ここ数日、小豆は水以外のものをほとんど口にしなくなっていた。
缶詰の種類を変えたり、猫ミルクでおじやみたいにしても食べようとしない。その間何度か病院で点滴を打ってもらったが、体力が戻る兆しはなかった。猫の平熱は38度くらいだそうだが、体温計は35度をやっと越したところを差していた。小豆はこれまで何度かもうだめかも知れないと言われる体調悪化の度に、獣医さんも不思議がる超回復をみせて復活していた。でも今回は外側からできる手立てをいくら施しても体が応じない。
どういう経緯か迷い猫になって極度の飢えを知っている小豆は食べものに強い執着があった。腎不全からくる口内炎の痛みで食べたくても食べられないときとは違う、鼻先に持っていっても顔を背ける。それを見ていると生きている状態を繋ぎ止めるにはにはこの世界の生きものを食べないといけないのだと思う。当然なのだが。そうすることをもうしない、ということは徐々に小豆は小豆から離れていくということだ。小豆のかたちと小豆を動かしているものが離れていく。多くの縁が編み込まれて具現化しているそのかたちがほつれて隙間から出て行ってしまう。
この何も食べていないお腹はひらったく、肺のあたりは肋骨のかたちで膨らんで見える。うちにきたばかりの頃は目を離した隙に柳月堂のくるみぱんをかじっていたり、お膳にお皿を並べてご飯をよそっている隙にだし巻きが一切れなくなっていたりしていた。
からだに力が入らなくなった小豆は首の座らない新生児のようで、立ち上がれなくなってからはカーペットに爪をひっかけて寝返りをうったり、走る夢を見ているのか、時々手足をぱたぱた動かしたりしていた。
私は仕事で出ている日がほとんどで、傍にいられるのは夜だけだったが、家で仕事をしている夫は、目を離すと息をしていないような気がして数分おきに寝ている小豆のほうを振り返りながら暮らしていた。
夜は体温が下がらないようにホットカーペットの上に寝かせて、夫と私で小豆を挟んでコタツで寝る。
翌日の昼、私は仕事に出なければいけなかった。その頃小豆の心拍はかなり速度が落ちていた。でも物音に反応して耳が動いていたし、目も見えている。いってきますを言ってドアを閉めた。自転車に乗る。ペダルを踏む。家から離れていく。
地下鉄に乗ってすぐ夫から着信があった。きっとそうだと思った。私が家を出てすぐに小豆は息を引き取った。
出がけにそうだと狼狽えたかも知れない。仕事中、急にそれを知るのも遠すぎて悲しい。なんだか小豆も一緒に家を出たような感じがした。
2件の仕事を終えて帰宅したのは夜。
小豆はふわふわのベッドの中で丸くなって眠っているようだった。
去年の5月15日、深夜に夫ががりがりに痩せた猫をひろってきた。来たばかりのときはびゃーとがらがらの声で鳴いていた。黒と茶色のまだらの毛並みはサビ柄といってザ・野良猫の風貌だった。黒っぽいので写真に撮るのが難しい。
よく食べ、よく飲み、おしっこもたくさんするので猫砂は月に一度箱買いだった。獣医さんにも足繁く通った。よく膝に乗ってきてそれは頭突きかと思う甘え方をしてきた。夜はベッドに入って来て腕枕で眠った。二階に上がって電気を消した一階の部屋に寝るよーと声をかけると返事してととと、と上がってくる小豆を見るのが好きだった。夫の茶色のパジャマと小豆の毛並みの色が似ているので、並んでいるところが可愛らしくて携帯で写真を撮った。初夏から真夏、秋、冬、3つの季節。もっと長かったように思うが一緒にいたのは8ヶ月間だった。
次の日の午後、葬儀場へ。
夫とバイクで行くので、タオルで包んで後ろの私が抱いて行く。丸まったまま固まっている小豆をベージュのバスタオルに包むと三角形の頂点に小豆の顔が出るかたちになり、天むすみたいだった。
北白川にある葬儀場、近づくと煙突が2本ほど見えた。ちいさなプレハブの葬儀場には観音様、左右に造花、お焼香をする前に般若心経をながしますかと聞かれたが、それはいらないと思った。
紺色に黄色い星の柄の箱に入れられて火葬場に運ばれて行く。火葬場は人のよりずっと焼却炉感がオブラートされていない。
小豆がいつも食べていたかりかりのごはん、我々も今日のお昼にトーストして食べてきたおいしく焼けたパン、夫と私が枕に掛けていたのでたぶんそれぞれのにおいの付いている猫柄のハンカチ、菊の花を添えた。
炉の中はもう火が入っていて、外に付いている計測器は400度を超している。葬儀場の人がその中に小豆を乗せたプレートを入れようとした。何をしに来たのかわかっていてもそんなところに入れたら燃えてしまうと思って炉に近づきかけたら、危ないですからと制された。
炉の扉を閉めて、火をいれさせていただきますと言われ、手を合わせるとゴウという音がして温度計の数字がみるみるうちに上がっていった。
40分程待った。煙突からは煙ではなく陽炎のような熱気が出てゆらゆらと風景を滲ませていた。山肌には氷の粒になった雪が残っている。
骨になった小豆は頸椎から尻尾の先端、いちばん太い足の骨から爪の先、肋骨、頭蓋、下あご、上あご、歯、喉仏は特にしっかりかたちを保っていた。骨壺に足から順に手で拾って納めていく。
納骨しないでうちに連れて帰る。ネコヤナギをお供えした。