッションします。
踊る人、音を出す人、読む人、描く人、その他さまざまな表現をする人が行き交う場になればと思っています。どなたでもご参加ください。

日時/3月4日(金)19時30分~22時
場所/カフェかぜのね 多目的スペース(出町柳駅すぐ)

参加費/500円

※場所は19時から使えるので、アップ、準備等できます。畳敷き16畳のスペースです。
※自転車は駐輪場に停めてください。 

質問などあれば連絡ください。  figromage@mail.goo.ne.jp   増田

彼女のこと

2011年02月15日 | Weblog
私がまだ学生で、舞踏の稽古場に通っていた頃に出会った彼女のこと。

彼女は私よりいくつか歳上だったが、私と同じか少し小さいくらい小柄で華奢な体つきだった。出会ったばかりのころは印象的なロングヘアだったが、いつからかばっさり切ってショートになっていた。
紫色の服が似合っていた。

稽古場で彼女が動いているのを見ながらよく体が軽いなと思っていた。軽やかに舞っているというような意味の軽いでなくて、物体としての彼女の質量のイメージが軽い感じがした。
稽古では大気、水、雷、植物、獣、共感、反感、などさまざまの動きのメソッドやっていたが、水や大気が親和する体だと思って見ていた。

彼女はsoftというミュージャンが好きだと言っていた。
私はまだ聞いたことがない。

稽古場意外で会ったりことはなかったが、一度だけ、彼女が遊ぼうと誘ってくれたことがあった。それでうちに来ることになった。
その頃私はまだ実家で暮らしていた。家までの道のりを説明し、その日の午後彼女を待っていた。でも約束の日になって、お腹が痛くなってしまったので日を変えてほしいとメールがあった。そういうことが数回あったのち、ようやく会うことができた。
季節は夏だった。
実家の2階のお稽古部屋に机を出して母が作った冷やし中華をふたりで食べた。お稽古部屋とは祖母が元気な頃、お茶とお花の稽古に使っていた部屋のこと。私が小さい頃、月曜の夜は草花の切り口のにおい、土曜は沈香のにおいが立ち込めていた。

冷やし中華を食べてから、夕方まで彼女の話しを聞いていた。
彼女の彼氏はじつは宇宙人で、目が光っていた、一昨日彼氏のうちに遊びに行ったら夜だったのに急に昼になった。 といった不思議な内容だった。肯定も否定もしないまま聞いていた。

大学での公演が忙しくなり、舞踏の稽古場に通わなくなり、何度か携帯を落としたりして彼女の連絡先はわからなくなっていた。
姿を見なくなって数年経つが時々彼女を思い出すことがあった。

一昨日人づてに彼女が2年前に亡くなっていたことを聞いた。
精神的に困難なものを抱えていることは彼女から聞いてはいた。亡くなる前はかかりつけの病院と薬が変わって調子が良くない状態が続いていたそうだ。

ふとしたときに思い出していた相手がもういなくなっていたこと、彼女が抱えていたものが彼女の生の均衡を完全に壊してしまうほどのものだったということ、歩いたり電車に乗ったりしながら考えていた。何をというわけでもなく。

インプロセッションの會 ♯1

2011年02月13日 | Weblog

今日初めてのインプロセッションの會。

午前中から正午にかけて雪がちらちらしていた。吹雪かないことを祈る。

私が家を出るときには雪はやんでいた。クロッキー帳も持っていく。2時に出町柳のスペースを借りているカフェの前まで来ると、ギターを背負った友人が反対の方向から走ってきた。カフェの奥の多目的スペースに入るともう既に2人来てくれていた。

部屋を暖めつつストレッチしていると徐々に人が集まり、この日は私を含め参加者8人。約2時間半の間に3セットやった。

1 空間に3人までの人数制限(ソロでもデュオでもいい)体感20分~30分の間に「終わり」を見つけること。

2 空間に必ず3人をキープすること。場の転換速度を少し早める意識。 体感20分~30分の間に「終わり」を見つける。

3 空間に必ず2人をキープすること。 上と同じく「終わり」を見つけること。

8人の体は8様の言語で話すように違っている。それが同じ場に急に放たれるのだからいきなり通じる方がむつかしい。それより相手の話し方を良く見ること。そして場に自分の体を投げ入れること。初回の今日はとにかくセッションする場を実作業として切り拓いていくようだった。鍬が入ったという感じ。この作業はどうしてもひとりでは出来ない。

それぞれが「私」であってよいということをあらためて思う。この言葉は安易に使うと誤解を招くかも知れない。「私」であるということは単に自己主張をするということではない。他者との関係の間に自立的に発生する状態、自分以外のものを知覚しつつその時々に方向を見いだしている最中の軸のようなものが「私」だと思われる。第三者の意図に沿うのでなく、それぞれの軸の判断に身をまかせ、それが反映される場を共有し、再現を目的としない時間をつくることがインプロやる意義だと思っている。

他者を前に何かしようとするときには遠慮や気負いや虚栄や意図がつきまとう。そういうものから完全に切り離された純化を目指すのでもない。ただそれを知っていなければならない。そしてそうではない状態、本当に自分はどうありたいかということを体で探すための場でもある。

書くと堅苦しい印象になるだろうか、でもこれはとても心踊ることだと思っている。

 

 


ピアノ雨カレーのち演劇の日

2011年02月12日 | Weblog

昨夜『ヒーロー・ショウ』という映画を見た。いかそうめんとピーナツをかじりながらコップ3分の1量のビールとお猪口一杯の日本酒を飲んだら眠気がなだれ込んできて最後まで見られず。

起きるとテレビもパネルヒーターもつけっ放しのまま夫もコタツで寝ていた。
今月はそれに近いことを数回やらかしている。電気代の請求を見るのが怖い。

起きて太陽礼拝、腰の後ろあたりがもたつくような感じがある。体がいつもより余分に水気を含んでいる感じ。

サンふじを剥く。りんごは軸の太いものの方が栄養をよく吸収しているので美味しいと聞いて選ぶときはいつも軸を見るようにしている。今日のは当たり。

かぼちゃのいとこ煮に牛乳を入れ、かぼちゃミルク汁粉のようにして餅を入れて食べる。

12時前に家を出る。
地下鉄、四条から阪急で宝塚方面へ。
この頃よくインプロセッションでご一緒するピアニストの本多さんのピアノリサイタルを聴きにいく。

400人くらい入る大きなホール。舞台の中央にはグランドピアノが1台。手元が見える位置に座る。

赤い扉のなかから青いドレス姿のピアニストがあらわれた。こまかいラメが散りばめられたドレスはゴッホの『星月夜と糸杉』のようだと思った。とてもよく似合っていた。

そしてピアノの方に歩いてくる途中、長いドレスの裾を踏んずけてつまずきかけるところも彼女らしくていい。

『光の音闇の音』というリサイタルはモーツアルトのピアノソナタから始まった。

セッションの場で楽器の音を聞くはあったが、聴衆として客席から生の楽器の音を聴くのが久しぶりだった。

鍵盤に触る指が、ひとつひとつ音と呼んでいる隙もない速度で音符だったものを音楽に編み上げていく。200年以上前に19歳のモーツアルトが五線譜の上に記した音符が、今生きている若い女性の体を通して200年後を生きているものの耳に届く。音は蘇りつつ即座に彼女に翻訳される。音楽はその間に発生するもののように聴こえた。なんだかわからぬ涙が両目にひとすじ流れた。

曲目はモーツアルト、ショパン、ラヴェルと移る。

感情、躍動感が形状を伴って感じられる印象の曲から終わりに近づく程に形状が薄れ、輪郭を失いつつある状態を描写するようなものに移ってゆくようだった。音の中にある光と闇の要素が粒子化されそのどちらでもなくなって舞っているように思われた。

会場から出ると晴れ間が見えていたが地面やベンチが濡れていた。演奏中降っていたようだ。

それから伊丹に移動。夜に舞台を見ようと思っていた。しかし6時からだと思っていた公演が7時半からだったことに移動中気がつく。時刻はまだ4時を過ぎたところでかなり時間があった。そしてとにかく空腹だった。安上がりに劇場の近くのショッピングモールでうどんでも食べようと思ったが、悪天候で土曜のショッピングモールは人だらけだった。ここで長時間本を読んで過ごすのは無謀と思い、阪急伊丹駅に向かって歩き始めたがすぐに雨が降ってきた。ビニール傘を買うのが嫌でショッピングモールに戻り2900円の傘を買った。

長時間過ごせそうなカフェに入り、ブラックアイビーンズカレーというのを注文し、さっき買った矢川澄子の『兎とよばれた女』を読む。澁澤龍彦の妻だった人らしい。誰もいない島で見えない神様とふたりきりで暮らす兎の話し。

カレーにはサラダが付いてきた。カレーは豆がかなり煮込まれて煮くずれてぼてっとしたルーがたっぷりかかっている。ごはん軽めにしときましたんで足りなかったら言ってくださいとマスターに言われた。私の体格を見て判断してくれたらしいが、お腹が空いているので軽めでなくてもいけると思った。このカレーはおいしいが私ならトマト缶を入れて煮込む。酸味と甘みがもう少しある方が好みだと思った。食べ勧めると豆のおかげか思ったよりお腹に溜まって空腹は隙間なく満たされた。

1時間半程してから劇場に移動。

『Melody♥Cup』を観る。再演だが初演は観ていないので初見。

タイ人の出演者と日本人の役者やダンサーが出演している。

舞台は客席より低くなっていて一面にブルーシートが敷かれプールのようになっている。中央にはマイクスタンドが一本立っている。冒頭の方のシーンでは出演者があらわれひとりずつマイクに向かって名をなのる。

様々なシーンが展開されタイ語、日本語、ときには英語も話される。ブルーシートは変幻自在で水や海を想像させる。

あまりしっかりとした感想がまだまとまっていない。どのようなやりとりからこの作品が形作られていったのか聞いてみたいと思った。

 

 

買ったばかりの傘を帰りの阪急に忘れてきた。


不意の休日

2011年02月11日 | Weblog

昨夜『マグダレンの祈り』という映画を見た。

キリストによって改心した娼婦マグダラのマリアにちなんで名づけられた「マグダレン修道院」。19世紀に、堕落した女性や娼婦のための避難所としてアイルランドに建設されたが内実は、婚姻外の子供をもうけてしまったり、レイプの被害にあったりした為に社会や家族、カトリック教会から堕落した者、一族に恥をもたらしたと決め付けられた女性を強制的に監禁する収容所だった。婚前交渉が殺人と並ぶ罪とされた時代があったのだ。

塀の中での生活は修道女たちによって管理され、女性たちは洗濯部屋で働かされた。私語、外部との連絡、家族と会うことも禁じられ、ひたすら洗濯の仕事をさせられる。洗濯が罪を犯した身を洗い清める労働とされていた。洗濯と言っても今のような洗濯機や乾燥機のない頃の話しなので、湯気のあがる洗濯室で何十人もの女性が山積みのシーツに洗濯粉をまぶし、シャツやタオルは洗濯板や手で汚れを落とす。それを1日中。そんなに洗剤やお湯に触っていては手なんかぼろぼろだっただろう。

逃亡を企てた者もいたが、失敗するとシスターから鞭打たれ、髪を丸刈りにされる。修道女と言っても慈悲もくそもない歪んだ看守のような人たちだったようだ。中には施設に閉じ込められたまま一生を終える女性、発狂して精神病院に移され死んだ女性もいた。

このマグダレン修道院は1996年まで実際に存続していたという。
映画は収容された女性たちの実話をもとにしている。そのような断罪がまかり通っていたことに恐怖をおぼえる。なぜそこまで女性の性を抑圧する必要があり、何が恐れられていたのかを考えたいと思った。

予定通り6時半起床。

身支度をして朝ご飯にポトフの残りを温めていると電話がなった。今日の午前中に仕事に行く予定のデッサン会の主催者からだった。そこは奈良方面なのだが吹雪になっているそうで午後からに変更にしてほしいとの連絡。こちらの雪は舞い散る程度で積もってはない。せっかく早起きしたがポトフを食べてコタツで寝なおした。2時間後また電話がなって起こされた。雪が降り止む気配がないので今日は中止にしたいということだった。それでいきなり休みになる。今日の出端をくじかれた感と変に寝たせいか眠気がしつこく目の裏に張り付いていて、もう知らんとそのまま三度寝する。

12時半に目が覚めた。

夫はパソコンの前で仕事中だった。仕事部屋にパンとポトフとコーヒーを運んで自分は昨日もらったかぼちゃのいとこ煮に餅を絡めて食べた。

天気予報では雪だったが晴れているので洗濯する。

パンを発酵させつつ、今日どうしてもやってしまいたいことをやろうとしていた。町内の組長の役を来年度の人にお願いしにいくこと。これに数日悩んでいた。うちの町内は家の並んでいる順番に回ってくるわけではないらしく、どういうサイクルになっているのかよくわからなかった。それで今まで記録を遡っていちばん前にやった人を探し出す。もうひとつ気がかりは高齢の独居宅が何件かあり、そういうところにあたったらやるのは大変だと思うが、どうすれば良いか、誰に相談すると良いかなど。

でも幸い次の人はそういう家ではなかったので、少し安心して頼みに行ける。とは言え相手にとってうれしい訪問ではないし、同じ町内でも町内会費を集めに行った以来会ってない人だったので行くまでにもたついてしまう。1度行って留守。2度目は灯りがついていた。

行ってしまえば順番と言うことで受け入れてくれるのだが。

とにかくこれで月2回117部届く市民新聞の分配と配布と無意味なポスター張りの業が終わる。

夕食 豚ネギ塩炒め 菜の花からし合えはからしがちょっと効きすぎたので胡麻ドレッシングを足す。 しめじとわかめの味噌汁 すぐき

明日の朝用のパンは今までのなかでいちばん想像に近いものに焼き上がった。少し粉や水や油分の塩梅でどういう生地になるかわかるようになってきた。